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バッカナーレ  作者: 1さん
一人目
10/33

10 獣1

 森の中に馬車が入ってから相当な時間がたっていた。私は流れていく木々の隙間から見える、獣たちの姿を探していた。



 カバロさんの言うとおり、直通路は木々ばかりの退屈な風景だった。しかも馬車に速度があるため、ぼんやりと眺めていたのでは何も把握できない。

 早々に飽きかけていた私の視界に、青みがかった毛玉のようなものが飛び込んできた。

 「?」

 慌ててその姿を追いかけたけれど、後方に流されていって結局何も把握することはできなかった。


 少し残念だったな。もう少ししっかり見ていれば何か――また青い毛玉が見える――わかったかもしれないのに……。

 ……ちくしょー、また見逃してしまった。いやいや、二度あるなら三度もあるはずに違いない。その時は、見逃さない。


 魔力を練り上げて魔眼を発動する。少し風景がスローモーションに見えようになった。青い毛玉の正体を見る前に魔力が尽きてしまっては意味がないので、必要最小限に魔力を絞って持久力に特化させる。これで長持ちするかな。


 じーっと外を眺める………………。



 きた!

 

 三度、青い毛玉は姿を現した。私はその青い毛玉をまっすぐ見つめる。馬車が毛玉の真横に来て、その正体が判明した。


 犬? いや、狼なのかな。

 シベリアンハスキーを思わせる。すらっとした体躯に、滑らかな青い毛皮。するどい黒く光る双眸が私を捉えていた。

 知性を感じさせる深い瞳に、私は囚われていた。時間にすれば1秒にも満たない、ごく短い時間だったにも係わらず、随分長いこと見つめ合っていたように感じる。向こうに敵意はないように思えたけれど、監視されているという冷たい感触があった。


 狼は流れる風景と共に視界から消えて行く。


 もう魔眼に用はなさそうだったけれど解除する気にはなれなかった。さらにじっと、木々の隙間を見つめる。気がつかなかったけれど、動物の姿がかなり見受けられる。

 緑色翼をもつ鳥が、黒い体毛に金色の目をした猿が、灰色のトカゲが。


 こんなにたくさんいたのか。


 ただ先ほどの狼のように、こちらを見つめているような獣はいなかった。あの狼が特殊だったのだろうか。脳裏に焼きついたのか、狼の姿が浮かび上がる。

 森の主だろうか? あるいはエルフと何か関係があるのだろうか?

 もう一度見たいと願ったけれど、あの狼を最後に青い毛玉は姿を現さなくなり、感じたことを確かめる機会が訪れる様子はなかった。



 「お嬢様、もう少し進んだところで休憩をされませんか? ずっと座っておいでだとお疲れでしょう。」

 そういえばおしりの感触がない。カバロさんの休憩の提案は正直うれしい。

 「そうしましょうか。」

 メリーはそんな私を気遣ってくれたのか、了承してくれた。

 「そうだね。」

 短く返事をしてまた外を眺める。やはり大森林というだけあって、珍しい動植物が多いのだ。出来る限り外を眺めていたい。


 「ん?」

 「いかがなさいましたか?」

 「いや、なんでもないよ。」

 進路方向の道路を横切るように、空色の線が見える。


 こんなところにも地脈があるのか。


 タディスでは王城に繋がる主要大通りと平行に地脈が存在していたため、なにかしらの意図があって町が開発されているのかと思っていた。事実、王都から国境の町に続く街道上には地脈がずっとあった。高速路に地脈がないというのが逆に不自然なくらいだったのだ。

 私と地脈には何か縁があるのか、それともただありふれたものなのか。未だ判断はつかない。

 馬車の速度が緩んでいく。どうやら止まるようだ。このままだと丁度地脈の上で止まるくらいだろうか? 


 やっぱり縁かな。

 そう素直に思うことにした。



 予想に反して馬車は地脈の上には止まらなかった。5mほど手前だろうか。そのくらいの距離で馬車は停止する。


 ジャッ。

 タラップから降りて、半日ぶりに土の感触を楽しむ。ぐっと背を伸ばして固まった筋肉をほぐすように首と腕を動かした。感触が無くなっていたおしりに血めぐりが戻ってきて、しびれが襲ってくる。正座をしていた記憶がよみがえる、その感触が少し懐かしい。


 誰も触っちゃだめだよ!

 そんなことをする人はここにはいないか。

 すっと深呼吸すると透明な澄んだ空気が肺を満たし、心地よい気持ちになれる。



 ガラッ……。

 ふと、背後から音が聞こえてきた。メリーたちが降りてきたような、馬車が軋む音とは違う。……これは、車輪が回る音?

 ふっと後ろを振り向くと、私を乗せていた馬車の姿はなかった。



 道の先、向かう方向に走り去る馬車の姿が見える。


 「えっ。」

 ドドッ、ドドッ!

 独り言が自然に口をついた、と気がつく間もなく目の前を騎馬が2つ馬車を追いかけて駆け抜けていく。


 「…………えっ?」

 思わず同じ言葉を繰り返してしまう。


 置いて、行かれた?




