24 名無し6
乾いた風が頬を撫でて意識が覚醒していく。頭の中に残っている眠気に従い、惰眠をむさぼろうと横にいるはずの抱き枕代わりの毛皮に手を伸ばす。しかし、その手は宙をからぶって何も掴めなかった。不思議に思って、眠気に逆らってすごく一生懸命に右目を持ち上げる。狼はいなかった。
気の早い奴だ、もう狩りに出かけたらしい。
ふかふかのしっぽを抱いて眠ることができないのが残念だが、それもまたいいか。たまに最高の抱き枕がある、というのもなかなかおつなものだ。毎日では飽きてしまうかもしれないから。
ごろり、と柔らかな葉っぱの上を寝返りを打つ。
少し青臭いが、弾力のある葉に包まれて横になるのは羽毛布団に劣るとも勝らず気持ちがいい。
ぐー……。
今日はやけに寝心地がいい。なんでだろう?
ああ、静かだからだ。静寂が深く眠りにいざなう。
……静か?
静かすぎる?
なんで鳥が鳴いていないんだろう。木々のざわめきもない。
まあいいか。
……ぐー……。
んあ。そうか、揺れてないんだ。がっちんごっちんと頭を揺らす振動がないのはいいものだ……。
…………止まってるのか。
それがやけに気になって体を起こす。寝たりないが疑問を放置するのも心に悪い。
ガリガリと頭をかいて大きく欠伸を一つする。
中から外に向けて乾いた風が断続的に吹いている。トレントは指示通りに吊るしてある肉を乾燥させるために魔術で風を起こしているらしい。結構結構。
本当は塩があればよかったんだけどな。
干し肉を作るのに生肉を吊るして終わりでは良い物ができなかった。むしろ腐りそうだった。無い知識を総動員して思いついたのが塩漬けか燻製だったが、塩は手に入らないし燻製はトレントが嫌がった。まあ体の表面で火を使われるのを喜ぶやつがいる訳がなかった。苦肉の策でせめて乾風を断続的に当てて強制的に乾燥させることにした。トレントが三日三晩寝ずにやってくれました。
味のほうはもともと強かったためそれでもよかったが、臭いがひどいことになった。一部ダメになったり、追加したりを繰り返しているうちにトレントの姿がひどいことになったが……、必要な犠牲だよね。
一体トレントはなにをしているのか、トレントの胸毛と肉を突破して表面に顔を出す。そこには壁があった。
茶色の、平坦な木の壁。でかい、でかすぎる。トレントがすっぽり隠れてしまうその大きさに圧倒されながら、壁の端を探して右を見る。壁は湾曲して徐々に回り込むように後ろへ見えなくなっている。左も見る。左も同じように、ただし逆向きに湾曲している。
丸太?
そんな丸太があるのか。上を見上げればそんな丸太からいくつもの枝が伸びて葉を茂らせている。
生きている。
天に突き立つ巨木だった。
トレントはそれを食い入るように見つめている。沈黙しているようで、どこか目まぐるしく表情が変わっている。その姿は聞こえない言葉で話をしているに思えた。
「…………」
トレントが目指していたのはここだったのだと、理解するのに時間はいらなかった。
邪魔をすることもない。もう少し寝入るとするか。
チャリ、
「?」
トレントの中に潜り込もうとして、どこからか金属がこすれるような音が聞こえてきたことに気が付く。
ぐるりと後ろへと振り返った。
言葉に詰まってしまった。
見渡す限りの人の群れが森の中を埋めるようにして伏せていた。澄むような透き通る青い衣をまとった人々は、その衣と同じ色のペイントで文様をのぞかせている手足に刻んでいる。
健康的な浅黒い肌と対象に、すらっとした体型は筋力はなさそうに見えるものの瞬発性に優れているような野生の豹を思わせる。そして肌よりかは幾分明るい灰色の髪の毛から突き出している耳は、
――3cmほど鋭く突き出ている。
「エルフ……」
思ったことがそのまま口から出てきてしまった。
「エルフ?」
それを耳聡く聞いた、目の前に立つ若い、いや見た目が若いエルフっぽい頬に傷がある青年が独り言に相槌を打ってきた。
俺は返答を返すことなく、じっと人々を観察する。
これがエルフ、いやこの世界では森族たちか。
森の中で暮らす耳の長い人たち。イメージよりも荒々しい姿をしているが、それでもエルフだと認識できるほどに彼らはエルフだった。
胸に熱いものが広がっていく。彼らの姿を見ただけで、来た甲斐はあった。思えば時間がかかったものだ……、狼に追いかけられたり、熊に襲われたり、トレントを肉まみれにしてみたり、いろいろと苦労した。これで、
これで、どうしたらいいのだろうか?
