第23話 突然の呼び出し
C2ジャパン最終戦の公式練習3は、開始から二十分を経過していた。
チームジャニスのドライバー二名は、セッション開始直後から積極的に走り込んでいる。タイムはトップと三位であり、調子は上々に見える。
だが、副チーフエンジニアでありながら、高間に詳細な走行データは知らされていなかった。
杉山は走り始めただろうかと思い、高間は各車のタイムが表示されるモニターに目を移す。
杉山の名前の横には、ノータイムと英語で表示されていた。
シーズンの最後くらい自由に走らせてやればいいのにと高間は思ったが、前園メンテナンスの厳しい台所事情を考えると致し方ない。
杉山のマネージャーである真中は、懸命にスポンサーを集めてはいたが、小口の支援ばかりで、大口のスポンサーを抱えるトップチームとは事情が違う。
トップチーム。
高間は、自身が、名門チームジャニスのユニフォームに袖を通すことになった経緯を思い出す。
C2ジャパンシリーズも後半戦に入った八月のある日、高間のスマートフォンに、見知らぬ番号から着信があった。迷いながら電話に出ると、相手はチームジャニスの副代表である石本だった。
お互いに長くレースの世界にはいるが、ほぼ関わりのなかった相手だ。
「高間さん、ご無沙汰してます。ジャニスの石本です。今大丈夫ですか」
かなり久々に会話を交わすが、石本の声には遠慮がない。
「ああ、大丈夫だよ。石本君から連絡なんて珍しいね」
「ちょっと高間さんに相談したいことがあって。近々、うちの事務所に来てもらえませんか。お願いする立場で申し訳ないんですけど」
相談があるのに呼び出すのは失礼だとは思いつつ、きっと他の場所では話せない内容なのだろうと高間は察した。
「ああ、構わないよ。いったい何の相談だい」
高間の当たり前の質問に、石本が返す。
「内容は直接会ってからにしたいんですよ。忙しいのにすみません」
その後、三日後に打合せをすることを約束し、杉山やジャニスのドライバーについての雑談をして電話を切った。
チームジャニスは、トミタ自動車系列のチームのなかでも、歴史と伝統のあるトップチームの一つだ。弱小チームの前園メンテナンスが、チームジャニスの関係者から相談を受けたことなど過去に例がなかった。
真っ先に高間の頭に浮かんだのは、杉山の移籍だった。
しかし、チームジャニスは近年、トミタ自動車が育成するドライバーを優先して乗せていたし、その件であれば高間ではなく、杉山のマネージャーの真中に連絡するであろう。
来年使用するエンジンのことか、または前園メンテナンスのAI活用についてなのか。様々なことを予想している間に、打合せの日になっていた。
チームジャニスの社屋は、前園メンテナンスから車で三十分ほどのところにある。
打合せ当日、高間は早めに仕事を切り上げて、約束の時間にはチームジャニスの受付にいた。カウンターにある受話器を取り、約束があってきたことを伝えると、程なくして石本が来た。
「高間さん、お久しぶりですね。何年ぶりですかね」
緊張した面持ちの高間に対して、石本は続ける。
「せっかく来ていただいたので、まずはうちのファクトリーをご案内しますよ」
昨年に新築されたという建物の外観は美しく巨大だった。前園メンテナンスの建物は、あくまで「町工場」だが、ジャニスのそれは、まさに「ファクトリー」と呼ぶに相応しい。壁は白で統一され、真新しさを強調している。
高間は、石本に連れられて内部の見学をした。
最初に市販車向けパーツ部門を見たあと、レーシング部門の各部署を案内された。
特に、最後に見た車両メンテナンスのスペースは広大で、壁だけでなく床も白で統一され、最新の機器が揃い、中では十台以上のレーシングカーが整備を受けていた。
高間は、せっかくだから何かを得て帰ろうと思っていたが、規模が違いすぎて、途中でそれを諦めた。
一通りの見学が終わったあと、高間は会議室に案内された。
ここも汚れ一つない白い壁で、入り口奥の窓からは、先ほど見学した車両メンテナンススペースが一望できる。
石本は一度退室し、高間は会議用テーブルの椅子に座って戻りを待った。
しばらくすると、石本は、チームジャニス代表の竹谷を連れて戻ってきた。
竹谷健助。
レース界でその名を知らぬ人間はいない程の重鎮だ。何十年にも渡って勝ち続けてきた歴史や、数々の逸話を持つ男の思わぬ登場に、高間は自然と立ち上がり、頭を下げた。
「君が前園の高間君か。忙しいところをすまないね」
竹谷はそう言いながら、テーブルを挟んで高間の対面に座り、石本も隣に座った。竹谷は続ける。
「単刀直入に言うよ。うちは君が欲しい。ジャニスに入らないか」
突然の誘いに、高間は呆然とした。
まさか、自分の引き抜きの話だとは、予想だにしていなかった。
石本が続く。
「最近のC2における前園メンテナンスさんの活躍は、本当に目を見張るものがあります。とても参戦一年目だとは思えない」
一呼吸置いて、身を乗り出しながら石本が続ける。
「その原動力は高間さん、あなただと思っています。ぜひ、うちに来て欲しい」
高間はすぐに言葉が出なかった。
今シーズンのチームの躍進は、杉山と世良の力が大きいことは明白で、それだけは伝えなくてはいけないと思った。
「うちの今年の躍進は、若いドライバーとメカニックのお陰です。私の力ではありません」
少しの沈黙のあと、竹谷が強い口調で言う。
「謙遜はいい。彼らが優秀なのは聞いている。我々は君の経験とエンジニアとしての総合力が欲しいんだ。考えてくれないか」
経験と総合力。
チームにおける世良の台頭によって萎んでいた自尊心が、むくむくと膨らむのを高間は感じた。
少しの間のあと、高間は尋ねた。
「いつからですか。一月からですか。それとも四月からですか」
石本が即答する。
「来月です。九月中に来て欲しい。今の我々にとって、経験豊富な人材の確保は急務なんです。来月が駄目なら他を当たるので、申し訳ないが、今ここで返事をいただきたい」
自分が前園メンテナンスで置かれている境遇。信頼して長く雇ってくれている前園社長への恩。自分が裏切り者とされるかもしれない不安。ジャニスのファクトリーの設備。今ここで返事を求められる期限の短さ。
様々な思いが高間の頭を駆け巡るなか、今度は竹谷が言う。
「うちは君に、副チーフの席を用意するつもりだ」
殺し文句だった。
名門チームジャニスの副チーフエンジニアのオファーを断れる人間は、そうはいない。
しばらくの沈黙のあと、高間は二人に向かって深々と頭を下げた。
「よろしくお願いします」




