5話:Unspoken Courage ~残された者たちの沈黙~
トラックの金属製のドアを押し開ける。 外の熱風が一気に運転席へ流れ込んできた。
俺はアスファルトではない、乾いた土の地面にブーツの底を下ろす。 ザクッという音と共に、細かい砂が靴の周りに舞い上がった。
村のメインストリートらしき道を、ゆっくりと歩き始める。 道の真ん中には、屋根瓦の破片や折れた木の枝が散乱していた。 足の裏に、硬い瓦礫を踏み砕く嫌な感触が伝わってくる。 太陽の光が容赦なく照りつけ、白いワイシャツの背中がじっとりと汗ばんできた。
道の右側にある、崩れかけた一軒の家に目を向ける。 玄関の太い木の柱には、巨大な刃物でえぐられたような深い傷跡が残っていた。
俺は近づいて、そのささくれた木肌を指先でなぞってみる。 表面は完全に乾燥していて、かなり前に付けられた傷だと分かる。
だが、すぐ隣の壁にある傷は違った。 土壁が大きくえぐれ、まだパラパラと乾いた土が崩れ落ちている。
新しい傷だ。 この村は、一度だけではなく、何度も繰り返しあのバケモノに襲われている。
鼻をすんっと鳴らす。 土埃の匂いに混じって、かすかに甘ったるい腐敗臭のようなものが漂ってきた。 森の方から風に乗って流れてくる不気味な匂いに、俺は顔をしかめる。
ガサッ。
ふいに、前方の崩れた石壁の陰から物音がした。 俺は反射的に立ち止まり、サングラスの奥で目を細める。 乾いた風の音だけが響く中、その影からゆっくりと人影が這い出してきた。
腰が大きく曲がった、小柄な老婆だった。 色あせた布の服を何枚も重ね着している。 老婆は太い木の杖を突きながら、ズルズルと足を引きずって俺の方へ近づいてきた。
その顔には深いシワが刻まれ、村を束ねる長老のような威厳と、酷い疲労が混ざり合って見える。
「あんたが、ギルドに依頼を出したんか」
俺は油断なく周囲に気を配りながら、少しだけ声を張って尋ねた。
老婆は濁った目で俺のラフな格好を見上げ、ゆっくりと縦に首を振る。
「親蜂のアルヴィア、一匹の討伐。これで間違いあらへんな」
俺がズボンのポケットから丸めた依頼書を取り出して見せる。 老婆はまた、無言でこくりと頷いた。 杖を握るシワだらけの手が小刻みに震えているのが、ここからでもはっきりと見えた。
俺は依頼書をポケットにしまい直し、頭をポリポリと掻いた。
親蜂のアルヴィア。 蜂型の巨大なバケモノだ。
俺の知識が正しければ、蜂というのは巨大な巣を作り、集団で行動する生き物のはずだ。
親蜂がいるなら、その周りには無数の働き蜂や兵隊蜂が群れをなしているのが普通や。
それなのに、依頼書には親蜂一匹の討伐としか書かれていない。
老婆も今、一匹だけで間違いないと確信を持って頷いた。
考えれば考えるほど、パズルのピースが噛み合わないような気持ち悪さがある。
俺は言葉を発しない老婆から目を逸らし、甘ったるい匂いが漂ってくる暗い森の奥へと視線を向けた。
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履き慣れた分厚い革のブーツが、乾いた土を踏みしめる。 ザクッという重い音が、静まり返った村に響いた。
足の裏から、太陽に熱された地面の熱気がじわりと伝わってくる。 俺は老婆の目の前まで歩み寄り、立ち止まった。
「ばあさん、ちょっと詳しい話を聞かせてくれへんか」
俺が少し身をかがめて尋ねると、老婆は濁った目をゆっくりと瞬きさせた。 カサカサに乾いた唇が震え、掠れた声が漏れ出てくる。
老婆の口から語られたのは、この村が辿ってきた絶望の記録だった。
蜂型のアルヴィアは、本来なら巨大な群れを作って行動する。 村の人々も最初はそれに気づき、何度も軍に救援の依頼を出したらしい。
だが、ここは辺境の小さな村だ。 軍が重い腰を上げて派遣してきたのは、型落ちの機体が数機か、古い戦車が数台だけだったという。
「軍隊さんは、みんな蜂の餌食になっちまったんだよ」
老婆の震える言葉に、俺は革ブーツの中で足の指をギュッと丸めた。 アルヴィアの生態について、俺は嫌というほど知っている。
あいつらは、ただの獣やない。
