27 レミナ3
いま、身体強化をしていた。
神霊樹の頂から落ちてきたその娘を見て息をのんだ。あの高さから落ちて平然としている相手に向かって、意を決して向き合う。奮い立たせるように口を咬むと、顎が震えて歯をカチカチと鳴らしているのに気が付いた。
身体強化の魔法を使えるのは、魔獣か、魔物か、――――あるいは悪魔に取りつかれた存在だけだ。
2年前の光景が脳裏にフラッシュバックしていく。あの時はまだ自分は族長代理ではなかった。成人したばかりの若輩者だった俺は後方で警戒をしているだけで、サンル王にしてフィーレス族長、森の最高の戦士だった父上があれに相対した。
結果は、無残なものだった。あの惨劇がまたおこるというのだろうか。
逃避するようにそんなことを考えていると、おそらく広場にいる全員が同じことを考えて呆けている間に、兵士が戦士の本能だけで各々武装を整えていた。早いものになると既に弓を構えて狙いをつけている。
「構えろ!」「抜刀!」
俺が叫ぶのと、ヴェントが叫んだのはほぼ同時だった。
「ヴェント様、ここは任せていただきましょう。」
「これは失礼、非礼を詫びさせていただきます。……対応は早い方がよいと思いましてな。」
危ないところだった。なし崩し的に軍事指揮権を奪われてしまうところだった。
「この場はフィーレスの兵にて治めさせていただきます。ヴェント様は後方の安全な場所でお待ちください。」
「木人様に何か事があればよろしくないでしょう。私も、私の兵もこの場で待機させていただきます。」
ぬけぬけとよく言う。しかし押し問答をする暇はない、仕方がないので無視することにする。
「半円を組め! 鎧を着ているものは前に出ろ、弓兵は射線を取れ。手の空いているものは避難誘導をしろ!」
号令のもと、指向の定まった兵が一挙に動き出す。鍛え抜かれた兵はものの数十秒で陣形を整える。十分に満足できる動きだが、それでもあれに立ち向かうなど出来るのだろうか?
娘の姿を取ったそれ――気が付けば身ぎれいになって幼年服を着ている。いつの間に準備したのだろうか。
そんな疑問を解消している暇はない。そして、どうするか。
立ち向かうか。
倒すか。
勝てるのか。
勝率はどのくらいだろうか。
追い返すか。
それならいっそ防御に徹するべきか。
集落に被害が及ぶとなればどの程度許容できるか。
相手が満足するのはどれほどか。
言葉は通じるのか。
交渉は出来ないだろうか。
油断させられないだろうか。
そんな隙はあるのか。
考える時間はあまりに少なく。指導者・指揮官として即断を下さなければならない。あらゆる考えとプレッシャーが頭の中を駆け抜けて、無為に被害を出させるわけにはならないという弱気めいた、いや最善だという判断を下す。
「ま『娘よ。』
かぶせるように木人様が口を開かれた。
その言葉が張りつめた緊張の糸を乱し、兵士の一人が矢を放ってしまった。
「ッ!?」
もうそれを止めるすべはなく、行方を見守るほかない。矢は一直線に子供へと向かい、――手に弾かれて地面へと落ちた。
「うわぁぁああああああ!!!!」
矢を放った兵士が無様な悲鳴を上げていた。
くそっ、こんな新兵まがいが紛れ込んでいたとは。気持ちは分かる、いやでも分かってしまうが、それだけはして欲しくなかった。脳裏にアレが思い起こされる。
――アレは刃を通さない。
――アレは魔術に意味を持たせない。
――悪魔付には誰にも勝てない。
やるしか、ない。
もはやどうしようにもない、戦いの熱が場を支配していた。
このまま手を振り下ろさなくても、ほんの一拍で必ず戦いは始まる。この場にある兵士の、兵士としての本能を止めえるほどに私はまだ皆を掌握しきれていない。ならばもう、せめて始めるのは私でなければならない。
