ひとりの道中
「おっはよーございます!」
月曜の朝、いつもの元気なあいつの声にほっとする。
朝礼で内示が出た。前に出て一言、と言われると、あたらしーところでも精一杯頑張ります!とフロアいっぱいに通る声で挨拶をした。
俺に対してもいつも通りで接してくれている。
異動に伴う具体的な動きが始まり、通常業務にプラスアルファの会議や打ち合わせが入ってくる。
それに加えて金曜にはライブだ。
今週は少しバタバタしそうだな、と朝から栄養ドリンクを煽って気合いを入れた。
これまでほぼ毎日、数時間は一緒に動いていたけれど、あいつは新しいチームへの挨拶や引き続き、俺はあいつが抜けた後のチーム内の調整や外部とのやり取りで面白いくらいに顔を合わせなくなった。
新しい動きに格好つけて、平日にも関わらず、夜の打ち合わせも多かった今週。
誤魔化し誤魔化し走り抜け、気力も体力も尽きた金曜日の昼過ぎ。デスクで帰る準備をしていると、久しぶりの声が振ってくる。
「あれ〜?主任、今日半休ですか?めずらしー」
外回りから帰ってきたあいつは、あっつーと汗を拭きながら鞄を下ろす。
「え、って、あれ?今日ライブの日じゃないですか?結局行くんですか〜?」
「いや、明日大阪で弟の結婚式だから、その準備」
考えてあった言い訳を、なるべく普通のトーンで話す。
日程的にはタイトだが、丁度いい日取りだったな、と思う。
部下達に見送られて家路についた。
平日の昼過ぎ、社会が機能している中、オフ状態でいるのはいつぶりだろうか。
まだ高い陽射しを浴びるビル街、道行く人はスーツ姿が多くを占める。
俺もその中のひとりなのに、もう働いていないということに、少しそわそわしながら電車に揺られる。
地元駅に着く。
いつも朝早くか暗くなってからしか降り立たないそこは、子どもを乗せて自転車で走っている人がいたり、ランドセルを背負った子ども達やヨボヨボとカートを引いて歩くじぃちゃんばぁちゃんがいて、同じ街に住んでいても、時間帯によって表情がガラリと変わるもんだな、と思った。
陽光で眩しいくらいの街並みに、この街の日常に初めて触れたような、不思議な感覚があった。
シャワーを浴びて汗を流し、ラフな格好に着替える。
ズボンはジーパンがいいか、チノパンがいいか、それともスラックス?迷うほどでもないことなのに、普段着で出掛けることが少ないから、鏡の前であれこれ試している自分がおかしかった。
なんだ、結構楽しみにしてたんだな、俺。
結局、ジーパンにライブTシャツ、必要最低限の持ち物が入るショルダーをかけて出掛けた。
もう日は傾き始めていて、さっきよりも幾分、涼しい。
ライブTシャツを着て出掛けるのを、ちょっと気恥ずかしく思いながら電車に乗り込む。
会場駅が近づくにつれ、同じような格好の人が増えていき、縮こまっていた身体も心も緩んでいく。
水道橋で降りたのは、ほとんどがライブへ向かう人達だった。
入り口前にフォトスポットがあって、若者が写真を撮りあっている。
そう言えば、彼女ともあんな風に写真を撮ったな、と思い出す。
会ったりするんだろうか。
いや、仮に来ていたとしても、これだけ大勢の中で会える確率なんて相当低い。
それに彼女は誰かと来ているかもしれないし、出くわして惨めな思いをするのは、嫌だなあ。
キャアキャアと、はしゃぎながら俺の隣を若いグループが通り抜ける。自分とのギャップに、少し居た堪れなくなる。
来なきゃよかったかな、そう思った瞬間、会場内からドラムの音が小さく聴こえた。
最終チェックだろうか、ドンドン、ドドンッと何度か同じリズムを繰り返して消える。
その音に心が弾む自分を感じた。
うん、せっかくきたんだし、単純に音楽を楽しめばいい、周りなんて気にしなくていい、自分を鼓舞して会場に向かった。
既に開場から三〇分くらい経っていたから、観客の半数以上は入っている感じだった。
ザワザワする会場で指定されたブロックに向かう。思った以上にステージが近い。また少し、気持ちが上がる自分を感じた。
俺の中にもまだ、こういう感覚があったんだなあ、なんてちょっと感動する。非日常の中にいるせいか、いつもより少しセンチメンタルだ。
開演まで、まだ暫く時間があって、手持ち無沙汰にスマホを開く。
仕事のメールを確認して、必要なものには返信を、来週以降のスケジュールを見て、とソワソワしているのに、誰に対してでもなく、いつも通りを装う自分がおかしかった。
一区切りついて、周りを見渡す。
入り口付近では若いカップルやグループが目についたけど、落ち着いて観察すると、自分と同年代やそれより上に見える人たちもいて、ファン層の幅広さを感じた。