倒した機体の装甲や鉄屑を喰らい、自分たちの外殻をより強固なものへと作り変えていく厄介なバケモノだ。
背筋を冷たい汗がスッと流れ落ちるのを感じた。 派遣された貧弱な部隊は、次々と蜂の群れに敗北していったんや。
そして蜂たちは、その残骸を喰ってどんどん凶悪に強化されていった。
トラックでここまで走ってくる道中で見かけたあの廃墟たちは、強化された群れが喰い散らかした爪痕やったんや。
親蜂が一匹だけで行動しているわけがない。 親蜂の討伐依頼だとしても、あの不気味な森の奥には、鉄を喰って丸々太った群れがまだうじゃうじゃと潜んでいるはずだ。
俺はワイシャツの胸元を掴み、パタパタと揺らして熱を逃がした。 額から流れ落ちた汗が、丸いサングラスの縁を伝って地面に落ちる。
「それで、村の若いモンや他の連中はどこにおるんや」
俺が周囲を見渡しながら問いかける。 崩れかけた家屋の陰にも、ひっくり返った車の裏にも、人の気配は全くないように思う。
風の音だけが虚しく響いている。
「今はもう、村には三十人くらいしか残っとらん」
老婆は太い木の杖にすがりつくようにして、深くため息をついた。 残った村人たちは皆、いつ蜂が襲ってきてもいいように、地下の貯蔵庫や壊れた家の床下に身を潜めて震えているという。 この殺風景な外に出ているのは、ギルドからの助けを待つために見張りに立っていたこの老婆だけだった。
風の向きが変わり、あの甘ったるい腐敗臭が再び鼻を突く。 俺は革ブーツの踵で地面を軽く蹴り、暗く沈む森の方角をじっと睨みつけた。
ーーーーーーーーーーーーー
じりじりと焼けるような日差しが、丸いサングラスのフレームを熱くしている。 俺は少し前かがみになった姿勢のまま、目の前に立つ小柄な老婆を見下ろした。 カサカサに乾いた風が吹き抜け、彼女の着ている色あせた布の服をパタパタと揺らす。 俺は革ブーツのつま先で、地面の固い土をコツンと軽く蹴った。
「ばあさん、一つ聞かせてくれ」
俺はサングラスの位置を指先で直し、わざとゆっくりとした口調で問いかける。 額から落ちた汗が、頬を伝って顎の先からぽたりと地面に落ちた。
「なんで親蜂一匹だけの依頼なんや。あんな化け物が群れでウロウロしとるんやったら、普通は群れごとの討伐をギルドに頼むもんやろ」
俺の言葉に、老婆は深く刻まれた顔のシワをさらに寄せてうつむいた。 太い木の杖を握る両手が、さっきよりも小刻みに震え始めている。
絞り出すような、ひどく掠れた声が老婆の口からこぼれ落ちた。
「..........今のこの村には、もうそんなお金ないんだよ。」
その言葉が、熱風と一緒に俺の耳へ届く。 俺は一瞬だけ息を止め、言葉の続きを待った。
度重なる襲撃で、村の畑も家畜も全部ダメになってしまった。 ギルドに高額な報酬を払って大規模な討伐部隊を呼ぶような余裕は、今の村の資産では到底無理な話らしい。
村人全員のなけなしの財産をかき集めて、ようやく出せたのがあの一匹分の依頼だったのだ。
「親蜂さえ倒してくれれば、あいつらの動きは少しだけ鈍くなる」
老婆は濁った目で俺を見上げ、悲痛な顔で訴えかけてくる。
「いっときの時間稼ぎにしかならないのは、村の誰もが分かっているんだ。それでも、今はそうするしか生き延びる道がないんだよ」
足元から、また乾いた砂埃が舞い上がった。 砂粒が頬に当たるザラザラとした感触が、妙に生々しく感じられる。 群れを倒す金がないから、せめて親玉だけでも倒して時間を稼ぐ。
その間に村を捨てるのか、それとも別の解決策を探すのかは分からない。
ただ一つはっきりしているのは、この依頼がとんでもない貧乏くじだということだ。
俺は大きく息を吐き出し、天を仰いだ。 雲一つない青空が、やけに眩しく目に突き刺さる。 脳裏に、ギルドの薄暗いカウンターに座っていた受付のおばちゃんの顔が浮かんだ。
俺がこの依頼書を選んだ時、あのおばちゃんは呆れたように大きなため息をついた。 そして俺の顔を見て、物好きだなと鼻で笑ったのだ。
その言葉の本当の意味が、今になってようやく腹の底に落ちてきた。
あのおばちゃんは、全部知っていたんだろうか。
