第33話 真のレーサー
C2ジャパン最終戦の表彰式。
杉山は膝に手をつきながら、ゆっくりと表彰台の一番上へと上がり、軽く右手を振る。前園メンテナンスの面々は、表彰台の真下で杉山の名前を連呼し、喜んでいる。
そんな光景を、世良は少し離れた場所から見ていた。
杉山が最終戦のことで相談があると言ってきたのは、九月の第九戦のあと、高間がチームジャニスへ移籍する直前の頃だった。
杉山は、自分のエンジンの調子が今までで一番良い、「あたり」が出てきたようだと世良に伝えてきた。
レース用のエンジンは精密機械であり、最善の状態で組み上げられる。しかし、使用している間に、わずかながら性能が上がることがあり、その状態を「エンジンにあたりが出ている」と表現することがある。
杉山は、その「あたり」をできる限り温存して、最終戦の勝負所だけにフルパワーを出したいと強く希望した。
世良は杉山に、「あたり」を保つにはエンジンの摩耗を防ぐことが必要で、そのために重要なことの一つは総走行距離を減らすこと、もう一つは高回転で走る時間を減らすことだと伝えた。
杉山は即座に、自分も同じことを考えていたが、このことは誰にも知られたくないので、二人だけの秘密にしたいと望んだ。
世良はそれを了承し、二人は最終戦の直前まで幾度となくミーティングを重ね、作戦を練り続けた。
「あたり」を維持するのに重要なことのうち、総走行距離を減らすことについては、従来通り、公式練習や予選の走行時間を減らして対処ができる。幸い、前園メンテナンスの資金難は有名であり、走行時間をさらに減らしてピットに長居していても、誰も怪しむことはないであろう。
世良は、各セッションで最低限必要な走行量について、何度もシミュレーションを重ねた。
高回転で走る時間を減らすことについては、二つの方法が考えられた。
長いエンジン全開区間である裏ストレートの始まりでアクセルを緩めて最高速を落とすか、ストレートの終わりでアクセルを緩めるかのどちらかだ。
同じトミタ自動車のエンジンを使うチーム間では、データを共有することになっていた。ストレートの終わりでアクセルを緩めると、その不自然な動きがデータ上で明らかになってしまう。他のチーム、特に優勝候補の筆頭であるチームジャニスに手の内を明かしてしまうことになるので、この手法は取れないと世良は考えた。
ゆえに、裏ストレートの始まり、つまり裏ストレートの手前のコーナーの出口でアクセルを緩めるという方法を取らざるを得なかった。
しかし、この方法は大きなリスクを伴う。
杉山が、公式練習から決勝終盤の勝負所まで、『コーナー出口で意図的にアクセルを0.3秒ほど踏み遅らせる』という演技をこなす必要があった。それができて初めて、トミタ自動車と他チームのエンジニアを騙すことができる。
ただし、全てのラップにおいてミスは許されず、杉山の精神的負担は相当大きなものになると予想された。
結果として、杉山はその演技を完璧にこなした。世良のデータ上、ミスは一度もなく、残り十五周にして初めてフルパワーで裏ストレートを走った。
そして水樹を、たった一度のチャンスで捉えたのだ。
表彰台の上で、杉山がシャンパンを振る。
その姿を遠くに見ながら、この男は才能だけの男ではないと世良は考えていた。
このレースで水樹に勝つことが、ただの一勝に留まらないことを杉山は分かっていた。
もしも水樹が勝っていたら、トミタ自動車のC1ドライバー候補の支援は、元からトミタ自動車と強いコネクションを持つ水樹に決まっていたであろう。杉山は今後、国内専属のドライバーとされ、世界を舞台とした最高峰の戦いであるC1への道は閉ざされてしまう。
トミタ自動車のエースへの名乗りとして、そしてC1へのかすかな希望をつなげるために、今回のレースは勝利が絶対条件だった。
それを理解した上で、杉山はエンジン温存の勝負に賭けたのだ。
世良は改めて思った。
真のレーサーは、常に未来を見つめながら、今を走れる人間でなくてはならない。
杉山が、そんなレーサーの完成形に近づいていると感じつつ、日本のモータースポーツ界において異彩を放つこの男と、いつまで共にレースができるのかという寂寞を胸に、世良はいつまでも表彰台を見つめていた。
(完)




