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上流地域に馬車で登っていくにつれて、水質汚染の原因は明らかになっていった。
「随分と大規模な農場開発がされているようですね」
「家畜の糞尿による汚染かのう……。厄介な……」
ヴィクター達は馬車を降りると、農場にいた作業員に声をかけ、ここ最近の変化について尋ねる。
「随分と大規模に開発されているようですが、これはいつ頃から?」
「うーん? あんたらそんなこと気にしてどうっべだ? 数ヶ月前からだけどよ」
「川の水質汚染について調べているのです。この開発はどなたが指揮をとっておられるのですか」
「ご領主様の肝入りって話だべ」
リバーサイド男爵領は、領主肝入りの政策で、大規模に農場開発をしているらしい。畜産も含む農園開発は、肥料にするにはあまりに多すぎる家畜の糞尿のために、余った汚水を川へ垂れ流しており、その結果として下流域で疫病が流行っているらしかった。
「これは、リバーサイド男爵に進言した方がいいかもしれませんね」
「そうですね。聞いてもらえるといいですけど……」
リンは不安げに胸元で手元を握りしめた。
一行はリバーサイド男爵領の領都へと向かう。実際には領都とは名ばかりの、規模の小さな街があるばかりだった。やはり、侯爵領とは規模感が違った。
「小さな街ですね。のどかでいいところだと思いますが」
「ヴィクター先生、あちらが領主館みたいです」
領主の館は、街の中心部にある、カントリーハウスだった。
「ごめんください。私は医術師のヴィクターと申します。こちらの領の村で発生した疫病について、お話があって参りました」
「医術師殿が? ふむ、バーリ村で疫病が発生したという話は聞いているが……。わかった、取りつごう」
門番に声をかけ、取次を依頼する。
門番は取次のため、玄関の奥へと消えていった。
政治的に重大な話ゆえにこそ、リンは緊張しながら玄関の扉が再び開かれるのを待っていた。
「緊張しますか、リン」
「はい。本当に相手にしてもらえるでしょうか」
「してもらえなかったらヴァスキュール侯爵様にお話を通してみましょう。隣接する地域で疫病が流行る危険性が高いとなれば、侯爵領も無縁の問題ではありませんから」
玄関の扉が再び開く。中からは執事らしき男と、門番が出てきた。
「お話を伺います、応接間へご案内いたしますゆえ、こちらへどうぞ」
案内に従い、家の中へと入っていく。リバーサイド男爵家の家は、侯爵邸に比べるとこぢんまりとした造りだった。
それでも、小さな村の出であるリンにとっては、緊張を禁じ得ないほどの立派さではあったが。
一方でヴィクターは、決然とした面持ちで堂々と歩いている。その姿を見て、リンはそっとヴィクターの服の裾を掴んだ。緊張した時に甘える心が出てくるくらいには、二人の付き合いは長くなっていたのである。
「おやおや」
服の裾を掴まれたヴィクターは、そっとリンの頭を撫でる。そうして、さほど歩かずに応接間へと辿り着いた。
「ここでしばらくお待ちください」
突然の訪問だったため、リバーサイド男爵の予定が詰まっているのか、それとも舐められないための措置なのか、ヴィクターたちは長時間応接間で待つことになった。
「なかなかいらっしゃいませんねぇ」
「そうですねぇ」
出された美味しい紅茶とお茶菓子を楽しみながら、二人はとりとめもない話をしつつ男爵を待つ。
「待たせたな」
現れた男爵は、きょどきょどとした目が特徴的な小男だった。さほど威厳のある人物ではなかったため、内心リンは安心する。
男爵はリンたちの対面のソファに座ると、早速と言わんばかりに話を切り出した。
「それで、医術師どのが村の疫病について話があるとはどのようなことかな。援助であれば、すでに用意はしてあるが」
「それについてですが……」
ヴィクターはゆっくりとわかりやすく、水質汚染と疫病の関係、そして現在バーリ村で起こっていることについて話をしていった。
話が進むにつれて、リバーサイド男爵の眉間に、深い皺が刻まれていく。
「そうは言ってもな……庶民にはわからぬかもしれんが、領の運営には莫大な金がかかる。汚水対策をせよと言われても、そのような予算は我が領には存在せぬ」
「では、バーリ村のことは見捨てると?」
「そういうわけではないが……」
空気は重苦しく、ギスギスとした不協和音を奏で始める。
何度かヴィクターが食い下がるものの、結局交渉はうまくいかず、リバーサイド男爵からはついぞ汚水対策を行うという返答は得られなかった。
リンは、胃のなかがムカムカとした不快感に襲われるのを耐える。あの、母親に楽をさせてやりたいと願っていた少年の、最後の顔が脳裏に浮かんだ。
あの少年はなぜ死ななければならなかったのか。なぜ、こんなことが許されているのか。一つの村を丸々犠牲にして、それで開発しなければならない農園とはなんなのだろうか。
そんな疑問が、ぐるぐると頭の中を駆け巡っていく。
二人は無力を抱えたまま、リバーサイド男爵家を後にした。