 ……ジャリ……


 去り行く馬車を眺めていた後ろから、土を踏みしめる音が聞こえてくる。


 そうだ、もう1騎いたん、……だ…………。



 そこにはウィルが下馬して道の真ん中に佇んでいた。



 言葉を失ったのは、ウィルの纏っている空気が前見たときとまったく違うからだ。

 この空気は……、怒りのような、怒られる前のような、喧嘩する前のような……、でもそれらとは全く違う。



 ザッ、ザッ、ザッ、

 ウィルがこちらに向かって歩いてくる。ウィルは一言もしゃべらない。でも、私をまっすぐ見ている。左手は剣の柄に手を添えたまま、まっすぐと、


 普段は自分の倍以上の背丈のある大人に囲まれても、たいして何か感じることはなかった。せいぜいが、見上げるのが煩わしいといった大したことないことだけだった。

 しかし、このときはウィルを見上げようとするほど接近されるのがなんだかすごく嫌だった。そんな私の気持ちを知って知らずか、ウィルはずんずんと私に近づいてくる。


 あと一息で、お互いが手を伸ばせば触れる距離まで来て、そのウィルの無言の空気に気押されるように私は後ずさった。


 ギャリ。

 甲高い金属がこすれる音が響き、白刃は弧を描いて宙を舞った。



 ウィルを見上げるように顎をあげ、後ずさりしたことが私の命を救うことになった。


 ブロードソードの切先きっさきが喉を僅かに触れずに通り抜けた。


 切先が巻き起こしたそよ風が喉元に触れ、私は切られたと思った。

 へたりと、尻もちをついてしまう。お尻のしびれは気にならなかった。むしろ、尻もちをついたと同時に首が胴体から転げ落ちるイメージを持っていたため、それが起こらなかったことに困惑してしまう。


 右手でぺたりと喉をさわり、それがまだ繋がったままと言うことにやっと気がついた。

 そして、思考が意味を持つ。


 こここ殺さされるるる???


 ガタガタと震えを通り越した振動が体内から沸き起こり、体を激しく揺さぶる。僅かに残った冷静さが左目に宿り、ウィルを覗き込む。

 ウィルの剣の切先も、激しく震えていた。体も、震えている。ウィルは、泣きそうな顔をしていた。私に襲ってきたという恐怖の大きさと、そのウィルの情けない姿がアンバランスで、なんだか現実感を持たない。この場に取り残された二人が、両方とも体を震わせて見つめ合っていた。


 後に思い返せば、ウィルも人を殺そうとするのは初めてだったのだろう。不意を突くことに拘り過ぎ、修練している剣技に存在しない抜き打ち、抜刀術を行った。結果としてそれは失敗に終わる。剣をまともに抜くことすら出来ず、鞘の内部と刃を盛大に擦らせてしまう。

 剣の軌道も擦れた剣を無理に抜こうとして大きく内に、想定した間合いよりはるかに狭い半円となっていた。それでも私の首元を捉えていたのは単なる偶然だったけれど、それが決まっていれば私に未来はなかっただろう。そして私は無意識に後ずさり、結果として皮一枚分避けたのだ。


 そのまま、混乱が収まるまでゆっくりしてくれればよいのに、ウィルは震える体を無理やり動かして剣を大上段に構え直す。


 「ひッ!?」


 にに、逃げないと。


 どこに?


 もがくように、ただ後ろへと這いずる。


 ゴスッ!


 今の今まで私がいた場所に剣が振りおろされ、土をえぐり取る。


 逃げ込む場所なんてどこに、


 左右は鬱蒼とした森林、道の先は見通し良くなにもない。

 それを思い出したのは必然だった。

 でも、そこへ逃げ込もうと思ったのは単に見慣れていたからで、異様なこの場所ですがりつくものが他にないからにすぎなかった。


 足はもつれ、置き上がるたびに転げそうになり、意識が飛びそうな酩酊感をこらえながら、地脈のそばへと寄った。今は、地脈までのほんの5mがはるか遠くに感じる。

 ウィルは追いかけてくる。子どもと大人の足、しかもまともに歩けない私にかなう余地はない。すぐに追いつかれ、何を思ったかそのまま通り過ぎて私の真横に並ぶ。


 ふと埋もれていた記憶の中から、昔の処刑方法が浮かび上がってきた。打ち首、ギロチン、――斬首刑。ウィルの革靴が頭の真横に止まり、一拍を置いてから風を切る音がした。


 ギンッ


 首筋を、赤い、真っ赤なしずくが零れ落ち、ポタリと土にしみこんだ。

 それは肉と刃がぶつかる音ではなかった。まっすぐと振り下ろされた剣は間違いなく私の頚椎に命中した。


 まだ頭は落ちていなかった。

 私の右手は地面を握り締め、加減をしなかったせいで土が爪に食い込んで鈍痛を放っていた。しかしそれでも、地脈をしっかりと捉えていた。

 恥ずかしい話だけれど、今まで私はありとあらゆる本番というものが苦手だった。プレッシャーや緊張に弱く、練習どおりの実力を出せたことなど片手に数えるほどしかない。そして今回も、地脈を捉えてから魔力を満たし全身を強化する、完全な出来とはいかなかった。魔力は許容量いっぱいまで吸えず、8割ほど。強化箇所もむらがあり、両手両足は強化できていない。

