第28話 突然の抗議
予選終了後、大会運営事務局では混乱が生じていた。
チームジャニスから、前園メンテナンスに関しての抗議書が、競技長宛てに提出されたのだ。
抗議は二点に及んだ。
一 ピットクルーのうち一名が着用する耐火スーツの使用期限が切れていること
二 マシンのフロントウイングの翼端板に空けられた穴が、規定の位置より高いこと
いずれも証拠写真とともに提出され、審査対象として受理されることになった。
前者は比較的軽微な違反として扱われると見られていたが、後者は空力性能に影響を与えている部分であり、予選タイムの抹消や、最悪の場合は失格もあり得ると、関係者の間で予想された。
抗議書の受理後すぐに、審査が開始された。
レースウィーク途中の抗議であり、本来ならレース終了後の審査とされることもあり得たが、チャンピオンがかかった最終戦であることから、即時の審査となった。
審査委員会の指示により、レーザー測定器を使った検査や、車体を製造しているイギリスのコンストラクターへの確認などが行われ、審査は長時間に及んだ。
チームジャニスによる前園メンテナンスのチーフエンジニア引き抜き直後の抗議ということで、当事者である高間のところには、メディアの取材が集中した。
高間は、二つの違反には気づいていなかったこと、今回の抗議に自身は関与していないことを説明したが、記者たちの視線は、明らかに疑いを含んでいた。
パドックでは、同じトミタ自動車系のチームに対して、レースウィークに入って突然行われた抗議であったことから、前園メンテナンスに同情的な意見が多かった。
しかし、チームジャニスの見解は違った。
杉山がシーズンを通してアドバンテージを得ていた可能性があること、違反は現行犯の状態で発覚しなければ意味がないことから、レースウィーク中の抗議は真っ当であり、違反に対する罰則も当然であると考えていた。
常勝チームとしての非情さがにじむ、用意周到な抗議であった。
長い審査の後、土曜日の夜十時に、審査委員会の裁定が発表された。
耐火スーツの期限切れについては、チームへの罰金十万円及び厳重注意となった。
関係者が注目していたフロントウイングの違反については、実測して確認された違反の数値が軽微であり、車両を製造したコンストラクターから、走行時の有益性が明確に認められるものではないとの回答があったことから、罰金五十万円と、予選で使用していたウイング及びスペアのウイングの使用が禁止となった。
失格や予選タイムの抹消は免れたが、前園メンテナンスのピットの空気は重かった。
翌日に控えている予選レースと決勝レースは、他チームから借りたフロントウイングを使用せざるを得ない。共通パーツでありサイズや重さは基本的には同じだが、それぞれに数字には表れない個体差がある。そのデータがないまま、杉山はレースに挑む。
AIによるデータ解析を軸としたセッティングで戦う前園メンテナンスとしては、決して小さくはないハンデを背負うことになった。
裁定の発表後、コースが夜の深い闇に包まれるなか、前園メンテナンスのピットの明かりだけが灯っていた。世良がパソコンを睨み続け、杉山はレギュレーション違反となったフロントウイングを見つめ続ける。そんな二人を、社長の前園は静かに見守っていた。
水樹は、審査委員会の裁定結果を、ホテルの自室でマッサージを受けながら聞いた。
裁定を甘いと感じ、にわかには納得できなかったが、杉山が自分用のウイングを使えなくなることによる自身の優位性については、水樹も理解していた。
ホテルは、自室以外にも上下左右の部屋を押さえて空室にしていた。
水樹の求める、静かでストレスのない環境を妨げる要素はない。
マッサージを終えて、水樹はベッドに入った。
チャンピオンを賭けた明日の戦いへの高揚も少しあったが、その部屋が作り出した完璧な静寂の中、水樹はほどなく深い眠りへと落ちていった。




