30 ニモ4
『ニモはおるか?』
とりあえずの危険が去ったと判断して、近くの木の上で寝そべって待機していた我を呼んだのは木人だった。
するり、と木から降りて木人の前へと立つ。
「あれ、どうしたの?」
我に気が付いたのか、木人の中から気のゆるみ切った声で娘から声をかけられた。
この娘は情けなくも敵の前から逃げ出し、よりにもよって木人の中へと逃げ込んだ。そのあまりにもな光景に今でも若干の苛立ちを感じている。無視してしまえ。
「…………」
「………………?」
娘は少し不思議そうな顔をして、興味を失ったのか木人の実を食べるのに戻っていった。しかしこの娘もよく食べるものだ。魔力に浸りすぎて、一口食べるだけで魔力酔いになりそうな実を次から次へと貪っている。この実を食せばさらなる力を得ることは確実だが、なにぶんここまで魔力の濃度が上がってしまうと暴発の危険性すらある。口の中、あるいは胃の腑の中で爆発するその様を思うと、……これは臆したのではない、賢明なる判断というやつだ。
我が食すのはミミズ団子でいい、……いいのだが、あれは何とかならないのだろうか。毎夜毎夜程よい魔力濃度の団子を作ってくれるのはいいのだが、もうミミズに拘らなくても良いのではないだろうか?
あの余りに余っている干し肉でちょちょいと団子を作ってくれればいいのに、娘はあれを焼くだけで済ませてしまうのだ。それではなにも変わらない。あの手この手、脅したりなだめすかしたりしてなんとか普通の肉団子を作らせようと試してみたが、ついぞ徒労に終わった。言葉が通じないというのはかくなる不便なものだ。
いかんいかん、
そんな何とも言えない嫌な気分を押し込めて、木人へと向き直る。
『何用かな。』
『そこなピコのことだがな、ピコは森族の中で生きたいそうだ。お主はこれからなんとする?』
『そうか、……そうだな。人にしては面白い奴だったが、人は人の世で生きるのが自然の摂理だ。それがよいだろう。』
『おや、お主も随分とピコに肩入れしていたと思っておったのだが、簡単に諦めるのだな。』
『……我も、彩狼としての生きる道があるしな。』
そう容易くは抜け出すことのできない道だ。一族の恥となることだけは御免だからな。
『ふむ、普通だな。』
癇に障る言い方だった。
『木人殿とてそうであろう? 木人として生きる定めから、逃れ得るのか?』
我ながら、褒められた言葉ではなかったと自覚している。それでも、言葉が出るのを止めることはできなかった。鬱積した思いを、醜くも吐露せずにはいられなかった。
『木人、木人な。ワシもほんの少し何かが違えば、木人として生きていることはなかったろう。――そしてお主ら彩狼もな。』
『なに?』
『少し昔話をしようか。』
そう言うと木人は座り込んだ。長い話になるらしい。
「うおお?」
急に木人が動いたので娘が落ちてきた。
「げふっ」
乾いた蛙のように大の字になって地面にたたきつけられている。
愚かな……。
「いてて、あれ? おまえらなにしてんの?」
「…………」
「無視か……。」
無視した。
『最近少し思い出したことがある、ピコに実を食べられたのが切っ掛けだ。……もうはるか遠くのことゆえ、夢幻のことにさえ思える。』
『神苑の時代とやらか?』
『いかにも。まだワシが若木であった頃、木人――とは呼ばれていなかったワシと同じ存在が数多くいた。ワシはあまりにも若く、実をつけることが出来なんだ。そしてそのまま、ワシが実をつけること前に神様はこの世界から去られた。』
木人が遠くを見てぽつりと呟いた。
『だからワシは忘れていた。ワシらの本当の役目を。』
『役目?』
『ワシらは、"おやつ"と呼ばれていた。』
何を言っているのか一瞬理解できなかった。
『"おやつ"、とは、あのオヤツか。』
『ははは、驚いたかね? そうとも、あのオヤツだ。ワシら木人の本来の役目とは、神様にワシらが付ける実を差し出すこと、それだけだったのだ。……不満かね?』
