第1巻 — 第17章 — エルファルーディアの朝
静かな月の下にいる生き物
第1巻 —
第17章 — エルファルーディアの朝
王城は、いつになく静まり返っていた。
謁見の間の大きな扉が開き、セドリックが急ぎ足で入ってきた。
旅の疲れから、その服には埃が付いていた。しかし、王の目を引いたのは服装ではなかった。
彼の顔は青ざめ、呼吸は乱れていた。そして、その瞳には隠しきれない恐怖が浮かんでいた。
アールドリック・ヴェイルソーン王は玉座に腰掛け、注意深く彼を見つめていた。
「戻ったか。ずいぶん時間がかかったようだが、何があった?」
王に声をかけられ、セドリックは頭を下げた。
「陛下……森で予想外の事態が発生いたしました」
王の表情は変わらなかった。
「説明せよ」
セドリックは一度唾を飲み込んでから、口を開いた。
「ご命令どおり、カエルとあの魔物を発見いたしました。ハンターのナイラがカエルと交戦し、彼の腕に傷を負わせ、さらに武器を弾き飛ばすことにも成功しました。しかし、彼女が決着をつける直前、あの魔物が凄まじい規模の青いエネルギーを放ったのです」
王はわずかに身を乗り出した。
「その後、どうなった?」
「そのエネルギーによって、ハンターのナイラは後方へ吹き飛ばされました。私もその衝撃に巻き込まれ、危うく足元を崩されるところでした。しかし、本当に驚くべきことは、その後です……」
セドリックは一瞬ためらった。
「あの魔物の放ったエネルギーが、カエルの負傷した腕を完全に治してしまったのです。まるで最初から傷など存在しなかったかのように……」
その瞬間、初めて王の目が細められた。
「治しただと?」
「はい、陛下。同じ力で我々を吹き飛ばしたにもかかわらず、カエルの傷まで完全に回復させたのです」
謁見の間に沈黙が広がった。
王はゆっくりと背もたれに身を預けた。
「では、なぜハンターを連れずに戻ってきた?」
セドリックは頭を下げた。
「エネルギーが放たれた直後、ヴェルソルが恐怖に駆られて逃げ出しました。我々も止めようとしましたが、まったく言うことを聞かず……やむを得ず、徒歩で戻ることになりました」
王の視線が鋭くなる。
「ハンターはどうした? ナイラはどこにいる?」
「現在の居場所は分かりません、陛下。彼女は森に残りました。別れる前に、十分な準備を整えて必ず戻り、二度とあの魔物を逃がさないと言っておりました」
王はしばらく黙っていた。
やがて、手をわずかに動かし、セドリックに退出を命じた。
「下がってよい」
「はっ!」
セドリックはもう一度頭を下げ、謁見の間を後にした。
王は玉座に座ったまま、身動き一つしなかった。
(敵を退けるだけでなく、他者の傷まで癒やす力を持っているというのか……)
彼の指が、ゆっくりと玉座の肘掛けを握り締めた。
(私が恐れていたこと……まさか、本当に現実になろうとしているのか?)
王の表情は次第に冷たくなっていった。
(あの力がこれ以上成長する前に、止めなければならない。必要とあらば、私自身の手であの魔物を始末する)
彼は謁見の間にある大きな窓へと視線を向けた。
今すぐに新たな部隊を送り込むのは無謀だ。次の行動を起こす前に、もっと情報を集める必要がある。
しかし、一つだけ確かなことがあった。
もはやレンを、正体不明の普通の魔物として扱うことはできない。
翌朝 — エルファルーディア
朝日が村エルファルーディアを明るく照らしていた。
温かな光が木造の家々や細い小道、そして小さな庭に降り注いでいる。
村人たちはすでに一日の仕事を始めていた。籠を運ぶ者もいれば、家の前で楽しそうに話をしている者たちもいた。
そんな村の小道を、リアはレンを連れて歩いていた。
「ほら、レン! この村に住んでいる子たちに会わせてあげる!」
レンは彼女を見上げた。
(子供たちに会うのか? どんな子たちなんだろう?)
