第10話
二人が診療所の前に戻ると、扉のすぐ横に巨大な影が立っていた。
ガンドだった。
右腕の機械義肢が鈍く光っている。
待ち伏せしていたかのように、二人の進路をぴたりと塞いでいた。
路地の湿った空気が急に重くなった。
レンが足を止めた瞬間、ガンドがゆっくり顔を上げた。
傷だらけの顔に怒りと憎しみと、どうしようもない悲しみが渦巻いている。
「よぉ、さっきぶりだな坊主」
レンは眉をしかめてため息を吐いた。
「お前に用はねぇ」
「そうかよっ!」
ガンドが一歩踏み出す。
ズンッ!
次の瞬間、右腕が唸りを上げて振り下ろされた。
ゴオオオッ!
レンが反射的に身を沈める。
その拳が、頭上スレスレを通過――
ガギャアアアン!!!
拳がレンの後ろにいたツバサを真正面から捉えた。
「っ……!」
ツバサが吹き飛び、路地のゴミ箱に激突。
ガシャアアン!!!
ゴミ箱がひしゃげ、ゴミが飛び散る。
「あっ……!」
レンが思わず声を漏らした。
レンが一気に踏み込む。
ドドドッ!
三連撃で拳をガンドの胴に叩き込む。
衝撃でガンドの巨体がわずかに浮いた。
「ぐっ……!」
だがガンドは怯まない。
巨掌でレンの胴を掴み、地面に叩きつけた。
「ぐあっ!」
背中がアスファルトを打ち、肺の空気が全部抜ける。
視界がチカチカした。
ガンドの義肢がギチギチと変形し始める。
装甲板が開き、青白いプラズマが渦を巻いて凝縮。
ジリリリリリ!
空気が歪み、地面の小石が浮かび上がる。
熱波がレンの顔を焼いた。
砲口が完全に開いた。
「あばよ」
プシュー
しかし、光が収束していく。
「やらせないよ~」
ゴミ箱から這い出してきたツバサが片膝をついたまま端末を操作していた。
体にへばりついたゴミがぽろぽろ落ちる。
指が高速で画面を這う。
「発射シーケンス、強制キャンセル~」
ガンドの腕の光がぴたりと止まった。
プラズマが逆流し、義肢から火花が散る。
レンが笑った。
「ナイスだ、ツバサ」
レンは右腕から光の刃を立ち上げ、同時に跳ね起きた。
刃がビュンッと空気を裂く。
ガンドは大きく後退した。
地面に亀裂が走る。
二人が睨み合う。
殺意と殺意が火花を散らした。
その瞬間――
バンッ!!!
診療所の扉が蹴り開けられた。
「やめんかバカ者どもがぁぁぁ!!」
タツロが杖を振り回しながら飛び出してくる。
白髪が逆立ち、目が据わっている。
戦争時代の鬼教官がそのまま出てきたような迫力。
3人が一瞬、ビクリと固まった。
ガンドが口を開く。
「タツロじい……でもよ!」
「うるさい! 喧嘩ならよそでやれ!」
じいさんはレンとツバサを交互に見て、深いため息を吐いた。
「お前らか……3人とも中に入れ。こんなところで話してられんわい」
じいさんは強引に3人の背中を押すようにして診療所の中へと押し込んだ。
駄々っ子を叱る親みたいに。
待合室の古いベンチにレンとツバサが並んで腰掛けた。
ガンドは向かいのソファにどっしりと座る。
ソファがミシミシと悲鳴を上げた。
タツロがやかんの湯気を立てながら4つの湯飲みに茶を注いでいる。
ガンドが腕を組んだまま睨みつけてきた。
「お前らのことは絶対に許さねぇ」
レンは足をぶらつかせながら答えた。
「こっちのセリフだろ」
ツバサが体を揺らしながら言った。
「べーっだ」
タツロが湯飲みを置きながら釘を刺す。
「中で喧嘩したら、死んでも治療してやらんぞ」
3人は一瞬、口を閉じた。
湯気がゆらゆらと立ち上り、部屋に静寂が落ちた。
ガンドが低い声で切り出した。
「お前らは……何を運んでいたか分かってんのか?」
レンは湯飲みを手に取り、ふうっと息を吹きかける。
「仕事内容を話すほど落ちぶれてねぇな」
ガンドの義肢がギチリと鳴った。
「知ってるんだな」
「だとしたら?」
「やはり……生かしておけん」
その瞬間、タツロじいさんがガンドの頭の上から熱いお茶をざばっとかけた。
「あっちぃいいいい!」
ツバサが腹を抱えて笑い転げる。
「ははははっ! じいさんやるぅ!」
ガンドが立ち上がって怒鳴った。
「何すんだじじい!」
「言葉の通じん奴には仕置きじゃ。バカもん」
じいさんは平然とお茶を淹れ直し、3人の前に置いた。
そして自分も腰を下ろし、茶をすすった。
じいさんが湯飲みを置く音が部屋に響く。
「まぁ、なんじゃ。ガンド。お前はこの件から手を引け」
ガンドが拳を握りしめる。
「なんでだよ! 俺たちの未来がかかってんだぞ!」
「この辺りはアクセラの支配下じゃ。お前の力が強くても、個は集団に勝てん」
「いいのかよ! お前の孫だってあいつらに……!」
「それ以上言うな」
じいさんの声が初めて震えた。
レンが面倒くさそうに口を開く。
「悪いけど、その話長くなりそう? 俺たち帰っていい?」
ガンドがレンに視線を向けた。
「そもそも、お前らがあの文書を大人しく渡しておけばこんなことには!」
「文書……ねぇ?」
ツバサが無邪気に口を挟む。
「文書ってさっきの人身売買のリスト?」
レンが目を丸くしてツバサを見た。
「お前……」
4人の間に重い静寂が落ちた。
ガンドがゆっくりと立ち上がる。
「さっきって……お前、ピッキングリストを持ってるのか!?」
レンがとぼけた。
「イヤー、ナンノコトデショー?」
ガンドが詰め寄る。
「その顔は持ってるな! 出せ! 今すぐ出せ!」
「イヤー、イライノコトダカラ」
「頼む……この町の子供たちの命がかかってるんだ……」
ガンドの声が掠れた。
ツバサが小声でレンの裾を引く。
「レン……」
レンはため息を吐いて、ポケットから折りたたんだ紙を取り出した。
そしてわざとらしく指で弾いてみせる。
「はぁ……いくら出す?」
ツバサが慌てて叫ぶ。
「レンッ!?」
「これは取引だ。俺たちもタダで危ない橋は渡りたくねぇ」
ガンドが必死に答える。
「銀貨……いや、金貨2枚はすぐ出せる!」
レンが首を振った。
「……ダメだ。足りねぇ」
ツバサがまた叫ぶ。
「レン!」
「俺たちは慈善事業じゃねぇ」
ガンドの巨体がゆっくりと傾く。
膝が床に落ちる。
ドスン!!!
