喧嘩
いろんな意味であつかった体育祭を終えると、すぐに期末テストを迎えた。例によってのりおの猛特訓を受けた友花莉は、またしても良い成績を収めた。そしていよいよ夏休みが始まろうとしていた。高校三年生にとっての夏休みは、今後の人生を大きく左右するほど大切な時期だった。それは友花莉もそうだし、宮城もそうだった。
「この活動って夏休みもやるんだよね?」いつも通りの放課後の作業中に、友花莉はおもむろに尋ねた。
「そのつもりだけど?」相変わらずそっけない回答が来た。
「どのくらいの頻度でやるつもり?」
「できる時?とは言っても、俺も受験勉強があるから毎日は無理だけど。」友花莉は、すっかり忘れていた。この学校の生徒はほぼ、大学進学を目指すため体育祭が終われば本格的な大学受験への勉強期間に移行するのだった。それは宮城も例外ではない。
「大体でも良いから教えてくれない?」
「週一できたら良い方かなぁ?」
「週一って・・・?」友花莉から笑顔が消えて行った。
「一週間に一回・・・だけど・・・。」友花莉は絶句した。週一ということは、この夏休み期間中八回くらいしか作業ができないということだ。
「本気?」
「え?なんで?勉強しないの?」予想外の反応に、宮城の目が据わっていた。だが、友花莉も宮城の言葉に気づかされた。進学校である友花莉の学校は、夏休みの課題も大量のはず。それに二人の漫画制作の目的も、恐らく相違があることも友花莉は薄々感じていたし、それが当然だった。
「そうだよね。ごめん、私が悪かったわ。じゃあせめて曜日だけでも決めない?」しかし、その提案にも宮城は渋い表情を浮かべた。
「いや・・・その・・・。夏休みくらいは、ちゃんと勉強したいかも・・・。」頭をかきながら、宮城は言いにくそうに言った。それは友花莉にとって一番恐れていた言葉だったのかもしれない。
「でも、私一人じゃ作れないって・・・。ストーリー考えてくれないと・・・。」友花莉は藁をもすがる思いだった。何せ、友花莉の課題も期限が迫っていたのだ。
「俺がストーリーを送れば、それで描けるだろ?」
「でも、私との解釈が違ってたら?そこにズレがあったらダメじゃない?」そう、完璧に完成させなければいけない。妥協の一つも許すわけにはいかない。宮城も同じ気持ちだと友花莉は思っていた。
「いや別に良いよ。そのくらいは自分の解釈通り書いてくれたら。」もしかしたら、違ったのかもしれない。
「なんでそんな適当な感じなの?」友花莉は、いよいよ自分の感情が爆発してしまった。するとその瞬間から、自然と視界が揺らぎ始め、頬を生暖かいものが、滑り落ちて行ったのがわかった。それは次第に大きくなり、気がつけば嗚咽が出るほど泣いていた。もちろん、宮城は動揺していた。
「ちょっと待って、なんで泣くんだよ!」
「私だって分かってるよ。宮城の迷惑になることだって・・・。」宮城は黙って友花莉を眺めているだけだった。
「でも、私にとっても、大事なことなの。でも、私だってある程度妥協してるじゃない?」友花莉は、宮城のすがるように、近づいた。「だから、お願いだから、宮城もちょっとは妥協して。」宮城は、思いっきり友花莉を振り払った。
「俺にだって俺の人生があるんだから仕方ないだろ!」宮城も、感情任せに叫んでいた。二人の声は、幸い職員室で残業をしている先生が微かに聞いているほどで、何せ放課後の校舎は、吹奏楽部の演奏が盛んに鳴り響いているほどに賑やかだった。「って言うかそもそもそんなことしてないで、お前も勉強しろよ!」宮城は言ってやったと言わんばかりに、友花莉を睨みつけた。しかし、その目の奥までは友花莉を睨みきれていなかった。友花莉は宮城の言葉が怖かった。声の大きさ、口調、まるで父親だった。恐怖のあまり足が震えて動かなかった。宮城は、黙ったままの友花莉に目を向けることができなかった。
「そう言うことだから。それじゃあ。」宮城は逃げるように、教室を後にした。取り残された友花莉はそのまま放心状態で床にうずくまっていたが、まもなくだんだんと呼吸が荒くなり、目は見開き、肩を激しく上下に揺れ始めた。もはや何も考えられず、意識も遠くなり、暗闇が友花莉を襲っていた。そんな中、楽しそうな笑顔で、大きなカバンを背負ったノースフェイスちゃんの姿がぼんやりと見えた。友花莉は少し安堵した。しかし、ノースフェイスちゃんに合図することができない。結局諦めるしかないと思われたその時、ちゃんとノースフェイスちゃんは友花莉の非常事態を察知し、教室に入ってきた。
「ちょっと、どうしたの?大丈夫?」ノースフェイスちゃんは、すぐに駆け寄ってきてくれた。その姿はまさしく天から遣わされた天使だった。友花莉は、自分は死んでこれからこの天使と一緒に、空の彼方にある別の世界に行くのだと錯覚した。だが、一方の舞い降りた天使はかなり気が動転していた。大きなカバンを肩から下ろしたと思ったら、すぐに背負ってみたり、両手を顔の位置に保った状態で周りをキョロキョロしながら友花莉の周りを右往左往したりしていた。
