20 名無し5
「どうしたものかな。」
熊の丸焼きを目の前にして途方にくれてしまう。獲物が大きすぎて解体は一苦労だ。足を切り離したところで日が暮れてしまった。狼は熊を解体するのをうろうろと周囲をせわしなく歩き回って待っていた。とりあえずモモのよさそうなところを狼に分けることにする。表面は焦げていたが、内部は無事だった。生肉のほうがいいのかもしれないとなるべく中心部の赤いところを切り取ってやる。
「ほれ。」
「ガウ。」
適度な大きさに切り取った肉を与えると、狼は待ちわびたように貪り付いた。
そういえばいつの間にか主従が逆転しているような……。でかい獲物をとった方が立場が上になるとか?
自分用に肉を切り取ってナイフに突き刺す。すこしまだ生っぽい。もう少し焼いたほうがいいだろう。
『火よ、焦がせ。』
掌の上に火を灯して肉を炙る。じりじりと肉が焼けて香ばしい匂いが食欲をそそる。
何度か魔法を試していて気がついたことだが、魔法の発動は言葉にすると使いやすい。イメージだけでも魔法を使うことは出来るが、消費がはんぱない。しかも期待通りにいかないのだ。イメージを言葉に乗せて発することにより、より明確な効果が発現する。メリーが魔法を使う時に呪文みたいなものを唱えていたのを真似してみると効果の差は歴然だった。ただ、真似しただけの呪文が完全に発動している、まったく失敗しないことへの疑問が心に引っ掛かった。
言葉にすれば何でも良いのだろうか?
まあ使えるものは何でも使うだけさ。
今は目の前の肉に集中しよう。肉の内部から溶け出した脂が表面に漏れ出してきていい感じだ。
ガブリ、ガチ。
肉に一息で齧り付いて、勢い構ってナイフを噛んでしまった。あぶねー。舌が斬り飛ぶところだったぜ。
しかし、うまい。独特な臭みがあるがこんなのは慣れたものだ。それよりも、味付けもしていないのにドライソーセージのように濃厚な旨みがある。
酒が欲しいな。ないけど。そもそも未成年か。未就学児以下だったわ。
「は~、しかし何でこんなことになっちゃったんだろうね。」
ぽろりと独り言が口に出てしまった。いや、独り言というには狼がいるから不適当か。
「お前がいるから寂しくないのかね。」
狼は返事をしない。変なものを見るようにこちらを見つめるだけだ。
「兎は寂しいと死ぬって言うが、俺もそんなもんだな、独りの時は死んでも良いやって考えてたよ。」
最初は死んでも良いか、という気持ちでこの森に入ったのに、こうなんだかんだと生き延びてしまうと変に欲が出てきてしまう。今は、死ぬのは、もったいない。
「お前が傍にいるとなんだか生きようって気になるよ。……でもお前もそのうちどっかに行くのかな。狼だしな、人の都合には付き合えないだろうし、お前にも都合があるだろう。」
また独りに戻ったとき、俺は何を考えるだろうか。いや、それよりも俺は人の世界に帰りたいのだろうか。帰りたい、な。森の中の生活も悪くないが、やはり人は人の領域で生きるべきだろう。俺が生きれる領域はどこにあるのだろう。
熊をわりかしあっさり倒してしまったせいで、目的がなくなってしまったのも堪えているのだろうか。
「アツタ・ムラクモの居場所、グリレ・ビレ・エレアオーレの生き延びれる道、そんなものあるのかね……。どちらもいずれ決着を付けるべきときがくるのかな。……地球にいた方がましだったのかな。わりとこっちの世界を楽しんでいるような気もするが。あっちはどうなってるんだろうな。」
肉を食べながら言葉を呟いていく。
不意に狼が耳を立てた。何かいる? いや、まだ狼が警戒していないから大丈夫だろう。肉を食べ終え、次を炙る。
「しかしファンタジー世界の癖に、ぜんぜんそれらしくないよな。生物もあっちでみたものと姿が大きく変わらないし。」
…………
「狼に熊か。あっちのより強そうだけど、それだけって気もするしな。もっとスライムとかゴブリンとか出てきても良いんじゃないか?」
…………ン
狼が立ち上がる。明らかに警戒態勢に入っている。
「ったく、なんだよ。体が痛いから戦う方向は無しにしてほしいんだけど。」
火力を強くして急いで肉を焼き、手早く掻っ込む。
……ズン、
重い、何かが近づいてくる音がする。
何のお出ましだ? 動物シリーズでこんな音を出しそうなのは……象とか?
