第14話 救いの手
診断を受けた後、最初は気丈に振舞っていた美琴だったが、手術が失敗すれば足に麻痺が残ったり、歩けなくなることもあると聞いてからは塞ぎ込みがちになり、ついには手術を拒否するようになってしまった。
脊髄腫瘍の手術は、少しでも状態が良い時期に行ったほうが良いとの医師からの勧めもあり、真中と妻は焦った。
だが、その焦りとは反対に、美琴の態度は頑なになる一方だった。
真中と妻にとって、美琴はたった一人の子供だった。
手術のリスクは真中夫婦も恐れていたが、それ以上に、腫瘍が大きくなることで、足が完全に麻痺したり、体の他の部位にも症状が出てしまうことを考え、眠れない日々が続いた。
しまいには、美琴と妻が激しく口論を交わしてしまい、妻は食事が喉を通らなくなってしまった。
そんな時、真中の脳裏に一人の男が浮かんだ。
杉山だ。
彼の言うことなら、美琴は聞くかもしれない。
いや、きっと杉山なら、美琴の心を動かすような何かを伝えてくれるはずだと、真中は思った。
杉山が地方選手権のシーズンを戦い終えた翌週末に、真中は杉山を食事に誘った。
美琴はその年の地方選手権を途中から欠場しており、杉山には体調が悪くて出られていないとだけ伝えていたが、食事の席で美琴の病状や、手術を拒否していることを伝えた。
「あの子に、手術を受けるように言ってくれないだろうか」
真中の願いを聞いて、杉山は右の拳を口元に持っていき、鼻先に触れながらしばらく何かを考えていた。それは、サーキットでよく見せる杉山の癖だった。
二人とも料理に箸をつけずに長く沈黙した後に、杉山が紙と書く物を求めた。
真中が手帳のページを一枚破り、ペンと一緒に渡すと、杉山はゆっくりと丁寧に文字を書いた。
「これを美琴さんに渡してもらえませんか」
手渡された紙には、一文のみが書かれていた。
来年、全日本選手権に出るので、全戦サポートに来て欲しい。 杉山
「これ以上のことは、自分にはできません」
杉山は真中を見つめて言った。
不器用だが頭の良い杉山が熟考して出した文章を見て、真中は思った。
今の美琴にとって必要な言葉はこれしかないのではないか、と。
初めての戦いとなる全日本の場に、病み上がりの娘を連れて行くのは、杉山にとってプラスになることなどなかろう。
それでも、美琴に手術へのモチベーションを与えようとしてくれているのが分かる一文だった。
これを今すぐにでも美琴に届けたいと真中は思った。真中は杉山に金を渡し、好きなものを頼むように伝えて席を立ち、すぐにタクシーに飛び乗って、美琴の入院する病院へ向かった。
病院に着いた時には面会時間を過ぎていたが、看護師に事情を伝えて病室へ向かった。
部屋に入ると、美琴は電気をつけたまま眠っていた。
真中は美琴を起こさぬように、枕元に杉山から預かった紙切れを置き、そっと部屋を後にした。
翌朝六時に、真中のスマートフォンが鳴った。
美琴からのメッセージだった。
「手術を受けるよ」
絵文字もない短い一文を見て、真中は隣で眠る妻を起こし、スマートフォンの画面を見せた。
妻は泣き、真中は杉山に深く感謝した。
それから一週間後、美琴は手術を受けた。五時間にも及ぶ手術だったが、結果は成功で、後遺症も残らなかった。
術後のリハビリも順調で、杉山が参戦した翌年の全日本選手権の全戦に、美琴は帯同することができた。
杉山は、全日本選手権の第一戦を圧勝した後、師である永島からハンデを課せられて苦戦が続いたが、それを見て美琴はいつも憤慨していた。
実力を発揮できないドライバーの気持ちが、美琴にはよく分かっていたのだ。
真中はそんな健気な娘を微笑ましく思い、杉山もいつも笑顔で美琴に接してくれていた。
ただ、美琴本人は、事あるごとに永島に食ってかかっていた。
真中自身も、杉山との関わりが以前より深くなっていた。
大会へのエントリー手続きや、遠征時の宿や車両の手配の他に、時にはメカニックの一人として杉山を支えた。
美琴を救うきっかけを作ってくれたことへの恩返しがしたい、というのが表向きの理由だったが、杉山の人柄や、コースで放つ独特のカリスマ性に魅かれたのも事実であった。
杉山の全日本選手権に帯同する日々は、真中と美琴にとって、自分達がレースに参加しているのと同じかそれ以上に充実した時間であった。




