3話:Dawn After Battle ~暴君屠る夜明け~
竜の狂気に満ちた赤い瞳が、メインモニター越しにこちらを射抜くように睨みつけている。
牙から滴る黒い液体が、熱砂の上に落ちてジュワッと煙を上げた。
あいつは傷を負いながらも、確実に次の突進のタイミングを計っている。
俺は機体の姿勢を保つため、足元の両方のペダルにぐっと力を込めた。
右手の操縦桿を強く握り直し、大剣の切先を相手の鼻先へ向ける。 その時だった。
コックピットの正面にあるメインモニターの中央が、一瞬だけノイズに覆われた。
そして、風景を遮るように緑色の文字列が唐突に浮かび上がった。
〜 Uncloth Kamishimo 〜
警告音も何もない、ひどく静かな表示だった。
システムのエラーなのか、それとも機体の隠されたプログラムなのか。
記憶のない俺には、そのアルファベットの羅列が何を意味しているのか全く分からない。
ただ、吸い寄せられるようにその文字を見つめ、無意識に口を動かしていた。
「アンクロス、カミシモ」
声に出して読み上げた直後だった。
コックピットのスピーカーから、不意に小さな音声が響いた。
「Totally」
ひどく内気で、どこか自信のなさそうな電子音声だ。
聞いたことがある、この機体に宿っているかのような不思議な声だった。
俺がその声の意味を考えるよりも早く、ルベルジンの機体全体から凄まじい排気音が鳴り響いた。
プシューッという甲高い空気の抜ける音が、砂漠の空気を震わせる。
同時に、右手の操縦桿と左手の操縦桿から、それまで感じていた重々しい抵抗感がフッと消え去った。
メインモニターの外側で、視界を覆っていた分厚い黒の装甲が一斉に跳ね上がるのが見えた。
火薬が爆発したような鋭い破砕音が連続して鳴り響く。
装甲を固定していた巨大なボルトが次々と弾け飛んだのだ。
漆黒の鉄板が、ルベルジンの巨体から一気に剥がれ落ちていく。
胸から、肩から、そして両脚から。
分厚い装甲が重力に従って砂漠へ崩れ落ち、ドスンドスンと地響きを立てて巨大な砂煙を巻き上げた。
コックピット内の計器類が、一気に青白い光へと切り替わった。
巻き上がった砂煙が風に流され、俺はモニター越しに自分自身の機体の姿を確認した。
そこには、さっきまでの黒くて鈍重なシルエットはもうどこにもなかった。
黒い殻を破って中から現れたのは、赤と白に彩られた全く別の機体だった。
頭部には、額から後頭部へかけて鋭く伸びる赤い装飾が施されている。
まるで、昔の文献で見たことのある武士の兜のような形だった。
顔の下半分は滑らかな白い装甲で覆われ、どこか人間のような冷たい表情を作っている。
両肩には、空気を切り裂くように大きく尖った赤いパーツが張り出していた。
胸部から腰、そして太ももにかけては、無駄な装飾の一切ない滑らかな白い流線型だ。
膝から下のすねの部分だけが、再び鮮やかな赤色で補強されている。
関節部分は重い金属ではなく、しなやかな灰色の人工筋肉のような素材で隙間なく覆われていた。
巨大な鉄の武人から、極限まで無駄を削ぎ落とした身軽な剣士への変貌。
俺は操縦桿を握る両手を見つめた。
少しでも力を込めれば、機体の腕が恐ろしいほどの速度で連動して動きそうだ。
足元のペダルも、つま先で軽く触れているだけなのに、今すぐ前へ飛び出そうと機体全体が細かく震えている。
その時、右手の操縦桿からガコンという重い振動が伝わってきた。
俺はハッとして、右手に握ったままの武器へ視線を向ける。
竜の銃弾を全て弾き返し、さっき竜の胸を突き刺した、あの分厚い白と黒の大剣だ。
その大剣の峰にあたる分厚い背面パーツから、パージされた装甲と同じように白い蒸気が激しく噴き出していた。
金属のロックが外れる高い音が鳴る。
次の瞬間、大剣の巨大な峰のパーツが外れ、砂の上へと滑り落ちた。
思わず息を呑んだ。 今まで剣の本体だと思っていた巨大な鉄の塊は、ただの頑丈な入れ物に過ぎなかったのだ。
分厚い殻の中から現れたのは、美しい白鞘だった。
装飾の一切ない純白の鞘と、同じく真っ白な柄。
俺の両手は操縦桿を握り、ルベルジンはその白鞘に収められた一本の直刀を静かに構えている。
鍔の無い、まっすぐで鋭い刃がその中に眠っているのが直感で分かった。
この白鞘の感覚が、操縦桿を通して俺の神経に直接流れ込んでくる。
コックピット内の熱気が嘘のように引き、静かで冷たい空気が俺を包み込んでいた。
前方にいた竜が、警戒するように低い唸り声を上げて少しだけ後退した。
先ほどまでの狂ったような怒りが嘘のように、ピタリと動きを止めている。
