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8/11

知らない時間

『陽気なイタリアンと落ち着いた和食、どっちがいい?』


ライブ明けの月曜日、彼から連絡が来た。

陽気な?おしゃれな、じゃなくて?とちょっと不思議に思ったけど、賑やかな方がいいかな、とイタリアンで、と返信した。

日程を決めて、待ち合わせ場所を決める。

直接お店に行くよ、と言ったのだけれど、いや、駅で、と頑なな彼に従った。


木曜日の二〇時前。

いつもは降りない駅の改札にある本屋さんで彼を待つ。

少し前に、ごめん、ちょっと遅れると連絡が来ていた。暑さもあったので、本屋にいるね、と返事をする。すぐに、了解!のスタンプが返ってくる。


涼しい店内を特に目的もなく歩く。

何を着てこようか、すごく悩んだけど、結局、大人しめのパンツスタイルにした。

でも、シャツはお気に入りのひらひらしたやつで。


雑誌コーナーを眺めながら、彼が来るのを待つ。

どの誌面も夏らしい内容で、元気いっぱいのものもあれば、大人の雰囲気のものもあるけれど、どれも、どこかワクワクするような、夏を楽しみにするような、そんなものばかりだった。


夏休みか、と思いながら目に留まった一冊をペラペラと巡る。

楽しそうだし、素敵だなって思うんだけど、暑いし、どこも混んでるし、で、ここ数年は夏を避けて長期休みを取っている。


「お待たせ!」


ポンっと肩を叩かれる。

振り返ると少し汗ばんだ彼がいた。


「ごめん、遅くなった」

「ううん、全然…」


大丈夫、と言いながら彼を見る。

うわあ、スーツだあ…と見惚れてしまう。


当たり前なんだけど、最後会った時に見たようなリクルートスーツではなく、もっとおしゃれでシュッとした上品なスーツを着こなしていた。

手元にはシンプルだけど高そうな時計。

大人の彼にドキッとする。


「どした?」

「…あ、いや、なんか、すっかり営業マンだなって思って」


そ?と彼と笑う。

その笑顔がもうすっかり大人で、大人の彼と私、今、話しているんだ…うわあ、うわあ、なんか、すごい。


行こっか、と歩き出す彼の後に続く。

場所はわかっているみたいで、スマホを見ることなく迷いなく進む。


ちょっと歩いたところにあるんだけどさ、とか、前に取引先の人に連れて行ってもらって、とお店について話す彼の隣を歩く。


「あと、ちょっと覚悟した方がいいかも」

「何を?」

「うーん、なんて言うか、テンション?」


そうしている内にお店に着いた。

駅の喧騒から少し離れたところにポツン、とある可愛らしいちいさなお店。

ウッド調の門構えには、細やかな彫刻がされている。

真鍮のドアノブを彼がガチャっと開けると、熱気と陽気な音楽が流れ出てきた。


「Ora!」


空調が効いているはずなのに、暑さを感じたような気がした。

その活気に負けないくらい大きな声が、店内の至る所から私たちに向けられる。


「予約していた高畑です」


彼が落ち着いたトーンで言う。


手前は酒樽をモチーフにしたような机に高めなハイチェアが並ぶ、バール的な席。

奥には少し落ち着けるようなボックス席がいくつか見える。

その間を所狭しと店員さんが行き交う。

全体的に背が高く、堀の深い男性が多い。

反して客層は仕事帰りの女性グループが多く見えた。


なるほど…確かにこれは覚悟がいるかも…彼が集合場所を駅にした理由もわかった気がした。


私たちが通された席は、ボックス席よりさらに奥にある半個室で、隠れ家的な、店内の喧騒から離れた場所だった。

落ち着いた空間にホッとする。


「…賑やかなお店だね」


席に着きながら彼に言う。


「飯が美味かったからまた来たかったんだけど、なかなか来づらくて」


この雰囲気だし、と苦笑しながらメニューを渡してくれた。


「そしてここはイタリアンではなくスパニッシュだね」

「あ、そうなの?ヨーロッパ大体一緒に括ってたわ、俺」


私の指摘など気にする気配もなく、私に渡したメニューを反対側から見ながら、どうする?ボトル入れる?と聞いてくる。

昔から丁寧なくせに、変なところで大雑把だ。

イタリアンとスパニッシュは結構違うと思うけどなあ…と思いながらメニューに目を落とす。


「うーん、せっかくだから、色々楽しみたいかも」

