日常に、君がいる
「佐々木さーん、ちょっといいですか?」
翌日の夕方、デスクで作業していると、昔お世話になった営業さんが声を掛けてきた。
「はい、どうしました?」
気まずそうな笑顔を浮かべながら、ちょっと相談が、と連れられたミーティングルームには直上の課長もいて、深刻な空気を醸し出している。
うわあ、金曜の夕方にこの感じは…何か良くないことに巻き込まれる予感がした。
***
彼女と再会して初めて行った飲みから一週間経たずに、また彼女との予定がある。
前回会った時に次の約束をしておきたい、という気持ちが強くて、強引に押してしまった。変に思われていないといいけど。
でも、日々のモチベーションにはかなり好影響で、社内会議でも商談でも自分でも驚くほどにキレがいい。
約束の水曜日、定時を過ぎたくらいに彼女から連絡が来た。
『ごめん…ちょっと残業しなければならなくて、三〇分くらい遅れるかも。佐々木で予約してるから先に入ってもらってもいいし、あれだったらリスケでもいいよ。本当にごめんね』
会う気でここまで頑張ってきたから、正直、ここでリスケとなると今週を乗り切れない。
少し顔が見れるだけでもいいよな、と、待ってるから焦らず来てよ、と返信をした。
彼女が予約してくれたお店に時間通りにひとりで入る。
黒と白を基調にしたおしゃれな造りで、カウンター前では、炭火で串を焼いているのが見える。
けれど煙たさは感じなくて、全体的に大人の雰囲気を醸し出している。
通された席でとりあえずビールと盛り合わせを頼み、ゆっくりと飲み始めた。
結局彼女が来たのは一時間ほど後だった。
「ほんっと、ごめん!」
開口一番全力の謝罪。
彼女らしいなあ、と思う。
「全然大丈夫だよ。待つって言ったの俺だし。待つのは仕事で慣れてるから」
ありがとう〜と言いながら席に着く彼女は、前回会った時よりも明らかに疲弊していた。
彼女の注文を待って口を開く。
「何かあったの?」
うーん、まあ、ね、と言葉を濁す。
きっと仕事のことだから、社外の人間には話にくいのだろう。
到着した彼女のレモンサワーと乾杯して、生ぬるくなったビールを口に運ぶ。
お通しの南蛮漬けに箸をつけながら、実はさ、と彼女は言葉を選びながら話し始めた。
大体の話の流れはこうだ。
大口の取引先の担当営業が今年度から変わった。前任は同取引先を一〇年以上も担当していたベテランで、新しい担当は入社二年目若い営業マン。
そしてこの四月に担当が変わってから、企画がほとんど通らなくなったという。厳密に言うと、企画部が関わる企画が、だ。
営業が自分で対応できるような案件は受注できている為、先方との折衝が悪いわけではなさそうなのだが原因が見えない。
とりあえず企画チームを変えてみよう、と彼女のチームに白羽の矢が向けられたのだと言う。
「でもさー、全然わかんないんだよ」
企画書のどこが悪いのか、何が気に入らないのか。
前任も含めて連日打ち合わせをするも、解決策が見当たらない。
そんなこんなで今日も残業だったと言う。
ふーん、と聞きながら、ジョッキにもたれかかる彼女を見る。
うーん、と唸りながら今も思考はフル回転のようで、取り組み方は昔と変わってないみたいだな、と微笑ましく思いつつも心配になる。
「それってさ」
他社の状況に口を出すのは野暮だと思いつつ、気になったことを聞いてみる。
「今の担当さんに詳しく話聞いてる?」
「若い子の方ってこと?うーん、みんなあんまり聞いていないような…」
なんか、何聞いてもいまいちはっきりしないんだよね、と彼女が言葉を続ける。
「でも、その子の提案を先方は嫌がってないんだろ?」
まあ、確かに…と彼女は口籠る。
担当変更後の受注の増減などよくある話だ。
でも、この場合、ネックになっているのは多分、新しい担当ではない。
「新しい担当さんの話をもう少し深く聞いてあげてみたら?もし可能であれば、前任がいないところの方がいい」
「なんで?」
「前任がいるから言いにくいことも、結構あるからさ」
ふーん、そっかあ、と少々不思議そうに彼女は首を傾げたけれど、最終的には、じゃあ聞いてみようかな〜と少し活路を見出したようだった。
そんな話をしていたら、ラストオーダーの時間になった。今日は仕事の話ばかりだったな。
でも、来た時よりも少し元気になった彼女の顔を見て、静かに嬉しく思う自分がいた。
***
無茶振りから一週間後の金曜日。
もう最近恒例になってしまったいつものメンバーがミーティングルームに首を揃え、朝から悶々とする。
前任者の時に通った企画書、今の担当になってからの企画書、今回のコンペに向けて違うチームが作った企画書に、私たちが作ったラフ案。
書類だらけの机を前に、みんなでため息。
もうずっとこんな感じで進捗が牛歩だ。
「どうしたもんですかね…」
前任担当が重苦しく口を開く。
このまま行くと確実にかすりもせずにコンペ落ちする。せめて爪痕くらいは残しておきたい。
「こんな状態で申し訳ないのですが、僕、次の打ち合わせがありまして」
後は彼に任せます、と現担当の肩をポンっと叩いて部屋を後にした。
ふうっと、一瞬、部屋の空気が軽くなる。
「どうします〜?もう、これ以上話し合ってても仕方ないと思うんですけど」
口火を切ったのは、私の後輩で、今回の案件でメイン担当をしている。
出す案出す案ボツにされて、さすがにイラついている。
「そうは言ってもこちらでまとまってないもの、先方に持っていけないでしょ」
これはデザイナーさんの言葉。