竜の赤い瞳が、黒い装甲を脱ぎ捨てた俺の白い機体を不気味なものを見るように見つめていた。
野生の勘が、目の前の獲物の本質が変わったことを感じ取ったのだろう。
俺はゆっくりと息を吐き出し、足元のペダルにそっと体重を乗せ直した。
両手に握った操縦桿から、先ほどまでの重苦しい抵抗感が完全に消え去っていた。
足元のペダルにそっとつま先を乗せるだけで、機体の脚部が敏感に反応して細かく震える。
息苦しかったコックピット内の熱気が嘘のように引き、冷たく澄んだ空気が俺の肌を心地よく撫でていった。
さっきまでの黒いルベルジンの動きも、決して悪くはなかった。
分厚い黒の装甲に任せて、力任せに敵をねじ伏せる暴力的な戦い方。
記憶を持たない俺が仲間を守るには、あれくらい頑丈な鉄の塊の方が安心できたのも事実だ。
だが、今ははっきりと分かる。
操縦桿を通じて両手から流れ込んでくる、この赤と白の機体の滑らかな鼓動。
呼吸のタイミングすら、今の俺と完全に同調している。
誰に教えられたわけでもないが、これが俺自身の機体なのだと、細胞の隅々までが強く確信していた。
グルルルル。
地を這うような低い唸り声が、外部集音マイクを通して響いてくる。
正面のメインモニターの向こうで、竜が鋭い鋼鉄の牙を剥き出しにして激しい威嚇を繰り返していた。
胸から黒い液体を流しながらも、強靭な後ろ脚にギュッと力を溜め込んでいる。
いつでもこちらへ飛びかかれるよう、低い姿勢で突進の構えを見せていた。
俺は視線を少しだけ動かし、左側のサブモニターを確認した。
遠く離れた砂丘の影に、ボロボロになったトラックが止まっているのが見える。
ユミィの無事を確かめて、俺は胸の奥で小さく息を吐き出した。
今、彼女からの通信は入っていない。
でも、あのトラックの窓にへばりつくようにして、この新しい機体の姿を見つめているはずだ。
根っからのメカニックであるユミィが、この無駄を削ぎ落とした赤と白の装甲を見たら、どれほど興奮して目を輝かせるだろうか。
その光景を頭の中で想像すると、張り詰めていた口元が自然と少しだけ緩んだ。
竜の巨大な前足が、深く熱砂をえぐり取る。
来る。
俺は足元のペダルを踏み込み、機体の腰を深く落として重心を安定させた。
左手の操縦桿を内側へ引き、機体の左手を腰元にある白鞘へと添える。
同時に、右手の操縦桿をゆっくりと動かし、純白の柄をしっかりと握り込んだ。
二つの操縦桿から、ひんやりとした確かな感触が手のひらに伝わってくる。
右手を、静かに外側へ向かって引き抜く。 金属同士が擦れ合う、スォンという高く澄んだ音がコックピットに鳴り響いた。
反りの全くない真っ直ぐな直刀だ。
本来なら、湾曲していない長い刃を鞘から引き抜くのは、摩擦が大きくてひどく窮屈なはずだ。
それなのに、刃は一切の引っ掛かりもなく、まるで水の中を滑るように極めて滑らかに鞘から解き放たれた。
右手の操縦桿を振り抜き、抜き放った直刀の切先を竜の赤い瞳へと真っ直ぐに向ける。
朝日に照らされた刃が、メインモニターの光を反射してギラリと眩しく輝いた。
ただの銀色の刃ではない。
刀身の表面には、まるで静かな水面が波打っているような、あるいは複雑な木目のような、幾重にも重なる美しい模様が浮かび上がっている。
異なる鋼を何度も折り重ねて鍛え上げられたようなダマスカスの模様だ。
芸術品のように美しいその刃が、静かに竜の命を狙って冷たい光を放ち続けている。
俺は操縦桿を握る両手に力を込め、巨大な獣の突進を静かに待ち受けた。
ーーーーーーーーーーーーー
ハンドルを握る両手が、じっとりと汗ばんでいる。
ボロボロのトラックの運転席は、サウナのように熱がこもって息苦しい。
私はひび割れたフロントガラス越しに、遠くで巻き起こる巨大な砂煙をじっと見つめていた。
右足でブレーキペダルを深く踏み込み、トラックの安っぽいエンジンを完全に停止させる。
ガタガタという不快な振動が止まり、砂漠の風の音だけが車内に入ってきた。
視線の先には、胴体から切り離されて無惨に転がる、巨大なガトリング砲の塊がある。
あの竜の最大の武器は、もう火を噴くことはない。
ヒカリが私に横方向へ走れと指示したのは、このためだったんだ。
私をあの恐ろしい弾幕の射線から完全に遠ざけて、安全圏を作ってくれた。
記憶がないくせに、こういう命に関わる配慮を黙ってやってのける。
胸の奥がじんわりと温かくなり、私は小さく息を吐いて彼に感謝した。
その時、遠くの砂丘で凄まじい破砕音が鳴り響いた。
ビクッとして肩をすくめる。 巨大な黒いルベルジンから、分厚い装甲が次々と弾け飛んでいくのが見えた。