昔からずっと追っている人も、最近聴き始めた人も、どちらにでも響く唄を作ることができる、彼らのファンでいることを、何だかちょっと、誇らしく思った。
人間観察をしていると、彼女と同じ歳くらい、同じ背格好の女性を見かけた。
俺と同じブロックの後方で、同じように周りを見渡し、キョロキョロしている。
連れ待ちなのかな?とぼんやり見ていると目が合った。
「え」
あっちも同じような顔をしてパッと目を逸らす。釣られて俺もスマホに視線を落とす。
彼女…だよな。
そんな奇跡的なことある?とまたちょっと感動しつつ横目で彼女を見ると、さりげなく距離を取るように反対側へと消えていく。
すっと体温が下がるのがわかった。
そうだよな、とため息で一瞬沸いた期待を流す。
あんな別れ方しておいて、今更普通に会えるとか、頭お花畑か俺は。
高い天井を仰いで、ふう、と一息つく。
気持ちを切り替えるように再びスマホに向かう。内容が全然入ってこないメールを眺めていると、斜め前にいる女性たちの会話が耳に入ってきた。
「えー、あれヤバくない?」
「あのおっさん、さっきも違う女の人に声掛けてたよ」
「えー、きもー」
その視線の先に目をやると、彼女が少し年上の男性に声を掛けられている。
不快な気持ちがグッと頭をもたげるが、理性が身体を抑えた。
止めた方がいいだろうか。
でも、連れの人が来るかもしれないし、彼女だって大人だし、と心の中で言い訳をしながらも、チラチラと横目で伺う。
グイグイくる男に彼女が後ずさる。男の手が伸びる。反射的に身体が動いていた。
「俺の連れに何か用ですか?」
いや、連れじゃないけど、何言ってんの俺、と心の中で自分に突っ込みながら、男を威圧する。
男はヘラヘラと笑いながら人混みに消えていった。
「久しぶり」
「…久しぶり」
驚いて声が出ない様子の彼女に、こちらから声を掛けるも、緊張してうまく声が出ない。
勢いで割り込んでしまったけれど、この後、どうしたらいいんだ?
「あ、ありがとう…」
戸惑いを纏った声で彼女が続ける。
「どういたしまして」
ぶっきらぼうに答える、俺。
いや、会話続けよう、俺!
「迷惑だった?」
「え?」
「いや、あいつと見たかったかなって」
いや、何その会話!嫌味にしか聞こえないじゃん!普段の営業トークはどうした!もっと気の利いた会話しろよ!と心の中で盛大に突っ込む。
「いや、それは全くない!ほんとに助かった!」
全力に、まっすぐに否定してくる彼女は、俺の言葉に嫌味なんてこれっぽっちも感じていなようで安心する。
「連れは?いないの?」
「あ、うん、ひとりで…そっちは?」
「俺も、ひとり」
ひとり、の言葉にどこかほっとする自分がいた。普段の癖で、さりげなく左手の薬指をチェックしてしまう。何もついていないことにホッとして、アホか、と思う。今更元カノの動向を知ってどうする。
彼女の横顔を見る。昔より少しシュッとしたかな。……綺麗に、なったな。
ブブッとスマホがメールの着信を告げる。反射的に確認する。急ぎではない仕事の案件だった。サラッと目を通して、電源を落とす。この後、たかだか一、二時間、電源を切っておいても大丈夫だろう。
「あ、あのさ」
彼女を見ると、さっきよりも緊張した面持ちでこちらを見ていた。
「その、あの…すごく、今更で、こんな事言われてもだとは思うんだけど…」
その後に続いたのは、俺が予想していなかった言葉達だった。
思い詰めたように話す彼女を見ながら、俺、謝られるようなことしたっけ?と思い返す。
メッセージで一方的に別れを告げたのは俺じゃなかった?
「…怖かったんだ。傷付けて、ごめんね」
言いにくそうに、でも真っ直ぐに彼女は言葉を紡ぐ。その素直さにたじろいでしまう。
違うよ、怖かったのは、俺の方。
「…うん」
開演前のアナウンスが流れる。
歓声が湧き、会場全体が前のめりになる。
もうすぐ、ライブが始まる。
「今、彼氏とかいんの?」
こんな時に、何聞いてんだ俺、と思いつつも言葉を続ける。
「俺はいないんだけど」
「わ、たしも、いないけど」
「そか」
いないのか、じゃあ、大丈夫か。
何が大丈夫なのか、わからないけれど、それさえ会場の興奮が飲み込んでくれる。
開演前に流れるお決まりの音楽がボリュームを上げていく。
その音に負けないように、少し声を張る。
「じゃあ、せっかくだし、一緒に楽しむ?」
多分、普段の俺だったら言わなかったセリフ。でも、この会場の雰囲気と、こないだ言われた弟の言葉が後押しをしてる。
ひとりより、ふたりの方が楽しいよ。
「話はそれからにしない?」
ぱあっと表情が晴れて、嬉しい、みたいな顔で、なんでって思いながらも、やっぱり俺も、嬉しくて。
うん!と笑う彼女に、きっと、自分で思ってる以上の笑顔で応えていたと思う。




