11 獣2 (グロ注意)
そう、殺すしかない。
相手は少年とはいえ、多少は一端の兵士として鍛えられている。たとえこの場から走って逃げようとしても、すぐに追いつかれてしまうだろう。しかもこちらは屋敷でお嬢様としてぬくぬくと育てられた身だ。はなから勝負にならない。
相手をよく見ろ。
敵は恐慌状態から抜け出しつつあるように見える。剣の振り方も少しずつシャープになってきている。今は耐えられているが、むこうに本来の実力を出されてはどうなるかわからない。それに、去って行った馬車の動向も気になる。
いま俺に有利なのは、この地脈の上に立っているということと、相手も混乱しているということだけなのだ。それに、時間も相手の味方のはずだ。馬車が戻ってくれば、敵の隙を突く事すらできなくなる。
殺す。
殺してこそ、その先がある。
殺す、殺す、
殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、
殺す?
ふと、心に冷たい水のようなものが染み込んでくる。
憎いわけではない。誰かを悲しませたくなど……
考えるな。
今は、激情だけあればいい。言いわけは後でする、後悔もするだろう、
ただ、今は狂え。狂って、ひとでなしになって、おかしくなって、人殺しになって、
石を投げつけられ、罵られて、地を這いつくばって、
それでも殺す。
殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、ころす、ころす、ころす、ころす、ころす、ころす、ころス、ころス、ころス、ころス、ころス、ころス、こロス、こロス、こロス、こロス、こロス、こロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、コロス、………………
俺のために、殺されろ。
ふっ、とうつむく様にしゃがみ込んだ。
切先が空を切り、髪の毛を何本か刈り取っていく。
「………………い。」
彼が再び剣を振り上げるわずかな間に、ほんの少し、耳に届くように呟く。
ぴくりと彼は体を止めた。
今お前は、冷静になろうとしている。そうだ、冷静になれ。
何を恐れているのかは知らないが、相手は自分よりはるかに小さい幼子だ。反撃もしてこない。ならば、落ち着いて、俺をよく観察しろ。
「………………さい。」
もう一度、わざと最後だけ少し声を大きくして、はっきりと相手に伝わるように呟く。
ジャリ。
ほんの少し、彼がこちらへ踏み込んでくる。
興味を持ったか? 見たところ、お前は人を殺すのが初めてだろう。兵士ならばそれはある程度覚悟しているだろうが、いざとなれば躊躇するだろう。しかも相手は小さな女の子。
「…………ん……さい。」
殺す理由がほしいか? 殺さない理由がほしいか? ならばよく聞き取れ。末期の言葉は聞き漏らすべきではないだろう?
ぐっと、彼は覗き込むように接近する。
そうだ、さえずるような鳴き声を、もっと近づいて聞き取れ。
「……ごめん、なさい。」
びくりと彼の体が硬直した。
そして俺は顔を上げる。
彼は、つらそうな顔をしていた。
そう、今お前は罪悪感に体を支配されている。嫌な仕事だろう、庇護すべき幼子を殺さなくてはいけない。変な子どもかも知れないが、こうして見るとそこいらの町の子供と変わらないだろう。震える声で、泣きそうな声で、あやまる子どもの姿を、誰と重ねた?
だが、それが、お前を殺す。
俺はすっと顔をあげた。手を伸ばせば振れる距離に、彼の日に焼けたきれいな首筋があった。彼と目が合う。澄んだきれいな目に幾ばくかの後悔が浮かんでいた。
彼の左肩に据えつけてあるナイフへ手を伸ばす。俺が彼へ贈ったナイフだ。留め金を外して滑り落ちてこようとするナイフをしっかりと握りとめる。柄の滑り止めにしっかりと指が吸いついて頼りになる。
そしてそのまま、俺はナイフを彼の首に突き立てた。
俺の動きは、遅かったのだろうか、あるいは早かったのだろうか。全身が強化されていたことから、早かった、とするのが打倒ともとれる。だけど、あまりに俺の動きは完璧だった。一部の無駄もなく、そうあるべきという結果に向かって映写される動画のように、彼の首にナイフを突き立てるという結果だけが起こったように集約された。だから、遅かったようにも感じられた。あれほどの動きを、高速で行ったとは考えられない。
彼は、動かなかった。そうなるように仕向けたが、それはあまりに都合がよいようにも感じられた。
つぷり、とナイフの刃先に抗うように皮膚が沈み、僅かな抵抗は空しく皮膚を突き破った。突き破った点は、ナイフが沈みこむのと同時に少しずつ裂けていく。皮膚を突き破ったナイフはずるりと筋肉を切り分けながら中へ進む。コツッとした軟骨の抵抗を抜けると、気道に出たのか抵抗が少なくなる。
「っひゅ、」
彼は驚いて息を吸おうとした。だがそれは空しくナイフに阻まれ、行き場を失った空気が傷口から抜けだそうと血漿を押し出して血の気泡を作る。
ぱちり、と気泡がはじけて少しだけ血が飛び散った。俺の頬にそれが当たるのをほんの少し感じた。
ナイフは突き進む。
気道を潜り抜け、反対側の軟骨へ突き刺さり、押し出された皮膚が盛り上がるのが見えた。
種から芽が出るように彼の皮膚は割れ、皮膚の内側をめくりだすようにナイフの刃先が出てきた。
血と脂と食道の粘膜にまみれたナイフの刃先が、てらてらと光っている。
彼は、立ち上がった。ナイフは突き刺さったままで、持っていかれてしまう。
「あ、……あ、…………」
信じられない、といった表情の彼の膝はががくがくと揺れ、少しずつ後ずさりしていく。
右手で首を撫で、出っ張っているナイフの柄を探り当てる。それが、右手では握りにくいと気がついたようで右手は下げ、左手をゆっくりとあげ始めた。
俺は地脈との接続を解除し、強化も解いて彼から離れるように後ろへ下がっていく。
彼の両目がぶるぶると震え始め、膝の震えが全身まで来て踊っているようにも感じられる。彼の左手はナイフの柄を見つけて、
よせ。
と思ったが口には出さなかった。
言う資格もなければ、言ったところでどうしようにもないのだから。
そして彼は、ナイフを握りしめ、引き抜いた。
ぱぁっと赤い煙が空中を舞った。
カラン、
彼の手からナイフが離れて地面に転がり落ちる。
傷は、頸動脈まで達していた。ナイフに押しとどめられていた血液が、それが引き抜かれたことにより勢いよく噴き出して煙となって大地に降り注ぐ。
彼は吹き出る血を抑えようと両手で傷口を押さえていたが、指の隙間から命がこぼれ落ちていくように無情に流れていく。心臓の鼓動と同期して傷口から血液が、ぴゅっ、ぴゅっ、と噴き出していった。
「…………あっ、…………た……」
彼は涙を流し、すがるような目で俺を見ていた。一歩、足を踏み出して、俺はそれを拒絶するように同じく一歩下がった。
「あ…………」
彼は崩れるように左ひざを地面についてうなだれた。表情は隠れてみることはできない。
そのまま何十秒か無言の時間が経過して、彼の首から、すべてを諦めるように手が離れて垂れ下がった。
そして、崩れ落ちた。




