第10話 苦闘の末のステップアップ
レース二年目は、杉山のカート計画の通り、地方選手権に参戦した。
翌年に出場予定の全日本選手権は、前年の地方選手権のランキングに関係なくライセンスがあれば参加でき、地方選手権で結果を出す必要はなかったので、永島は、ステップアップ後も当然のように三つのハンデ(エンジン、タイヤ、セットアップの制限)を与え続けた。
永島には計算があった。
現代のレース事情では、プロを目指す子供達は遅くとも小学生の間にカートを始めることが多い。
当然に、レース数も多くこなすことができ、カートを卒業してC4などにステップアップする頃には、相当の経験を積んでいる。
十四歳、中学二年生からレーシングカートに乗り始めた杉山には、レース経験が絶対的に足りない。特にバトルの駆け引きは、口で全てを教えることができない。
杉山の速さがあれば、レースをトップからスタートして、そのまま何事もなくゴールできることは分かっている。
三つのハンデには、カートを遅く始めた杉山のバトル経験を積ませる目的もあった。
杉山はここでも、永島の期待に見事に応えた。バトル続きの苦しい戦いのなかで、杉山は駆け引きのテクニックを習得していった。
相手へのプレッシャーのかけ方、タイヤの温存方法、ブロックが厳しい相手の攻略、無理な攻撃をされた時の対処など、学んだことを挙げればきりがなかった。
杉山は自力だけではなく、時に永島に教えを請いながら、バトルの技術を身に付けていった。
地方選手権は、複数のコースを転戦し、ローカルレースよりも腕の良いドライバーが多く参戦する。その中で杉山は苦戦し続けた。
全六戦に出場し勝利は一回だけで、それもまた雨のレースだった。
それ以外のレースは中団での争いが続き、スタートからゴールまで常にバトルをし続けるレースを繰り返した。
軽い接触は日常茶飯事となり、クロのフロントカウルとサイドボックスには、相手のタイヤ跡が無数に刻み込まれた。
レースを始めて三年目、杉山のカート計画では、全日本選手権に出場を予定する年になった。
全日本選手権は、ハイパワーな125㏄エンジンを使用し、エンジンもフレームもタイヤも自由に選べる最高峰クラス、同じく125㏄エンジンを使いながらエンジンとタイヤがワンメイクの上級クラス、100㏄のエンジンを使うローコストのクラスと、三つのクラスに分かれている。
永島は杉山を100㏄のエンジンを使うクラスに参戦させようと考えていたが、思いもよらないことが二つ起きた。
まず一つは、高校一年の課程を修了した杉山が、退学して働き始めたことだった。
永島は、せめて高校は出ておいたほうが良いのではと退学を止めようとしたが、杉山本人は、学校は後でも通える、今はレースに全てを注ぎたいので働きたいと言ってきかなかった。
既に、亡くなった父親が勤めていた工場の社長の理解を得ており、仕事に加えて住む部屋も用意してくれるという。
一般的な家庭であれば、親や家族が止めようとするのであろうが、生活を共にしていた伯父一家は杉山を疎ましく思っており、杉山が働くことや家を出ることについて、反対はおろか強く賛成しているとのことであった。
父親が亡くなってからの苦しかったであろう杉山の生活を思い、永島はかける言葉を見つけられなかった。
永島のなかで高校は卒業すべきという考えは消えなかったが、働くことでレース資金が増えることは間違いがなく、杉山の意思も固かったため、永島も認めざるを得なかった。
もう一つの予想外は、全日本選手権の参戦クラスの変更であった。
チーム員の何名かが共同で中古の125㏄エンジンを入手して、それを新品同様に整備し、廉価で杉山に提供することを申し出たのだ。
チーム員が自腹を切って杉山を支援する形となり、永島は良い顔をしなかったが、杉山が速いカートに乗るのを見たい、無償ではなく有償で提供するのだから永島の考えに反するものではないというチーム員達の強い意見に、永島が根負けした。
杉山自身も、相場よりも安い値段での提供を遠慮する姿勢であったが、自分たちは杉山のファンだから支えたい、もし受け入れないのなら今後は一切の協力をしないといった、半ば脅しにも似た厚意に、押し切られた。
二年間、永島から課せられたハンデのなかで善戦する杉山を間近で見て、チーム員達は杉山の実力をよく分かっていたのだ。
杉山は参戦クラスを、全日本選手権の上から二番目の125㏄クラスに変更することとし、チーム員達は沸いた。
パワーのある125㏄エンジンに変更しても、杉山はすぐにクロを乗りこなした。
クロは国際レースのハイパワーエンジン用として開発されており、100㏄のエンジンを載せていたときよりも、むしろ乗りやすくなっていた。
杉山が参戦するクラスは、全七戦で争われる。
第一戦で杉山は、誰も寄せ付けることなく独走で勝利した。全セッショントップの、いわゆるパーフェクトウィンであった。
彗星の如き新人の登場に、場内は異様な空気に包まれた。
第二戦以降、永島は中古タイヤ使用のハンデを与えた。杉山は中団で揉まれ続け、地方選手権の比ではない激しいバトルが繰り返された。
第一戦を圧勝したことにより、他のドライバーからのマークがきつくなったことも、バトルの激しさに拍車をかけたが、その激しさと比例して、杉山のセンスは磨かれた。
第二戦から第六戦までは、五位から十位の間で成績を残し続けた。
苦戦する杉山の姿の裏にあるハンデが次第に周囲に知れ渡り、それでも崩れない速さと戦う姿勢が、有力チームやタイヤメーカーの関係者の目に留まり始めた。




