第6話 眠る漆黒のレーシングカート
鈴与シティレーシングコースのホームストレートの空には雲ひとつ無く、永島には広大な空間に感じられた。
永島が普段いるカートコースに比べると、コースの全長は鈴与のほうが十倍ほど長い。
激しいレースが繰り広げられることに変わりはないが、スケールの違いがそう感じさせていた。
目の前を通り過ぎる色とりどりの車を視界に入れつつ、永島の脳裏には、杉山と共に歩んだ日々が再び浮かび上がった。
杉山が現金十八万円を渡してきた日に、永島は一台のカートを杉山に見せた。
車体を主に構成するのは、濃いグレーに塗装された鉄製のメインフレームで、マシンの前後左右には、接触時の衝撃を緩衝する漆黒の樹脂製カウルが付いている。ハンドルは赤のバックスキン仕様だ。
汚れはないが、うっすらと埃がかぶっている。
永島は、所有するカートコースに併設する小さなショップも経営していたが、そこの倉庫で二年間保管されていた車体であった。
正確に表現するならば、二年間誰にも売ることができなかったマシンだ。
長く倉庫に眠っていたため、ショップに通う客からは、前後左右のカウルの色から「クロ」の愛称で呼ばれていた。
二年前、永島は知人の依頼で、日本で開催の国際レースに、イタリアのカートメーカーのメカニックとして参加していた。
クロは、そのメーカーが持ち込んだ試作車であった。
クロはレース前のテストでは使用されたが、本番のレースでは使われることはなかった。メーカーと契約しているドライバーが、タイムは出るが乗りにくいと判断したのだ。
クロは使えないマシンとなり、メーカーにとってはイタリアに持ち帰る必要のないものとなってしまったため、永島が安値で買い取った。
永島は、クロをチーム員と呼ばれる、ショップのチームに所属するメンバーの誰かに売ろうと考え、チーム員の多くもイタリアから輸入されたマシンに興味を示した。
チーム員のなかでも特に速い四、五人のドライバーに試乗させてみたが、全員が難しすぎる、癖が強すぎる、乗りにくいといった否定的な言葉を並べた。
レーシングカートは、一般的なレーシングカーと比べて部品点数は少ないが、速く走らせるには正しいスピードと負荷が求められる精密な乗り物だ。
コーナーを速く曲がるためには、中空の鉄パイプで構成されたフレームに適正な負荷をかけてしならせ、タイヤの接地面を確保する必要がある。
クロは、しなりの許容範囲が極端に狭く、コーナーの全てに対して、針の穴を通すような、あるいは一本の糸の上を綱渡りするような、正確なステアリング、ブレーキ、アクセルの操作が求められるマシンだった。
ただし、その全てを成立させることができれば、速いタイムを刻めることは間違いなかった。
荒馬やじゃじゃ馬と呼ぶに相応しいこのカートを欲しがる者は次第にいなくなり、不動の舶来品としてショップの倉庫で眠り続けていたのだ。
クロを見た杉山の目は、輝きが増していた。
もう、そんな目でこのマシンを見てくれる者は、このショップには杉山以外いなかった。