「こんな時どうしたら良いんだろう?友花莉、大丈夫?大丈夫なわけないか。えっと人工呼吸?違う違う・・・。」その時、カバンの中からのりおが騒ぎを聞いて、カバンから顔を出して首を傾げていた。
「のりお、どうしよう!友花莉が死んじゃう。」のりおは友花莉の様子を見て、慌ててカバンの中に戻った。ノースフェイスちゃんは友花莉の背中をさすりながらカバンを眺めていると、のりおが薬のようなものが入ったビニール袋を持って戻ってきた。
「薬?」のりおは首を横に振ると、袋を自分の鼻に充てて大きく息を吸ったり吐いたりした。
「ダメよ。それは紙袋じゃないと逆に死んじゃうわ。」のりおは両手を口元にあてて、持っているビニール袋を投げ捨てた。ノースフェイスちゃんは急いでその袋を取りに行こうとした時、友花莉が生まれたての子鹿のように体を左右に揺らしながら立ち上がった。
「友花莉・・・。」ノースフェイスちゃんは今度は友花莉の方に急いで向かった。友花莉はすぐに体勢を立て直し、ノースフェイスちゃんが差し伸べた手を優しく差し戻した。だが、友花莉は再び床に崩れ落ちてしまった。
「のりお、薬の袋持ってきて。」すぐにのりおはビニール袋を、友花莉の背中をさするノースフェイスちゃんの元へ運んだ。それをすぐに受け取ると、ノースフェイスちゃんはビニール袋の口を広げ、中を探った。ビニールの繊維が擦れる音が、吹奏楽部の音をかき消した。しかし、すぐにその音はほんの少し余韻を残し、吹奏楽部の音楽が戻ってきた。
「のりお、中身何これ?」結局その中身は分からず、今の言葉を最後に友花莉は気絶してしまい、気がついた時には保健室の天井が視界に広がっていた。
「ようやくお目覚めね。」聞き覚えのある声が友花莉の耳に入ってきた。「調子は?」この声はいつ聞いても少し胸騒ぎがした。
「だいぶマシです。」保健室の先生は優しく微笑むと、机に向きなおし、何か書き物をしていた。
「教室で爆睡、一体何してたの?」先生はこっちを見ていなかった。
「ちょっと・・・いろいろあって・・・。大した話じゃないです。」
「そう?それにしてはずいぶん薬が散らばっていたけど?」友花莉は慌てて何か弁解しようと、脳みそをかき回した。すると先生の笑い声が聞こえてきた。
「少し自分を労って休んだら?別に怪しい薬をあなたが使っているなんて思ってないわよ。」友花莉は先生に言われたことを考えた。
「自分を労る・・・ですか?」
「あなた、私は保健室の先生よ。薬を見ればあなたが持っていた薬は、精神的に安定させる作用があるってことぐらいわかるわよ。」友花莉は、慌てた様子で先生を見た。
「本当ですか?錠剤ですよ?」そう言いながら友花莉は薬を見せると、先生はまた笑い出した。
「うそ!この前あなたのカバンの中にあったのをみて調べた。そのおかげで、いろいろとあなたのことで合点がいくことも多かったし。」友花莉はその言葉を聞いて、全身の力が抜けたように、枕に頭をのせた。
「帰る時は言ってちょうだい。多分、私が送るのあなた嫌がるでしょ?」
「自分を労うってどうしたら良いと思いますか?」友花莉の目線は天井を向いていた。
「確かに・・・。考えたこともなかったなぁ・・・。」
「私はただ、うまくやりたいだけなんです。完璧に。」
「完璧ねぇ。」
「間違ってますか?」
「いや?その気持ちはよく分かるよ。」沈みゆく夕陽が窓から二人を照らしていた。
「完璧にやらないと、納得がいかないんでしょ?あれもこれも、自分に関わることは全て完璧にしないと気が済まない・・・いや・・・そうじゃないと自分の存在意義がなくなる気がするのよね。」
「え?」友花莉はようやく先生にまっすぐ視線を向けた。
「完璧を追い求めすぎて気がつけば、他のことも全部自分で背負い込んで、完璧を求め行動してしまう。そうすれば自分の存在している必要性が感じられるから・・・。」
「どういうことですか?」友花莉は先生の言ったことが、自分に向けられているのではないかと疑った。正直、半分は当たっていた。だが、もう半分が、確実に間違えているとも言えなかった。なぜか胸の中で何かが引っ掛かり、嘲笑うかのように存在をアピールしている気がした。
「まぁ要するに、何もかも抱え込みすぎってことよ。」友花莉は、先生でも何が言いたいのかわからなかったのではないかと考察した。それで逆に元気が出た気がした。大人でも分からないことを、子供の自分が分かるわけがない。
「先生、そろそろ私帰れそうです。」友花莉がそういうと、先生は友花莉の顔を覗こんだ後、時計を見ながら何か書き物をした。
「そうね、大丈夫そうだし、気をつけて帰りなさいね。」
「なんか、いろいろとありがとうございました。」
「人生は長距離。その中の種目は個人競技とは限らない・・・。帰り道、気をつけて。」友花莉は周りくどい言い方じゃなくて、もう少しストレートに言ってほしいと思いながら、家路についた。