火薬の匂いまでは届かないけれど、重い鉄板が砂に落ちる地響きがトラックのタイヤから確実に伝わってくる。
ズキッ。
突然、心臓を鷲掴みにされたような鋭い痛みが胸を走った。
息が詰まり、私は思わず胸元を両手で強く握りしめる。 なんだろう、この痛みは。
でも、そんな得体の知れない痛みは、次の瞬間には完全に吹き飛んでしまった。
黒い鉄の殻を脱ぎ捨てた機体の姿が、砂煙の中から鮮明に浮かび上がったからだ。
我を忘れて、私はフロントガラスに額をこすりつけるようにして身を乗り出した。
すごい。
なんて洗練されたフォルムなんだろう。
頭部の赤い装飾は、大昔の歴史書で読んだことのある武士そのものだ。
胸から太ももにかけての滑らかな白い装甲は、空気抵抗を極限まで計算し尽くしている。
肩の赤いパーツも、単なる飾りじゃないはずだ。
そして何より、関節部を覆うあの灰色の人工筋肉。
あれなら重い金属の関節と違って、人間の体みたいにしなやかで素早い動きができる。
私の心臓は、さっきの痛みとは全く違う理由でバクバクと早鐘を打っていた。
興奮で体温が一気に上がり、口の中がカラカラに渇く。
あの赤と白の機体を隅々まで解体して、構造をこの目で見たくてたまらない。
さらに私の目を釘付けにしたのは、ヒカリが構えた武器だった。
巨大な大剣の背中側が弾け飛び、中から純白の鞘が現れる。
ヒカリがその鞘から引き抜いたのは、反りの全くない真っ直ぐな刃だった。
太陽の光を反射してギラリと光る刀身に、私は思わずあっと声を出した。
ただの銀色の刃じゃない。
遠目からでもはっきりと分かる、何層にも金属を折り重ねて鍛えられた美しい水面のようなダマスカス模様だ。
あんな硬度と靭性を両立させた金属を、どうやってあのサイズで精製したっていうんだろう。
運転席のダッシュボードに備え付けられた通信機のマイクに、思わず手を伸ばす。
ヒカリに聞きたいことが山のように溢れてきた。
あの人工筋肉の出力はどれくらいなのか。
ダマスカスの直刀をどうやってあの滑らかさで引き抜いたのか。
コックピットの中で、ヒカリが両手の操縦桿をどう動かし、足元のペダルをどう踏み込めば、あんなに無駄のない美しい姿勢で抜刀できるのか。
質問の言葉が喉の奥まで出かかっている。
でも、私はマイクに触れかけた指を、ギュッと強く握りしめて引っ込めた。
今、ヒカリはあの恐ろしい竜と命懸けで向かい合っている。
両手で操縦桿を強く握り、両足でペダルの重みを感じながら、極限の集中力で戦っているはずだ。
私の身勝手な好奇心で通信を入れて、彼の気を散らすわけにはいかない。
我慢だ。
私は乾いた唇をギュッと噛み締める。 あの竜を倒してヒカリが帰ってきたら、絶対に寝かさずに徹夜で質問攻めにしてやる。
そう心に誓いながら、私は息を殺して白刃の行方を見守り続けた。
ーーーーーーーーーーーーー
操縦桿を握る両手から、不思議なほど吸い付くような感触が伝わってくる。
先ほどまでの重くて分厚い黒装甲に覆われていた時の、油圧モーターが無理やり軋むような振動はもうどこにもない。
コックピット内の空気も、焦げた機械油の匂いがすっかり消え去っていた。
代わりに、冷たくて少しだけ甘い、無機質な冷却ガスの香りが鼻腔をくすぐる。
俺は大きく息を吸い込み、正面のメインモニターをまっすぐに見据えた。
俺の頭の中には、自分の過去や名前すら、まともな記憶が一切存在しない。
どこで生まれて、どうしてこの砂漠にいたのか、何も分からない。
だけど、この赤と白の機体を包み込む感覚だけは、奇妙なほどはっきりと理解できた。
誰に教えられたわけでもない。
細胞の一つ一つが、これが俺自身の機体なのだと強く主張している。
試しに、右足のペダルから少しだけ力を抜いてみる。
すると、モニターに映る俺の機体が、足首の僅かな力加減と全く同じだけの角度で右膝をスッと緩めた。
遅延が一切ない。
今度は、ダマスカス模様の直刀を握る右手の操縦桿を、ミリ単位で内側へ傾けてみる。
機体の右手首が、俺の思考を直接読み取ったかのように、一切の誤差なく刃の角度をピタリと修正した。
まるで自分の手足が、そのまま巨大な鋼の体へと拡張されたような錯覚に陥る。
さっきまでのルベルジンは、俺が入力した命令を機械が一生懸命に処理して動いている感覚だった。
今は違う。
俺の意志が、操縦桿とペダルを通じて、ダイレクトに関節の灰色の人工筋肉へ流れ込んでいる。
自分が機体を操縦しているというより、機体そのものになったかのような圧倒的な一体感だ。
グルルルルッ。
そんな俺の静かな確信を切り裂くように、外部集音マイクが獣の低い唸り声を拾い上げた。
