29 レミナ4
それは手札というにはあまりに大きすぎた。木人様から名を贈られた、という歴史に今までなかった事態をどう解釈すればいいのだろうか。ここでの判断は、まさしく歴史の前例となることは間違いない。客観的に事実だけを表すならば、その者は全森族の頂点をも凌駕する位置となってしまう。木人様の末端眷族に過ぎない森族と、木人様に並び立つ者を比べるには、両者の隔たりが大きすぎる。
「これはフィーレス族長代理だけに判断をゆだねる訳にはまいりますまい?」
すっと俺の心の声が聞こえたように、ヴェントが横から声をかけてくる。
「そうじゃな、緊急に族長会議を開こう。」
答えの出せない俺に代わって、父上が答えられた。自分の力のなさが嫌になる。
「それでよろしいですな?」
「ああ、はい。……そうしましょう。」
様子を見守っていた各族長も頷いて移動を始める。俺もそれについていかなくてはならない。
ああ、その前にやらねばならないことがあるか。
「ムラクモ……様、」
「あ、はい。」
「要望を確かに受け取りました。しかし何分前例のないことなので協議をしたく思います。いましばらくお待ちいただけますか?」
「はい、構いません。すいません、お手数おかけして。」
「いえいえ、お気になさらずにどうぞ。……各隊長に伝える、全軍警戒を解いて待機だ。全員武器をしまうように厳命する。彼女に対する非礼は許されない、わかったな。」
「「「はっ。」」」
体調が散らばって兵士の緊張が解けていく。不満の声は出てくる様子はない。一連のやり取りを目の前で聞いていたのだから当然の結果か。
「それでは失礼します。」
本当はこちらに意思決定を下せる余地はないのだが、そうした前例を作るのもよくない。さいわい相手は特に気にすることがなかったので、贈り名持ちと交渉できるという前例にはなったはずだ。
そしてこれから憂鬱な会議があるのだ。
「受け入れるべきでしょう。」
開口一番に口火を切ったのは予想通りヴェントだった。
「対人族敵対論の急先鋒のオリン族長らしからぬご提案ですな。」
嫌味が口を滑って出てきてしまった。
「おや、そちらこそ人族融和論のフィーレス族長らしくありませんね。なにか御不満でも?」
「大アリと言うほかありませんな。見られましたでしょう? 彼女は悪魔付だ、受け入れるにはリスクが大きすぎます。」
「しかしそれでは木人様のご意向に逆らうことになりますが。」
「木人様は名を贈られただけです、我らに受け入れよと命を下されたわけではありますまい。」
「あまり意味のないことですな。」
「なんですと?」
「あのやり取りを見れば木人様が娘に肩入れしているのは明白です。命令ではなかったので受け入れませんでした、と木人様にお伝えすれば、すぐにでも改めて命令を下されるだけでしょう。」
「……だったら最初に戻るだけです。悪魔付を受け入れるわけにはいきません。」
「それは確かなのですかな?」
遮ってきたのは北のミラン族長だった。ミラン族長はヴェントと繋がっているはずだ。
「二回も強化魔法を使ったのを目の前で見せつけられましたね。まさか見逃したとはおっしゃりますまい。」
「強化魔法ですね、……あの娘が特別使えただけではないですかな?」
「話になりませんな。」
「よくお考えください、強化魔法は魔獣も魔物も、そして木人様も使われます。たまたま人が今まで使えなかっただけで、これから使えないということにはなりますまい。」
「人は強化魔法を使えない、それは歴史が証明しています。そしてこれからも、」
「……木人様が名を贈るなど、歴史が覆ったばかりではないですかな?」
「ぐっ……、」
そう言われると弱い。
「エレアオーレ王国からの連絡でも、悪魔付だと言うではないか。」
助け船を出してきたのは南のハルマ族長だった。西のオチレン族長は動く様子がない。事態を見守るといったところだろうか。
「エレアオーレ王国が間違えたのでは?」
「そういう問題ではない。エレアオーレ王国が悪魔付と判定したものを、我らが覆してよいわけがあるまい。」
そう、エレアオーレ王国が悪魔付と判定したものを受け入れるなど、それこそ外交上に亀裂を生んでしまう。
「別にかまわないのでは?」
そう言うのはヴェントだった。
「王国が間抜けにも悪魔付と判定した娘を、我らが正義を持って保護する。極めて人道的な話ではないですか。」
「それで、エレアオーレ王国に混乱をもたらしてどうするおつもりですかな? ただでさえ味方と呼べる国家はエレアオーレ王国しかないのですよ。国家の大事と一人の不幸、比べるまでもないでしょう。」