「じゃあグラスで頼もっか」


決まった?と言う彼に頷くと、店員さんを呼んでくれる。

ドリンクを頼む流れで、幾つかのおつまみも伝える彼をスマートだなあ、と眺めた。


ドリンクが届く。

彼は生ビールを、私は季節のサングリアを頼んだ。

柑橘系の生果実がたくさん入ったもので、グラスの内側に輪切りのフルーツが貼り付けたように並んでいる。

思っていた以上に綺麗で、思わずスマホを取り出す。照明や角度を意識して写真を何枚か撮る。

彼はその光景を珍しそうに眺めていた。


「あ、ごめん、癖で。ビール泡なくなっちゃうよね」


慌てて言うと、いや、大丈夫よ、と言って私に自分のグラスを傾ける。


「俺の周りにはあんまりいないから、新鮮だっただけ」


小さく、乾杯、とグラスを合わせた。


「仕事で使うの?」


一口でグラスの七割くらいを飲み干した彼が聞く。

おつまみが到着し、持ってきてくれた店員さんに追加のビールを頼む。


「うーん、何かに使うことはないけど、アイデア出しの時にヒントになったりはするかな」

「相変わらず忙しくしてるんだ?」

「前の会社ほどは忙しくないかな」

「へえ、転職したの」

「あ、うん。二年くらい前かな?ちょっと忙し過ぎてさ」


名刺あるよ、と鞄の中から取り出して彼に渡す。じゃあ俺も、と流れで名刺交換になった。

受け取り方がとても丁寧で、営業職が身に付いているなあ、と尊敬する。


「え、役職あるの?」


名刺に書かれた肩書きに、思わず驚いて尋ねる。彼はまあね、と小さく笑う。


「まあ、名前だけみたいなやつだから」

「いやいや!高畑くんの会社規模で役職つくってすごいことだと思う」


すごーい、と名刺を見つめ続ける私を照れくさそうに見ながら、切り替えるように彼は言う。


「追加で何頼む?気になってたやつ、適当に頼んで良い?」


食べれないものなかったもんな、と言う彼に、過去の私との繋がりを感じて、少しこそばゆかった。


彼の言う通り、ご飯もお酒も美味しくて、話も箸もどんどん進む。

思っていた以上に楽しく話せている自分がいて、緊張が緩んだからか、いつもより少し飲み過ぎている気がする。


身体がポカポカ、ホワホワする。

トイレに席を立った彼が、すれ違った店員さんに何かを伝える。

店員さんがにこやかに、お水を持ってきてくれた。


「…なんでも、ほんと、スマートだなあ」


彼が頼んでくれたお水をチビチビと飲みながら、スマホを見るともう二十二時を回っていた。まだ明日もあるし、そろそろお開きかな。


「そろそろ行くか」


帰ってきた彼が言う。

そうだね、と相槌を打って、入れ替わりでトイレに立つ。

トイレの鏡で自分を見ると、ほんのりと赤くなっていて酔っ払っているのがわかる。

少し反省して席に戻るとお会計はもう済んでいて、大人な彼と自分との差に、また少し恥ずかしくなった。


お店を出る。

夜風が熱った身体に心地よい。


「あー、美味しかった!」

「喜んでもらえたみたいでよかった」

「ほんとにご馳走になってよかったの?結構食べたよ?」

「いいの、いいの、今日はお詫びだから」


そう笑って、俺も気になってたの食べれて満足、とお腹をさする。

細身なのに昔からよく食べるよなあ、太らないのいいなあ、と彼のスタイルを改めて眺める。

…スーツ、似合うなあ。


パチっと目が合う。

誤魔化すように話題を振った。


「普段からこういうお店で飲んでるの?」

「いや、社内の人間とは普通に居酒屋チェーンが多いよ」


そっちは?と聞いてくる彼に、私もそんな感じかな、と答える。


「あ、でも、最近おいしい焼き鳥屋さん見つけて、時々行くよ」

「へえ、じゃあ今度連れてってよ」

「…え?」

「嫌?」

「あ、いや、全然!」

「よかった。いつにする?」


スマホを片手に、来週は水曜だったら空いてる、週中でも良ければ、と彼が言う。

スケジュールを見ると私も空いていて、じゃあそこで、とスケジュールアプリに印が付いた。

次のお誘いまでスマートだ。


改札で別れ、それぞれの帰路に着く。

来週も会うのか、なんか、展開が早いなあ、と、どこかで少し、ついていけない自分がいた。


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