「象を解体するのは骨が折れるな。別の意味でも。」
「ウウゥ……。」
象の巨体で熊みたく突っ込まれるのはご勘弁願いたいものだ。
ズン、ズン、
近い。しかもこちらに向かっている。火を使うべきではなかったか。消すのは、……もう遅いか。
ナイフを握り締める。脂にまみれてすっぽ抜けない様に気をつけよう。
ベギ、ズン、ベギベギ、
枝を掻き分けながらそれは現れた。狼は飛び掛らなかった。俺もあっけに取られていた。
背丈は8mを越えるほど。体表は茶色にところどころ苔、うつろな白い眼窩はこちらを捉えて離さない。
前言を撤回しないといけない。ここはれっきとしたファンタジー異世界だ。
「トレントだ……。」
歩く樹木とエンカウントした。
無造作に右手を振り上げて、一番熟れていそうな果実を収穫する。果肉に閉じ込めきれない蜜は皮から浸透して表面を怪しくテカらせている。果実を掴むと蜜で手をにちゃりと濡らすが無視して口へと運ぶ。ざくりと皮を突き破り果肉を頬張れば、飽きの来ない甘みと、しゃくしゃくとした触感を十分に楽しむ。
数分後、一つの果実を食べ終えて、手についた蜜を丁寧に舐めとっていく。少し酸味のある、くどい甘さだがそれもまたいい。蜜をなめ終えると魔法で水の塊を作り出して唾液まみれになった手を軽く洗い、口の中に残っていた種をゆっくりと取り出してそれを含めて丁寧に洗っていく。水気を切った黒く光沢のある種を、もと小虫入れだった袋へ放り込む。ちゃり、と音を立てて種は消えていった。袋はもう、大分重い。どれだけ果実を食べたのか。最初から数える気はなかったので知りもしないが、それでも相当の量を食べたと推測できる。
少し塩気が欲しいな。
果実が実っている場所からほんの少し外側、枝につるしてあるある干し肉を遠慮なくちぎり取って口へ運ぶ。
癖のある熊肉を口で遊びながら、ごろんと寝転がる。
ズ、ズン……
一定の規則の揺れと音にもだいぶ慣れ、むしろ心地よいとさえ感じ始めた。もはや眠気を誘発する子守唄のようなものだ。瞼が重くなってくる。
「ああ、極楽だ……。」
非難気な目で見つめてくる狼を軽く無視して、瞼を閉じる。
今日の晩飯の獲物を見つけるまでひと眠りするか。
警戒心の欠片もなくなった体はすぐに熟睡を始めた。
歩く樹木ことトレント。
性格は温厚、森の守護者、古の賢者、歴史を眺めるもの。地球のイメージではそうなっているが、果たしてそれはこちらの世界でも通用するのだろうか。先入観だけで物事を判断すると痛い目にあう、これは鉄則だ。
あるいは話が通じないような知性の無いものだったり、あるいは食虫植物よろしく食人樹木だったりしてもおかしくは無いのだ。
ありとあらゆる可能性が存在するが、ひとまずは最適解を探すとしよう。
トレントから見て熊の丸焼きの向こう側に十分な距離をとって退避する。
より最悪な可能性、このトレントが肉食だった場合、獲物を横取りに来たと推測できる。別に惜しくは無い。もともと食べきれる量ではなかったしな。
「あのー、私はムラクモと言います。はじめまして。ここは貴方様の縄張りでしたでしょうか? そうでしたら勝手に侵入して申し訳ありません。」
より良い可能性、話が通じる可能性もある。自己紹介をしつつ、縄張りという概念があるのかどうか知らないが、先手を打ってそれが存在した場合に侵入した事を謝っておく。長らく使っていなかった営業セールスを無理に使おうとしたせいで、どこか怪しくなってしまった。このくらいは許容範囲と見逃して欲しいものだ。
対処として2手ほど打ってみた。トレントはどう出る?
ぼーーーー………………
……………………動かねえ…………
ぼーーーー………………
何しに来たんだ、こいつ?
劇的な登場をしたくせに、まったく動かなくなってしまった。登場したときのまま、右手で近くにある大木を握り、乗り出すようにこちらを見つめた姿のままだ。
「ウォオオーー…………」
果敢にも狼が前に出て響かせるように遠吠えをした。威嚇をしていないということは、脅威じゃないのか。
「まだやってるのか。」
昨夜は動かなくなったトレントに、それと対峙したまま動かなくなった狼を放ったまま、早々に眠りについた。朝日が昇ると同時に目が覚めると、昨夜と同じ光景のままであった。見詰め合っているとなにか通じるものでもあるのだろうか?
