プロローグ
初投稿作品です。誤字脱字が有りましたらお願いします。
時は天文3年(1534年)5月12日、ここは尾張の国織田家の那古野城、この日双子の赤ちゃんが生まれた。一人は後の織田信長、もう一人は信長の双子の姉名を菜奈姫、この物語の主人公である。
天文15年(1546年)、古渡城
私が生まれてから12年、今日はわたしと信長の成人の日です。
「ほら、行くぞ。 大丈夫。そんなに緊張する事は無いさ」
私の頭をポンポンと軽く叩くように撫でながら、優しい笑顔で言う父様。
「う、うん……」
そうは言っても、大勢の前に顔を出すのって恥ずかしいのよ。父様は慣れてるから気にならないんだろうけどさ。小心者の私にはこんな大舞台、の様な物はできたら遠慮したい。
「はは、まったく、恥ずかしがりやで可愛いな。皆何度も会った事のある顔ばかりだろう? 大丈夫、出てみれば意外に何とも無いものだ。……と思う」
思う!? そこは言い切ってよ!!
ふう……。落ち着くのよ私。大丈夫! 父様と信長も一緒なんだしね! 私一人だったら全力で回れ右してるけど。でもその信長がここに居ないんだけど・・・。たぶんまた城下の子供達と遊んでるのだろう。この頃からうつけと言われている、これが後の魔王と言われるなんて私でも信じられないもん。それわ置いといて、跳ねる心臓を落ち着かせるために大きく深呼吸。……よし。
「うん、もう大丈夫。行こ、父様」
「ああ、手を繋いで行こうか」
差し出されてた手を両手でしっかりと握り、歩き出した父様について行く様に私も歩き出す。
ふふ、私の狭い歩幅を考えてゆっくり歩いてくれてるね。当たり前の事かもしれないけどこういうのは嬉しい物だね。
そもそも私は現代日本人、十六の女子高生だったのよ。まあ、色々あって、転生する事になって、産まれた先が戦国時代の織田家のお姫様だったって訳なのよ。そして私は生きている間にどうしたら幸せになれるか目標を立てたの。まず最初に、信長を本能寺で死なせない!。信長が死ななければたぶん天下取ってたし、そうすれば私は優雅な暮らしができる。そもそも光秀に殺されたと言うのも本当かどうかわからないけど、歴史上では、そうなっているがそれが真実かどうかは怪しい。二つ目は、信長の性格を良い人にしよう!。これが謀反を防ぐ一番の方法だと思う。そして最後に結婚。これが一番重要、この時代の結婚は人質を意味する。もちろん私は人質のために結婚するなんて嫌だ、好きな人と結婚したい。だから後の当主になる信長との仲も良い方がいい。
そんな事を考えているうちに成人の儀式は終わった。途中ハプニング(信長の件で)はあったが無事終了した。
あれから父様と敵対していた美濃国の戦国大名・斎藤道三との和睦が成立すると、道三の娘・濃姫と信長が政略結婚した。だけどすぐに父様が亡くなって長男である信長が当主になった。
当時、尾張国は今川氏の尾張侵攻により守護の斯波氏の力が衰え、尾張下四郡を支配した守護代であった「織田大和守家」当主で清洲城主の織田信友が実権を掌握していた。
私達の父様はその信友に仕える三奉行の一人に過ぎなかったにも関わらず、その智勇をもって尾張中西部に支配権を拡大した。
父様の死後、信長が跡を継ぐと、信友は私と信長の弟・織田信行(信勝)の家督相続を支持して信長と敵対し、信長謀殺計画を企てるが、信友により傀儡にされていた守護・斯波義統が、計画を信長に密告した。これに激怒した織田信友は斯波義統の嫡子・義銀が手勢を率いて川狩に出た隙に義統を殺害する。
斯波義銀が落ち延びてくると、信長は叔父の守山城主・織田信光と協力し、信友を主君を殺した謀反人として殺害する。こうして「織田大和守家」は滅び、信長は那古野城から清洲城へ本拠を移し、尾張国の守護所を手中に収めた。
これにより、織田氏の庶家の生まれであった信長が名実共に織田氏の頭領となった。
弘治2年(1556年)4月、義父・斎藤道三が子の斎藤義龍との戦いに敗れて戦死(長良川の戦い)。信長は道三救援のため、木曽川を越え美濃の大浦まで出陣するも、道三を討ち取り、勢いに乗った義龍軍に苦戦し、道三敗死の知らせにより退却した。
こうした中、信長の当主としての器量を疑問視した重臣の林秀貞(通勝)・林通具・柴田勝家らは、信長を廃して聡明で知られた弟・信勝(信行)を擁立しようとした。これに対して信長には森可成・佐久間盛重・佐久間信盛らが味方し、両派は対立する。
道三の死去を好機と見た信勝派は、同年8月24日に挙兵して戦うも敗北(稲生の戦い)。その後、末盛城に籠もった信勝を包囲するが、母様と私の仲介により、信勝・勝家らを赦免した。
更に同年中に庶兄の信広も斎藤義龍と結んで清洲城の簒奪を企てたが、これは事前に情報を掴んだために未遂に終わり、信広は程なくして降伏し、赦免されている。
しかし、弘治3年(1557年)に信勝は再び謀反を企てる。この時、稲生の戦いの後より信長に通じていた柴田勝家の密告があり、事態を悟った信長は病と称して信勝を清洲城に誘い出し殺害した。
さらに信長は、同族の犬山城主・織田信清と協力し、旧主「織田大和守家」の宿敵で織田一門の宗家であった尾張上四郡(丹羽郡・葉栗郡・中島郡・春日井郡)の守護代「織田伊勢守家」(岩倉織田家)の岩倉城主・織田信賢を破って(浮野の戦い)これを追放。
新たに守護として擁立した斯波義銀が斯波一族の石橋氏・吉良氏と通じて信長の追放を画策していることが発覚すると、義銀を尾張から追放した。こうして、永禄2年(1559年)までには尾張国の支配権を確立し、信長は尾張の国主となった。
さて諦観するのはそろそろやめて本格的に動き出すか。
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