モニターの向こうで、胸から黒い液体を流し続ける竜が、鋭い鋼鉄の牙を剥き出しにしている。
あいつには、俺とこの機体の間に起きた完全な同調など、知る由もない。
ただ目の前にいる獲物を食い殺すことだけを考えて、強靭な後ろ脚にギュッと力を溜め込んでいた。
ズドンという重い音と共に、砂漠の地盤が大きく跳ね上がった。
竜が後ろ脚で熱砂を蹴り飛ばし、猛烈な速度でこちらへ向かって突進してくる。
巨大な質量が空気を押し潰し、コックピットの窓ガラスをビリビリと激しく震わせた。
先ほど大剣で突き刺した胸の傷口から、黒い飛沫が激しく後方へ飛び散っている。
それでも竜の赤い瞳は、俺の機体を真っ直ぐに捉えて少しもブレていなかった。
俺は両足のペダルをしっかりと踏み込み、機体の腰をさらに深く落とした。
つま先から太ももへかけて力を入れると、機体の両脚が地面に根を張ったようにピタリと固定される。
次に、右手の操縦桿を胸の高さまでゆっくりと引き上げた。
美しい水面のような模様を持つ直刀の切先が、突進してくる竜の眉間を静かに狙い定める。
相手の動きが、まるでスローモーションのようにゆっくりと見えた。
焦りも恐怖もない。
ただ、手に馴染む操縦桿の冷たい感触と、足裏から伝わる機体の力強い鼓動だけがある。
俺は静かに息を吐き出しながら、巨大な顎が迫り来るその瞬間をじっと待ち受けた。
巨大な黒い塊が、視界のすべてを埋め尽くすような勢いで迫ってくる。
ズシン、ズシンという竜の重い足音が、コックピットの床を突き上げて俺の足の裏を激しく震わせた。
鋭い鋼鉄の牙がびっしりと並んだ巨大な顎が、俺の機体を丸呑みにしようと大きく開かれる。
獣の口の奥から、熱を持った不快な機械油の匂いが外部フィルターを抜けて微かに漂ってきた。
俺は両足のペダルに軽く乗せていたつま先に、グッと力を込めた。
竜の鼻先がメインモニターに激突する、ほんのコンマ数秒前。
右足のペダルから一気に力を抜き、ペダルだけを床の底まで激しく踏み抜く。
ルベルジンの左脚の人工筋肉が爆発的に収縮し、機体全体が右斜め前へと鋭く滑り出した。
強烈な横Gが俺の身体を襲い、シートベルトが肩の骨に深く食い込む。
機体は竜の巨大な顎を紙一重でかわし、その分厚い黒い胴体のすぐ横をすれ違っていく。
竜の赤い瞳が、突然視界から消えた獲物を探して驚いたように見開かれた。
完全に無防備になった竜の左肩が、俺の右側モニターの真正面に無防備な姿を晒している。
「そこだ」
俺は右手の操縦桿を、外側から内側へと一気に振り抜いた。
俺の腕の動きと完全に同調し、ルベルジンの右腕が恐ろしいほどの速度で空気を切り裂く。
ダマスカス模様の美しい直刀が、朝日に照らされて銀色の弧を描いた。
ガギィィィンッ。
鼓膜を破るような甲高い金属音が、コックピット内に反響した。
右手の操縦桿から、腕の骨が折れるかと思うほどの凄まじい衝撃が伝わってくる。
俺は歯を食いしばり、操縦桿をさらに奥へと押し込もうとした。
美しい波紋を持つ直刀の刃が、竜の分厚い黒い装甲を突き破り、その下の金属骨格に深く食い込んでいるのが見える。
だが、刃はそこからピタリと止まってしまった。
両腕の筋肉を限界まで酷使して操縦桿を押し込んでも、それ以上は数ミリたりとも奥へ進まない。
先ほどの白と黒の大剣が持っていたような、圧倒的な質量と反発力がこの直刀には無いのだ。
刀自体の重さが軽すぎるのか、それとも俺の刃を振るう角度がわずかに甘かったのか。
原因は分からないが、竜の巨大な左翼を完全に切り落とすには至らなかった。
ギャァァァッ。
肩に刃を突き立てられた竜が、苦痛と怒りの混ざった叫び声を上げた。
突進の勢いを無理やり殺し、長い首を捻ってこちらへ巨大な顎を向けてくる。
至近距離からの、牙による強烈なカウンター攻撃だ。
直刀を引き抜いて次の防御に移る時間は、もう一秒も残されていなかった。
俺は右手の操縦桿の裏側にある、小さなスイッチを親指で弾いた。
同時にルベルジンの右手が大きく開き、ダマスカス模様の直刀の柄から指を離した。
右手の武器を完全に手放すという、苦渋の決断だった。
間髪入れず、両足のペダルを同時に床の奥深くまで踏み抜く。
機体の背部スラスターから青白い炎が短く噴き出し、ルベルジンは後ろへ向かって大きく跳躍した。
ガコンという重い音と共に、竜の巨大な顎がさっきまで俺の機体があった空間を空しく噛み砕く。
俺はそのまま着地の衝撃を両足のペダルで吸収し、竜から大きく距離を取って砂漠の上に滑り降りた。
メインモニターの中央で、竜が苛立ったように頭を振っている。
