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「これはなんの騒ぎだ」
馬車の窓から顔を出した貴族男性の姿を見て、リンは目を輝かせた。
「ヴァスキュール侯爵! それに、アリテリア様!」
そこに居たのは、かつてリン達が治療を行い、また屋敷で数ヶ月に渡って世話になっていたヴァスキュール侯爵家の面々だった。
「こ、侯爵!? なんで侯爵がこんなところに! そ、それにこのガキ、い、いやお嬢さんは侯爵のお知り合いだったのか?」
リンを突き飛ばした行商人が、冷や汗をダラダラと流しながら侯爵とリンの方を交互に見ている。
「リン、この騒ぎはどうしたんだ? 君に会いに来たんだが」
「それが……えっと。ここに来ている行商人さんがお魚を安く買い叩いていて、それでこの猪獣人さんと」
「なっ、ちょ、それは……!」
リンが状況説明のために行商人の所業を話すと、行商人は顔を真っ青にして止めようとする。それに対して、猪獣人が威嚇をし、黙らせた。
「ほう……。それは問題だな」
「い、いや。それは……。だって、獣人族が相手ですよ!?」
「獣人族が相手でも、商人が不当に商品を安く買い叩けば、市場に悪影響が出る。この獣人族の自治区も、あまりに貧しければ周辺の治安悪化などの悪影響が出てくるだろう。——国の方針はともかくとして、私はそれは容認すべきではないと思うがね」
ヴァスキュール侯爵は、静かに諭す。その様子は穏やかだが、上に立つものとしての迫力があり、行商人はタジタジになった。
「正当な相場通りに取引をするよう、商業組合に勧告を出すようこの領の領主へ申し立てるべきか……」
そんな言葉まで飛んできて、行商人は真っ青になる。
「か、勧告だなんてそんな! ちゃんと相場通りに取引しますから、それは勘弁してください、侯爵様!」
「そうか? きちんと取引しているか、手のものを派遣して監視させよう」
「ひぃッ。は、はい! 承知しました!」
獣人達がどう足掻いても改善されなかった状況は、ヴァスキュール侯爵の鶴の一声で改善された。その姿はまさに名領主と呼ぶに相応しい風格で、リンは感心してしまう。
「さて、問題が解決したなら次は私の要件の方だ。アルテリアがどうしてもリンに会いたいと言って聞かなくてな。王都のグレイモア医術院の方へ向かったのだが、こちらに来ていると言われた。何やら色々あったそうだな?」
「は、はい。実はそうなんです」
ヴァスキュール侯爵を馬車から下ろし、リンの泊まっている宿屋へ案内しながら会話をする。
「こんな貧しい村に住んでいるのか。体調を崩したりはしていないか?」
「みんな良くしてくれていて、私は元気です」
「そうか、それは何よりだ」
ヴァスキュール侯爵は、リンの生活を聞いてはうんうんと頷いてくれる。そうやって話を聞いてくれる人がいるのが嬉しくて、リンはこの獣人の自治区に来てからのことをあれこれと説明した。
「——それで、船幽霊の呪いって呼ばれているものが、壊血病という病気が原因だったことがわかったんです」
「すごいですわ! さすがリンさん。やっぱり名医ですわ!」
「そんなんじゃないですよ、アルテリアお嬢様」
宿に着くと、侯爵とアルテリアを食堂へ案内し、席に座らせる。
そこでお茶を頼みつつ、これまでのことについて話した。
「そうか、ヴィクター殿と決別してしまったのか」
「……はい。そうなんです。私、どうしてもこの獣人自治区を見捨てるという話が受け入れられなくて」
「君は優しいからな。ヴィクター殿にも色々考えはあるんだろうが……」
侯爵の言葉に、リンは目を伏せる。
「わかってはいるんです。予算が必要だってことも。でも、そのために人を犠牲にして、お金のために差別を容認するのは、私には受け入れられない」
「私は為政者だから、ヴィクター殿の言い分もよくわかる。だが、君のまっすぐさを眩しく思うよ。困ったことがあったら私に言いなさい。手助けをしよう」
「ありがとうございます、侯爵様……!」
リンはさっそく、この獣人自治区の貧しさを改善するために、『船幽霊の呪い』に対する予防食品を名産とする案を侯爵に話した。
「なるほど。そのビタミンCとやらが豊富なキャベツの保存食に、リン殿が躾けたスライムの粘液を使った豆もやしの栽培か。特にスライムはリン殿が教育を行わなければ使えないから、特産品として他地域と差別化できるな」
侯爵は感心したように頷きつつ、食堂で配膳されたお茶を一口飲む。
「む? このお茶は……」
「どうかされたんですか? 侯爵様」
「いや、飲んだことのない味だと思ってな。さっぱりとしていて、美味い。目が覚めるようだ」
そこへおかみがやってきて、お茶の説明をし始めた。
「この獣人自治区は貧しいので、紅茶なんかを購入するお金がないのです。その分、繁殖力の強い薬草を裏庭で育てて、お茶にしております。獣人国では良くやることなのですが、人間の国では珍しいようですね」
「ふむ。後ほどその薬草畑を見させてもらってもいいだろうか? この茶の味が気に入った。——これは、船幽霊の呪いの予防食品に加えて、この地の新たな特産品になるかも知れぬぞ」
侯爵はお茶の香りを嗅ぐと、『やはり、芳しいな』と呟く。
リンも改めてお茶を味わってみると、そのさっぱりとした風味とほのかな甘味はなかなかに美味しいなと思うのだった。
「予防食品に関しても協力させてもらおうか。当家で所有している船はここに寄港させるようにしよう」
「本当ですか!? 侯爵様、ありがとうございます」
「はは、すっかりここの住人だな、リン殿は」
かつてヴァスキュール侯爵邸で過ごしていた時のような、穏やかな時間が流れる。だからこそ、ここにヴィクターがいないことがリンには少し切なかった。