企画が決まらなければデザインには落とし込めない。その前段階から拘束されて、こちらも少々苛立っている様子。
年長者である前任担当がいなくなると、いつもこんな感じでまとまらなくなり、会議がお開きになってしまう。
でも、もう、そんなことを言っている時間もない。
コンペ日はお盆明け。
カレンダー上ではまだ三週間ほどあるが、お盆休みのことを考えると実質二週間ない。
その間に企画を詰めて、ビジュアルまでつけて、となると、相当時間がない。
現担当はというと、何を考えているのかわからない表情でそこにただ居た。
いや、仕切ってくれ、営業よ、と思いつつも、今この中で最年長は私になるわけで、その役割を全く担っていない訳でもない。
下っ端として小間使いのように走り回る方が性に合っている。
こういう場で取り仕切ったり、意見したり、はあまり得意でない。
でも、歳を重ねるにつれ、やらなければならないポジションなのだろう。
うーん…本当にこの子に聞いて何かになるのかな。
でも、営業主任として部下を持つ彼が言うんだから、一応聞いてみようか。
「あ、あの…」
私の声に視線が集まる。
うう、こういうの、やっぱ苦手だよ〜。
「山岸さんは現担当として、何か思うこととか、こうした方がいいんじゃないかなってこと、ありますか?」
「今更この人に聞いたってわかんないですって。どんだけの時間、話し合ってきたと思うんですか、先輩」
担当さんより先に後輩が口を出す。
まあ、そうなんだけどさ〜。
「でも、少額案件については受注数が増えている訳だし、先方さんとのやり取りがうまくいっていない訳ではないでしょ」
その言葉に、現担当以外のみんなが確かに…と現担当、もとい、山岸くんに視線を向ける。
急に話を振られて、戸惑いながらも彼は口を開いた。
「えっと…」
おお、こんな声だったのか、と思うくらいに、この子は会議において発言してこなかった。
「正直言うと、先方さんが求めているのは、こういうテイストでは、ない、と思っておりまして」
え?今更それ言う?
「じゃあ、どんなテイストなんですか」
苛立ちを隠さずに後輩が詰める。
「えっと…今の提案みたいにピンポイントではなく、もう少し日付や対応コンテンツに幅を持たせて、当日前後だけでなくある程度広範囲で打ち出せるようなご提案ができれば…と」
え…?と多分、会議室にいたみんなが思った。
「…そんなしっかり考え持ってたの?」
驚きのあまり、デザイナーさんが口を滑らす。
あ、という顔をしたけれど、ほんと、みんな、それ思ってた。
山岸くんの話によると、前任の終わり頃から先方さんの社内での方向転換があって、今までとは違う方法で消費者にアプローチしていきたい、という思いがあった。
けれど、長年やってきたからこそ、前任にはうまく伝わらず、ちょうどいいタイミングで担当が変わった。
前任は思い入れが強かった分、小さな案件に関しては自分で処理できたものの、大きな案件の時には必ず目を通してもらわねばならず、結果としてうまくいかなくなった、との事だった。
「えっと、それはいつ頃からわかっていたのかな?」
私が聞く。
「…担当変わったくらいから、ですかね」
いや、もう、めっちゃ前じゃん…!
はあ〜というため息が会議室を覆う。
「そういうのは、気付いた時に言ってもらわないと」
「でも、誰も僕の話、聞いてくれないんで」
ちょっと拗ねた口調で言う。
いや、でも、仕事だからさあ、と思いつつも、仕方ない部分もあるのかもな、とも思う。
会社が大きくなればなるほど、社内の軋轢も増える。
純粋に仕事に対して真っ直ぐ向き合えばいいほど単純ではないのかもしれない。
営業職に関しては、特に。
とりあえず、ここでああだこうだ言っていても仕方ない。
やるべき事はひとつ。
「そうしたら、一旦、山岸さんが思う先方さんの意向をお話しいただいて、その上でどう進めていくかを考えていきましょうか」
私が言うと、山岸くんは少し嬉しそうに、はい、と言った。
今までの時間はなんだったんだ、と多分みんな思ったけど文句を言っても仕方ない。
仕事なんだから。
***
「課長、少しお時間よろしいでしょうか」
一八〇度どころか二七〇度くらい方向転換した怒涛の会議を終えて、自席に戻る前に課長に声をかけた。
「おう、お疲れ様。どうした?」
「この間の案件なんですけど」
あの後、怒涛の山岸トークで、みんなボロボロになっていた。
初めて聞くような情報が次から次に出てきて頭の回転が追いつかない。
こんなに喋るなら最初から喋れよな〜と、これも多分、みんなが思っていた。
でも、あれだけ喋る山岸くんが、これまで話せなかった環境に問題があるのも事実で。
その旨を課長に伝え、営業部に調整を促してもらえないかとお願いする。
「なるほど、わかった、営業部には俺から声掛けとくよ」
「よろしくお願いします」
これで少しはスムーズに事が運ぶといいな、とふうっとため息をつく私に、課長が少し笑う。
「何ですか?」
「いや、お前もこんな風に社内調整できるようになったんだなって」
そんなの今まで考えるようなタイプじゃなかっただろ、と的確な指摘を受ける。
確かに、猪突猛進が売りで、社内の人間関係とか考える気もなかった。
年齢的にそういう立場になった、というよりは、彼と再会した事で、彼の考え方や振る舞いに触れ、自分の視野が少し広がったのかもしれない。
「誰の影響か知らんが、悪い事じゃないと思うぞ」
課長はニヤリと笑って喫煙ルームに消えていった。
なんか、色々勘繰られたような。
ほんと、仕事ができる人は聡い人ばかりで困る。