やがて二人は、何人かの子供たちが遊んでいる小さな広場に到着した。
そのうちの一人が、最初にリアの姿に気づいた。
「リア!」
子供たちは一斉に振り返り、嬉しそうに駆け寄ってきた。
「今までどこに行ってたの?」
「ねえ、その子は誰?」
「待って! それって小さな魔物?」
子供たちの視線は、すぐにレンへと集まった。
リアは笑顔で紹介した。
「この子はレン。昨日、カエルと一緒に村へやって来たのよ」
一人の小さな女の子が、レンの目の前にしゃがみ込んだ。
「こんにちは、レン!」
レンは首を傾げた。
「こんにちは」
その瞬間、女の子の目が大きく見開かれた。
「しゃ、しゃべった!」
別の子供が興味津々に近づいてきた。
「ねえ、この子の毛を触ってもいい?」
リアはレンの方をちらりと見た。
「優しく触るなら大丈夫よ」
その子は慎重に手を伸ばし、レンの頭をそっと撫でた。
「わあ! すっごくふわふわ!」
すると、ほかの子供たちも次々とレンに触りたがった。
一人は優しく頭を撫で、もう一人は背中の毛をそっと撫でた。小さな男の子はレンの隣にしゃがみ込み、その小さな足を興味深そうに眺めていた。
「レンって走れるの?」
レンはその男の子を見た。
「もちろん走れるよ」
「じゃあ、競争しよう!」
リアが何か言うよりも早く、男の子は広場の反対側へ向かって走り出した。
レンは一瞬、その姿を見つめた。
(おっ? 競争か?)
彼の顔に小さな笑みが浮かんだ。
「いいよ!」
レンは男の子を追いかけて走り出した。
子供たちの歓声が広場に響く。
レンはあっという間に男の子に追いついた。そして、そのまま方向を変え、軽快な足取りで子供たちのところへ戻ってきた。
「速い!」
「もう一回! もう一回やろう!」
別の子供も遊びに加わり、いつの間にか何人もの子供たちがレンと一緒に走り回っていた。
リアはそんな様子を、楽しそうに眺めていた。
(レン、すっかり楽しんでいるみたいね)
しばらくすると、年下の子供の一人が、レンをそっと抱き上げた。
「わあ! かわいい!」
レンは周囲の楽しそうな顔を見回した。
(うーん……まさか、こんなに人気者になるとは思わなかったな)
別の子供が優しく彼の頭を撫でた。
(まあ、こんなに小さな体にも、それなりに良いところがあるってことか)
レンは子供たちに囲まれることを嫌がってはいなかった。
むしろ、その温かな優しさを心地よく感じていた。
子供たちは次々と質問を投げかけてきた。
「レンはどこから来たの?」
「今はリアと一緒に暮らしているの?」
「明日も一緒に遊べる?」
レンはできる限り質問に答え、ときどきリアが説明を手伝った。
やがて、かなりの時間が過ぎていたことに気づいたリアが声をかけた。
「はい、みんな。そろそろ行かなくちゃ」
子供たちは残念そうな顔をした。
「もう行っちゃうの?」
「レンはまた来てくれる?」
リアは笑顔で答えた。
「もちろんよ! 明日もまたみんなに会いに来るわ。そうよね、レン?」
レンは子供たちを見た。
「うん! 絶対にまた来るよ!」
リアも子供たちに微笑みかけた。
「私もまたみんなに会いに来るわね!」
彼女はレンを優しく抱き上げた。
「さあ、レン。おじいちゃんのところへ行きましょう。それに、まだ朝ごはんも食べていないわ。レンも何か食べないとね」
レンは子供たちの方を振り返った。
「またね!」
「バイバーイ、レン!」
「また遊びに来てね!」
リアはレンを抱いたまま、その場を後にした。
(楽しかったな。ここの子供たちが、あんなに親切だとは思わなかった)
村の小道を歩きながら、リアはレンに尋ねた。
「楽しかった?」
「うん! みんな、とっても優しかったよ」
「それならよかったわ」
手合わせ