この村の懐事情も、森に潜む鉄喰いの群れの恐ろしさも。 一匹分の安い報酬で、強化された蜂型アルヴィアの群れ全部を相手にしなければならない狂った依頼だということを。
「ほんま、えげつない話やで」
右手の指先で、ズボンのポケットの上から丸めた依頼書の感触を確かめる。 紙のザラザラとした感触と一緒に、不思議と胸の奥が熱くなるのを感じた。
ここで逃げ出したら、俺の信じる流儀に反する。 俺はワイシャツの袖を力強く捲り直し、老婆に向かって小さく頷きを返した。
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熱風がまた一つ、崩れかけた村を吹き抜けていく。 俺は足元の瓦礫を、分厚い革ブーツの裏で踏み鳴らした。 ジャリッという乾いた音が、鼓膜をひどく刺激する。
これだけ村がボロボロにされているなら、ここに執着する理由なんてないはずや。
「ばあさん、いっそのこと村を捨てて逃げた方がええんとちゃうか」
俺は丸いサングラスの奥から、老婆のシワだらけの顔を真っ直ぐに見下ろした。 ギエルレウに三十人は乗せられないが、俺が乗ってきたトラックの荷台なら押し込めるはずだ。
「今からでも遅くないで。蜂退治やなくて護衛ミッションに切り替えて、安全な街まで俺が送り届けたってもええんやで」
俺の提案に、老婆は太い木の杖に両手を重ね、ゆっくりと首を横に振った。 逃げられる体力のある若者や家族は、もうとっくにこの村を捨てて出て行ったらしい。
今この地下に隠れて震えている三十人は、どうあってもこの土地から離れられない連中ばかりだと言うのだ。
「ここは私たちの故郷なんだよ。ここ以外に、死に場所なんてないんだ」
老婆のしゃがれた声には、不思議なほどの力強さがこもっていた。
俺は少しだけ口を半開きにして、老婆の言葉を頭の中で反芻する。
故郷。 帰るべき場所。
泥水と火薬の匂いしか知らない俺の過去に、そんな綺麗なものは一切ない。
アヴェントゥラが俺の家族で、俺の家だ。
でも、このばあさんたちが本気でこの土に骨を埋める覚悟だということだけは、その濁った目を見ればはっきりと分かった。
俺は小さく息を吐き出し、首に巻いたタオルで顔の汗を乱暴に拭う。 タオルのザラザラとした感触が、少しだけ頭を冷やしてくれた。
「分かった。なら、腹括るしかないな」
ズボンのポケットから両手を出し、腰に当てて大きく背伸びをした。 背骨がポキポキと鳴る音が、静まり返った村に響く。
依頼通り、あの不気味な森に潜む蜂を、きっちり退治する。 それが俺の引き受けた仕事だ。
とはいえ、軍の兵器を喰って強化された鉄喰いの群れがうようよいる森へ、真っ正面から突っ込むのはただの自殺行為や。
いくら俺の愛機ギエルレウが機動力に優れていても、数の暴力には絶対に勝てない。
装甲の薄い俺の機体なんて、群れに囲まれたら一瞬で窮地だ。
俺は足元の土をブーツのつま先で軽く蹴り飛ばし、暗く沈む森の入り口へと視線を向けた。 木々の隙間から漂ってくる、あの甘ったるい腐敗臭がさっきよりも強くなった気がする。 風向きが変わったのだ。
最低でも親玉の首を取る。 そのための、泥臭くて確実な作戦を立てんとあかん。
俺は脳内で、ギエルレウの武器ラックに積んであるマシンガンとハンドガンの弾数を素早く計算し始めた。
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額に張り付いた前髪を、指先で鬱陶しそうに掻き揚げる。 じっとりとまとわりつく熱気に、俺は小さく息を吐いた。
「ばあさん、ちょっと頼みがあるんやけど」
俺は丸いサングラスの位置を直し、目の前の老婆に声をかけた。
「この辺りの詳しい地図、どっかにないか。ただの道案内やのうて、山の高低差がちゃんと描いてあるやつや」
老婆は濁った目を向けたまま、無言で俺の言葉を聞いている。 乾いた風が吹き抜け、彼女の着ている色あせた布の服がパタパタと音を立てた。
「それと、もう一つや」
俺は革ブーツの踵で地面を軽く叩き、言葉を続ける。
「村の中に、使い捨ててもええようなでかい金属の塊、どっかに転がってへんか。鉄屑でも農機具の残骸でも、なんでもええんやけど」
