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バッカナーレ  作者: 1さん
二人目
18/33

18 名無し4

 ついにそれを見つけた。

 心臓が鷲掴みにされたように体の奥から締め付けられ体は強張る。


 甘い血の匂いに誘われて、いつもの狩りを放棄してそこへ静かに近づいて行った先にあの黒い熊がいた。黒い熊はまだ俺に気が付いておらず、足元の獲物を必死に貪り食っている。立派な角を持った牡鹿を、生が失せて横たわっていてもなお俺より大きいそれを、一心不乱に喰い続ける熊の姿は力強い。既に先日の傷は癒えているようだ。ただ傷つけられた右腕は再生しているものの、傷があった場所だけ毛並が違って斑模様になってしまっている。


 近くにいるとは思っていた。前の闘いでついた傷を癒すために、近場で狩りを行っているに違いないと読んでいた。もっとも、その傷は完全に塞がっているようで、それならば他の場所に移動していてもおかしくはなかったと疑問は残る。まあ、いたのならば結果オーライだ。そしてこのくらいの距離なら、この時のために準備していたことが報われる。


 黒い熊は牡鹿の肉を食むのに必死で、周りに警戒を払っていない。

 一見不用心に見えても、そこまでチャンスではないな。

 体内に貯蓄している魔力はあまりに少ない。今日会えるとわかっていれば限界まで貯めてきたのだが。


 あるいは後ろからブスリとやれるかもしれない。だがそれはあまり意味がないだろう。ただのナイフの刺突であの分厚い毛皮を貫通して一撃で致命傷を与えれるとは思わない。ナイフに魔力を帯びさせれば違うかもしれないが、

 大木が砕かれたことを思い出す。

 あの時、ナイフに魔力を帯びさせるとすぐにこちらを襲ってきた。気が付かれた、何か探知する技があるのだろう。不意打ちには向かない。


 予定通りに、接近戦はやらない。

 幾度も行ったシミュレーションを思い出す。勝てる、かもしれない。


 何割勝てる? 2割か、1割か。あるいはそれ以下か。

 構うものか。たとえ1分でも勝てそうなら、やる価値はある。駄目だったなら、


 ニヤリと笑う。


 逃げるだけだ。



 熊が満腹になる前に仕掛けなければ。満腹になってしまえば、向こうの戦う理由を一つ無くしてしまう。しかしよく食べる。牡鹿は熊より小さいとはいえ、それなりの大きさはある。なのに、もう半分は食べてしまっている。胃は魔空間にでもなっているのか? よく入るな。


 足元の小石を拾う。

 「さあ、始めよう。」


 小石に魔力を纏わせる。びくりと熊が動いて、こちらを振り向く。

 「ゴガァアアアア!!!!」

 咆哮が風を巻き起こし、口の中に残る牡鹿の血の匂いを乗せてこちらへ届く。衝撃が真横を通り過ぎて行ったが、怯んでいる暇はない。

 魔力を乗せた小石を、思いっきり熊に投げつける。座り込んでいた熊は立ち上がろうとしている最中で、それをよけることが出来ない。つぶては腹に当たった、急所は外れたが当たっただけ運がいい。熊はほんの少し痛がってノックバックする。礫が当たった場所の毛皮が、湿っぽく濡れだした。微量だが出血しているようだ。


 「勝ったな。」

 気の早い勝利宣言が呟きとして漏れてしまった。これでもう負ける要素は無くなった。あとは取り逃がさないかどうかになる。精々が嫌がらせになればいいと考えていた礫が、相手にダメージを与えているのだ。

 これからは一方的に、逃げるだけだ。


 熊が怒りの咆哮をもう一度あげようとしたのを最後まで見ることなく、くるりと背を向けて逃走を開始する。反応の遅れた熊から適度の距離ととって、追ってきているのを確認して2回礫を放つ。2回とも避けられてしまったが、避けたために少し走りが遅くなっている。そして逃走を再開する。