リアとレンがエリリアンの屋敷に到着すると、彼は中庭に立っていた。
木々の方を静かに見つめており、何か考え事をしているようだった。
「おじいちゃん!」
リアが声をかけると、エリリアンは彼女の方へ振り返った。
「リア。戻ったのか」
リアはレンを抱いたまま、彼のそばへ歩み寄った。
「レンね、今朝はたくさん友達ができたのよ」
エリリアンは小さな魔物に目を向けた。
「そうか。それはよかったな。レン、子供たちと会えて楽しかったか?」
レンは頷いた。
「うん。みんな、とても優しかったよ」
エリリアンの顔に、かすかな笑みが浮かんだ。
「それは何よりだ」
そのとき、背後から足音が聞こえてきた。
カエルが中庭へ入ってきたのだ。
「おはようございます、師匠」
エリリアンは彼の方を向いた。
「おはよう、カエル」
彼はしばらく、かつての弟子をじっと見つめた。
そして、小さく微笑んだ。
「カエル。久しぶりに、お前の剣の腕がどれほど上達したのか見せてもらおうか」
カエルはエリリアンを見つめた。
「師匠、手合わせをするのですか?」
エリリアンは頷いた。
「ああ」
カエルは少しだけ頭を下げた。
「師匠のお誘いを断る理由などありません」
エリリアンは近くに立っていた使用人へと視線を向けた。
「木刀を一本持ってきてくれ」
使用人は一礼して、その場を離れた。
レンは二人を交互に見た。
(待てよ……二人が戦うのか?)
少しして、使用人が木製の練習用刀を持って戻ってきた。
彼はそれをエリリアンに手渡した。
エリリアンは落ち着いた様子で木刀を受け取った。
カエルはその木刀に目を向けた。
「師匠、その木刀を使われるのですか?」
「ああ」
カエルはもう一度、木刀を見つめた。
「公平な勝負にするのであれば、私も木刀を使いますが」
エリリアンは首を横に振った。
「いや、お前は自分の刀を使え」
カエルは一瞬だけ動きを止めた。
しかし、すぐに頷いた。
「承知しました、師匠」
レンは二人を見つめたまま、目を丸くしていた。
(ええっ!? 今の、本当に聞き間違いじゃないよな? おじいちゃんがカエルと戦うって? しかも木刀で!?)
彼はエリリアンを見つめ、それからカエルの本物の刀へと視線を移した。
(あの年齢でカエルと戦うつもりなのか? しかも木刀一本で……本当に大丈夫なのかよ!?)
レンは小さく首を傾げた。
(まあ……本人が分かっているならいいけど)
リアは二人が戦いやすいように、少し離れた場所へ移動した。
エリリアンは片手に木刀を構えた。
一方、カエルは自分の刀を抜いた。
その瞬間、中庭の空気が変わった。
二人の表情から、先ほどまでの穏やかさが消えていく。
短い沈黙。
そして――
カンッ!
二人の武器が激しくぶつかり合った。
レンの目が大きく見開かれた。
最初の一合から、その速度は彼の予想をはるかに超えていた。
カエルは素早く踏み込み、真っ直ぐに斬り込んだ。
エリリアンは絶妙な角度で木刀を傾け、その一撃を受け流すと、すぐさま横へ移動した。
カエルは間髪入れず、次の一撃を繰り出す。
エリリアンはそれを防いだ。
何度も何度も、二人の武器がぶつかり合い、その音が中庭に響き渡る。
リアは驚いた様子で二人を見つめていた。
「おじいちゃん……」
彼女は、祖父がこれほど素早く動く姿を見たことがなかった。
カエルの動きは鋭く、正確だった。
一つ一つの攻撃に無駄がなく、速度も十分にある。相手に反撃の隙を与えないほど、洗練された剣さばきだった。
しかし、エリリアンはまるで、カエルの動きをすべて予測しているかのようだった。
無駄な動きは一切ない。
最小限の足運びで相手の攻撃を避け、わずかな隙を見つけて反撃する。
レンは二人から目を離せなかった。
(ちょっと待て……何だよ、これ!?)
