知らない時間
『陽気なイタリアンと落ち着いた和食、どっちがいい?』
ライブ明けの月曜日、彼から連絡が来た。
陽気な?おしゃれな、じゃなくて?とちょっと不思議に思ったけど、賑やかな方がいいかな、とイタリアンで、と返信した。
日程を決めて、待ち合わせ場所を決める。
直接お店に行くよ、と言ったのだけれど、いや、駅で、と頑なな彼に従った。
木曜日の二〇時前。
いつもは降りない駅の改札にある本屋さんで彼を待つ。
少し前に、ごめん、ちょっと遅れると連絡が来ていた。暑さもあったので、本屋にいるね、と返事をする。すぐに、了解!のスタンプが返ってくる。
涼しい店内を特に目的もなく歩く。
何を着てこようか、すごく悩んだけど、結局、大人しめのパンツスタイルにした。
でも、シャツはお気に入りのひらひらしたやつで。
雑誌コーナーを眺めながら、彼が来るのを待つ。
どの誌面も夏らしい内容で、元気いっぱいのものもあれば、大人の雰囲気のものもあるけれど、どれも、どこかワクワクするような、夏を楽しみにするような、そんなものばかりだった。
夏休みか、と思いながら目に留まった一冊をペラペラと巡る。
楽しそうだし、素敵だなって思うんだけど、暑いし、どこも混んでるし、で、ここ数年は夏を避けて長期休みを取っている。
「お待たせ!」
ポンっと肩を叩かれる。
振り返ると少し汗ばんだ彼がいた。
「ごめん、遅くなった」
「ううん、全然…」
大丈夫、と言いながら彼を見る。
うわあ、スーツだあ…と見惚れてしまう。
当たり前なんだけど、最後会った時に見たようなリクルートスーツではなく、もっとおしゃれでシュッとした上品なスーツを着こなしていた。
手元にはシンプルだけど高そうな時計。
大人の彼にドキッとする。
「どした?」
「…あ、いや、なんか、すっかり営業マンだなって思って」
そ?と彼と笑う。
その笑顔がもうすっかり大人で、大人の彼と私、今、話しているんだ…うわあ、うわあ、なんか、すごい。
行こっか、と歩き出す彼の後に続く。
場所はわかっているみたいで、スマホを見ることなく迷いなく進む。
ちょっと歩いたところにあるんだけどさ、とか、前に取引先の人に連れて行ってもらって、とお店について話す彼の隣を歩く。
「あと、ちょっと覚悟した方がいいかも」
「何を?」
「うーん、なんて言うか、テンション?」
そうしている内にお店に着いた。
駅の喧騒から少し離れたところにポツン、とある可愛らしいちいさなお店。
ウッド調の門構えには、細やかな彫刻がされている。
真鍮のドアノブを彼がガチャっと開けると、熱気と陽気な音楽が流れ出てきた。
「Ora!」
空調が効いているはずなのに、暑さを感じたような気がした。
その活気に負けないくらい大きな声が、店内の至る所から私たちに向けられる。
「予約していた高畑です」
彼が落ち着いたトーンで言う。
手前は酒樽をモチーフにしたような机に高めなハイチェアが並ぶ、バール的な席。
奥には少し落ち着けるようなボックス席がいくつか見える。
その間を所狭しと店員さんが行き交う。
全体的に背が高く、堀の深い男性が多い。
反して客層は仕事帰りの女性グループが多く見えた。
なるほど…確かにこれは覚悟がいるかも…彼が集合場所を駅にした理由もわかった気がした。
私たちが通された席は、ボックス席よりさらに奥にある半個室で、隠れ家的な、店内の喧騒から離れた場所だった。
落ち着いた空間にホッとする。
「…賑やかなお店だね」
席に着きながら彼に言う。
「飯が美味かったからまた来たかったんだけど、なかなか来づらくて」
この雰囲気だし、と苦笑しながらメニューを渡してくれた。
「そしてここはイタリアンではなくスパニッシュだね」
「あ、そうなの?ヨーロッパ大体一緒に括ってたわ、俺」
私の指摘など気にする気配もなく、私に渡したメニューを反対側から見ながら、どうする?ボトル入れる?と聞いてくる。
昔から丁寧なくせに、変なところで大雑把だ。
イタリアンとスパニッシュは結構違うと思うけどなあ…と思いながらメニューに目を落とす。
「うーん、せっかくだから、色々楽しみたいかも」
