21 ニモ3
仕留めた熊肉を喰っているときに、何かがこちらへ近づいてくるのに気が付いた。遠くから、低い地響きが響いてくることからそれが相当巨大なものであると示している。
また面倒事か。つくづくこいつといると飽きないな。
まだ熊との戦いで減った魔力を回復していない。予想通りというか、熊肉に残る魔力は僅かなものだった。それなりに味わいを楽しむことはできるが、あくまでそれだけだった。
先に娘に団子を作らせるべきだったな。
しかしもう遅い。こちらへ近づくものはそれなりに早く、もう数分で相対することになる。
だが、なんとなく別の予感もしていた。
この場所を、木人の散歩道を通過する巨大なもの、めったに会えぬはずだがその可能性も大いにある。
ズン、ズン、
もうはっきりと聞こえる。そして、明らかな二足歩行音。
もしや、もしかすると!?
期待に胸が躍る。
ベギ、ズン、ベギベギ、
そしてそれは現れた。
我が求めてやまなかった、木人の姿に相違なかった。
これが木人なのか。
我らが守護すべき道の主、こんなにも、存在が薄い。
目の前にいるにもかかわらず、そのものが周囲の木々に紛れてしまいそうなほど朧げだ。
『我は彩狼のニモと呼ばれる、まだ名前を頂いてない若狼だ。木人殿にお目にかかれて光栄だ。』
声に出す必要は無い。間違いなく木人であるならば、意思は通じるはずだ。
『ニモ……』
低く、重い声が頭の中に響いてくる。木人で間違いない。
『…………ニモか……。』
木人はひどくがっかりしたような、言葉の端が消沈して消えていった。
『質問しても良いだろうか?』
成年に至っていないため、まだ名前を頂くことは出来ない。本来ならば会うことも畏れ多い相手だが、この機会に聞きたいことは山ほどあった。だが、木人がそれっきり何かを発することは無かった。
木人と対峙したまま夜が明けた。依然として動く様子はない。
どうしたものか。
どうしてよいか分からず、そのまま立ち竦んでしまっていた。
ゴソリ、と後ろから音がして娘が目を覚ましたことを知る。
とりあえずは魔力の補充をしなければな。
木人の動きも気になるが、動かないものを相手し続けても意味はない。緊張し続けた体を休めるように地面へ横たわる。
一息ついて、そこで娘が木人へ近づいていくのが見えた。
何をする?
娘はチラチラと木人の上の方を見て、我も遅れてそれに気が付いた。どうやら木人に生っている実に興味があるようだ。しかし畏れ多くも、
娘が木人に手をかけた。
うおぃ!? やる気なのか!
「……バウッ!」
止めておけ、どんな不興を買うものか知れたものではない。
娘は一瞬手を引いてこちらを見、何事もなかったようにまた登りだす。
「……バウッ!」
今度は我を無視して木人へと登りだした。まったく、どうなっても知らんぞ。
するすると猿のように娘は木人を登り、その中へと消えていった。
『なぜ、木人殿は娘の言うことを聞いているのですか?』
歩みを進めながら、木人へ声を掛ける。答えが返ってくるとは思えなかったが、聞かずに入られなかった。木人の実を食し、その御身へと肉を吊り下げる。どちらをとっても森に生きるものとしてはあり得ない行動だ。ゆえに、それを許す木人の行動が気になる。
『…………』
やはり、だんまりか。あるいはニモにかける言葉など持たないということだろうか。
木人は"木人の散歩道"をただひたすらに東進し続ける。
もうここにいる意味もなくなってしまった。……そろそろ去り時か。
娘は木人に受け入れられている。我が必要な場面はもう無いだろう。
……今このまま踵を返せばいいだけ、なのに、何故か体は言うことを聞かない。
『しあわせ、』
その一言は我の胸を貫いた。無意識を当てられてしまったような、胸のうちに居る我の知らない我が呟いたような、それが木人から発せられたときがつくのに少し遅れてしまう。
『しあわせだ、』
『…………』
『ワシは、自らの使命を、わすれ……』
何を言っているのか、たどたどしく、思い出すように語る木人を黙して見つめる。
『思い起こさせる、忘れていた、あの方たちを。』
『懐かしい、……彼も、そうした。彼らも、そうしていた。あの方たちのために……』
『かみさま』
かみさま……、神様?
今はもう世界から去られたという、神の名前が出てきたことに驚く。神苑の時代から生き続けるというのは真だったのか。
『かみさまの傍らにいられたら、それでしあわせだった。』
『似ている……、いや似てなどいない。』
『ワシも、もっといた、地に満ちていた。今はもうワシしか残っておらん。』
『全てが壊れて、まがいものを、のこりものばかりを置いて、』
『…………』
『ニモ、ニモよ……』
『は、はい。』
脈絡の無い呟きを聞いていた我は唐突に呼ばれて狼狽してしまう。
『お主も、まがいものに過ぎぬ』
『! そ、その意味は如何なるものですか?』
『……まがいもの、にせもの、肉を被った出来損ない……』
『……我を愚弄するおつもりで? いかな木人殿とはいえ、言ってはならぬことがあろう。』
『にせもの……、にせもの……。』
『貴様!』
怒りに体が震える。牙をむき出しにし、地を低く這うように沈めて威嚇をする。
『お前たちは、そんなものではなかった。』
木人の言葉が続いて、引っかかるものを感じる。
『まるで我らが偽者になったかのような言い方だな。』
『お前たちに肉と血など必要なかった。』
『どういうことだ?』
いったい木人は何を伝えようとしているのか。威嚇をといて木人に向き直る。
『……喋りすぎた、続きはまた』
気になることだけを一方的に呟いて話を打ち切られてしまう。納得がいかない。
『ワシもまた、残り物に過ぎぬ。だが、あの娘がワシにとっての小鳥となるならば、わしもまた本物となって地に満ちることが出来るのやもしれぬ。』