 木々の間を駆け抜けて、倒木の下を潜り抜け、走り続ける。表面にぬめりのある滑りやすい石や根の浅い苔を避けながら、止まることなく走り続ける。狼に鍛えられた森の走り方が完全に身につき、いま間違いなく役に立っている。心の中で狼に感謝を捧げながら、ちらりと後ろを確認した。熊は巨体ながら俊敏に追ってきているが、間隔の狭い木々を抜けるのに苦労して差を縮めるに至らない。

 距離を放して投石、距離を放して投石、その繰り返しで熊も苛立ちを隠せていない。


 熊も愚かではないはないようで、どこかに誘導されている、そしてたまに命中する投石がダメージを蓄積しているのを感じて、立ち止まった。明らかに、狩る側と狩られる側が交代している。


 いまさら諦めようとしてももう遅い。こないなら距離を保って、去るのなら追うだけ、ひたすら石を投げ続ける。

 「ほらほら、かかって来いよ!」

 言葉が通じるとは思わないが意地悪く挑発を繰り返して、何かしらを感じた熊が殺気を放ってくるのを少し距離を取って躱し、じっと熊を観察する。

 むこうは本調子じゃないのか?

 熊は前戦った時とは違い、本気を出していないということをうすぼんやりと理解する。


 本気なら、ただまっすぐ走ってくるだけだろうかなら。

 巨木を打ち倒すほどの力をもった熊が、わざわざ間隔の狭い林を迂回していることに疑問を思っていたのだ。まっすぐ木々を突き破り、一直線に俺を追ってくればいいものを。それに助けられている面があるが、こうもあからさまにすべてが順調だと、何かを疑ってしまう。


 追って来たり、去ろうとしたり、いまいち煮え切らない態度の熊に何度目かの礫が命中した。徐々に生傷が増えている熊が、また立ち止まりこちらを見つめている。


 投石を続けるべきだったが、なにか猛烈な嫌な予感がしてこちらも手を止めて相手を見つめる。

 「ハッハッハーハー……。」

 荒くなっている呼吸を今のうちに整えて、しばらく静寂が辺りを包んだ。


 ドクン、


 その光景にわが目を疑ってしまう。風も無いのに、熊の体表の毛皮が波打ったように見えた。それは何度も続いて、そしてそれが毛皮の下でうごめいていることを理解する。

 筋肉が、りゅうを作っている。絶え間なく膨張していくその姿を見て、あの時木くずが舞い散る中で見たそれと姿が一致していくのを思い出していた。


 俺は知る由は無かったが、それは絶対的不利を悟った熊がついに生か死かの極限の戦いを覚悟したことを意味していた。


 急いで石を拾い集めて、それを投げつけて、また逃げ出す。


 2度目の喰い合いが始まった。



 --パンッ


 風船を割ったような、なにかが弾ける音がした。

 それが聞こえてきたと同時に、背中の一面、それこそ頭のてっぺんから爪先まで、ぐっと何かから押し出されて吹き飛んだ。脳が揺さぶられたのか、体が痺れるように重い。それが圧縮された空気、衝撃波だったと後ろを振り返って理解した。たったいま自分が駆け抜けた後ろを、地面を抉り、草を散らし、木々をなぎ倒して、ただ熊が通り抜けた痕がくっきりと残っていた。


 痕が続く先から、唸るような声を聞いて目を向けるとそこには血走った眼をした黒い熊がそこにいた。20mはあったはずの距離を、一足飛びで通り抜けてさらに10mほどオーバーランしている。あたっていたらどうなっていたのか、考えたくもない。

 「ウウウ……」

 低いうなり声を響かせるその姿は、まるで森を超えるかのように強大に見える。

 畏れている暇などない。

 石を拾い上げ、投げつける。向こうは意に関したような様子も見せず、石は外れて足元に落ちた。熊は前かがみに体を縮ませる。まるで、力をためるように。


 ま、ず、い

 熊の体幹はまっすぐこちらを向いている。

 もう一度同じのが来る!