俺の要求に、老婆は顔のシワをさらに深く寄せた。 太い木の杖に体重をかけ、少しだけうつむいて考え込んでいる。 老婆の頭の上を、ギラギラとした太陽が容赦なく照りつけていた。 風に乗って微かに届く、森からの甘ったるい腐敗臭が鼻を突く。
しばらくの沈黙が落ちた。 俺が次の言葉をかけようとした時だ。
老婆が急に顔を上げ、大きく息を吸い込んだ。 薄い胸が膨らみ、シワだらけの首筋にピンと筋が張る。
「お前さんたち、もう出てきても大丈夫だよっ」
老婆の細い体からは想像もつかないほど、大きく甲高い声が響き渡った。 声は崩れかけた石壁に反響し、静まり返った村にビリビリと空気を震わせる。
俺は予想外の大きな声に驚き、思わず肩をビクッと揺らした。
声の余韻が風に流されて消えていく。 また元の不気味な静寂が戻ってくるかと思った。 だが、違った。
ガサガサッ。
すぐ右手の、屋根が抜け落ちた廃屋の奥から物音がした。 俺は反射的に腰を落とし、警戒してそちらへ視線を向ける。
木の板が擦れるギシッという鈍い音が続いた。
床下を塞いでいた真っ黒な木の板が、内側からゆっくりと押し開けられる。 そこから、土まみれの手がヌッと突き出してきた。
続いて、道の反対側にあるひっくり返った荷車の裏からも音がした。
ジャリジャリと、誰かが這い出てくるような砂を擦る音が聞こえる。 俺は視線をあちこちへ素早く動かした。
あっちの石壁の裏からも。 こっちの崩れた蔵の陰からも。 まるで地面から湧き出してくるように、次々と人の姿が現れ始めたのだ。
土気色の顔をした男。 ボロボロの服を着た女。 不安そうに親の足元に隠れる小さな子供。 みんな一様に泥だらけで、怯えたような目を俺に向けている。
その数は一人や二人ではない。 十人、いや、十五人近くはいるだろうか。
「なんやこれ、おったんかいな」
俺はポカンと口を開け、次々と現れる村人たちを呆然と見渡した。 さっき村に入ってからずっと、周囲には人の気配を感じなかった。
それなのに、俺のすぐ数メートル先にある瓦礫の下に、これだけの人間が息を潜めて隠れていたのだ。
じわりと背中に冷たい汗が伝うのを感じた。 これだけの人数が、音一つ立てずにずっと息を殺していた。 赤ん坊の泣き声も、咳払い一つも聞こえなかった。
それがどれほど異常な恐怖に支配された結果なのか、嫌でも理解できてしまう。
俺は丸いサングラスの奥で、大きく目を見開いたまま立ち尽くしていた。 足元から、村人たちの体に染み付いた古い汗と泥の匂いが漂ってくる。
ーーーーーーーーーーーーー
泥だらけの村人たちが、俺をじっと見つめている。 誰一人として声を発さない。小さな子供でさえ、親の足にしがみついて口を固く結んでいる。
蜂型のバケモノに何度も何度も襲われるうち、こうして息を潜めて隠れる練習を嫌というほどさせられてきたんやろな。
俺は丸いサングラスの奥で、小さく目を伏せた。 ほんまに、気の毒な話やで。
こんな異常な静けさが当たり前になるまで、一体どれだけの恐怖を味わってきたんや。
「にいちゃん、金属の塊やったら、あそこにあるもんを使ってくれてええよ」
土気色の顔をした中年の男が、かすれた声で遠慮がちに口を開いた。 男の指差す先へ、俺はゆっくりと首を向ける。
村の端っこに、巨大な建造物の残骸が転がっていた。 男の話では、元々は村の水を管理するための浄水塔だったらしい。 俺は革ブーツを鳴らして、数歩だけそっちへ近づいた。
見上げるほどの高さがあったはずの塔は、上半分がごっそりと消え失せている。 まるで力任せに噛みちぎられたように、鉄の断面がギザギザにひしゃげていた。
残っているのは、地面に突き刺さった数本の太い支柱だけだ。 塔の残骸から、鼻を突くような赤錆の匂いが風に乗って流れてきた。
使い捨ててええ、やない。 他にめぼしいでかい金属の塊なんて、もうこの村には残ってへんのや。
蜂の群れに美味そうな鉄は全部喰い荒らされて、あの骨組みだけが辛うじて残されたってわけか。 俺は首に巻いたタオルを握りしめ、じわりと滲む嫌な汗を拭った。
「にいちゃん、頼んでた地図、持ってきたで」
