ワンニャンパラダイス
裁判所に出廷するまで、あと一週間を切っていた。出廷なんて少し響きは悪いが、友花莉はそんなことを考える余裕なんてどこにもなかった。母親にあの話をできていない以上、不安を抱えたまま、裁判所の人たちがすこぶる優しい良い人である事を願う以外道はない。そんな状況にも関わらず、今友花莉と母親は猫に囲まれて幸せな気持ちで胸をいっぱいにしていた。
「可愛すぎるんだけど。」
「あの子なんて唐揚げみたいよ。」
「ほんとだ!食べちゃおうかな?」
「待ってあの子こっち近づいてきたけど?」
「かわいい。」どっちが喋っているのか分からないくらいに二人は、周りにいる猫の行動一つ一つに、まるで双子の姉妹のように一喜一憂していた。
だがその前日、友花莉はどうしていいか分からず、部屋でヤキモキしながら絵を描いていた。すると机の上に、毛に覆われた生き物が登ってきた。
「どうしたのりお?」友花莉はすぐに手を止め、のりおを抱っこした。それに対してのりおは大人しくしがみついていた。友花莉はいつもその姿を見ると、母性本能がくすぐられ、可愛いと言う感情以外なにも考えることが出来なくなる。そして脳内がリラックスした昼下がりの原っぱにいる様な気分になった。
「やっぱり落ち着くなぁ・・・。のりおにはリラックス効果があるね。」のりおはモゾモゾと動いていた。友花莉は少しかわいそうになり、すぐに離してあげるとのりおはまた机の上に座わりながら、身振り手振りで何かを伝えている様に見えた。伝えると言うよりかは何かを尋ねているのか?恐らく友花莉が思い悩んでいるのを察して、心配しているのかも知れなかった。
「心配してくれてるの?大丈夫だよ。」友花莉は、少しずつのりおの言っていることがわかる様になってきて、ますます嬉しかった。
「でも確かにあと一週間なのにママにあの話ができてないのはちょっと不安でさ・・・。」のりおは静かに友花莉の話を聞いていた。
「分からないんだけどさ、暴力は一番悪いし、絶対に許せないんだけど、でももしパパがした事がママに原因があったとしたら?ママがパパに言葉の暴力をしていたとしたら?」のりおは首を傾げた。
「それなのに、私がママの味方をしたら、もしかしたら・・・。」友花莉は小さな真っ黒い目を見るとすぐに笑顔になった。
「ごめんね。ついついのりおの前ではリラックスし過ぎちゃうのか、いろいろ喋っちゃうのよね。」のりおはまた、何かを伝えている様子だ。その瞬間、友花莉の頭の中にある考えが舞い込んできた。
「そうか、のりお!あんた天才だよ。」のりおは少し戸惑っていた。
「そうだ、もふもふだ!もふもふが世界を救うんだ!」のりおはその言葉を聞いた瞬間、頭を抱えて倒れ込んだ。どうやら自分が伝えたかったことではなかったようだ。だが、友花莉はそんなことは露知らず、早速スマートフォンでいろいろと調べはじめた。
「これだ。」すぐに部屋を飛び出し、リビングでテレビを見ていた母親の元へ駆け込んだ。
そして、気がついたら、「ワンニャンパラダイス」という、ただ単に犬と猫が放し飼いされている施設に、足を運んでいた。ガラス張りの少し広めの部屋に、人間が座れるような切り株の形をした椅子が中央部分に並べられ、床には音がなる食べ物の形をしたおもちゃが散乱していた。部屋の四隅付近には、恐らく猫が登れるようなタワーが二つあり、それがスロープで接合されていた。中に入ると生暖かい空気と、毛とエサの匂いが二人の鼻に入ってきた。そして元気の良いポメラニアンの子犬がクルクル回りながらお出迎えしてくれた。友花莉は、すぐにその無邪気な子犬を抱き上げた。犬たちは人懐っこくすぐに二人は人気者になったが、それは一時の栄光で、しばらくすると次第に周りに寄ってこなくなってしまった。そんな時友花莉の膝の上に重みを感じた。ふと見てみると、真っ白い毛の塊が我が物顔で乗っかっていた。
「どうしたの?ここが気に入ったの?」友花莉は赤ん坊に使う言葉で声をかけると、白い毛の塊は「にゃー。」と一言だけ答えた。友花莉と母親は思わず悶絶してしまった。
「なんだこの空間は?天国なのか?」友花莉は大声でそう言っていたが、周りに母親の姿はなかった。母親は母親でお気に入りの猫を見つけたみたいで、一生懸命アプローチを試みていた。しかし、その猫はかなりプライドが高く、母親は完全に無視されていた。しかし、負けじと母親も構ってもらおうとあの手この手で奮闘していた。その姿を見て友花莉は、少しホッとした。今、精神的にも肉体的にも疲れている母親が、少しでも気晴らし出来れば正直一週間後のことなんてどうでも良いと思えたからだ。
すると、ふとどこかで聞き覚えのある声が友花莉の鼓膜を振動させた。
