同じ歓声の下で
ライブの曲の半分は知らない曲だった。
でも、イントロの度、こちらを向いてあれだね、これだね、と話す彼女が、俺がわからなそうにしていると、この間やってた映画の主題歌だよ、とか教えてくれる。
会場の熱気と興奮からか、彼女も随分と距離が近い。気を抜けば彼女が囁く唇が、俺の耳にあたりそうだった。
いい匂いするな、とか思いながら、そうなんだ、と答える。
すっごくいい曲だよ、と彼女が笑うから、すっごくいい曲に聴こえた。
彼女が全力でC&Rするから、俺も一緒になってやってみた。お蔭ですぐに利き腕がパンパンになった。
曲に乗る度、彼女の耳元で揺れるピアスに、開けたんだな、なんて思ったりもした。
そんな調子で、半分くらい、彼女を見ていた。彼女がステージに集中していたら、よかった。元カレがライブにろくに集中せず、自分ばかり見てたら気持ち悪いだろう。
「は〜〜〜めっっっちゃ、よかった…」
「とりあえずお水飲んどきなさい」
照明が明るくなった会場で、ぼんやりと夢見るみたいな彼女に声を掛ける。
ライブ中、あれだけ声を出して動いていたのに、全く水分をとっていなかったから、少し心配だった。
案の定、彼女はほとんど残った水に口をつけると、そのまま一気に飲み干した。
「めっちゃ飲むじゃん」
自分も水分を摂りながら、思わず笑ってしまう。
さて、この後どうやって彼女との時間を作るか。
飲みに誘うのはちょっと違う気がするし…とあれこれ考えながら退場アナウンスに従って外へと向かう。
会場の外は、もうすっかり暗く、でもまだ日中の熱を帯びていた。
「…いや、めっちゃよかったわ」
「うん、ほんとに…まさかあの曲までやってくれると思わなかった」
「アンコール神だった」
「神様いた」
ライブの話をしながら、この後の流れに繋がるような会話を探す。
彼女が人波に飲まれないようにさりげなくカバーしながら。一度に複数のことを考えながら歩いていると、思考がショートしそうになる。
「でも、ほんと、今日一緒でよかった〜」
不意に彼女が言う。
「チケット買う時にさ、一枚って選んで、仕方ないんだけど、やっぱり誰かと一緒にさ、こうやって感動を共有しながら観れるのって最高だよね」
嬉しい、けど、それってどういう意味で?とまた考え事が増え、頭の中がパンクした。
フリーズ状態で歩いていると、黙りこくる俺に彼女が気まずそうに繋げる。
「だから、声掛けてくれて、ありがとね」
おう、と答えてとりあえず笑う。
仕事ではもっとスムーズに話せるはずなのに、彼女に対してはどうしてうまくできないんだろう。
「家どこ?駅どっち?」
「上野の方。水道橋から秋葉原乗り換えだよ」
高台にある会場から、坂の下にある駅を見下ろす。その道なりがもう、人だらけだった。
「水道橋かあ…めちゃくちゃ混んでそうだなあ」
「…確かに!」
あ、そうだ。スマホを取り出し、マップアプリを立ち上げる。
秋葉原乗り換え、と彼女は言っていた。秋葉原駅、と打ち込み、徒歩で掛かる時間を確かめる。
三〇分の表示に、ちょうどいいじゃん、と思わず笑みが溢れた。
「俺も秋葉原方面なんだよね」
全然嘘。本当は反対方面。
「いっそ秋葉原まで歩く?三〇分くらいで行けるみたいよ」
コンビニで飲み物でも買ってさ、なんて気楽な感じを装う。
いいね!と笑う彼女に安心して、何の気無しに言葉を続ける。
「積もる話もあるしね」
そう言った瞬間、彼女の表情が曇った気がした。
……あれ?俺、なんかマズった?