(おじいちゃん、本当にカエルについていってるのか!?)
二人は目にも留まらぬ速さで中庭を移動していた。
そのとき、カエルが突然攻撃の角度を変え、連続して鋭い斬撃を繰り出した。
エリリアンは最初の一撃を防ぐ。
続く二撃目も受け止めた。
そして三撃目。
エリリアンは木刀をわずかに動かし、カエルの刀の軌道をそらした。
カエルが体勢を立て直すよりも早く、エリリアンは一歩踏み込んだ。
素早い動き。
手首を鋭く返す。
次の瞬間、木刀の先端がカエルの首元でぴたりと止まった。
同時に、カエルの手から刀が弾き飛ばされ、数歩離れた地面に落ちていた。
中庭が静寂に包まれた。
エリリアンは木刀を下ろした。
「そこまでだ」
カエルはしばらくその場に立ち尽くし、自分の首元にある木刀を見つめていた。
そして、一歩下がると、エリリアンに向かって頭を下げた。
「参りました、師匠」
リアは目を大きく見開いた。
「おじいちゃん! カエルに勝ったの!?」
レンも信じられないといった様子でエリリアンを見つめていた。
(うそだろ!? 本当に勝っちゃったのか!?)
(しかも木刀で!?)
彼は地面に落ちているカエルの刀を見た。
(俺、おじいちゃんのことを完全に見くびっていたな……)
エリリアンは木刀を軽く構え直した。
「動き自体は悪くない。だが、少し反応が遅くなったな」
カエルは地面に落ちた刀を拾い上げた。
「確かに、以前ほど定期的に鍛錬できていませんから」
「時間を作って鍛錬を続けなさい。磨き続けなければ、技術はいずれ衰える」
「分かりました、師匠」
エリリアンは小さく頷いた。
「よろしい」
リアはまだ驚きを隠せないまま、二人に近づいた。
「おじいちゃん、どうしてそんなに剣が上手なの?」
エリリアンは彼女を見た。
「良い師に恵まれたからだ」
「師匠って、誰なの?」
「アエソリアンという人物だ。私に初めて剣の使い方を教えてくれた人だよ」
エリリアンは手に持った木刀へ、ちらりと目を向けた。
「若い頃の私は、周囲の人々を守れるほど強くなりたいと思っていた。師匠は、剣とはただ他人を倒すために振るうものではないと教えてくれた。剣を持つということは、それだけの責任を背負うということだ。何を守るべきなのかを知らなければ、どれほど強くなろうとも意味はない、とね」
リアは静かに耳を傾けていた。
「だから、おじいちゃんは剣を学んだのね……」
エリリアンは頷いた。
「ああ。師匠から教わったように、誰かを守れる人間になりたかったんだ」
リアはしばらく祖父を見つめていた。
「それなら……どうして戦うことをやめたの? それに、どうして人に剣を教えることもやめてしまったの?」
エリリアンは少し考えるような表情を浮かべた。
「それは長い話になる」
彼は屋敷の方へ視線を向けた。
「中へ入ろう。朝食を食べながら話してあげよう」
朝食と過去
屋敷の中では、すでに使用人によって朝食の準備が整えられていた。
エリリアン、リア、カエル、そしてレンは食卓を囲んで席に着いた。
使用人がそれぞれの前に料理を並べ、静かにその場を離れていく。
リアはレンの隣に座り、彼の食事を手伝っていた。
しばらくの間、四人は穏やかな沈黙の中で朝食を楽しんだ。
やがて、リアが祖父の方を向いた。
「おじいちゃんは、ほかにも剣を教えた人がいるの?」
エリリアンはカップを置いた。
「ああ。最初の弟子は、私の息子であるアレンだった」
リアは顔を上げた。
「お父さん?」
エリリアンは頷いた。
「そうだ。周囲の人々を守れるように、私は彼を鍛えた」
彼の表情がわずかに和らいだ。
「そして、あの子は本当にその教えを守ってくれた。村が襲撃されたとき、彼は家族や周囲の人々を守るため、最後の瞬間まで戦い続けた。だが、結局……私は息子を救うことができなかった」
リアは静かに目を伏せた。