 走る向きを熊に対して平行に変更する。熊は細かく体を動かして常にこちらに対してまっすぐ向いている。狙いをつけられている。背中から嫌な汗が噴き出してくる。熊から目をそらせない。

 目を離したら来る。

 足を止めたら来る。

 前を見ずに走り続ける。ほんの少し足を取られたら、それでも来るだろう。足場が平坦であることを祈りつつ走る。


 幸運はほんの少し俺の味方をして、足を取られることなく熊との間に視界を遮る大木が現れる。

 ここしかない。

 視界が遮られると同時に足を止め、意識を集中させる。向こうの出方は2通り、動いて視線を確保するか、あるいは、


 大木の向こうの空気が揺らめいて、背中が泡立つ嫌な予感を感じ、その場から飛び退く。

 黒い塊が目の前を通り過ぎて、また衝撃に体を打ち抜かれる。熊と自分を遮っていた大木は大穴を、いや完全に断ち切られて根元から上が宙に浮いていた。

 崩れ落ちる大木の地響きを聞きながら、改めて熊に向き直る。

 「この世界の生物はみんなああなのかよ……」

 人間が大地に支配権を確立していることが不思議とさえ考えてしまう。人間が食物連鎖のヒエラルキーの最下層に居てもおかしくないのでは――。


 考えるのは後にしよう。

 絶体絶命のピンチだが、あそこまであと少しだ。熊を見るように、その後ろの場所へ目を向ける。あそこまで辿りつけば。

 口の中にいつの間にか巻き込んだ砂埃をガリッと噛みしめ、覚悟を決める。


 左手にナイフを構え、右手で石を2個拾う。


 ほんの少し上り坂となっている熊への道を走り始める。それを見て熊は伏せていた体を起こし、迎撃の構えをみせる。この体勢は、何度もシミュレーションした。死ぬ結果しかないはずの接近戦。

 走りながら、1つ目の石を投げつける。生半可なところではもう怯みもしなくなった、だから初めて狙う。狙いは顔、さらに言えば目だ。熊もそれに気がついたのか、体をゆっくりと動かして狙いを付けさせない。祈るように投げた石は僅かに反れて熊の横を通り過ぎていく。

 だが、熊はあたらないはずのそれに対して僅かに反応してしまった。ぐらりと体が傾いて、硬直してしまっている。向こうの間合いに踏み込む前に、2つ目の石を投げつける。今度は遊ぶように、ゆっくりと放物線を描くように、走り続ける俺と熊の間に浮くように。少しでもこれに意識が逸らされることを期待して。

 そしてお互いの間合いに踏み込む。


 互いの視線が交錯する中央に、期待した通り石が浮かんでいる。相手の視線が読めないことに苦痛を感じる。思っていた以上に、相手の挙動を感知するのに目線を追っていたことを気が付かされる。この状況にしたのは自分自身なのだが。

 熊の右手の一撃が迫ってくる。この熊は連撃をするときに必ず右手から一撃目を発している。癖のようなものなのか、あるいは長年の経験からこうすることで後に動きやすくなるのか。武術の型と同じく、決められた手順で攻撃をすることにより隙が少なくなる、のかもしれない。そうであるならばこれを避けきれても二撃目からは逃れられないのか。


 体を捻って突き刺しを外側へ躱そうとする。向こうはそれを見て揃えていた指を開き攻撃面積を広げる。このままだと当たってしまう。ナイフを防御に使うか、いやこれは攻撃に使うためにとっておかないといけない。犠牲にするなら、体勢だ。

