31 ピコ2
『ピコ、』
「ん?」
狼のしっぽをモフモフして楽しんでいると頭の上から木人に声をかけられた。
『この彩狼の名前がいま決まった。お主にも伝えよう。』
「へえ~。狼にも名前があるんだ、初めて知ったよ。」
『知恵を持つ者はすべからく名を持っておる。もっとも個体を識別する意味しか持っておらんがな。』
「そういう言い方は好きじゃないな、」
『おっと、誤解を招いたかね。人にとって獣の名は、ということだよ。それは獣にとって人の名は、とも同じだね。人と獣の世界は近いようで遠い。お互いの肌が触れえるほどに近づいても、お互いの名など気にもしないだろう。』
木人の言葉に狼のしっぽを撫でていた手に力が入ってしまう。毛皮の奥にある体表面へ手が沈み、地肌から狼の鼓動が伝わってくる。
「……私は気にするけど?」
『そうとも、ピコ、獣の世界で生きた稀有な娘よ。だからこそラル・ノッテと言う名を伝えるのだ。』
「ラル・ノッテ、それがこの狼の名前?」
『うむ。……喜ぶがいい、この彩狼――ラルからの頼みで名を伝えてほしいとのことでな。』
「そうなの?」
ぐりぐりと狼、いやラルを撫でまわしても、ついっとそっぽを向いてつれない態度をとるばかりだ。
『はっは、なんと、こいつ照れておるわ。』
「あれ、そうなの? ほれほれ、こっち向けよ。」
「ウォン!」
さらに撫でまわすとラルは抗議とばかりに一吠えしてするりと抜けだして木の上へと登って行った。
珍しい、ラルが逃げるとは。
「それで、ラル・ノッテという名にはどんな意味があるの?」
『おや、気になるかね?』
「そりゃあ、……名だけ聞いて終わり、だったら個体を識別する意味しかないよ。」
『おお、それもそうか。これは一本取られたかな。』
「聞かなくても私はラルの名を呼ぶときには色んな意味を込めるけどね。」
『仲がよいな。』
「……いや、嫌な思い出もあるかな。昔一晩中追い掛け回されたことは忘れないよ……」
『そ、そうかね。ううむ、それでラル・ノッテと言う名の意味じゃが、』
おっと、忘れるところだった。
『夜に輝く、という意味を持つ。大昔、彩狼の祖先であった者たちの名じゃ。……偉大な者たちであった。』
「へえ~、随分とロマンチックな名だね。その祖先たちはどんな人……狼だったの?」
『昔は狼ではなかったな、四足になったのはこの森に来てからじゃ。それまではもっとこう、』
「こう?」
『ぐにゃぐにゃしておったな。』
「ぐにゃぐにゃ……どんな姿だったんだろう。」
『まああまり気にせずとも良いわ。あとラルはこれからもピコの傍におるそうじゃ。良くしてやってくれ。』
「ちょっとまって、さらっと重要なこと言わないで。ラルは私がここに残ったら森に帰るんじゃないの?」
てっきりラルとの旅はここで終わると思っていた。
『ラルはラルの都合でピコの傍におるそうでな。食料他、ピコの世話にはならんとのことじゃ。』
「ああ、そう。それは助かるな……、それでいいの?」
ラルの去った木の上を眺めて見ても、当のラルはすました顔をして平然としているだけだった。
『まあ、ピコの傍におるように進めたのはワシでもある……。可愛がってやれ。』
なんだかこの木人から含んでいるような裏を感じるが……、まあ悪いことではなさそうだ。悪戯をしかけたような、屈託の無い笑顔だった。
「ねえ、貴方の名はサンル、と言うの? それとも木人だけで個人名?」
『なんじゃ? いや、サンルというのはこの森の名じゃ。木人は種族名に近いな。』
「なら名を教えて。このまま木人、だけで終わると味気ないからね。」
『うむ。ル……、ル? ル……~ん?』
「ルルン?」
『いや、そうではない。しばし待ってくれ、ちょいと思い出せんのだ。……ううむ、名前、なんじゃったかな。ル……なんとかなんじゃが。』
「自分の名前忘れたの?」
『う~む。ついぞ名前なんぞ呼ばれんからな。……ん~む、る、る、る、ん~。』
「ルルンでいいか。響きも可愛いし。」
『どうにも思い出せんな。とりあえずはそうしておくか。また思い出したら伝えるわい。』
「ピコ殿。」
後ろから呼びかけられて振り向くとそこにはあの偉そうなお兄さんが立っていた。
「はい。」