短い沈黙の後、彼女は再び祖父を見た。
「お父さんのほかにも、誰かに剣を教えたの?」
エリリアンは頷いた。
「ああ。その後、二人の少年を弟子にした。そのうちの一人がカエルだ」
リアはカエルをちらりと見てから、祖父に視線を戻した。
「カエルが?」
エリリアンは頷いた。
「そうだ。最初、彼は決して覚えが早い方ではなかった。もう一人の少年と比べても、上達する速度は遅かった。だが、彼は決して諦めなかった。どれほど難しい稽古でも、何度失敗しても、ひたすら練習を続けていた」
カエルは黙って話を聞いていた。
「もう一人の少年は、生まれつき才能に恵まれていた。技を一度か二度見ただけで、すぐに理解してしまうほどだった。二人の実力には、はっきりとした違いがあった」
エリリアンは一度言葉を切った。
「だが、私は二人に優劣を競わせたかったわけではない。二人とも、いつか私を超える剣士になってほしいと思っていた」
「どうして?」
リアが尋ねた。
「二人には、誰かを守れるほど強くなってほしかったからだ。私は、大切な人を守れなかったときの苦しみを知っている。だからこそ、あの子たちには同じ思いをしてほしくなかった」
彼の視線がわずかに下がった。
「しばらくの間、私は二人ともその道を歩んでくれると信じていた」
レンは興味深そうにエリリアンを見つめた。
「それで、その後どうなったの?」
エリリアンは少しの間、沈黙した。
「もう一人の少年は、やがて別の道を選んだ。彼は破壊をもたらすような力を追い求めるようになった。私が教えた剣術も、誰かを守るために身につけてほしかった力も……彼はまったく違う目的のために使うことを選んだのだ」
リアの表情が変わった。
「それって……?」
エリリアンはかすかに頷いた。
「彼がなぜその道を選んだのか、私にはすべてを知ることはできない。だが、自分の弟子がそのような道へ進んでしまったことは、私にとって深い悲しみだった」
彼は自分の手を見つめた。
「あの出来事の後、私は新しい弟子を育てる気持ちになれなくなった。彼に本当に大切なことを教えられなかったのではないか……そう考えるようになったのだ」
カエルは静かに顔を伏せていた。
彼の顎に力が入り、歯を食いしばる。
そして、口を開いた。
「ですが、師匠……彼がその道を選んだとしても、私は違います」
エリリアンはカエルを見た。
「分かっている、カエル。お前はいつだって、自分自身の道を選んできた。そして、強さとは誰かを守るためにあるという、私の教えも決して忘れてはいない」
カエルは何も言わなかった。
エリリアンは話を続けた。
「私も剣の使い方を忘れたわけではない。ただ、戦いを求めることをやめただけだ。その代わりに、村のために時間を使い、リアを育てることにした」
リアは祖父を見つめた。
「おじいちゃん……」
エリリアンは彼女に優しく微笑んだ。
「ほかにも理由はある」
彼の表情が少し遠い過去を思い出すように変わった。
「それ以前にも、私は大切な人を失っていた。妻のエラリアだ。彼女は、私には防ぐことのできなかった悲劇によって命を落とした」
リアは食卓の端を握る指に、ゆっくりと力を込めた。
「エラリアおばあちゃん……」
エリリアンは頷いた。
「ああ」
「彼女が亡くなった後も、私は生き続け、自分の責任を果たしてきた。そして、それから何年も経ったある日、再びエルファルーディアに悲劇が訪れた」
彼の声は次第に小さくなっていった。
「私たちの村が襲撃されたのだ。息子のアレンと、その妻のセラフィーヌは命を落とした」
リアは祖父を見つめた。
「お父さん……と、お母さん……?」
「ああ」
エリリアンは目を伏せた。
「二人を守ろうとした。戦いもした。だが、結局……救うことはできなかった」
リアの目に涙が浮かび始めた。
エリリアンは彼女をしばらく見つめ、それから静かに言葉を続けた。