外交方針として必ずぶつかる壁。対人族強硬派のヴェントが有力ながらも決して王位を取ることができない明確な理由、周囲すべての国と敵対することへの根源的な恐怖がそこにはある、はずだった。
ヴェントは鉄面皮ながらも、どこか目が笑っているように見える。――まるで、うれしくて仕方がないように。
「……なんでしたら、悪魔付の判定を覆さずに、そのままで受け入れてしまうのも一つの手では?」
ざわり、と会議室の中が狼狽えた。
「ヴェント様、それは悪魔と魔族を敵としている、全ての国家を敵に回す行為ですよ。」
「もう何百年も魔王の出ていないこの世で、今さら悪魔付の一人や二人、囲ったところでたいして問題にもならないでしょう。」
「…………」
「それに、」
ニヤツキを隠し切れないヴェントの様子に、嫌な予感を覚える。
「いざとなれば、魔族領域と手を組むことも出来ますしね。」
それは間違いなく爆弾発言だった。その言葉に会議室が完全に凍ってしまう。
「ヴェント様、ご自分が何をおっしゃられたかお分かりですか?」
「もちろんですとも。」
「すなわち、ヴェント様には魔族領域との伝手がある、ということですね。」
「必要であれば数週間で魔族領域と同盟を組むことも可能です。」
会議室の中に殺気が満ちていく。呼べば会議室に兵士が流れ来るだろう。しかし、ヴェントの護衛の兵士もすでに手を剣の柄に手をかけている。
「まあ、皆さん、落ち着いてください。」
のんびりとした口調でヴェントが声をかけるのが、やけに滑稽に感じられた。
「いやはや、取り乱しもしますよ、……まさかオリン族長が裏切りの告白をなされるとはね。」
「裏切りなどととんでもありません。あくまで私は森族の将来を見越して行っていることです。」
「奴隷時代の終焉とともにある国際間の不文律を随分と軽く言われますな。」
「それこそ今さらですな。――歴史は覆るものです。」
「話を少し戻しましょうか、フィーレス族長代理は悪魔付――らしき娘を受け入れるのに反対されていますが、実際にそれが通るとお考えですか?」
「まだ何も決まっていませんのに、随分と強気ですね。」
「強化魔法が使える、魔族領域との取引、どちらもそれなりに重要な事項ではありますが、それよりも木人様より名を贈られた、我々森族にとって最優先することはこちらでしょう。」
「…………」
「我々森族は木人様への敬愛を魂にまでに刻まれています。それを無視して、名を贈られた者を受け入れませんか? 本当に受け入れないのですか? ……無理でしょう。私たち族長は私たちの立ち位置から、それを許容できます。しかし民には無理です。」
「森を二分などと、甘い考えは持たない方がよいでしょうな。よくて私たち族長のなぶり殺し、可能性が高いのは内戦、悪くて……この森から森族はいなくなりますな。」
否定はできなかった。
「なればこそ私たちがこの場で決めなければならないことは、どういう態度で受け入れるか、そして受け入れた後の事後処理でしょう。」
「……そうだとしても、なればこそ、オリン族長がおっしゃられるように軽々に受け入れてはならないと私は考えているのですが?」
ここまでくれば、もうヴェントがこの会議の終着点をどう見ているのかが分かってしまう。しかし、それを止める手立てはなかった。
「フィーレス族長代理の懸念は理解できます。森を取り巻く状況は数百年続いてきたように、あまりにも危うい。だからこそ魔族領域と手を組むという選択は、必ずしもないとは言い切れないのでは?」
「「「…………」」」
声が出ない。ハルマ族長は黙り込んでいる。ミラン族長は平然としている。オチレン族長も動く様子はない。
「それにこれにはもう一つの良い点があります。それは大手を振って魔族領域と商取引を行えることです。」
「森は自給できているでしょう?」
「たしかにそうではありますが、資金が潤沢にあれば外交の手札にもなるはずです。」
「貿易の中間となるということですか。しかし魔族領域と組んだとしれたら取引を行う国家はないでしょう。」
「そうとも限りません。いま人族の国家では魔族領域産の品物がかなりの高値で取引されています。美術品や工芸品、先進的で使いやすい魔族領域の品は人族の富裕層に大変人気があります。その入手方法は戦争の戦利品しか今はありません。それらを大量に取り扱えるとなれば、取引をしたいという欲の深い方は大勢いましょう。」
