第4話 カートコースに現れた親子
目の前のスタート・フィニッシュライン上を、耳をつんざく音と共に何台もの車が通過していく。
C2ジャパン最終戦の地である鈴与シティレーシングコースのグランドスタンド席に、永島修はいた。
杉山悟がレーシングカートからフォーミュラにステップアップして二年以上が経つ。
杉山が永島にレースのチケットを渡してきたのは、今回が初めてだった。
あれだけ頭の良い子が、わざわざこのレースを選んできたのだ。何か想いがあるに違いないだろう。
それが何か今は分からないが、余計な詮索はせず、杉山の一周一周の走りを見ていようと永島は思った。
永島と杉山の出会いは七年前に遡る。
永島は還暦を迎えた年で、今と変わらずカートコースのオーナーをしていた。
杉山が初めてコースに来たのは、七月にしては涼しい風が吹く日だった。
当時中学一年生の杉山は、父親と一緒にレンタルカートに乗りに来ていた。
永島は職業柄、速いドライバーを無意識に気にする癖があった。
そんな永島は、レーシングカートよりも遅いとはいえ、ある程度の速度が出るレンタルカートに初めて乗る杉山に、非凡なものを感じ取っていた。
大人であれ子供であれ、カートに初めて乗ると、大抵は加速や減速、コーナーのライン取りやハンドル捌きに、不自然さやぎこちなさが出るものだが、十三歳の杉山は一周目から淀みのない走りを見せた。
永島の所有するそのコースは、全長500メートルと一般的なカートコースよりもやや短い。100メートルの直線以外は中低速のコーナーが連続するが、杉山は、まるで何年も前から知っているかのようにスムーズに駆け抜けていた。
きっと、自分が走り出す前に、コース内の何台かのカートの走りを入念に見ていたのであろう。
そしてそれを一周目から再現してみせた。
頭が良く、センスがあると永島は思った。
永島は、レンタルカートに乗りに来た子供のうち、センスのある子にはレーシングカートを始めることを勧めるようにしていた。
それは、第一には商売としてお客を増やすことが目的だったが、速いドライバーを育てたい、共にレースがしたいという本心が奥底にはあった。
ただ、唯一の例外は、金が無い親子には勧めないことであった。
モータースポーツは車という道具を使うスポーツだ。ドライバーには、車を自分のイメージ通りに動かす能力が求められる。
イメージのままに車を動かせれば上手いと言われ、それがタイムを出す動きであれば速いと言われる。
ただし、レースは速いだけでは結果が出せない。レーシングカートは乗用車よりも遥かに小さいが、高価なパーツが組み合わされており、かつその大半が消耗品で、交換を要する物が多い。
そんな高価な道具を使う以上、プロでもアマチュアでも、一定レベルの資金がなければ、どんなに才能があっても結果は出ないのだ。
杉山親子は、父子共に小ぎれいではあった。
しかし残念なことに、経済的な余裕を感じさせる身なりではなく、お世辞にもレースをするのに必要な資金を用意できるようには見えなかった。
自力で稼ぐことがままならない年齢の子供に、無駄な夢を見させることを永島は好まなかった。
そんな理由から、永島はその日、杉山親子には声を掛けることはなかった。
ただ、杉山のセンスと、それを見つめる父親の優しい眼差しが印象には残った。
それから一年後の七月、杉山はまたコースに現れた。
今度は父親の姿はなく、一人であった。