手を振り下ろし、矢は、――――放たれなかった。
「ウオオオォォンンン!!!!」
聞いたことのある遠吠えが横合いから聞こえてきて、兵士が吹き飛ばされていく。
二、三転する状況に歯噛みする。奥歯をギリギリと咬み鳴らしながら横から来たものへ視線を向ける。完全に不意をつかれた弓兵は陣形をずたずたにされ、他の被害にあっていない兵士も一時的な朦朧状態になってしまっている。
なんとか対応している兵士もいるが、それぞれが個別の対応をしているため逆に混乱を深めてしまっている。
「静まれ! 陣形を組み直す、中央主力を除いた支援分隊は円陣を取れ。」
子供は、後回しにするしかない。脅威の度合いで言えば最優性なのだが、どのみちこんな有様では戦って勝てる相手ではない。ならば被害は最小限に、
オオオォォォ――
ウォ――
こちらが対応を終える前に、遠吠えが鳴り響く。そして、遠吠えの元から信じられない言葉が聞こえてきた。
「待ってくれ、そちらと争う意思はない!」
「全員、剣を下ろせ。」
好都合だ。もともと偶発的な戦闘で、こちらとしても話し合いが出来れば最良のはずだ。
それに、主導権を完全に握られている。横からの不意打ちで陣形は乱され、相当の被害を出してしまっている。しかも立て直そうとした矢先に攻撃を止められ、争う意思がないと表明されてった。こうなってしまうと、強硬策をとってもろくな結果にはならない。ここは下手に動こうとせず、時間を稼いだ方がいい。
そもそも戦いを開始するのには相当の勢いがいる。これが正面衝突あるいは奇襲ならば、入念に作戦を練り、装備を整え、そして心構えをする。そこまでしてやっと兵士全体に戦いの勢いが生まれる。この手の戦いならば失敗やアクシデントが起きても、逆に勢いを止めることが難しい。
しかし遭遇戦は違う。
敵と鉢合わせる、奇襲を受ける、この手の戦いはこちらに準備が全くできていない。ある程度、防御や反撃となると勢いはそれなりに作れる。しかしその分、反撃の勢いは失われやすい。特にこのような劣勢の場合、士気はダダ下がりとなってしまう。
無理に反撃しようとすると、逆にこちらが士気崩壊する恐れすらあるだろう。
奇襲に二度目は効きづらい、ならば士気が回復するのを待つだけだ。
兵士が剣を引いて少し距離を取ると、横から攻撃を仕掛けてきたモノも息を合わせるように動きを止めた。
「あれは!?」
人の波間から見えた捉えたその姿に見覚えがある。いや、覚えていないなどというのが許さるものではない。
――彩狼。
どより、と兵士に動揺が生まれる。それもしかたあるまい。木人と並ぶ森族の守護者がその牙を向けてきたのだ。
まだ少し若い、熟達した巨躯こそまだ持っていないものの、はつらつとした毛並から力強さが溢れているのが伝わってくる。
彩狼の体毛が発光し、色が深い青から黄へと変化していく。淡い光る黄は徐々に後ろの風景へ溶けていき、ついにはそこには何も無くなってしまう。風景と同化する隠密の魔法だ。
体内の魔力制御も完璧で、そこにいることが全く掴めない。
トス、トスという草を踏む音が小さく聞こえてくるだけで、既にどこに移動したかわからなくなってしまった。
めったに見ることの敵わない、彩狼の特殊魔法を見せつけられて、それが間違いなく彩狼と再確認させられてしまう。
あの悪魔付きの人族と敵対すると、彩狼と敵対してしまう。彩狼とは敵対したくない、いや、彩狼の加護を失ってしまうのが恐ろしい。
次々と変わっていく状況に頭が痛くなる。
いや、状況に対応しようとするのがまずいのか。見かたを変えれば相手が手札をひとつづつ積み重ねていく、外交と同じ様にすればいい。ならば視点の中心に定めるのはこの娘で、あとは附属にすぎないと考えるとしよう。