「ミスターウィスカー、いっぱい食べてね。」しかし、その聞き覚えのある声に似合わないセリフを発しており、友花莉は混乱しながら声の主を探した。
「宮城?」
「え?廣坂?なんで?どうして?」一瞬にしてワンニャンパラダイスは、二人の気まずい空気に包まれた。
「何してるの?」
「何ってミスターウィスカーにご飯をあげてるだけだけど?」宮城は気まずいを通り越して、少し嫌悪感を抱いていた。よりにもよって一番学校の人間に見られたくないタイミングで、しかも最後に会った時、あんなに酷い状態になってしまった人間に遭遇してしまった自分の運命を恨んだ。一方の友花莉は気まずい気持ちは次第に消え、珍しいものを目にして、宮城に対する好奇心が芽生えた。
「猫好きだなんて知らなかった。」宮城の近くにいた毛の塊のような猫は友花莉をぼんやりと眺めていた。
「廣坂こそ。」宮城の声は消え入りそうな声だった。それに対して友花莉は、予想外の返答で、無意識に大きな声で返事をしてしまった。
「いや、それはうそ。だって私の持ち物ほぼ猫だよ?」
「そうだったっけ?」
「うん。」
「例えば?」
「筆箱、ノート、ポーチ、その他諸々。」
「そうだったっけ?」でも宮城がわからないのも無理はなかった。なぜなら、友花莉が使っているそれらの猫グッズは、どれも家でしか使っていなかったのだから。だが宮城はそんなこととも知らず、友花莉の押しに負けて謝罪をした。すると、ミスターウィスカーが宮城の膝の上におもむろに昇ってくると、そのまま眠ってしまった。
「この子すごい懐いてるね。良いなぁ・・・。」
「この夏休み期間中毎日来てたら、気づいたらこんな感じに・・・。」友花莉は少し不機嫌になった。その空気はすぐに宮城も察した。
「この建物の七階が通ってる予備校なんだよ。だから、いつも休憩がてらここに来てるってわけ。」友花莉はあまり納得いっていない様子だった。宮城は、ミスターウィスカーを撫でながら話を続けた。「最初はただ外から眺めているだけだったんだけど、こいつがずっと俺を見て来るようになったから一回くらい良いかな?って思ったのが最後。気づけばヘビーユーザー。こいつの策略にまんまとかかったってわけ。」
「猫を甘く見た罰だね。」宮城は友花莉の言葉に笑って返した。
「でも、こいつ見てると色々忘れられてさ。最近勉強が上手く行かない事とか、直近の模試を失敗して、志望校下げるなんて話が出ている事も全部な。」どうやら宮城も、この夏休みは大変な思いをしているようであった。それと同時に、またこの場所でそれらが全部自分が悪いと責め立てられるのではと思い、急に気分が悪くなってきた。
「ところで廣坂はこの夏休みどう?順調に進んでる?」宮城は少し探るように尋ねてきた。友花莉もだんだん心拍数が上がってきて、吐き気をもよおしそうだった。
「いやそれがそれどころじゃなくて、色々あって裁判所に出廷しなくちゃいけなくて・・・。」
「え?何したの?」友花莉は宮城に事の経緯を話した。
「廣坂は廣坂で色々あって大変だったんだな。」
「なに?その人ごと。」
「だって、人ごとだし。」二人は、ミスターウィスカーを撫でながら笑い合っていた。また、二人の関係が元に戻ったような気がした友花莉は、笑い声に拍車がかかった。それに宮城も続いてきた。恐らく宮城も同じ気持ちだったのかもしれない。
「そういえばさぁ・・・。」宮城がおもむろに話題を変えてきた。「こういう時ノースフェイスちゃんはどうするかなぁ?」友花莉は一瞬考えた。
「多分、不器用だから上手く行くかわからないけど、助けてはくれるんじゃないかなぁ?」「だよね?」友花莉の返答に、宮城は嬉しそうな表情を浮かべながら、手元の鞄から一冊のノートを取り出した。
「実は、最近勉強が手につかなくて・・・。」友花莉は宮城から差し出されたノートの中身をパラパラと眺めた。そこにはびっしりと文字が何ページにも渡って書かれていた。
「あんなに偉そうなこと言ってたけど、実はシナリオ書きすすめてて・・・。」宮城のミスターウィスカーを撫でる手の動きが明らかに早くなっていた。
「もし、まだ二人で一緒にやってくれるなら、これ読んでくれたら嬉しい。」友花莉は無言で頷いた。宮城は嬉しそうな笑顔が溢れていた。
「まだ書きかけだから、読み終わったら返して。」
「分かった。」
「じゃあ、そろそろ戻るね。」
「うん、勉強頑張ってね。」
「ありがとう。」宮城はそう言うと、ミスターウィスカーを友花莉の膝の上に移動させた。
「ちょっと、起きて宮城がいなかったらどうするのよ?」
「大丈夫、そいつどことなく廣坂に似てるから。」それはどう言う意味か聞く前に、宮城は店を後にしていた。友花莉の胸の曇りがかったものが一気に晴れ、透き通った光が友花莉の胸を照らしていた。