その左肩には、俺の放った美しい直刀が深々と突き刺さったままになっていた。
ダマスカス模様の刃が、竜の黒い血のような液体でドロドロに汚れていく。
俺は操縦桿を握り直し、武器を失って完全に手ぶらになったルベルジンの両手をモニターで確認した。
冷たい空調の風が吹き抜けるコックピットの中で、俺は次の手を探して素早くコンソールの計器に視線を走らせた。
ーーーーーーーーーーーーー
黒い巨体が熱砂を激しく蹴り上げる。
竜が再びこちらへ突進してきた。
先ほどより明らかに速度が上がっている。 痛みと怒りに任せた直線的な動きだ。
ズシン、ズシンという重い足音がコックピットを揺らす。
俺の足の裏に、床から強烈な振動が突き上げてきた。
息を短く吐き出す。 両足のつま先で、ペダルの冷たい感触を確かめた。
引きつける。
ギリギリまで待つ。
メインモニターの視界が、竜の巨大な顎で完全に埋め尽くされた。
その瞬間っ。
俺はペダルを床の底まで激しく蹴り飛ばした。
ルベルジンの右脚の人工筋肉が爆発的に収縮する。
凄まじい横Gが俺の身体を襲った。 四点式のシートベルトが肩の骨に深く食い込む。
機体は竜の突進を紙一重で左へかわした。
巨大な黒い壁が、右側のモニターを猛スピードで通り過ぎていく。
熱を帯びた不快な機械油の匂いが鼻を突いた。 竜の体液の匂いだ。
すれ違うほんの一瞬。
竜の左肩が俺の目の前に迫る。
そこには、さっき手放したダマスカス模様の直刀が深く刺さったままだ。
俺は両手の操縦桿を前へ鋭く突き出した。
俺の腕の動きと完全に同調し、ルベルジンの両腕が素早く伸びる。
機体の白い指が、刺さったままの直刀の柄を正確に捉えた。
ガコンという硬い感触が、操縦桿を通して両手のひらに伝わる。
俺は両手で柄をしっかりと握り込んだ。
そのまま両足のペダルを同時に奥へ踏み込む。
機体の推進力と重量を、すべて両腕の動きに集中させた。
両手の操縦桿を、左下へ向かって一気に押し込みながら振り抜く。
竜の左肩から右脇腹へ。
相手の胴体を斜めに断ち切る、袈裟懸けの軌道だ。
腕の骨が軋むような硬い抵抗を覚悟した。
だが、その予想は完全に裏切られた。
スゥッ。
分厚い黒の装甲も。 その下にある頑丈な金属の骨格も。
美しい波紋を持つ刃は、すべてを柔らかい泥のように切り裂いていく。
信じられないほどの恐ろしい切れ味だ。
操縦桿から伝わってくる抵抗が、あまりにも軽すぎる。
オレンジ色の火花が視界いっぱいに派手に散った。
切断面から、黒い液体が滝のように勢いよく噴き出す。
刃が竜の体を完全に抜けきった。
わずかに感じていた抵抗が、突然ゼロになる。
勢い余ったルベルジンの両腕が、空中で大きく右下へと泳いだ。
刀に引っ張られるようにして、機体のバランスが大きく前へ崩れる。
しまった。 切り裂きすぎた。
刃の勢いが止まらない。
俺は慌てて両足のペダルを強く踏み直した。
床を蹴り、機体の重心を強引に後ろへと引き戻す。
同時に、遠心力で開きかけた両手の操縦桿を咄嗟に強く握り直す。
ルベルジンの白い指が、すっぽ抜けそうになった直刀の柄をガシッと力強く掴み直した。
ザザザッと熱砂を深く滑り、ルベルジンが低い姿勢で体勢を立て直す。
俺は機体を反転させ、メインモニター越しに背後を振り返った。
ズドドドォォンッ。
途方もなく重い音が砂漠に響き渡る。
袈裟懸けに両断された竜の巨体が、上下にズレるようにして熱砂の上に崩れ落ちていた。
大量の黒い液体が周囲に広がり、朝焼けの砂漠を黒く染め上げていく。
もう、ピクリとも動かない。
コックピットの中はひどく静かだ。
冷たい空調の風が、汗ばんだ俺の額を心地よく撫でていく。
操縦桿を握り直した両手には、まだ機体の細かな震えが確かな感触として残っていた。
ーーーーーーーーーーーーー
メインモニターの先に横たわる巨大な黒い塊は、もう二度と動く気配を見せなかった。
上下に両断された分厚い装甲の断面から、黒く濁った液体がとめどなく溢れ出している。
それが乾いた熱砂に吸い込まれ、朝焼けの砂漠に不気味な黒い染みを広げていた。
外部集音マイクが拾うのは、ヒューという砂混じりの風の音だけだ。
あれほど激しく鳴り響いていた竜の駆動音も、地響きも、完全に消え失せている。
俺は両手の操縦桿から、ゆっくりと力を抜いた。
張り詰めていた肩の筋肉が緩み、コックピットのシートに深く背中を預ける。
冷たい空調の風が、汗で張り付いた前髪を心地よく揺らしていった。
ふと、左側のサブモニターに視線を移す。
熱気で歪む砂丘の陰に、ボロボロになったトラックが停まっているのが見えた。
俺は小さく息を吐き出し、再び両足のペダルに軽くつま先を乗せた。