 急減速かけて相手の攻撃の軌道の外へ出る。それで熊の‪一撃目は空を切った。だが、代わりにスピードを失った。ただでさえ軽い攻撃、より相手に深く、鋭く傷を与えるには勢いをつけるしかない。しかしそれは足を止めたことによって失われた。ここから加速するには近すぎる。

 敵の目の前、ほぼ棒立ちの状況を敵が逃がしてくれるはずがない。これを避けるにはこちらから攻撃するほかない。無防備に見える右腕、これは相手の罠だ。狼がつけた傷の上にこちらの生えた真新しい毛皮に目を奪われそうになるが、ここはやめておく。狙いはその内側。ナイフを振りかぶり、右手の下に潜り込む。数少ない利点、体の小ささを最大限利用する。潜る間際、石が放物線の頂点を通過し、互いの目線が見えるようになる。

 最後のチャンスだ。自分の目線を、狙う場所に、心肺のある辺りへずらす。

 熊は右手を引きつつ、左手の追撃を放ってくる。ナイフが肋骨に当たらないよう、水平に構えなおして狙いをつける。

 向こうの攻撃が当たるよりも先に、こちらの攻撃を当てる。その目論見に、


 熊を乗せられなかった。


 「!!」

 熊の攻撃のほうが早い。足を一度止めたのは致命的だった。あれを捻るだけで済ませられたら、目論見通りに進んだ可能性もあっただろうか。

 ナイフの向きを縦に戻して熊の左手を受け止める。吹き飛ばされ、なかった。ナイフで受けたにも関わらず、熊の左手も切り裂かれなかった。

 熊は器用に左手の爪でナイフの刃を掴んでいた。それに遅れて気が付き、あわててナイフの柄から手を放して後ろに飛びずさる。ナイフは熊が掴んだまま、宙に浮いていた。



 おいおい、知能があるのかよ。

 俺の手持ちの中での一番の脅威を認識し、対処しているそれを見て背筋が凍る。自分が知る限りの一般的な獣の知能をはるかに超えてしまっている。

もはや万策は尽きてしまった。あとほんの数メートルのところに見えているそれにたどり着けなかった。

 俺は攻撃をするつもりは無かった。もし熊が防御をしようとしていれば、それを見てすり抜けるだけでよかったのに。


 たらればは無いか、あとはもう逃げるしかない。

 にじり、と後ずさる。

 逃げれるか?

 熊は左手に持ったナイフを投げ捨てると、ずしん、と近づいてくる。


 「…………?」

 一歩一歩近づいてくる熊の後ろに、ゆらり、と何かが見える。



 青い、狼がそこにいた。


 こちらを見つめる瞳は澄んでいて、なおかつ力強い。それを見て肩の力が抜けるのを感じた。無謀な戦いを挑んだ自分に対して、咎めるようなきつさはまったく無い。


 助けてくれるのか。


 「ウオォーーーーーーーー………………」

 背後で突如起こった遠吠えを聞いて、熊が振り返る。

 狼が熊を引き付けてくれる。あとは俺が自分の仕事を果たすだけだ。もう熊を追い抜く必要も無い。ほんの少し回り込むだけで、そこに地脈がある。

 案の定熊はこちらを無視した。もはや俺を脅威と認識せず、狙いを狼に定めたようだ。


 悠々と地脈にたどり着く。

 ここに来たかった。ここにさえ来れば、あとは何でも出来る。

 地脈と接続し魔力を体内に取り込む。そしてそのまま、魔力を大気に放出した。こわれたポンプのように空間を魔力で水浸しにしていく。



 びくりと熊はこちらを見て、表情を凍りつかせ、

 逃げ出した。


 つい先ほど自分に体当たりしてきた以上に、今度は音すらも超えるような速度で逃げようとした。

 だが狼がそうはさせない。

 熊を正面から受け止める。硬いものが激突する音が鳴り響き、ゴリゴリと熊と狼がせめぎあう。


 もう十分だ。熊は俺の魔力に溺れている。

 「石よ、囲め」

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