第3話
事務所を開いてから3日経った。
依頼は文字通りゼロだった。
ボロボロのソファに沈み込んだレンが、指で自身の腕をトントンと叩く。
金属音が虚しく響くだけだ。
ハイネックのノースリーブ姿のツバサがレンの後ろでしゃがみ、呟いた。
「レン。腹減った」
レンは肩越しにツバサを見た。
「さっきなんか食ってなかったか?」
「知ってるでしょ? 僕、燃費悪いんだから……ていうか、レンは減らないの?」
「減った」
レンは短く答えて立ち上がった。
「金もねえし飯もねえ。どうすんだよ」
ツバサが立ち上がり近づいてくる。
「だったらさ、動こうよ。事務所にいても客なんか来ないって」
「動くってどこへだよ」
「とりあえず看板持って街歩こう!」
「そういうのはなー、なんかダサいというか」
「『何でもやります』って書いてあるんだから、顔売りに行かなきゃ」
「売る顔がない奴に言われてもなぁ」
「あー、それちょっとムカつくー」
レンはため息をついたが、結局従った。
二人で手書きの看板を担ぎ、夜桜区の雑踏へ繰り出した。
人と魔導車が行き交う。
看板を見た通行人がチラチラ視線を投げてくるが誰も声をかけてこない。
33分後――
奥様風の初老の女性がおずおずと近づいてきた。
「あの……本当に“何でも”やってくれるんですか?」
レンは即答した。
「金さえもらえりゃ何でもやりますよ」
女性はホッとしたように胸を撫で下ろし、小さな籠を見せた。
「実は猫が逃げちゃって……マルルっていう三毛猫なんです」
女性は路地裏の方に視線を送る。
「私一人じゃ捕まえられなくて……」
レンの表情がはっきりと萎えた。
「……猫探し、ですか」
ツバサの炎が楽しげに揺れる。
「いいじゃん! 簡単そう!」
「簡単って……俺たちの初仕事だぞ?」
「初仕事が猫でもいいじゃん! 猫可愛いし! レンも猫好きでしょ?」
「好きじゃねえよ」
「嘘! 昔、子猫拾ってきて『名前はツバサ二号』とか言ってたじゃん」
「……黙れ」
レンとツバサが路地裏を覗く。
そこに三毛猫がゴミ箱の陰でこちらを睨んでいた。
レンが指を差した。
「あれですか?」
「そうです! マルルちゃん! こっちおいでー!」
奥さんが手を振るが、猫は完全に無視。
尻尾をピンと立てて逃げようとする。
レンは右手を軽く開いた。
「ったく……」
バシュッ!
次の瞬間、レンの肘から先が射出された。
魔力回路が光り、ワイヤーが軌跡を描いて飛ぶ。
ガシャン!
猫の胴体を優しく、確実にキャッチ。
猫は一瞬「ミャオッ!?」と声を上げたが、指が自動で締まって拘束された。
レンが手を軽く引くと、ワイヤーが巻き戻り肘に戻ってくる。
猫は空中でくるんと一回転して、レンの腕の上に着地した。
彼は猫の首根っこを掴み、奥さんの方へ差し出した。
「こちら、お探しのマルルちゃんです。お支払いをお願いします」
奥さんは目を輝かせて拍手した。
「すごいすごい! 魔法みたい!」
ツバサもテンションが上がっている。
「レンかっこよかったー!」
「……褒めるな」
「でも本当にかっこよかったよ!」
「やめろ恥ずかしい」
「ワイヤーが出た瞬間、マルルちゃんの顔が『え?』ってなってて超ウケた!」
レンは猫を籠に移しながら小さく鼻を鳴らした。
「……こんな使い方するために付いてるんじゃねえんだけどな」
猫はレンの義手に軽く噛みついただけで大人しく籠に入った。
報酬は銅貨五枚だった。
女性が頭を下げて去る。
レンは空を見上げた。
ツバサは銅貨を指先でくるくる回しながら完全に上機嫌だ。
「五枚もあるよ! これで固パン食える! 買いに行こうー!」
「テンション高すぎだろ、お前」
「だって久しぶりにお金入ったんだもん! レンだって腹減ってるくせに」
「……固パンじゃ腹の足しにもならねえ」
「じゃあ明日からまた猫探しすればいいじゃん!」
「どんだけ探すんだよ」
「夜桜区の猫全部捕まえて『猫専門なんでも屋』になろー!」
「絶対嫌だ」
レンは手で顔を覆った。
「俺たちはな……もっと上を目指せるはずなんだよ」
「上って?」
「……猫探しとかじゃなくて」
「じゃなくて?」
「俺たちはもっとレベルの高い仕事ができるはずだ」
そのときだった。
路地の奥からくぐもった叫び声が聞こえてきた。
覗くと、ボロボロのコートを着たホームレスが3人組の若者に囲まれていた。
蹴り飛ばされ地面に這いつくばっても若者たちは笑いながら靴底を振り下ろす。
この街では日常風景だ。
弱い奴は淘汰される。
それだけ。
レンは一瞥して踵を返そうとした。
が、背後で指がレンの裾を掴んだ。
ツバサの低い声が響く。
「……いいの?」
レンは立ち止まり胸元を掻いた。
「……見ず知らずのジジイに、俺たちが何で」
ツバサは静かに、しかしはっきりと答えた。
「昔の俺たちみたいだから」
「……昔の俺たち、はもっとヤバかったろ」
「でも、誰も助けてくれなかったじゃん」
レンの肩がわずかに震えた。
次の瞬間。
レンは路地に飛び込んでいた。
右拳が最初の一人の顔面を捉えた。
「おい、てめえら」
若者が吹っ飛び壁に激突した。
残りの二人が慌てて振り返る。
「目障りだ。失せろ」
ツバサも静かに路地に滑り込み、炎を不気味に膨らませた。
「3秒やる。逃げ遅れたら燃やすよ」
若者たちは悲鳴を上げて逃げ出した。
慌てて路地を抜け、姿を消す。
ホームレスが震えながら顔を上げた。
目が合った瞬間怯えたように後ずさる。
レンは踵を返した。
「……礼なんかいらねえよ」
ツバサがホームレスの前にしゃがんだ。
「怪我、大丈夫?」
老人は震えながら首を振った。
「……あ、ありがとう……お前さんたち、怖い顔してるけどいい奴らだな」
ツバサの炎が少しだけ柔らかく揺れた。
「怖い顔は生まれつきなんで」
レンは路地の入り口で立ち止まり、振り返らずに言った。
「ツバサ、行くぞ。腹減った」
ツバサが立ち上がる。
「うん。でも……あと一仕事、探そうか」
レンは小さく笑った。
「……ああ。もっとデカい仕事がいいな」




