28 ピコ1
はた目から見ても森族たちはいっぱいいっぱいだった。こちらが両手を挙げて無抵抗の意思を表してみても、まるで無視して兵士がわらわらと集まって包囲してくる。
やはりダッシュしてトレント、もとい木人の後ろに隠れるべきだったか。
優位なのは向こうのほうなのに、なぜかみんな一様に青ざめていてカタカタと震えている。こちらを向いている鏃が今にもこっちへ飛んできそうで、吐きそうなほど気持ち悪い。獣のものとは違う、毒々しい人間の殺気にあてられてあの時を思い出していた。
かつて自分を殺そうとした男のことを、そして殺した男の断末魔と絶望に歪んだ顔を。
「ま『娘よ。』
偉そうな若い男は何かを言おうとして、それを遮る形で木人が声を発した。木人が声を出せるという事実に今さらながらに気が付いて驚き、それ以上に俺と若い男との間にあった空気が乱されて驚いた。それは周りの兵士たちにとても同様であったらしく、みんな驚いていた。中でも一際大きく驚いた兵士の一人が番えていた弓の弦から手を放してしまい、
一本の矢が俺をめがけて飛んできた。
ただ、反射的に右手を差し出した。飛来した矢は吸い込まれるように右手の手のひらに吸い込まれて、
カチンッ
音を立てて足元に落ちた。
ちくりとした痒みにも似た痛みがほんの少し手のひらに湧いてきたが、無視できる程度だった。
むしろ、その光景を見た他の兵が、
「うわぁぁああああああ!!!!」
撃った兵が恐慌の悲鳴を上げて、その恐慌が他の兵士へ急速に広がっていくのを感じた
もう、ほんの少し。一斉に射撃を受けるのは目に見えていた。このまま受けても、先ほどの流れなら傷つくことはないとわかっていても、もうこの場にはいたくなかった。
「ウオオオォォンンン!!!!」
しかしそれよりも、俺が逃げ出すよりも相手が打つよりも先に、横からなじみの遠吠えが聞こえてきた。
取り囲んでいる兵士に動揺が起き、さらに横から体当たりしてきた青い物体に次々と弾き飛ばされていく。
「負傷したやつを後方に下げろ!」
「何が起きた!?」
「右に行ったぞ!」
どうやら見捨てられてはいなかったらしい。様子をうかがっていた青い狼が横から強襲を仕掛けて、弓を持った兵士を狙って蹴散らしている。盛大に跳ね飛ばされていく兵士を見ながら、人死にが出なければいいけど、と考えていた。いきなり狙われて思うところもあったが、それでも誰かが死ぬのは嫌だったし、それにあの狼が誰かを殺すところは見たくなかった。
「静まれ! 陣形を組み直す、中央主力を除いた支援分隊は円陣を取れ。」
偉そうな男は必死に檄を飛ばしているが、それでも狼の相手で手いっぱいになっている。こちらを見ている余裕はなさそうだ。
なにかするなら、今しかない。
逃げるか、立ち向かうか。
――逃げても、そのあとのビジョンが何も見えないか。
なら、立ち向かって道を切り開こう。
オオオォォォ――
高く、響く様に混乱の渦中へと遠吠えを放つ。
俺の突然の奇行に何人かの兵士がビクリと震えた。
少し恥ずかしかったが、これが一番確実だ。
ウォ――
こちらの意図が通じたようで、跳ね回っていた狼が足を止めて遠吠えを返してくれた。後は、森族を止める。
「待ってくれ、そちらと争う意思はない!」
「全員、剣を下ろせ。」
その一言が伝わると、取り囲んでいた兵士は言われたとおりに剣先を下ろして一歩後ろに引いて行った。ただし剣は抜身のままで、実際には引いたというよりは体制を整えているといった方が正しいのかもしれない。
むしろ刃筋から伝わってくる冷気はより鋭くなったようで、その殺気にさらされている身としてはやっぱり逃げてしまった方がよかったかもしれないと少し後悔していた。
その一言を放った主、若くて偉そうな男は俺の次の言葉を待っているようだ。
「えっと、そのですね。」
なぜかしどろもどろになってうまく言葉が伝えられない。
「お、わ、私はムラクモと言います。」
「……私はサンル・レミナ・フィーレス・パトリアッカだ。……姓はなんだ?」
「セイ?」
「先祖から伝わる一族の名があるだろう。」
姓名の姓か。それなら、
「もっとも、」
口を開こうとしたところに被せられる。
「孤児ならばその限りではないがな。」
なんともいやらしいやつだ。こちらが考え込んだのを見逃さずに突っ込んできた。考えを乱すというか、こっちがどう反応するのかを見られている気がする。こちらが偽名を名乗ったと看破していると暗に言われていて、その上でさらに嘘を積み重ねるのかという警告の意味をも持っている。
ここで姓を名乗らないのはそれなりに魅力的な提案だ。嘘は積み重ねるとボロが出やすい、しかし姓が無いという逃げ道を用意しておきながら、そこに大きな罠が隠されているような。どちらに転んでも相手の手のひらの上で転がりそうな、嫌な物言いだった。
まあ、そんなことをしても大して意味はないか。相手が腹芸を仕掛けてきても、こちらには探られて痛い腹なんてない。ごく自然に、ありのままを伝えればいいだけなんだ。
「失礼しました。ムラクモ・アツタと言います。」
「ムラクモか・アツタか。あまりこの辺りでは聞かぬ名の響きだな。」
「私もそう思います。何分遠いところから来ましたので。」
「ほう、それはどこからだ?」
「……分かりません、気が付いたらここにいました。」
「わからないというのは奇異な話だな。寝て起きたらここにいたとでもいうのかね。」