「私は賛成です。サティン王国でも魔族領域の品物は上々の評判ですしな。」
さらっとミラン族長が賛成してきたか。発言の意図を読めばヴェントと組んで既に何度かサティン王国と取引を行ったことがあるのだろう。ミラン族長がヴェント寄りの態度を取っていた裏はこれか。
「皆さんいかがですかな? 対案がなければ採決を取っていただきたいのですが。」
ヴェントが勝ち誇った表情で皆の顔を眺めている。
どうしようにもない。ヴェントがこれまでコソコソと裏で行っていただろう魔族領域との取引、おおやけにして国家事業にしたいと考えていたそれを、今の今まで言い出さなかったのは大義名分がなかったからだ。
そして今の事態が、ヴェントにとっての千載一遇のチャンスが巡ってきた今を、逃がさずに掴み取ってきた。考えてみればヴェントにとって都合がよすぎる事態だ。これが完全な偶然ならば、神はヴェントに味方したというほかない。
「それでは、」
「オリン族長、先の魔族領域との戦争を知っておるかね。」
遮ったのは父上、――サンル王だった。
「……もちろんですが。」
「そうか、それはよかった。なら、その時の被害がどれほどのものじゃったか言えるかの。」
子供に諭すように、いささか無礼にも聞こえる物言いだったが、有無を言わせない迫力が父上から出ていた。
「口伝でも文献でも、全森林面積のだいたい5分の1が焼け落ちたと伝わっていますね。」
「そう、5分の1じゃ。……それほどの広大な森が焼けたのじゃ。」
「……一体何がおっしゃりたいのですかな?」
「オリン族長、オリン族の全兵力をもって今の大森林の5分の1を焼き払うことができるかね?」
「サンル王としては相応しくないような発言と思いますが。」
「たとえばの話よ。なんならエレアオーレ王国が全軍が攻めてきたとして、あるいは帝国が、あるいはサティン王国が、もっと言えばこれら3国が結集して、大森林を焼き払うことができると思うかの?」
「…………」
「無理じゃ、出来はせぬ。木人様にも敵わなければ、そもそもが森の深部にいる魔物にも勝てずに逃げ帰ることになるじゃろう。」
父上は目を伏せて天を仰いだ。
「わしらは、この森の支配者では無い。……魔力循環経路上の僅かな土地を住みかとする、木人様の眷族に過ぎんのじゃ。森の深部のほとんどは未踏域で、時折そこから出てくる魔物から、木人様と彩狼そして黒曜熊に守られておる脆弱な種族なのじゃよ。」
「そしてその森の深部ごと、昔の大森林の5分の1を焼き払ったのが、魔王と魔族なのじゃ。――オリン族長、それでもあの魔王の芽こと、悪魔付と思われる者を受け入れるというのかね?」
「ならば、魔王を味方にすればよいではないですか。」
「そして奴隷時代に逆戻りか、……まあわしはあの娘が悪魔付とは思わんがね。しかし周辺国はそうは思わんじゃろう。」
「少しよろしいですかな。」
口を開いたのは今まで黙っていたオチレン族長だ。
「私たちが保護するのは、どこから来たかも知れない、ただのムラクモ・アツタと名乗る娘では?」
その手があったか。少なくとも、ヴェントの案に全面的にのるよりかは、まだ時間が稼げる。
「……おお、そうですな。そうしたほうがいい、私もそう考えます。」
ハルマ族長も同じ考えに達したようで、肯定している。
「ふむ、そうですね。今までいろいろと憶測で話を進めていましたが、決めつけはよくないですな。」
「私には問題の先送りに過ぎないと思いますが。」
オチレン族長がこちらに立ったことで3対2になった。ヴェントも不利を感じているようだ。
「たとえそうだとしても、あるいは時間が解決してくれる問題もありましょう。じっくりと娘を観察して、それから判断を下せばよいのでは? あわてる必要もないのですから。」
「……まあ、今回はそのようにしておきますか。」
あっさりとヴェントは引いた。しかしそれでもヴェントにとっては実りのある会議だっただろう。なにせ魔族領域との取引をおおやけにできたのだから。これに突っ込むには、こちらが無理に娘の身元を明らかにしなかったという負い目から難しい。
これから魔族領域との取引が事実化していくのを、止める手立てはない。
「では、採決を取りましょうか。――ムラクモ・アツタと名乗る娘を保護する、よろしいですか?」
「賛成する。」
「賛成。」
「賛成、」
「異議なし。」
「賛成じゃ。」
「では私も賛成で、全会一致で可決されました。」
この結果が森をどう変えていくのか、一抹の不安が心をよぎっていった。