コンビニに寄った時にはもう、彼女は暗い顔をしていて、ぶつぶつ言いながら飲み物を選んでいた。ひとりの世界に入りたい感じかな、と早々に缶ビールを選び外で待つ。
しばらくすると、お待たせー、と彼女が凛とした女性の顔を作って帰ってくる。
おー、とビールを掲げると、え、飲んでいいの?と表情が崩れて、またバタバタとコンビニに戻っていく。
次に出てきた彼女は、もうさっきの大人の顔ではなく、ライブ終わりの少女のような表情に戻っていた。
ほんと、くるくる表情が変わる子だな。
***
「かんぱーい」
ちいさく音を立てて冷たいアルコールを体内に入れる。清涼感が心地いい。
人がまばらな大通りを肩が触れるか触れないかの距離で歩く。きっと、普通の、友人同士のパーソナルスペースよりグッと近い。
でも、今ならライブの熱に絆されて、許されると、思う。
「俺も、さ」
ライブ中、話そうと考えていたことを言葉に出す。思ったよりも軽く、話し出せる自分がいた。
「今更な話、してもいい?」
そうして俺は、彼女と付き合う前から当時のこと、その後のことをざっくりと説明した。
彼女は特に何を言うわけでなく、適度に相槌を打ちながら聞いてくれた。
哀れみの言葉も、アドバイス的な言葉も、欲しくなかったから、その受け答えが嬉しかった。
きっと彼女は気まずさもあって言葉に詰まったりしてるんだろうけど、俺のことを考えて言葉を選んでくれている沈黙が、嬉しかった。
「…高校の時にさ」
だからだろう。
言わなくてもいい、見せなくてもいい、一番最初に傷付いた場所を、少し話してみたくなった。
高校時代の彼女のこと。言われて、衝撃的だった言葉。
「もう話聞くのしんどいから別れたい。あなたが辛い時なのに、支えられなくてごめんねって」
頭の中で何度も反芻したセリフを改めて言葉にすると、またグサっと刺さるのもなんだな。
胸につっかえる何かを飲み下すようにビールを煽る。
「それから、自分のこと話すのが、少し、怖くなった」
自分でも声が震えているのがわかった。
かっこ悪い。言わなきゃよかった。
でも、彼女が真っ直ぐに言ってくれたから俺も、ちゃんと返したいって思った。
信号が変わる。意識的に彼女の前に立つように歩く。
きっと今、変な顔をしている。
見られたくなかった。
「ライブが始まる前、謝ってくれたじゃん?でも、俺だって謝らなきゃなんだよ。結局、俺も、こうして誰かに話すことが怖くて、逃げてただけだったから」
本当は聞いてもらいたい癖にさ、嫌われるのが怖かったんだ、そう言いきって、彼女の方を振り返る。
外面用の笑顔を作って。
その瞬間、ちいさな温度が肩に触れた。
反射的に身体が強張る。
彼女の手が宙ぶらりんでこちらに向いていた。
え、なんで…?自分の行動に、そもそも彼女の行動に驚いて言葉が出ない。
「…あ、ご、ごめん」
慌てて謝る。
「ううん、私こそ、急にごめん」
彼女は傷付いた顔でも、憐れむ顔でもなく、柔らかい笑顔で俺に言った。
「頑張ったんだね」
その一言に、胸の奥がうずく。
ずっと押さえつけられていた何かが溢れて、こぼれ落ちる感覚があった。
「…え?」
気付いたら泣いていた。
止めたいのに止まらない。
ポロポロと、子どもみたいに涙を流す自分を理解できなかった。
「ご、ごめん、急に、こんな、なんで、俺」
再び、彼女の手が俺の背中に乗る。
細い指、小さな手、少しひんやりと俺の体温に馴染む。余計に涙が止まらない。
でも、止めなくていいよ、と言ってもらえている気がした。泣いてもいいんだよって。
促されるままベンチに座って、彼女の隣でシトシトと泣く。
嗚咽するでもなく、ただ、涙が落ち続けるのを眺めた。
ダメだ、全然止まらない。
途中、何度もごめんと謝った。彼女はただ、大丈夫だよ、と言った。
そうやって、ずっと俺が落ち着くまで、彼女は静かに隣にいてくれた。
大丈夫だよって言ってくれる声が、触れる手が、隣にある息遣いが、全部やさしくて、恥ずかしいのに、安心している自分を感じた。
***
…やってしまった。
盛大に泣いた後、俺が落ち着いたのを見計らって、彼女はトイレ行ってくる、と席を外した。
いや、マジで、何やってんの俺!いい大人が急に泣き出すなんて、気持ち悪い以外の何ものでもない。しかも元カノの前で。
あーもー、と天を仰ぐ俺に、彼女が冷たい水を持って帰ってきた。
「…ほんっとうに申し訳ない」
「え、いや、全然!むしろ私が泣かしたみたいになってごめん」
いや、うん、まあ、そうかも…と口籠っていると、ふふっと笑い声が聞こえる。
「いや、笑うなよ」
「ごめん、ごめん」