最初はエルフを一目見たかっただけで、それ以外は考えていなかった。
ど、どうしよう。そこのお兄さんにじろじろと見られている。無視したのはまずかったか。
今さらながらに後悔する。
会話のキャッチボールを取り損ねてしまい、今さら声がかけづらい。
う~ん……、
よく見れば前のほうにいる人ほど偉そう、というか服装と装飾が豪華で、その最前列に立つこのお兄さんは何者だろうか。うっ、見られてる、むっちゃ見られてる。他の人も見だして、注目が集まってくる。冷汗が頬を伝って落ちていく不快な感触がある。
こうなったら持久戦か。向こうが何か動きを見せるまで待とう。
30分にらみ合いをして早々に飽きた。向こうの意図も読めないし、じっとしているのは退屈だ。それよりもエルフの集落を散策してみたいという誘惑に駆られてくる。しかしそうはいっても相手に友好的な雰囲気は見られないし、下手に動くとどうなるかたまったものではない。
ああ、おなかが減ってきた。無意識にそこらの程よく熟成した干し肉をちぎり取って口へ運ぶ。一瞬あたりがどよめいて、ビクッと反応してしまう。な、なんかまずいことしたかな。
次々と干し肉を食べていき、そのたびにどよめきが巻き起こっている。気が引けたが空腹には勝てない。無視して食べ続ける。
…………勘弁してくれよ。
視線から逃れるようについ目を逸らしてしまうとよけいに気まずくなってどんどん後ろを向いてしまう。そのまま徐々にトレントの中へと戻って隠れる。
はぁ~、
一息ついたような、しかし何も解決していない。
上を見上げると、枝の隙間から壁のような樹木が見える。下から上へ、舐めるようにじっくりと見続ける。幹は森が織りなす樹木の天蓋を突き破ってさらに高くそびえている。
その巨体に茂る物とは何なのか。
ふと、そんな疑問がわき出てくる。
地平を埋め尽くす森林から、ただの一つだけ比類なき存在が天と地を貫いている。そんな光景を思い浮かぶようだ。
ぱっと見た限りトレントとエルフから特別視されているこの木の頂にはなにがあるのだろう?
トレントの実よりも美味しいものが生っているのだろうか。
あるいは生死の理を覆すような魔法の奇跡があったりするのだろうか。
もしかしたら天の主たる巨鳥が巣を作っていることだってあり得る。
まずい、
ワクワクしてきた。
やる?
やっちゃう?
やっちゃおうか。
体をぐりぐりと捻って固さをほぐしていく。
登ってみるか!
とりあえずは手ぶらで行ってみるとしよう。ちょっと様子を見て戻って、それからが本番だ。
地脈はあるかな?
トレントはずっと地脈の上を歩いていたからおそらくあるとは思うが一応確認しとこう。できるなら強化して登るのが手っ取り早い。魔眼を発動してみれば、
「おお、」
感嘆の声が零れた。
予想通り地脈はいつも通り地面にあったが、その続く先に巨木が続いて、巨木自体が地脈の一部となっていた。空色の線は巨木に到達した時点で面となり、幹を隙間なく覆って天に伸びている。
視界いっぱいに広がる空色に、少し死にかけたトラウマが呼び起されて嫌な気分になる。
「触ったら落ちそうだな。」
水面のように揺れるそれをフィルターで除外して消してしまう。あることが分かれば十分だ。じっくり見ていたら不安になってしまう。
トレントから降りて巨木へ近づく。表面はごつごつとしていて場所を選べば十分登れそうだ。手にかけて地脈と接続する。体内に魔力がみちていき力があふれてくる。
ちらっと後ろを見て、なにやら偉そうな若いお兄さんと堀の深いこれまた偉そうなお爺さんと耳打ちして会話している。チラッチラッとこちらを時折見るのが非常に不安をそそる。
ふう、
息を一度吐き出して、また大きく吸い込む。
一気呵成に巨木を登り始めた。