 だけど、頭から胴体の強化は出来た、そこには剣の命中した首も含まれていた。だからまだ私の首はつながっていて、皮膚を切り裂かれたところで刃は止まっていた。


 刃から鉄の冷気が伝わってくる。こんなにも、冷たかっただろうか。


 ウィルは恐怖におののいた表情を浮かべていた。

 「…………悪魔め……。」

 ただ一言呟いて、ウイルはまた剣を振りかぶった。

 「……ッ!」

 私は声にならない悲鳴をあげて、反射的に両の手で頭を防御してしまう。


 ギンッ


 今度こそ全身を強化して、剣を腕で受け止めることが出来た。


 ギンッ、ギンッ


 ウィルは何度も剣を打ち付けてくる。

 ウィルの殺意にてられて、私はそれをぼんやりと眺めていた。



 なんとなく、こうなる予感はしていた。


 ここで死ぬことになるのだろうか。


 ウィルは必死の形相だ。


 周りの人たちの私への接し方が変わったのはいつからだろう。


 ほんの少し、地脈から押し出されれば強化も解ける。


 剣が命中しているところの服が切り裂かれていく。


 両親の目つきが変わったのは……、


 もう、終わりか。


 帰ることが出来るのだろうか?


 切り付けられても傷ひとつ負わないのは現実離れしているな。


 今までのことは全て夢で、これが夢の終わりになるのか。


 地球に戻れば仕事が待っている、どんな仕事だったっけ?


 思い出した。




 2歳から、誕生日を祝われなくなった時から、私は望まれていない何かになったのだろう。昨日の6歳の誕生日も、祝われることはなかった。


 1歳の時の盛大な誕生日と違い、2歳の誕生日は何も祝われることはなかった。あるいはこの地方特有の風習かもしれないとも思ったけれど、それも違った。それを知ったときは血の気が失せたものだ。あるいは、私はあまりに子供らしくなかったのかもしれない。両親は無垢な子供を望んでいたのだろう。なのに、中身はこの世界で誰も知らない別の世界の誰かだったのだから。


 だから私は、なかったことにされるのだ。


 ……ただ死の恐怖に突き動かされて、なんとなく抵抗しているけれど、もう諦めようか?


 メリーも私を疎ましく思っていたのだろうか?

 ふと、両親よりも濃く親しんでいた彼女の顔が思い浮かんでくる。


 彼女が、知らないはずは、ないか。それでいて、馬車は走り去ったのだ。そういうことなのだろう。つまるところは、馬車が走り去ったように、私はこの世界に取り残されてしまったのだ。


 抵抗しようとする意思が擦り減っていくのを感じる。


 ウィルを見上げる。彼は取り付かれたように剣を打ち付けている。そこにいるのは剣技を忘れた兵士でもないただの少年だった。



 なぜ彼がこれに選ばれたのかは分からない。だけど、彼には未来がある。愛する家族もいるのだろう。それは私にはないものだ。


 私を斬って家に帰り、家族に嫌な仕事をしたと愚痴をこぼだろうか。


 そのころ私は森の中に打ち捨てられ、血は落ち葉を濡らして土へ染み込んませていく。壊れたコップのように全身から血を噴き出し、辺りにむせかえるような死の匂いを漂わせている。


 彼は人を切った感触を思い出し、しばらくは肉を食べたくないと言うのだろうか。それを心配した誰かが彼のためにスープを用意し、それを彼がはにかんで啜る。


 落ち葉に隠れた虫達が、死肉となった私にまとわり、かじりついていく。腐ったにおいが当たりに充満し、時折吹く風がそれをどこかへ運んでいく。


 彼の表情にほんの少し笑顔が戻り、ゆっくりと眠りについて明日を迎えるのだ。そうして日常が戻り、日々の記憶に埋もれて、私を斬ったと言うことも忘れていく……。


 肉は溶け、骨は砕け、私は土に埋もれて、人知れず大地に還っていくのだろう。誰の記憶からも忘れ去られて、消えていく。



 暗い、炎のようなものが私の心に宿るのを感じる。


 死ねば、終わって、消えるだけだ。なんで、死ぬのは私でなくては駄目なんだ?

 ほんの少し何かが違えば、俺が、お前に生まれて、お前が、俺に生まれたのならば、俺達が立っている位置がほんの1m入れ替わっていたかもしれないのか? なら、俺が明日を迎えたいと思うのは、いけないことなのか?


 そう、俺も、ただ連れてこられただけだ。この世界に。異質であったかもしれない、誰からも愛されていないかもしれない。だが、俺が死ななければいけない理由とは何だ?


 聡くあるべきと考えるな。賢くあろうとするな。心の赴くままにすると決めたのだろう。ならば、いま俺は、死にたくないと思っている。


 生きる、生き延びてやる。たとえ、この少年を殺そうとも。

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