「森族にて保護を求めるとの要求に対し、族長会議にて決定がされました。」
ドクン、と胸が高鳴るのを感じた。ついにこの時が来たらしい。
まだ自分は人の世界で生きられるのだろうか。思い返せば荒唐無稽な要求だった気もする。矢を射かけられ、逆に兵をなぎ倒した――ラルが――、向こうの感情は悪いはずだ。
「どう、決まったのですか?」
「森族はムラクモ・アツタ・ピコ殿を、――――受け入れ、保護します。」
「えっ」
「詳しくは内務院の彼女、テルニ職員からお聞きください。」
「お初にお目にかかります、内務院のサンル・テルニ・インピと申します。ピコさん、これからよろしくね。えっと、ピコさんはこのたび森族にて保護されることになりました。受け入れ現在の身分は客員となります。この時点で制限付ではありますがフィーレスの集落の利用が解放されます。また、衣食住の保障、1万リラの一時支度金、月5百リラの年金が支給されます。ピコ殿は未成年者と見受けられますので、本来であれば孤児施設にて保護が妥当と思われますが、その特殊性から鑑みて特別に個人宅を用意します。また、こちらが指定する後見人と共同生活を行っていただくことになりますが、よろしいですか?」
「ちょっとその前に、」
「その前に?」
「受け入れてもらっても、よかったのですか?」
テルニ、さんはその言葉に一つ目を瞬いて偉そうなお兄さんへ目配せをした。それを見てお兄さんが前に出てくる。
「よっかったのですか、とはいかな意味ですかな?」
「それは……」
そういわれると口ごもってしまう。
「我々は起こりうるあらゆる可能性を考慮して、それでもピコ殿を受け入れると決定したのです。我々は、我々の意思であなたを受け入れます。それではご不満ですか?」
「いえ、よろしくお願いします。……ご迷惑をおかけします。」
最後の言葉は小さく呟くようになってしまった。きっと迷惑をかけているに違いない。謝るのは筋違いとは思っていても、言わずにはいられなかった。
そんな私を見てお兄さんはフッと少し笑って、後ろへ下がって行った。きっと、聞かなかったことにしてくれるのだろう。
「お話は済みましたか? ここでの生活に当たっての細かい規約はこの後内務院に来ていただいて、別途書類に目を通していただくことになります。また、誓約書も交わしていただきますね。」
「はい。……あの、もう一つお時間いただいてもよろしいですか?」
「かまいませんよ。まだ何かありましたかね?」
「ルルン、」
『…………、ああワシの名か。話は聞いておったよ、そなたが無事に森族の中で生きられるようで幸いだ。』
「いろいろとありがとうね。これからルルンはどうするの?」
『ワシはまた森の中を徘徊するさ。』
「そうか、寂しくなるね。」
『なに、』
ルルンがにこりと笑う。
『何時でも会えるさ。』
「……そうだね。何かあったらルルンの元へ逃げてくるよ。」
『そんなことは無い方が良いがな。』
「うん。もう一度言わせて、――ありがとう。」
『礼は種を植えてくれるだけでいいさ。』
「それじゃあ、またね。」
『ああ、またな。』
ほんの少しの侘しさに後ろ髪を引かれながらも、ルルンから背を向けた。
目の前に広がっていたのは、大勢の森族の人たちと、森の中に見える集落の姿だった。森族の人たちに浮かぶ表情は、お世辞にもいいとは言えなかった。不安と不満を持ったその表情を、可能な限り払拭するように生きていこう。それが自分の責務だと胸に刻んで。
「ああ、忘れてた。肉は置いて行ってね。その辺にかけてくれたらいいから。……そこにあるでっかい木に引っ掻けたら? そう、それ。そうそう、よろしく。」
「族長! 神霊樹が肉まみれに! あれ、止めなくてもいいんですか?」
「私にあれを止めろと!? 木人様がやっているんだぞ!? ああ、どうすればいいんだ……」
気が付くと何人かの森族の人が泡を吹いて倒れていた。どうしたんだろう?
木人は自らの役目へと戻る、森の中を歩き続ける。
『それにしてもよく似ていた。姿かたちではないが、纏う雰囲気が神様たちにそっくりだったな。……いったい神様はどちらへ行かれたのか、あの黒い髪と瞳を持った方々は……』
呟きは誰にも聞かれることなく、ただ騒めく木々が吸い取って行った。