「それから、リア。お前には姉がいたんだ」
リアは驚いたように顔を上げた。
「お姉ちゃん……?」
エリリアンはゆっくりと頷いた。
「名前はエリュラという」
リアの目が大きく見開かれた。
「私に、お姉ちゃんがいたの……?」
「ああ。あの出来事が起きたとき、お前はまだ幼かった。だから、覚えていないかもしれないな」
リアは、今聞いたばかりの話を理解しようとするかのように、視線を落とした。
「お姉ちゃんは……どうなったの?」
エリリアンはゆっくりと息を吸い込んだ。
「エルファルーディアが襲撃されたとき、襲撃者たちに連れ去られてしまった。私は彼女を捜した。だが、見つけることはできなかった。今でも……彼女がどうなったのか分からない」
リアの唇が小さく震えた。
「それって……お姉ちゃんは……?」
「分からないんだ、リア」
エリリアンは静かに首を横に振った。
「確かなことではない以上、何かを断言することはできない。エリュラの生死は、今も分からないままだ」
リアはうつむいた。
彼女は襲撃が起きた頃、まだ幼すぎて、その出来事をほとんど覚えていなかった。
これまで知っていたことも、祖父が時折話してくれたわずかな内容だけだった。
しかし、こうしてすべてをまとめて聞くのは、まったく違うことだった。
「おじいちゃん……どうして今まで全部教えてくれなかったの?」
エリリアンはリアを見つめた。
「お前はまだ幼かった。あんな悲しい出来事を背負わせたくなかったんだ」
彼は少し間を置き、さらに優しい声で続けた。
「あの出来事の後、私に残された家族はお前だけだった。私のせいで、お前まで何かに巻き込まれてしまうのではないかと怖かったんだ」
彼の声がわずかに震えた。
「もう二度と、家族を失いたくなかった。リア、お前は私の命よりも大切な存在なんだ」
リアは、もう涙をこらえることができなかった。
彼女は祖父の方へ身を寄せ、そのまま強く抱きしめた。
「おじいちゃん……」
エリリアンは優しく彼女の背中に手を添えた。
「大丈夫だ」
「おじいちゃんが、こんなにたくさんのものを抱えていたなんて……知らなかった……」
「私のことは心配しなくていい」
「でも……ずっと一人だったんでしょう……?」
エリリアンは一瞬、目を閉じた。
「完全に一人だったわけではない。私には、お前がいてくれたからな」
彼は泣いているリアを優しく抱きしめた。
カエルは何も言わず、その様子を静かに見守っていた。
彼の視線はエリリアンに向けられ、わずかに頭が下がっていた。
彼もまた、言葉にしなくとも多くのことを理解していた。
レンは二人の様子を見つめていた。
彼もまた、話のすべてを注意深く聞いていた。
(そういうことだったのか……)
レンは静かに目を伏せた。
(エリリアンは、あれほど多くのものを失ったのに、それでも前に進み続けてきたんだ。すべてを失った後も、リアを育て、村の人々の面倒を見てきた……)
レンはエリリアンの方へ視線を向けた。
「あなたの話……本当に悲しいね。聞いていたら、僕まで涙が出そうになっちゃったよ」
リアは涙に濡れた目でレンを見た。
エリリアンは小さな魔物に優しく微笑んだ。
「ありがとう、レン」
レンは少しだけ頭を下げた。
「これからは、リアもあなたも、穏やかな日々を過ごせるといいね」
エリリアンは、まだ自分を抱きしめているリアを見つめた。
「ああ。私もそう願っているよ」
しばらくの間、誰も口を開かなかった。
朝の柔らかな日差しが窓から差し込み、食卓を優しく照らしていた。
屋敷の外では、村人たちがいつもと変わらない朝の生活を送っている。
しかし、この家の中では、長い間語られることのなかった過去が、ようやく明かされたのだった。
そしてリアにとって、それは決して忘れることのできない物語となった。
つづく…