別の若い男が、息を切らしながら俺の横に駆け寄ってきた。 その手には、丸められた古い紙が握られている。 俺は受け取り、ザラザラとした紙の感触を指先で確かめながら、ゆっくりと広げた。
黄ばんだ紙の上には、かすれたインクでこの辺りの地形が細かく描かれている。 等高線が何重にも引かれていて、森の高低差が手に取るように分かった。 俺は指先で現在の村の場所をなぞり、そのままトラックで走ってきた迂回ルートを逆戻りする。
ふと、指先がピタリと止まった。 ここに来る途中で通り過ぎた、森の縁にあるいくつかの廃墟。 そのうちの一つの村が、妙に等高線の密集した場所に位置している。
俺は顔を上げ、さっきトラックで走ってきた道を振り返った。
あの廃墟なら、この森と山の高い部分が、まるっと見渡せるんちゃうか。
熱風が吹き抜け、広げた地図の端がバサバサと音を立てて揺れた。
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俺は再びギエルレウのコックピットに潜り込んだ。 シートに座ると、冷房の効いた空気が火照った体を包み込む。
両手の操縦桿を握り、足元のペダルを踏み込んだ。 青と白の機体が、重い足音を立てて浄水塔の残骸へと近づいていく。
塔の骨組みは赤錆だらけで、所々がひどく歪んでいた。 右手の操縦桿を手前に引き、機体の右腕を伸ばす。 マニピュレーターの指が、太い鉄の支柱をガシッと掴んだ。
操縦桿を通して、金属が軋む鈍い振動が俺の手首に伝わってくる。
そのままペダルを踏み込み、機体の重心を後ろへ傾けた。 ギガガガッという鼓膜を劈くような音が響き渡る。 赤茶けた錆の粉が、視界のメインモニターいっぱいに舞い上がった。 根本からへし折れた鉄の柱が、地面にドスンと重い音を立てて転がる。
細身で装甲の薄いギエルレウやけど、これくらいの力仕事ならなんとかなる。 俺は機体の両腕を器用に動かし、使い物になりそうな鉄の柱を何本か引き抜いた。
それを、乗ってきた大型トラックの荷台の外側へ太いワイヤーで括り付けていく。
ふとコンソールの端にある時計に目をやる。 時刻はちょうど昼を少し回ったところだった。
外部カメラが捉えた空は、眩しいほどに真っ青な色をしている。 ギラギラとした太陽が、少しだけ西へ傾き始めていた。
蜂は、夜になれば一斉に巣へ帰って休む習性があったはずだ。
暗闇の中で、見えない大群を相手にするのだけは絶対に避けんとあかん。
勝負を決めるなら、日が沈むまでの数時間しか残されていない。 俺は小さく舌打ちをして、鼻から大きく息を吐き出した。
トラックへの鉄屑の固定を終え、俺は機体から地面へと降り立った。 太陽に焼かれた土の熱さが、革ブーツの底からじわりと伝わってくる。 周囲には、村人たちが不安そうな顔をして固まっていた。 俺は首のタオルで顔の汗を拭いながら、彼らの方へ向き直る。
「ええか、俺が戻ってくるまで絶対に音を立てるなよ」
わざと低い声を作って、はっきりと告げた。 逃げ遅れた連中がおると思われたら、作戦が台無しになる。
「夜になっても明かりはつけるな。息を殺して、ひたすら暗闇の中で隠れといてくれ」
俺の言葉に、村人たちは一瞬だけポカンと口を開けた。 何か間違ったことを言ったやろか。
泥だらけの顔が並ぶ中で、村長らしきあの老婆だけがゆっくりと前に進み出た。
「にいちゃん、それは私らがいつもやってることだよ」
老婆は太い木の杖に寄りかかりながら、自嘲気味に口の端を歪めた。
怯えて息を潜め、暗闇で震えながらただ嵐が過ぎるのを待つ。
それがこの村の当たり前の日常なんやと、その掠れた声が物語っていた。
俺は何も言い返せず、丸い紫色のサングラスを指先で少し上に押し上げた。 胸の奥に、チクリとした嫌な痛みが走る。
今日でその日常を終わらせたると、大見得を切るほど俺はお人好しやない。
ただ、この胸糞悪いバケモノの親玉くらいは、きっちり地獄へ送ってやるつもりだった。
ーーーーーーーーーーーーー
ダメもとで聞いてみるか。
俺は足元の小石を革ブーツのつま先で転がし、老婆に向かって口を開いた。
「親玉の蜂について、なんか特徴とか知らんか。色が違うとか、羽の形がどうとか」
老婆は濁った目を伏せ、力なく首を横に振った。 周囲の村人たちも一様に下を向き、身を縮めている。