『比類なき力を持つ木人をただの食べ物扱いなど、信じられない。』
『だかそれが真実なのだよ。神苑の時代においてワシらは大した力も持っておらんかった。さしたる疑問もな。ワシらは十分幸せだった、ワシらは身を差し出し、それを神様が食し、「おいしい。」と言ってもらう。そうすると天にも昇る心地よさに身を包まれるのだ。』
木人は嬉しそうだった。そこに嘘など微塵も感じられなかった。
『そうは言ってもそれを知ったのはピコに実を食べてもらってからだがな。きっと、ワシの仲間も、ワシの親も、同じように幸せだったに違いない。』
『だが、それも唐突に終わった。神様は居なくなり、ワシらも、ワシを残して居なくなった。……そしてワシはワシのあるべき生き方を失って、ここへ流れ着いたのだ。』
急に嬉しそうだった気配がなくなって、淡々とした話口になった。そこには深い悲しみがあった。
『何があったのだ?』
『……わからん。覚えておらん、ただ恐怖があった。だからワシは逃げ出したのだ。……もう、その時に何があったのかを知る手段はないだろうな。』
『そうか。』
『うむ、……そしてワシはこの地に根を張り、ただ森の中にいる一本の木に過ぎなくなっていった。数多くの生き物がこの地へ逃げ延び、そして各々の棲みかを決めていく中で、いつしかワシは木人と呼ばれるようになっていった。ワシは特段何もしていないつもりではあったが、ただ、この森で一番の力持ちということで何かしらの調停に駆り出されておったら、いつの間にかだ。』
それは我も知っている。
『生き方を失ったワシが、ワシたる根幹を作ったのは他ならぬワシだった。ワシは木人と呼ばれるうちに木人たる生き方を見出し、それに従うようになっていった。』
『だが、』
『うん?』
『木人殿とは違い、我は、我の生き方を失ったわけではない。……木人殿の言いたい要は分からない訳ではない、――生き方を作ることはできる、そうなのだろう? しかしそれだけで今の生き方を捨てるには、群れの存在はあまりにも重すぎるのだ……。』
父も祖も、綿々と継がれてきたというモノが我に枷をつけている。無いはずの、重りのないそれは重すぎて一足前に進むことすら許されない。
『ふむ、無いものに縛られるか。』
『…………』
『今まで通り彩狼として生きるか。』
『……そうだ、』
『……生き方というのは強固なようで本来は揺蕩ってたおるものだ。ワシのようにな。』
『それでも、――そうするしかない。』
『そうか。ならば、お主はもう一人前の彩狼だ、名を下さなければな。』
名前を授けられる。成年した彩狼の習わし、まだ既定の年月を経ていない我が手に入れるには、それなりに名誉なことだ。だが、今はそれを喜ぶ気持ちにはなれなかった。
我は見てしまった。娘が木人から名を贈られるところを、誉と崇拝を合わせもつ名を得るさまを。あれを見てしまったからには、もう木人から名を下されるということが、ただの呪いにしか思えなかった。
『いつまでもニモと言うわけにもいくまい、……どうした? 随分と嫌そうだな。』
木人が笑っているように見えた。我の胸中を見透かすような、試されているようなその物言いが苛立ちを生む。
『名が下されれば、我は木人殿の眷族となるのだな。』
『そうだ、彩狼として生きるのならな。』
『――いらないと言ったら?』
『ほう? やはり彩狼をやめるかね、それとも一生をニモと呼ばれ続けるのかね?』
『…………』
言葉が出なかった。我はどうしたいのだろうか。
彩狼として生きたくない。
誰かの眷族として生きたくない。
ニモと呼ばれたくない。
彩狼として生きるしかない。
なりたくない、それは我の我儘に過ぎないとも、理解できていても、
『はっはっは、少し若者をいじめ過ぎたかな。』
『……饒舌だな、木人殿。前はあれほど口数が少なかったものを。』
『うむ、ピコに会ってから頭の中にあった霞が晴れていっている。』
『昔話の続きをしよう、かつて彩狼と呼ばれていなかった者たちの話を。』