「じゃあグラスで頼もっか」
決まった?と言う彼に頷くと、店員さんを呼んでくれる。
ドリンクを頼む流れで、幾つかのおつまみも伝える彼をスマートだなあ、と眺めた。
ドリンクが届く。
彼は生ビールを、私は季節のサングリアを頼んだ。
柑橘系の生果実がたくさん入ったもので、グラスの内側に輪切りのフルーツが貼り付けたように並んでいる。
思っていた以上に綺麗で、思わずスマホを取り出す。照明や角度を意識して写真を何枚か撮る。
彼はその光景を珍しそうに眺めていた。
「あ、ごめん、癖で。ビール泡なくなっちゃうよね」
慌てて言うと、いや、大丈夫よ、と言って私に自分のグラスを傾ける。
「俺の周りにはあんまりいないから、新鮮だっただけ」
小さく、乾杯、とグラスを合わせた。
「仕事で使うの?」
一口でグラスの七割くらいを飲み干した彼が聞く。
おつまみが到着し、持ってきてくれた店員さんに追加のビールを頼む。
「うーん、何かに使うことはないけど、アイデア出しの時にヒントになったりはするかな」
「相変わらず忙しくしてるんだ?」
「前の会社ほどは忙しくないかな」
「へえ、転職したの」
「あ、うん。二年くらい前かな?ちょっと忙し過ぎてさ」
名刺あるよ、と鞄の中から取り出して彼に渡す。じゃあ俺も、と流れで名刺交換になった。
受け取り方がとても丁寧で、営業職が身に付いているなあ、と尊敬する。
「え、役職あるの?」
名刺に書かれた肩書きに、思わず驚いて尋ねる。彼はまあね、と小さく笑う。
「まあ、名前だけみたいなやつだから」
「いやいや!高畑くんの会社規模で役職つくってすごいことだと思う」
すごーい、と名刺を見つめ続ける私を照れくさそうに見ながら、切り替えるように彼は言う。
「追加で何頼む?気になってたやつ、適当に頼んで良い?」
食べれないものなかったもんな、と言う彼に、過去の私との繋がりを感じて、少しこそばゆかった。
彼の言う通り、ご飯もお酒も美味しくて、話も箸もどんどん進む。
思っていた以上に楽しく話せている自分がいて、緊張が緩んだからか、いつもより少し飲み過ぎている気がする。
身体がポカポカ、ホワホワする。
トイレに席を立った彼が、すれ違った店員さんに何かを伝える。
店員さんがにこやかに、お水を持ってきてくれた。
「…なんでも、ほんと、スマートだなあ」
彼が頼んでくれたお水をチビチビと飲みながら、スマホを見るともう二十二時を回っていた。まだ明日もあるし、そろそろお開きかな。
「そろそろ行くか」
帰ってきた彼が言う。
そうだね、と相槌を打って、入れ替わりでトイレに立つ。
トイレの鏡で自分を見ると、ほんのりと赤くなっていて酔っ払っているのがわかる。
少し反省して席に戻るとお会計はもう済んでいて、大人な彼と自分との差に、また少し恥ずかしくなった。
お店を出る。
夜風が熱った身体に心地よい。
「あー、美味しかった!」
「喜んでもらえたみたいでよかった」
「ほんとにご馳走になってよかったの?結構食べたよ?」
「いいの、いいの、今日はお詫びだから」
そう笑って、俺も気になってたの食べれて満足、とお腹をさする。
細身なのに昔からよく食べるよなあ、太らないのいいなあ、と彼のスタイルを改めて眺める。
…スーツ、似合うなあ。
パチっと目が合う。
誤魔化すように話題を振った。
「普段からこういうお店で飲んでるの?」
「いや、社内の人間とは普通に居酒屋チェーンが多いよ」
そっちは?と聞いてくる彼に、私もそんな感じかな、と答える。
「あ、でも、最近おいしい焼き鳥屋さん見つけて、時々行くよ」
「へえ、じゃあ今度連れてってよ」
「…え?」
「嫌?」
「あ、いや、全然!」
「よかった。いつにする?」
スマホを片手に、来週は水曜だったら空いてる、週中でも良ければ、と彼が言う。
スケジュールを見ると私も空いていて、じゃあそこで、とスケジュールアプリに印が付いた。
次のお誘いまでスマートだ。
改札で別れ、それぞれの帰路に着く。
来週も会うのか、なんか、展開が早いなあ、と、どこかで少し、ついていけない自分がいた。




