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第11話 雨の最終戦、師匠への願い

 迎えた最終戦は雨のレースとなった。

 タイヤのハンデが雨で消されることにより、杉山は最初のセッションから独走した。


 杉山に注目が集まることによって、他の参加者、特にチャンピオン争いをする者達や、フォーミュラなどの上級レースへのステップアップのために好成績をあげて、関係者にアピールしたい者達は焦った。その焦りと、強くなる雨足のせいで、各セッションで接触の多い展開となった。


 予選レースも杉山はトップで逃げ切り、決勝は一位からのスタートとなった。これまでの流れから、杉山がポールポジションから逃げ切ることが予想され、ライバル達はスタートでの逆転に賭けていた。


 強い雨の中、レースがスタートした。

 スタート直後の一コーナー、二位と三位の車が明らかなオーバースピードで杉山のイン側に飛び込んだ。


 杉山は危険を感じて減速したが、内側にいた二台が絡み合うようにスピンをして、その一台に杉山が弾き出される形になった。

 杉山は十分な減速ができず、宙を舞いながらコース外に飛び出し、タイヤバリアに激突した。


 ドスンという鈍い衝突音がコース全体に響き渡り、観客や関係者は静まり返った。

 直後に、レース中断を示す赤旗がコース中で振られた。


 静寂のなか、永島とチーム員が一コーナーに向かって全力で走る。

 散らばったタイヤのなかから、杉山は左足を引きずりながら出てきた。永島が駆け寄り声を掛けると、杉山はヘルメットを脱ぎながら頭を下げた。


「すみません。マシンを壊してしまいました」


 永島がクロを見ると、左前タイヤがあらぬ方向へ曲がり、フレームが途中で折れてしまっている。

 永島が杉山に声をかける。


「そんなことはいい。それより体は」


「大丈夫そうです。ただ、足の痛みが強くて一人では歩けません」


 杉山は気丈に答えるが、純白のレーシングスーツは、左足の膝から下が徐々に赤く染まり始めている。


 永島は、近くにいたオフィシャルに担架を要請し、杉山は医務室へと運ばれた。裂傷が大きくてその場では手に負えず、杉山は近くの病院に救急搬送された。

 幸い骨に異常は無かったが、二十五針を縫う、カートでは珍しい大怪我であった。


 その日の夜、入院は不要との医師の判断で、杉山と永島は病院をあとにした。


 帰りの車内で、杉山は永島に、C3にステップアップしたいと告げた。

 それは即ち、カートを卒業して永島の元から離れていくことを意味していた。


 杉山は若いが、永島が数十年の間に接したどのレーサーよりも速く、そして強かった。

 杉山との二人三脚の日々は、六十年を越えた永島の人生のなかで、最も充実した日々と言っても過言ではなかった。


 クラッシュで折れてしまったクロがもう使い物にならなくなった今日、杉山と共に歩いた日々も終わるのだ。


 永島は、自分でも気づかぬうちに落胆の表情を浮かべていた。

 この充実した日々を終えて、自分はカートへの情熱を再び持つことができるのか。 

 そんなドライバーに出会えるのであろうか。


 暗い車内で表情が見えるはずもなかったが、そんな永島の感情を分かっているかのように杉山は言った。


「僕は必ずC1でチャンピオンになります。その時、レースをしたい、カートをしたいという人がサーキットに集まるはずです。その日まで、コースを、ショップを、続けてください」


 永島は、生意気なことを言うなと杉山に言いたかったが、言葉にならなかった。

 若くして苦労を重ね続ける青年の気持ちのこもった言葉に、胸を打たれてしまっていた。


 ハンドルを持つ永島の右手は路面の振動を受け止めるためにしっかりと握られていたが、シフトレバーに乗せた左手は、永島の気持ちを表すかのように、小刻みに震えていた。





 C2ジャパン最終戦の公式練習1も残すところ十数分となり、ホームストレートを通過する車の数が増えてきた。


 杉山の青い車が目の前を通り過ぎる度に、永島の心には少しの寂しさがよぎる。

 杉山がカートのレースを離れて日が経つが、まだ自分は杉山と一緒にレースがしたいのだなと、永島はうつむきながら自嘲的な表情をした。


 永島の脳裏には、初めてサーキットに来た杉山少年の姿が浮かんでいた。

 あの少年が国内のトップフォーミュラに乗っているだけでも、世間一般には十分な成功と言えるはずだ。だが、青年になった杉山は、何一つ満足はしていないであろう。


 杉山の眼中には、C1という世界一高くて険しい山の頂しか見えていないのだ。

 そして、その山頂に辿り着く速さと精神力を、杉山はきっと持っている。


 杉山が世界一のレーサーになった時に、自分はどのような姿でいたいのか。

 杉山の願いに応える生き方をしていると、胸を張ることができるのか。

 それとも老いると共に生きる意味を感じられず、背中を丸めて杉山から目を伏せるのか。


 あの日、暗い車内で杉山が言った言葉を思い出す度に、自分は前者であり続けなくてはいけないと永島は思う。

 杉山のなかで永島と歩んだ日々を遠い日の思い出とさせないため、そして、自分が杉山の師として生き続けるためにも、そうでなくてはならない。


 鈴与シティレーシングコースに降り注ぐ太陽の光の中、永島は改めて、心にそう誓った。

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