バケモノが来たら、ただ目を閉じて息を殺し、嵐が過ぎるのを待つだけなのだ。 襲い来る敵の姿をじっくり観察するような余裕なんて、あるはずがなかった。
「まあ、せやろな。野暮やったわ」
俺は短く息を吐き、トラックの方へと背を向けた。 その瞬間、背中にチリチリとした熱を帯びた視線が突き刺さるのを感じた。
老婆だけではない。 泥だらけの村人全員が、祈るような、すがるような目で俺の後ろ姿を見つめていたのだ。
自分の命を丸ごと預けられたような、ひどく重たくて嫌な感触だ。
俺はわざとらしく肩をすくめ、後ろを振り返らずに右手をヒラヒラと振ってみせた。
トラックの運転席によじ登り、分厚い金属のドアを力強く閉める。 外の異様な静けさが遮断され、少しだけ息がしやすくなった。
キーを回すと、古いエンジンがブルンと大きな唸りを上げて車体を揺らす。 アクセルを踏み込むと、荷台に縛り付けた鉄塔の残骸がガコンと鈍い音を立てた。
目指すのは、ここへ来る途中で見つけたあの廃墟の村だ。 この辺りの森を見渡せる絶好の場所。
あそこを作戦の舞台にする。 俺は大きなハンドルを切り、土埃を巻き上げながら来た道へとトラックを走らせた。
開け放たれた窓から吹き込んでくる風は、相変わらず生ぬるくて心地悪い。 未舗装の道を走るたび、座席の硬いスプリングが尻を何度も突き上げてくる。 俺は丸い紫色のサングラスを指先で押し上げ、右側の窓から外へ視線を向けた。
道のすぐ脇には、黒々と鬱蒼とした森がどこまでも続いている。 太陽の光を完全に拒絶するような、深い緑の壁だ。 そこから、あの甘ったるい腐敗臭が風に乗ってトラックの中まで流れ込んでくる。 匂いはさっき村にいた時よりも、確実に濃くなっていた。
ふと、森の境界線あたりで何かが動いた。 俺は反射的に目を細め、視点の焦点を奥の薄暗い木々へと合わせる。 太い木の幹の隙間を、黒と黄色のまだら模様が這い回っていた。
犬くらいの大きさがある、巨大な羽虫のシルエットだ。 一匹やない。 二匹、三匹と、カサカサと嫌な音を立てて落ち葉の上を移動しているのが見える。 透明な薄い羽が、木漏れ日を反射してギラリと光った。
間違いなく、蜂型のアルヴィアだ。 だが、村を次々と壊滅させるような親玉にしてはサイズが小さすぎる。 あれはただの働き蜂か、偵察に出ている下っ端の兵隊蜂だろう。
「やっぱり、群れは元気いっぱいで残っとるやないか」
俺は口の端を歪め、ニヤリと笑った。 親玉を一匹だけ倒して終わり、なんて都合のいい話にはなりそうにない。
大きなハンドルを握る手にぐっと力を込める。 俺はアクセルペダルをさらに深く踏み込み、トラックの速度を極限まで上げた。
ーーーーーーーーーーーーー
ガタガタと激しく揺れるトラックの運転席で、俺はひたすら大きなハンドルを握り続けていた。 開け放たれた窓から入り込む熱風が、汗ばんだワイシャツにへばりついてひどく気持ち悪い。
タイヤが未舗装の道の窪みを踏むたび、硬い座席のバネがお尻を容赦なく突き上げてくる。
俺は丸い紫色のサングラスを指先で押し上げながら、これからの蜂退治について頭を巡らせていた。
作戦なんて呼べるような、立派な代物やない。 目的の廃村に陣取って、ひたすらバケモノの群れを迎え撃つだけだ。
愛機ギエルレウの駆動エネルギーか、両手に持った銃のバッテリーがすっからかんになるまで戦い続ける。
エネルギーが尽きる前にあの親玉の蜂の眉間をブチ抜けたら、俺の勝ち。
もし先にこっちの弾と足が止まったら任務失敗や。
ひどく単純で、どうしようもなく泥臭い算段だった。 古いエンジンが、座席の下で重苦しい唸り声を上げている。
油と土埃の混ざった匂いを吸い込みながら、俺はふと考えた。 こんな無茶な状況に放り込まれた時、あの人たちならどうするんやろか。
いつも冷静沈着で、俺に銃の撃ち方を教えてくれた師匠。 あの人なら、どんな絶望的な数の群れを前にしても、顔色一つ変えずに完璧な射撃位置を見つけ出すんやろな。
豪放磊落で、声も図体もでかいおやっさん。 あの人なら、細かい計算なんて全部放り投げて、大笑いしながら真正面からバケモノの群れに突っ込んでいきそうや。