右足、左足と、交互にペダルを浅く踏み込んでいく。
赤と白の装甲に包まれたルベルジンの脚部が、俺の足首の動きに正確に連動して砂漠を歩き始めた。
ズシン、ズシン。 竜の重苦しい足音とは違う、無駄のない軽快な着地音がシートの下から伝わってくる。
トラックに近づき、俺は両足のペダルをそっと戻して機体を停止させた。
右手の操縦桿を動かし、ダマスカス模様の直刀を背中の白鞘へとゆっくりと納める。
カチンと小気味良い金属音が響き、俺はメインコンソールのハッチ開放ボタンを押した。
プシューという排気音と共に、目の前の分厚いハッチが上にスライドしていく。
途端に、コックピットを冷やしていた空気が外へ逃げ出し、代わりに砂漠の暴力的な朝の熱気が一気に流れ込んできた。
焦げた鉄と、乾いた砂の匂いが鼻の奥を突く。
俺は眩しい朝日に目を細めながら、ハッチの縁に手をかけて外へ身を乗り出した。
トラックの運転席のドアが乱暴に開き、小柄な影が飛び出してきた。 ユミィだ。
彼女は熱砂に足を取られながらも、必死の形相で機体の足元へと駆け寄ってくる。
「ヒカリ」
見上げながら叫ぶユミィの声は、ひどく掠れていた。
俺は操縦席から身を乗り出し、彼女の顔を見下ろした。
瞳が、少しだけ潤んでいるように見える。
「本当に、助かった。ヒカリがガトリングを壊してくれなかったら、今頃トラックごと蜂の巣だったよ」
油と土で汚れた手で顔を拭いながら、ユミィが大きく息をつく。
俺は無言のまま、短く頷きを返した。
彼女が無事でよかったと、心の底から胸を撫で下ろす。
だが、ユミィの感傷的な雰囲気は、ほんの数秒しか続かなかった。
彼女は急に目をカッと見開き、ルベルジンの足元から頭頂部までを食い入るように見上げ始めた。
スパナを取り出し、機体の白い足首の装甲をコンコンと軽く叩く。
「何なのこの機体!!信っじられない!」
ユミィの声のトーンが、突然一段階跳ね上がった。
興奮で頬を赤く染め、さっきまでの恐怖など完全に忘れたように早口で喋り出す。
「さっきの黒い装甲を吹き飛ばした時から、心臓が止まるかと思ったよ。」
彼女は背伸びをして、膝の裏側に露出している灰色の繊維構造に顔を近づけた。
油の染み付いた指先が、空中で複雑な動きをトレースするように動いている。
「この関節の可動域と反応速度!!ヒカリの動きにコンマ一秒の遅れもなく付いてきてた、コックピットのペダル!!どんな感触だった」
矢継ぎ早の質問に、俺は少しだけ言葉に詰まる。
ただ足を動かすだけで、自分の体の一部のように動いたと説明しても、ユミィは納得しないだろう。
「それに、あの刀」
俺が答える間も与えず、ユミィはルベルジンの背中に納められた白鞘を指差した。
目がキラキラと異様な光を放っている。
「遠目からでも分かった。あの波打つような刃の模様。あれ、ダマスカス模様でしょ。あんな長さの直刀を鍛造できる技術があったなんて」
ユミィの熱量に押され、俺はタジタジになりながらシートに座り直した。
彼女の言う専門的な技術のことは、俺にはさっぱり分からない。
記憶がないのだから当然だ。
だが、あの直刀が異常な切れ味を持っていたことだけは、両手の操縦桿の感触として痛いほど記憶に残っている。
「ヒカリ、お願い。後で絶対にコックピットの中を見せて。操縦桿の連動システムから人工筋肉の出力系まで、全部チェックしたいの」
トラックの荷台から整備用のツールボックスを引きずり下ろしながら、ユミィが鼻息を荒くして宣言する。
俺は苦笑いを浮かべ、流れ落ちる汗を手の甲で拭った。
ひとまずは生き延びることができた。
目の前の熱狂する相棒を眺めながら、俺はコックピットの電源を静かに落とした。
ーーーーーーーーーーーーー
熱砂の空気が、開け放たれたハッチからコックピット内に容赦なく入り込んでくる。
俺は機体の外へ身を乗り出し、金属のタラップに足をかけてユミィと場所を代わった。
彼女は、身軽な動きで操縦席へ潜り込む。
手元の小さな携帯端末をコンソールの端子に繋ぎ、計器のデータをものすごい勢いで読み込み始めた。
俺は外のタラップに立ち、彼女の小さな背中を静かに見下ろす。
どんな規格外のシステムが隠されているのかと、ユミィは目を輝かせていた。
だが、数分もしないうちに彼女の肩がスッと落ちた。
振り返ったユミィの顔には、明らかな戸惑いが浮かんでいる。
「おかしいな」
「どうした、ユミィ」
俺が尋ねると、彼女は右手の操縦桿を軽く叩いて首を傾げた。
「このコックピット、中身はウチにもある普通のユニバーサルデザインだよ」
ユミィの言葉に、俺は少しだけ眉をひそめた。