「その通りです。」
「なんだと?」
「目が覚めたら、ここへ着ていました。」
俺の言葉を聞いてフィーレスさんはフッと鼻で笑った。
「面白そうな話だな。なぜ、何が起こってここへ着たのかは知らないのかね?」
「はい。ここへくる前兆もなければ、なぜ私がここへ来なければならなかった理由も知りません。」
「ふむ……、」
「それで、ですね、」
「なにかね。」
だらだらと話をするために手を止めたわけではない。むこうはそれが望みなのだろうが、こちらとしては周りを囲んでいる兵士が増えていくのは心臓に悪い。
伝えることはたった一つ。それだけを伝えれば、あとは流れに従うだけだ。
「私を、保護していただけませんか。」
「それは、…………」
フィーレスさんは少し驚いて、詰まってしまった。
あれ? こっちの要求で一番最初に考えられそうなものだと思っていたのに、まったく予想していなかったような反応だ。これは、長くなるかもしれない。
『娘よ。』
そして後ろからまったく空気を読まずに木人がまた声をかけてきた。いや、そもそもがこの木人が声をかけてきたのが混乱の始まりだったか。双方後回しにしてさっぱり忘れていた。
悩めるフィーレスさんを置いて後ろへ向き直る。ここで後ろから矢を射られるのが怖いけど、狼が何とかしてくれるだろう。
「こんにちわ。話ができたんだね。」
『話をしなかったのはする必要がなかったからだ。』
「一方的に木人さんをこき使ってた身としては、文句の一つでも言われていた方が気が楽だったよ。」
『それは気にしなくてもよい。ワシがしたかったからしただけだ。』
「ほんとに?」
『ほんとうだとも。』
「……そんな肉だらけのかっこうにさせられても?」
『こんなことをされたのは初めてだがな。そう悪いものでもなかったさ。』
「ハッハッハ。」
乾いた笑いが出てきた。笑ってごまかすしかないというか。
『はっはっは。』
つられて木人も笑っていたがこちらはウィットに富んでいて、気分を害していたというよりかは本当に楽しんでいてくれたようで少し気が楽になっていく。
『それにワシはお主に感謝せねばならないことがある。』
「感謝? なにかしたっけ。」
『いや、今はまだか。後々感謝することになる、といったところか。』
「??」
『ワシの種を植えてくれるのだろう?』
「ああ、」
それで納得がいった。
「うん。……約束したからね。これは間違いなく、……世界中に植えてみせるよ。」
『世界中という約束はなかったが、よいのかね?』
「せっかくだからね。私が生きている限り、あらゆる所へ植えてみせるよ。」
『そうか……』
「ところで、これはちゃんと芽が出るよね。こう、他の木人さんと花粉を交換しないと芽が出ないとかある?」
『おそらくは芽が出る、だろう。』
「歯切れが悪いね。」
『……木人がどう数を増やしておったのかワシも知らぬ。ワシより若い者も生まれなんだしな。』
「他に木人はいないの?」
『どこかにはおるかも知れんが、少なくとも数千年は見ておらんな。』
「そうか、」
自分以外に同じ種族がいないというのはどんな気持ちだろう。
いや、それを言うなら自分もか。同じ世界から来たという人を見たことはない。あるいは、おおやけにしていないだけで他にも同じような人はいるのだろうか。
『お主はここの森族のもとで暮らしたいのか?』
「うん? 急に話が変わったね。……そうだよ。できることなら、やっぱり、人の世界で生きたい。」
『獣の世界は嫌かね?』
「獣の世界も悪くない、好きだよ。それでも、人の世界は捨てられない。」
今までの生活で思うところがあった。
「人と獣の世界の両方から、あらゆるところへ行きたい。……そのためには、やっぱり今は人の世界で生きたいよ。」
『そうか、そうするべきかもしれんな。』
すっと木人の目が細くなり、何か感慨深げに俺を見つめてくる。
『ならば、その手助けを少しでもしよう。』
『サンルの森の木人から、人族の娘へ名を贈る。』
いきなり体を揺さぶるほどの大音響で、森の深くへと聞こえるように木人が声をあげた。
『道の先を照らす者、木人の種族を庇護する者、我らが守護天使へ、感謝の祈りをもってこれを捧げたい。』
『我らは、我らを守りし者の栄光を永遠に讃え、彼の者がこの先の生に幸あらんことを祈る。』
『そして、彼の者がもし痛みを得るならば、その痛みは我らの痛みと同義である。』
『彼の者が我らをそうしたように、我らも彼の者を永遠に守りゆくものなり。』
『どうか我らと今後も共に歩むことになる名を、受け取ってもらえるだろうか?』
木人が右手を差し出してこちらの返答を待っている。唐突に、なんだか背中がむず痒くなることを言われているが、答えは一つしかなかった。
「……受け取らせてほしい。」
木人の差し出した右手をそっと握り返した。
『そうか、それはよかった。』
木人がにこっと笑った。
『彼の者は小枝にとまる一羽、美しき声をさえずり、風の気の向くままに飛び回り、種を運ぶ者。』
『我が枝にとどまった幸運を忘れない。』
『名もなき小鳥、――ピコよ。』
「名を贈るってことは、その『ピコ』が私の名になるの?」
『そうとも。』
「そうか、ありがとう。」
こうして、新しい名を手に入れた。名前を失った俺が手に入れた、たった一人だけが呼んでくれる、あたらしい名だった。