そして、掴みどころのないふんわりとした笑顔を浮かべる、シルヴィアさん。 こんな時どうするんやろ。 香水の匂いを漂わせながら、蜂の攻撃をひらりひらりと優雅に躱して、あっという間に親玉の急所を突いてしまうのかもしれない。
色々と思いを巡らせてはみるものの、具体的な戦術なんてちっとも思い浮かばなかった。 どれもこれも、今の俺の未熟な腕では到底真似できそうにないことばかりだ。
思考が上手くまとまらず、俺は大きく息を吐き出して首に巻いたタオルで汗を拭った。
ただ、一つだけ確信を持っていえることがある。 師匠も、おやっさんも、シルヴィアさんも、もちろんユミィも
こんな状況で絶対に背中を見せて逃げ出したりはせえへん。
アクセルペダルを踏み込む右足の裏に、自然とぐっと力がこもった。 脳裏に、あの崩れかけた村で息を潜めていた人々の顔がふいにフラッシュバックする。
土気色の顔をした男。 親の足にしがみついていた小さな子供。 そして、俺に命を丸ごと預けるように見上げてきた、あの長老のばあさんの濁った目。
あんなもんを見せられてしっぽを巻いて逃げ出すようじゃ、俺は一生あの4人に顔向けができひん。
「しゃあない、やったるか」
誰に聞かせるわけでもなく、狭い運転席の中で短く呟いた。 フロントガラス越しに見える景色が、少しずつ坂へと変わっていく。
目的の廃村のシルエットが視界に入ってきた。
腹の底でくすぶっていた不安の種が、確かな決意の炎に変わっていくのを、俺は静かに感じていた。
ーーーーーーーーーーーーー
腹は括ったものの、完全にノープランで突撃するのはどうにも性に合わない。
ハンドルを左手だけで押さえ、俺はズボンのポケットから小型の端末を引っ張り出した。
泥まみれの画面に視線を落とす。
目を細めながら、データベースにアクセスした。
検索窓に打ち込んだのは、蜂という単語だ。
化け物アルヴィアに関する詳しい生態データは、軍の極秘サーバーにでも入らない限り引き出せない。
せやから、自然界にいる普通の虫の生態からヒントを探るしかなかった。
画面をスクロールしていくと、いくつか気になる記述が見つかった。
蜂の行動時間・フェロモン・視界・攻撃方法に関する情報だ。
仲間の死骸は特定の匂いを出し、それを合図に群れ全体で襲いかかってくるという。
普通の虫の習性が、あの鉄を喰うバケモノにそのまま通用するんやろか。
相手は軍の分厚い装甲をバリバリと噛み砕くような連中だ。 全く見当外れの知識かもしれない。
それでも、何もないよりはマシや。 俺は端末の電源を切り、再びポケットの奥底へとねじ込んだ。
両手でしっかりとハンドルを握り直し、トラックのアクセルを深く踏み込む。
未舗装の道を走りきると、視界がぱっと開けた。
目的の廃村だ。 俺はブレーキペダルを踏み込み、広場の中央でトラックを停止させた。
キーを回してエンジンを切る。 耳鳴りがしそうなほどの静寂が、一気に押し寄せてきた。 山の高い場所にあるせいか、吹き抜ける風が先ほどの村よりも少しだけ冷たく感じる。
運転席から飛び降り、ブーツの裏で乾いた地面を踏みしめる。 周囲には、屋根の抜け落ちた家屋がいくつか転がっているだけだ。 森の木々は、ここから少し離れた山の斜面の下に広がっている。 見晴らしは最高や。
俺は休む間もなく、トラックの荷台に乗せたギエルレウのコックピットへよじ登った。 起動スイッチを押し、機体の青いカメラアイを光らせる。 両手の操縦桿を握り、ゆっくりと機体を地面へ降ろした。
まずは、トラックの荷台に括り付けておいた浄水塔の残骸を外す。
ギエルレウの右腕を動かし、太い鉄の支柱を無造作に広場の真ん中へ放り投げた。
ガシャンと重たい金属音が、静かな山に響き渡る。
次は、この廃村に残っている鉄屑集めだ。 足元のペダルを踏んで機体を歩かせ、崩れた家屋の裏手へ回り込む。
そこには、赤錆だらけになった古い農機具の残骸や、ひしゃげた車のドアらしきものが放置されていた。
俺はマニピュレーターの指でそれらを次々と掴み上げ、広場へと運んでいく。 浄水塔の支柱を中心に、集めてきた鉄屑を立てかけるようにして積み上げていった。