あんなに俺の意志と完璧に同調して動いたのだ。
特別な脳波コントロールか何かが組み込まれていると思っていた。
だがユミィは、メインモニターに映る構造図を指差して否定する。
「動力源のジェネレーターも、出力の数値も、市販のと大して変わらない。
機体の腕の動きはこの左右の操縦桿。足の動きはこの足元のペダル。使われているパーツも制御ソフトも、ごく一般的な規格品ばかり」
彼女は信じられないというように、もう一度コンソールを見回した。
「機体側の性能は普通。なら、どうしてあんな動きができたの」
ユミィの大きな瞳が、俺の顔を真っ直ぐに射抜いた。 俺には答える言葉がない。
記憶のない俺には、自分の技術がどれほどのものなのか見当もつかない。
両手に残る操縦桿の確かな感触と、足の裏に張り付いたペダルの重みを思い出すだけだ。
ユミィはコックピットから顔を出し、赤と白の装甲を見上げた。
「中身は普通でも、この外装のデザインは本当に独特だね」
彼女の表情が、メカニック特有の無邪気なものに戻る。
額に浮かんだ汗を手の甲で拭いながら、機体をポンポンと叩いた。
「兜みたいな赤いパーツも、白い流線型のボディも、私はすごく好き。でも」
ユミィはそこで言葉を区切り、砂漠の遠くを指差した。
そこには、さっき吹き飛ばされた分厚い黒の装甲が点々と転がっている。
「あの無骨で重たい黒い機体も、あれはあれで最高にカッコよかったんだよね」
彼女は少しもったいなそうに息を吐いた。
「ヒカリ、お願いがあるんだけど」
ユミィが砂漠に散らばる鉄の塊を見つめながら言う。
「あそこに落ちてる黒い装甲、全部トラックに回収して帰ろう」
ただの鉄クズには見えない、あれだけでも相当な価値があるはずだと彼女は熱弁する。
彼女の提案に、俺は小さく頷いた。
灼熱の太陽が、砂漠の砂を白く焼き始めている。
俺は機体のタラップを降り、熱砂の上に足を下ろした。
靴の底から、焼け焦げた砂の熱がジリジリと伝わってくる。
戦いは終わったが、この重い鉄板たちを拾い集めるという地味な重労働が待っているのだ。
俺は首元のマフラーを直め、一番近くに落ちている真っ黒な胸部装甲へと歩き出した。
ーーーーーーーーーー
ユミィはタラップに立ったまま、視線を移した。
さっき納刀したばかりの、あの美しい白鞘をじっと見つめている。
彼女の油で汚れた指先が、自分の顎をゆっくりとこすった。
「機体の動力や操作系が普通の規格品なのは分かったよ」
ユミィの声に、先ほどの無邪気な興奮とは違う冷静な響きが混ざる。
「でも、あっちの刀の方には、どう考えても違和感がある」
彼女の言う通りだ。 俺も自分の両手を見下ろし、操縦桿を握っていた時の感覚を思い出す。
あの分厚い竜の金属骨格を、まるで柔らかい泥のように切り裂いた異常な切れ味。
あの恐ろしい破壊力が、ただの鉄の塊から生み出されるはずがない。
「あの刀、一体どんな仕組みになってるの。ヒカリは何か知ってる?」
ユミィの問いかけに、俺は少しだけ口ごもる。
記憶のない俺に、機体の武器の構造など分かるはずがない。
そう答えようとして口を開いた瞬間だった。
「直刀ウルグラ」
俺の口から、自分の意志とは無関係にその言葉がこぼれ落ちた。
喉の奥から、無理やりに引っ張り出されたような奇妙な感覚だ。
ユミィが目を丸くして俺の顔を見る。
熱砂を撫でるように吹き抜けた強い風が、俺の白い前髪を激しく揺らした。
視界の端で、俺の黒い髪に混ざる白いメッシュの束が、朝の光を反射して白銀にたなびくのが見えた。
なぜその名前を知っているのか、自分でも全く分からない。
ただ、その名前を口にした瞬間、刀が小さく共鳴したような気がした。
得体の知れない謎が、また一つ俺の頭の中に重くのしかかる。
「ウルグラ。それが、あの刀の名前」
ユミィが真剣な表情でその響きを反芻する。
俺は無言で頷き、頭の奥のモヤモヤを強引に振り払った。
今は考えても答えは出ない。
太陽が高く昇り、砂漠の熱気が肌を焼くように強くなってきた。
「ひと段落ついた。ユミィ、さっき言っていた黒い装甲の回収に行こう」
俺はそう言って、再びタラップを登り始めた。
開け放たれたハッチから、見慣れた操縦席へと身を滑り込ませる。
ひんやりとした空調の風が、汗ばんだ首筋を心地よく冷やしてくれた。
シートベルトを締め直し、俺は深く息を吸い込む。
両手のひらを、左右の操縦桿にそっと添えた。
足元では、両足のつま先をペダルの上にしっかりと乗せる。
俺が右足のペダルを浅く踏み込むと、ルベルジンの右脚がそれに連動して砂を踏み出した。
ズシンという重い足音が、シートの下から俺の身体に伝わってくる。