しかし日の下で見るトレントの姿はなかなか壮大だ。材質の見た目は完全に木なのに、人型をとっている。間接部はゴムのように伸び縮みするのか接合部のようなものはなく滑らかだ。胸から肩、頭には細かな枝葉がにょきにょきと突き出して緑の鮮やかな葉と赤い実をつけている。しかし眼にあたる部分には何故か枝が伸びておらず、そこだけ穴が開いたように眼が覗いている。
ん?
赤い実? 赤い実だ……。
葉っぱの隙間から、赤い実が鈴なりに生っているのが見える。表面は油、いや蜜に濡れたようにシットリしている。それは実に甘そうな……、
ゴクり。
甘いもの、と決まったわけではない。見た目や香りのよい実が食べてみると渋かったなんてことはざらだ。だが、この森で初めて見る果物で、ここ最近甘味からはご無沙汰している。
うまそう、食ってみたい。
トレントは動かない。踏み出したような格好で動かないため、膝から登りやすそうだ。
近づいたら急に動いて踏み潰されるなんて無いだろうか?
男は度胸、……いや女か、どっちでもいいか。
真正面から行くのは躊躇われたので、横からそろそろと近づいていく。何事も無く近づけて、トレントの足に触れてみる。ざらざらとして硬い感触は、年月を感じさせる。ひび割れて掴み易そうな木の皮を選んで手に掛ける。
「……バウッ!」
狼が警告だろうか、吼えてくる。おっと、動き出すとか?
手を離して様子を見てみるが、トレントに変わったところは無い。
十分様子を見て、また手に掛ける。
「……バウッ!」
トレントに触れることがなにかしら不興を買うのか、また狼が吠えてきた。それを無視してぐいと体を持ち上げて爪先も取っ掛かりにつける。
登りやすい。クライミングの基本は三点確保だっけ、とどこかで聞いた知識をもとに登り続ける。足を登り、腰を通過し、胸の枝葉が覆い茂っている胸毛みたいなところへ頭を突っ込む。中は暗く、ひんやりとしていた。枝に手をかけながら肩までよじ登るとそこは平らになっていた。畳一畳分ほどだろうか。首を迂回するようにUの字に広くなっている。
そしてそこには、下からも見えた赤い実が所狭しと実っていた。
まだ青い、緑色の果実を避けて、よく熟れた真っ赤な実に触れる。甘い、胸に染み込むような香りが鼻をくすぐり唾液が口にたまっていくのを感じる。
「……食べてもいいですか?」
ぐらっ
声をかけたら、今まで動かなかったトレントが身震いを起こした。
こ、これはどうとればいいのだろうか。いいのか? ダメなのか?
手を引っ込めてしばし考える。
取った瞬間に激昂して振り落されたりしたら嫌だなあ……。
いや、実をつけているということは誰かに食べられるのが前提ではないのか? それなら気兼ねをする必要もない。
食べた後、ちゃんと必要なことをすれば許してくれるはず。はず。
どのみち食べない選択肢を選ぶつもりはなかった。
勢いよく実を引きちぎり、口へ運ぶ。
ぶち。
「!!」
「おっとと」
実をもぐとトレントがガックンガックンゆれた。トレントの首にしがみついてそれをやり過ごす。
ゴリゴリゴリ。
首に手をまわしていると、反時計回りに体が引きずられていく。見れば首が回転して、胸毛の中にトレントの目が入ってきている。その眼はこちらをじっと見つめていた。
「いただきまーす。」
シャリッ
薄かった皮を通り抜けて、果肉へ遠慮なく歯を立ててそぎ取る。中から蜜が溢れてきて実にみずみずしい。
外からでも匂った甘い香りが、蜜からは何倍も強いものが発せられる。口内から鼻腔へ抜けてそのまま頭の中まで濃厚な香りが染み込んできた。
「おいしい……。」
おいしすぎて単純な感想しか出てこない。あまりのおいしさに自然と涙があふれてくる。
がつ、がつ
夢中になってかぶりつく。
かんがえている、よゆうはない。
「おっと、」
いや、あった。この仕事だけはやっておかないと。
もごもごと口の中から種を出して、両手でごしごしと磨き上げる。果実を食べる対価、種を運ぶ役目はしないとね。
「この種を他の場所に植えるから、果実を食べさせてね。」
こちらをじっとみつめたままだったトレントへ、種を突き出して宣言する。言葉が通じたのか、トレントの目は正面へ戻って行った。
どうやら許されたようだ。
「お~い、お前もこっちに来いよ。」
胸毛から頭を出して、外で落ち着きなくうろうろしている狼へ向けて声をかける。
「バウッ! バウッ!」
なにやらひどく狼狽えた様な、何を遠慮しているのやら?
狼は果物を食べるのかな。甘すぎて食べないかな?