嫌味のない言い方に安心する。
迷惑ではなかった、かな?彼女から水を受け取り、目元を冷やす。
とりあえずこの後、電車に乗れるようにはしておかないと。
熱くなった目頭に、ひんやひとした感触が心地よかった。
彼女が隣に座り、キャップを開ける。コクン、コクン、と飲む音が可愛くてつい聞いてしまう。…キモいな、俺。
「…いい一日だったなあ」
彼女が呟くように言う。
その横顔は柔らかく夜の灯りに照らされて、ああ、やっぱり綺麗だな、と思った。
俺も、と返すと、小さく笑った。
「さて、帰りますかね」
え、もう、帰るの?と時計を見ると、ライブが終わってからゆうに一時間は経っていた。
少し躊躇したが、タイミングとしては今しかない。
「ねえ、連絡先、聞いてもいい?」
心臓の音が大きくなるのを感じながら、平静を装って考えていた言い訳を並べる。
「今日のお詫びしたいから。飯でも奢らせて」
ドキドキしながら返答を待つと、彼女は、あー、とか、うー、と言いながら歯切れが悪そうに口を開く。
「…私、連絡先、変わってない、よ?」
言われた瞬間、意味がわからなくて固まると、気まずそうに、…ブロックを解除してもらえたらいいだけかと…と彼女が言葉を続けた。
連絡先が消えてしまったことを伝えると、彼女は恥ずかしそうに、慌ててスマホを取り出した。もしかして連絡しようとしてくれたのかな、なんて思ったらニヤけてしまって、誤魔化すように意地悪く言った。
「ホッとした?」
俺の言葉に、顔を赤くしながら口籠る彼女の表情に心臓をグッと掴まれたような感覚があった。
あ、これは、ヤバいかもしんない。
「じゃあ、駅に向かいますか」
「うん」
なんてことない風で連絡先の交換をして、駅に向かう。
今度はくだらない、他愛もない会話を交わしながら。ライブのこと、そこから派生して思い出したこと、支離滅裂で、でも上っ面の形式ばった会話じゃなくて、自分の中から出る言葉を真っ直ぐに話せているみたいな。
久しぶりの、その感覚が心地よくて、楽しくて、まるで一緒に歌ってるみたいだな、と思った。
***
駅に着くや否や、電光掲示板を見て、あ、電車来る!じゃあね、と彼女は足早に改札を抜けていった。
情緒も何もないけれど、それくらいが今の俺にはちょうどよかった。
反対側の階段を登ってホームに着くと、ちょうど彼女が乗った電車が出るところだった。
ドア横に立つ彼女と目が合う。小さく手を上げる。彼女が振り返す。
たったこれだけが、こんなにも嬉しいってこと、すっかり忘れていた。
去っていく彼女を見送って、ろくに挨拶しなかったな、とメッセージを打った。
『今日はありがとう。会えて嬉しかった。また、連絡する』
シンプルに、でも少しだけ、思いを乗せて。
すぐに既読が付いて返事が返ってくる。
シンプルな言葉にリアクションだけ返して、スマホを閉じた。
電車の到着を告げるベルを聞きながら、次はいつ連絡をしようか、お詫びと称した飯屋はどんなところがいいだろうか、と考える。
こんな風に誰かとの予定を楽しみにするのは、ひどく久しぶりだ。
てか、こっからどうやって帰るんだ?ともう一度スマホを出して調べると、そもそも秋葉原駅からは帰れないようで、別の駅に行け、と指示される。思わず笑って改札に引き返す。
あー、ほんと、何やってんだろうな、俺。
でも、こんな感じも悪くないな。
ここ数年、ずっとどんよりと重かった気持ちが急に晴れていくような、爽やかな心持ちだった。
***
地元駅に着いた頃、スマホがブブッと鳴った。ロック画面に表示されたのは彼女の名前で、少し胸がキュッとなる。
何となく、すぐには開きがたく、そのままスマホをポケットにしまう。
コンビニでビールと軽い食べ物を買って、家に着き、袋を机に置く。ソファに腰掛け、ロック画面を開く。
通知がついたアイコンをタップするかしないか迷って、とりあえずシャワーを浴びることにした。汗と涙の後を流しながら、初恋かよ、と心の中で笑った。
さっぱりした身体にビールを流し込みながらスマホを手に取る。
連絡アプリを開くと、未読のままのメッセージがあって、ちゃんとある、とまたちょっとニヤけてしまう。
親指で普段通りにタップする。
メッセージが目に飛び込んできて、思わずソファに倒れ込む。
不意打ちのメッセージに、心臓の奥をギュウっと掴まれたみたいになる。
甘く、苦しい感じ。
ぐうう、と悶え、額に手を乗せる。
スマホの画面には、彼女からのメッセージが光っていた。
『無事に家に着いたよ〜そっちはどうかな?あとね、さっき伝え忘れちゃったんだけど
私も、会えてうれしかったよ』