金属同士が擦れ合い、鼓膜を劈くような嫌な音が何度も鳴り響く。
コックピットのモニター越しに、出来上がった鉄の山を見上げる。
噂に聞くキャンプファイヤーの土台のようだとも思った。
薪の代わりに、バケモノの大好物である鉄屑をたっぷりと使った特注品。
これが上手くあの蜂どもを引き寄せる餌になってくれるかどうか。 俺はペダルから足を離し、丸いサングラスの位置を指先で直した。
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静まり返った廃村の広場で、俺はギエルレウのコックピットのシートに深く背中を預けた。
メインモニターには、さっき広場の中央に組み上げたばかりの鉄屑の山が映っている。 太陽の熱で外の空気が揺らぎ、赤錆だらけの鉄柱がぐにゃりと歪んで見えた。
今はただ、蜂の群れがこの餌に釣られて姿を現すのを待つだけの時間だ。
動かずにじっとしていると、狭いコックピット内に漂う機械油の匂いがやけに鼻につく。
足元のペダルから靴底を伝わってくる微かなエンジンの振動だけが、今の俺の唯一の暇つぶしやった。
視線を少しだけ動かし、右側のサブモニターに目をやる。 そこにはギエルレウに積んである手持ち武器のステータスが表示されていた。
中型のマシンガンが二丁。 両腰のホルダーに収まっているハンドガンが二丁。
四つの武器のバッテリー残量を示すゲージは、どれも眩しいほどの緑色に光っている。
目盛りは一番右端までぴったりと到達し、欠けている部分は一つもない。 完璧な満タン状態や。
「さすがユミィやな。ええ仕事しとるわ」
俺は誰に聞かせるわけでもなく独り言をこぼし、操縦桿を握る手の力を少し緩めた。
口うるさいメカニックやけど、仕事は本当に完璧だ。
これから命を預ける道具が最高の状態にあるという事実だけで、強張っていた肩の力が少し抜けるのを感じた。
これから始まるのは、あの鉄喰いのバケモノの群れとの大立ち回りだ。
一匹の親玉を引きずり出すために、何十匹という手下を相手にしなければならない。
俺は操縦桿のトリガーにそっと人差し指をかけ、その冷たい金属の感触を確かめた。
俺が愛用しているこの四丁の銃は、すべてエネルギー弾を撃ち出すタイプだ。
引き金を引けば、圧縮された光の弾丸が空間を切り裂いて飛んでいく。
物理的な破壊力で言えば、火薬を使って重い金属の弾頭を飛ばす実弾にはどうしても劣ってしまう。
実弾は一発の威力が高い分、反動が大きくて射程も短めだ。
それに何より、弾薬そのもののお値段が馬鹿みたいに高い。
一発撃つたびに、チャリンチャリンとお金が飛んでいくようなもんやで。
それに比べて、エネルギー銃は一発の威力が軽い代わりに、弾の軌道が素直で射程もやや長めに取れる。
中距離から群れを牽制するのにはうってつけだ。
そして最大のメリットは、一発撃つごとのコストが圧倒的に安いこと。
バッテリーに充電さえすれば、弾切れの心配もお金の心配もせずに何度でも撃ち続けられる。
だからこそ、俺のギエルレウには手元から足元までエネルギー銃しか積んでいない。
数の暴力で押し寄せてくる群れを相手にするなら、弾代を気にせずトリガーを引きっぱなしにできるこの装備が一番理にかなっているんや。
ふと、師匠の顔が頭の中に浮かんだ。 あの人は、硝煙の匂いと実弾の圧倒的な破壊力をこよなく愛する人だった。
もしこの状況で、師匠みたいに実弾のリボルバーを持ち込んで、群れに向かって弾をバラ撒いたらどうなるやろか。
何十発というお金の塊が、次々と森の中へ消えていく。
戦闘が終わった後、ユミィに弾薬の請求書が見つかったことを想像した瞬間、背筋にゾクリと冷たいものが走った。
「火の車どころの騒ぎやないで。破産や」
エアコンの効いた涼しいコックピットの中で、俺はブルッと身震いをした。
命のやり取りをしている最中にお金の心配をするなんて、我ながらせこい傭兵やと思う。
俺は頭の中に浮かんだ恐ろしい請求書のイメージを振り払うように、首を左右に振った。
両手で操縦桿をしっかりと握り直し、再びメインモニターに視線を戻す。
風が止み、森の奥の暗がりから、カサカサという微かな音が聞こえたような気がした。