ぐらり、
「ううおおおぉ?」
上昇感が、そのあとに浮遊感が襲ってくる。
ズズン。
「おおおぉぉお?」
ズシン、ズシン、
細かく、落差30cmほど上下に揺れだした。訂正、細かくない、結構辛い。
枝にしがみついて胸毛から頭を出すと、風景がこちらに向かってきていた。
歩いてる。
トレントが急に動き出していた。どこへ行くのか。森の中を高いところから、流れていく風景を見て、
「…………は、ははっ、はっはっは。」
面白い。こんなこともあるんだな。
「バウッ! バウッ!」
後ろを見ると、狼が追いかけてきていた。トレントが歩く速度はたいして早くないが、これは楽だ。
このままトレントについて行ってみるのも一興かな。
「バウッ! バウッ!」
「はっはっはっはっは…………、ちょっとまって。」
うっぷ、この揺れ胃にくる。吐きそう。
「あっはっは、……うぇっぷ、おえ。」
愉快だ、気持ち悪い、吐きそう。
どこに行くのかと思われたトレントだったが、地脈の上を歩き出して少し合点がいった。地脈に触れたトレントは地脈と魔力を循環しだしたのだ。どうやらこの芸当が出来るのが自分だけでないと分かり、少し残念なような、すこしほっとしたような、何とも言えない気分にさせられる。
そしてそのままトレントは東へ進み続けている、もともと俺が目指していた方向へ。向かう先には何があるのだろうか。
これは、利用できるのではないだろうか。このまま乗り続ければ、夜中に寝ている時間も移動に費やせることになる。延々と森を歩くのにもうんざりさせられていた所だ。楽できるところは楽しとかないとな。なによりこの果実を独占できるのはじつにおいしい。二重の意味で。
そしてたまに肉を取れば、
「…………あ。」
熊肉ほったらかしたままだった。あああ~、もったいない、取りに戻ろうか。走って戻って、担いで走って追いつけるか?
「……ちょ、ちょっとストップ、ストップ。止まって、考えさせて。」
小分けにして何度も運べばいけるか? そうとうな数をこなさないといけないが、その労力には見合う価値がる。
ちらっとついてきている狼を見る。
……背中にでも括り付ければ運搬にちょっとは役に立つかな……
狼の手も借りたい。しかしあまり舐めたことをさせると怒って飛びかかってきそうな。
悩む、悩ましい。
とりあえず、一度運べるだけ運んでみるか。
「ちょっとついて来いよ。」
狼に向かって声をかけ、トレントから降りて元の場所へ向けて走り出す。
ズズン、
10mほど走り、後ろから音が聞こえてくることに気が付いて足を止める。
「あれ?」
音が近づいている、遠ざかってない。トレントは彼の都合で動いているものと思っていた。その足音が近づいてくる。そういえば、上から見た狼は立ち止まっていた。それにトレントから楽に降りれた。動いていたのならば少しは苦労したのでは?
振り返れば、トレントが俺たちの後を追ってきていた。
……なんだったかな。
呟いた独り言はなんと言っただろう。
たしか、止まって、と言った気がする。そして、止まった?
人語を理解しているのか。なら狼へ向けた言葉も通じていたとしたら、
「……ええと、あの、ついて来ていただけるのでしょうか?」
なんとなく、自分がしでかしてしまったことに気が付いて、なるべく丁寧にお声をかけることにした。
「バウッ! バウッ!」
狼の抗議の声がうるさい。なにやらこの狼、トレントを浅からぬ縁があるらしい。ちょっと前から、俺が非礼な態度をとるとずっと吠えかかってくる。やはりやってしまったのか、しかもよりによってかる~く、親しげに命令したことになるか。狼の抗議を意訳するなら、『トレント様に命令するとはなにごとか!』とか?
トレントは何も答えない。ただ、じっとこちらを見つめているだけだった。
今さら取り繕っても遅いか、トレントが気にしていないならそれでもいい気がする。
「まあ、いいや。行こうぜ。」
トレントが抗議してこないのをこれ幸いとばかりに、へんな言葉尻になってしまう丁寧語を投げ捨てることにした。
「バウッ! バウッ!」
吠えたてる狼と無口なトレントを連れ立って、元の場所へ戻って行った。
ごりごりと熊を解体していき、肉の塊へと変化させていく。さらにそれを薄く長くスライスし、トレントへと渡す。
「これ、適当に吊るしといて。なるべく乾燥しやすそうなところにね。」
肉を受け取ったトレントはのろのろと肉を体から飛び出ている枝に吊り下げていき、解体し終わる頃にはトレントは肉の服を着ているような有様となっていた。なんということでしょう、苔の香り高かった幻想的な姿から一転、生肉の生臭い香り漂う精肉人形と変化しました。これには狼もびっくり、声を失ってうなだれています。
反省はしない。