埃が舞い上がり、床板が軋む。
肩がガクガク震える。
「……頼む……子供たちを……」
涙がぽろぽろと床に落ちる。
「すまねぇ。泣くつもりじゃ……。頼む……足りない分は絶対にかき集める!」
巨漢の頬を涙が一筋伝って落ちる。
「……それでも足りねぇなら、お前らのために何でもやる……だから……」
ツバサの炎が小さく揺れた。
「……レン」
レンがため息を吐いて、ポケットから紙を取り出す。
指先で軽く弾いて――
ひらっ。
紙がゆっくりと宙を舞い、ガンドの震える手に落ちた。
「はぁ、男が泣くな。ほら、これで涙でも拭けよ」
「あぁ……おい……これは……」
ガンドが顔を上げたとき、レンはもう立ち上がり、扉に向かっていた。
背中を見せたまま振り返らない。
ツバサが慌ててガンドとタツロじいさんに軽く頭を下げ、外に出る。
路地に出てレンの横に並ぶと、ツバサがにやにやしながら肘で突く。
「へへっ、結局タダであげちゃったね」
レンが顔を背けて鼻を鳴らす。
「あんな厄介なネタ、ずっと持ってる方がやべぇだろ」
「照れちゃってー」
「うるせぇ」
二人が歩き出す。
レンがぽつりと呟いた。
「ツバサ。夕方以降、この辺りの電信網スキャンできるか?」
「うん、できるよ。どうして?」
「もし不穏な動きがあったら、すぐに教えてくれ」
「了解っ。……なんか、面白くなりそうだね」
レンは小さく笑った。
「ああ。少しな」
二人の足音が路地の奥へと遠ざかっていく。
診療所の前で、ガンドはまだ紙を握りしめたまま膝をついたまま動けずにいた。
涙が紙に染みを作っていく。
――同時刻、燐光区・大病院最上階。
ドアが勢いよく開いた。
秘書が血相を変えて飛び込んでくる。
院長ヤベゥはガラスから外を見ていた。
「院長! 大変です!!」
「……どうした」
「ソウルストーンの納品は確かにありましたが……」
「なんだ、はっきり言え」
「商品目録の原本が箱の底から消えています!」
ヤベゥはゆっくりと振り返った。
「……誰が持ってきた?」
秘書がタブレットを差し出す手が震えている。
再生された内部映像には2つの人影だけが映っていた。
箱を渡し検査機が認証を終え金貨を受け取って去っていく。
だが外周カメラは最初から真っ白だった。
内部カメラも顔を捉えたアングルは一つもない。
特徴らしきものは一切映っていない。
秘書が掠れた声で続けた。
「入場ログ、顔認証、生体反応……全て空白です」
「外周記録は最初から存在せず内部映像もこれだけ……」
ヤベゥは映像を数秒無言で見つめた。
ヤベゥの肩が小刻みに震え始める。
くくっ……くははっ……!
次第に笑いが大きくなり、部屋中に響く。
「くはははははは!! 完璧だ……完璧すぎる!!」
低い震える笑いだった。
「プロだ。いやこれは“プロ”という言葉じゃ足りんな」
ヤベゥはタブレットを掴み軍用暗号回線を即座に立ち上げる。
赤い警告灯が点滅した。
旧皇国軍の極秘チャンネルが開く。
【最優先指令/ブラックリスト-Ω】
本日 ソウルストーン納品者二名
特徴不明/顔認証不能/目録盗難容疑
即時確保・生け捕り最優先
報酬:生体300金貨/死体100金貨
情報提供のみでも50金貨
――ナンバーズの可能性極めて高い
送信ボタンを押すと同時にヤベゥは秘書に命じた。
「軍の古い仲間にも回せ。奴らを狩れるのは奴らを知る者だけだ」
窓に近づき街を見下ろす。
握り締めた拳が静かに震えていた。
「……コケにしやがって」
ガラスに映る瞳が獣のように細く光った。




