第24話 孤立
C2ジャパン最終戦の公式練習3も、残すところ十分を切っていた。
ホームストレートを、杉山の青いマシンが通過する。つい一か月程前までは、高間自身が触っていた車だ。
杉山は数分前にピットを後にし、チームジャニスの二人に次ぐ三番手の好タイムを出している。世良のセットアップが上手くいっているのであろう。
高間が、退職とチームジャニスへの移籍を前園に伝えたとき、前園は一言、
「本当にいいのか」
とだけ言った。
引き止めもないその態度に、三十年以上勤めていたのに冷たいものだと高間は思った。
前園メンテナンスの従業員に退職と移籍を伝えたときは、皆がジャニスへの移籍を喜んでくれ、そして多くの者が別れを惜しんで泣いてくれた。
誰一人、高間を裏切り者扱いはしなかった。
ただ、世良は、悲しいのか嬉しいのかよく分からない、複雑な表情をしていた。
杉山には、事情を電話で伝えた。杉山はただ一言、
「本当にお世話になりました」
とだけ言った。不器用な杉山らしい別れの言葉だったが、責めているのか、送り出しているのか、本当の気持ちが高間には分からなかった。
チームジャニスへの加入初日、エンジニアが集まる事務所に案内され、紹介を受けた。
まばらな拍手が起こったあと、その部屋にある自分のデスクに座った。それぞれのデスクの卓上にはパソコンのみが置かれ、無駄な物がない。
前園メンテナンスの雑然とした事務所とは大違いだった。
隣の席にいるチーフエンジニアの井上は、最初の挨拶以降、何も話しかけてこない。
「井上チーフ、私は何をすれば」
高間の問いかけに、井上はいらだつ様子で顔を向ける。
「高間さん、私は忙しいし、あなたも子供じゃないんだ。仕事くらい、自分で探してくださいよ」
十歳以上は年下であろう井上にそう言われ、高間は若干たじろいだが、高間もレースの世界で三十年以上も生きてきており、多少の荒々しさには慣れていた。
その日一日、言葉一つ発しない井上を横目に、高間はパソコンを見続けたが、事務的な連絡などは閲覧できるものの、レースに関するデータにはアクセスができなかった。
まあ、初日はそんなものだろうと、その日は思っていた。
しかし、二日目以降も状況は変わらなかった。
仕事はなく、データへのアクセス権限も担当者に相談したが許可が下りず、ただ一日デスクに座って過ごす日々を繰り返した。
高間は、事務所の窓から見える車両メンテナンススペースに足を運ぶようにもしたが、どのメカニックもよそよそしい態度で、まともな会話ができなかった。
そんな中、チームジャニスへ移籍して二週間が過ぎた日に事態は起きた。
高間は、その日もメンテナンススペースに顔を出そうと事務所を出て、エレベーターに乗ろうとしたが、デスクに座りっぱなしで体が鈍るなと思い、職員用の階段を使うことにした。
鉄製の扉を開いて下に降りようとすると、階下の踊り場から声が聞こえた。若いメカニック二人が雑談をしている様子だった。
「あの高間って人、何なんですか。整備中に話しかけてきて迷惑なんですけど」
「ああ、あの人か。前園のところのチーフだったらしいよ」
「前園もC2やってますよね。大丈夫なんすか。シーズン途中にチーフが抜けて」
「そりゃ困るだろうさ。でもさ、前園でもそんなに役に立ってなかったらしいぜ。あんな弱小チームからうちに来て、通用するとでも思ってんのかね」
「どうせ、竹谷代表に声でもかけられて、のぼせ上っちゃったんじゃないの」
高間は立ち止まったまま、二人の話を黙って聞いていた。会話は続く。
「あの人、何の仕事するんですか」
「シーズン途中で自分のチームを捨てるような裏切り者に、まともな仕事をさせる訳ないだろ。何でもさ、石本さんから井上チーフに、あの人には情報を流さないように指示が出てるって噂だぜ」
「うわあ。やり方が露骨ですね」
笑いながら、二人は踊り場から出ていった。
裏切り者、か。
全くもってその通りだと高間は思った。ここにいる人間の多くは、そう思っているだろう。
情報を高間には回さないというのも、真偽のほどは分からない。だが、たとえ事実だとしても、石本や井上に聞いたところで本当のことを話す訳がない。
このチームでまともな仕事ができるようになるには、相当の努力と覚悟と時間が必要になるであろう。
身から出た錆だなと、高間は視線を落とし、その場からしばらく動くことができなかった。




