第32話 心模様
C2ジャパン最終戦。
永島はグランドスタンドの巨大モニターを見続けていた。
レースは最終周の最終盤を迎えている。
裏ストレートで杉山が水樹に並び、そのまま140Rに二台が入る。横並びのままコーナーを抜けたが、水樹がノーズ一つの差で前だ。杉山も引かずに最終コーナーにもつれ込んだ。
永島がモニターから目を離し、最終コーナーに目を向けると、二台が並走して立ち上がってきた。差はない。
二台は並んだままフィニッシュラインを横切った。肉眼では差がなく、同着に見えた。
巨大モニターに観客の注目が集まる。ピットにいる各チームの面々も、それぞれモニターを見つめた。
しばらくして、画面の下段に、チェッカー模様で飾られた文字が表示された。
優勝 杉山悟
グランドスタンドは、地鳴りのような歓声に包まれた。僅か千分の二秒差の決着だった。
永島が前園メンテナンスのピットに目をやると、真中美琴が父親に抱きつき、メカニックたちも抱き合う姿が見られた。
直後に、ホームストレートエンドから、不自然なエンジン音が聞こえた。
永島がそちらを向くと、杉山の車がゆっくりと芝生に止まった。
前園メンテナンスの面々がそれに気付き、杉山の車に向かって走り出す。幸い、前園のピットは出口に近い一番端だったため、すぐに杉山の車の周りを人が取り囲む。医療オフィシャルも駆けつけた。
グランドスタンドの巨大モニターは、その様子を鮮明に映している。
杉山はコックピットから降りられない。オフィシャルにヘルメットと耐火マスクを外される。
少しして、杉山が小さく右手の親指を立てた。
グランドスタンドから大歓声が沸いた。
きっと杉山は、スタートからゴールまで死力を尽くして戦ったのだろう。そして、その姿を永島に見せるために、杉山はあえて、このレースのチケットを永島に渡してきたのではないだろうか。
まだコックピットから出られない杉山を、永島は見つめ続けた。
自分は、人生の多くにおいて速さを追い求め続けてきた。体力の衰えを感じつつあるなか、この体が動かなくなるその日まで、その生き方を貫く覚悟があるのか。
六十代後半を迎えた永島は、今日のレースを通して、それを杉山から問われたような気がした。
そして、自分の心に何か新しい力がみなぎるのを、永島は感じていた。
杉山はようやくコックピットから降り、マネージャーの真中誠に支えられながら歩き始めた。真中は何度も涙を拭いながら杉山を支え続け、その周りをチームの面々が取り囲んでいた。
そんな杉山の姿を確認し、永島はゆっくりとした歩調でグランドスタンドを後にした。
チームジャニスの静まり返ったピットの端に高間はいた。
杉山という一人の青年の一撃で、チームは水樹のドライバーズタイトルを失った。
水樹の走りは十分チャンピオンに値するものだった。ただ、杉山が計算外のことをやってのけただけだと、高間は思っていた。
チームの面々は皆、落ち込んでいる様子だったが、高間は違った。高間は、チームの敗北を悲しむこともできず、かといって杉山の勝利を喜ぶこともできない、複雑な心境にあった。
水樹が、車両保管場所から、ヘルメットを被ったまま歩いてピットへ戻ってきた。
水樹はピット内に入るなり地面にしゃがみ込み、周囲の目を気にする余裕もなく泣いた。
嗚咽する水樹に誰も声をかけられない中、代表の竹谷が水樹にそっと近寄り、無言で肩を抱いた。
その姿を見て、高間は、自分の心の色が変わる感覚を覚えた。
竹谷への復讐。
自分がレースに求めるのは、そんなちっぽけなことではないのではないかと、高間の心に疑問が生じた。
スピードに触れる世界で仲間と共に歩む。
それだけで自分は幸せなのではないかと、十九歳の青年が涙する姿を見て、高間は気付かされた。
高間の心に色濃く刻まれた復讐の二文字は、水樹の涙に流されるかのように、次第にその色を失っていった。