ペダルの踏み込み加減ひとつで、機体の歩幅も速度も思いのままだ。
機体を前へと進めていく。
黒い胸部装甲が落ちている場所まで機体を歩かせる。
そこでペダルから足をそっと浮かし、機体の動きをピタリと止めた。
今度は、両手の操縦桿を前へとゆっくり押し込む。
俺の腕の動きに合わせて、ルベルジンの白い腕が滑らかに伸びていく。
操縦桿のグリップを握り込むと、機体の指が分厚い黒の装甲をガシッと力強く掴み上げた。
操縦桿から手元に伝わる重々しい感触を確かめながら、俺はトラックの荷台へ向けて機体を慎重に旋回させた。
両手の操縦桿を慎重に手前に引き、巨大な黒い装甲をトラックの荷台へと運ぼうとした。
その時だった。
視界の正面、メインモニターの右端で小さなウィンドウが明滅した。
緑色の発光ダイオードがチカチカと点滅し、見慣れない文字が浮かび上がる。
〜 Get Dressed 〜
先ほど機体を起動した時と同じ、奇妙な文字列だ。
コックピットの冷たい空調音が響く中、俺はその文字をじっと見つめた。
意味は分からないが、口に出さなければならないような気がした。
「ゲット ドレス」
乾燥したコックピットの空気に、俺の低い声が吸い込まれる。
直後、メインスピーカーから微かな電子音が鳴った。
「Totally」
少し自信がなさそうな、内気な少女のような声が返ってくる。
さっき起動した時に聞いたのと同じ、感情の読めない不思議な音声だ。
俺は驚いて、両足のペダルに乗せていたつま先から思わず力を抜いてしまった。
バチバチッ。
ルベルジンの白い指が掴んでいた黒い装甲から、突然青白い火花が散った。
焦げた金属の匂いが、外部フィルターを通してコックピットに流れ込んでくる。
操縦桿を通して、ビリビリとした静電気のような微振動が両手に伝わってきた。
機体の指先から、重いはずの黒い装甲がふわりと浮かび上がる。 俺は慌てて操縦桿を握り直した。
モニター越しに見える砂漠のあちこちでも、異変が起きていた。
熱砂の上に点々と落ちていた黒いパーツ群が、一瞬青い火花を散らしたのだ。
重たい鉄の塊が、まるで重力を失ったかのように宙に浮き上がる。
それらはゆっくりと、赤と白のルベルジンへ向かって引き寄せられてきた。
ガチャン。
一番大きな胸部のパーツが、機体の胸元にピタリと張り付く。
まるで強力な磁石に吸い寄せられるような、正確で無駄のない動きだ。
続いて、肩、腕、脚部の装甲が次々と飛んでくる。
カシャン、ガチン。
小気味良い金属音を立てながら、黒いパーツが白いボディの上へ順番に覆い被さっていく。
俺は両足のペダルと両手の操縦桿から完全に手を離し、その光景をただ見守るしかなかった。
コックピットの内部には何の衝撃もなく、ただ外装だけがパズルを組み立てるように元通りになっていく。
最後のパーツが右肩にカチンと収まり、青白い火花が完全に消え失せた。
メインモニターの端に映る機体のシルエットが、さっきまでのスマートな白から、元の無骨な姿へと戻っている。
分厚い黒の装甲に包まれた、あの重々しいルベルジンだ。
「...嘘....でしょ」
外部集音マイクが、トラックのそばに立つユミィの呆然とした声を拾った。
彼女は手に持っていたスパナを砂の上に落とし、口を半開きにしてこちらを見上げている。
俺も全く同じ気持ちだった。
一体この機体には、どれだけの秘密が隠されているというのだろうか。
再び黒く染まった両腕をモニターで見つめながら、俺はゆっくりと息を吐き出した。
メインモニターに映るルベルジンの姿は、完全に元の黒い鉄の塊へと戻っていた。
両手の操縦桿を握り直すと、先ほどまでの羽のような軽さが嘘のように消え失せている。
油圧モーターが分厚い装甲の重みに耐える、あの特有の重苦しい抵抗感が手のひらに蘇ってきた。
両足のペダルも同じだ。
つま先を少し動かしただけで機体が反応するような過敏さはなくなり、踏み込むのにしっかりとした力が必要になっている。
さっきまで砂漠に散らばっていた黒いパーツは、もうどこにも落ちていない。
面倒な回収作業は、あの一瞬の磁石のような現象で全て終わってしまった。
コックピットの冷たい空調の風に混じって、再び焦げた機械油の匂いがうっすらと漂い始める。
俺は大きく息を吐き出し、足元のペダルからゆっくりと両足を離した。
「本当に信じられないシステムだよ」
外部集音マイクから、ユミィの感嘆する声が聞こえてきた。
モニターを下に向けると、彼女が熱砂の上に落ちたスパナを拾い上げているのが見える。
ユミィはトラックの荷台へ戻るのをやめて、ルベルジンの巨大な黒い足元へと歩み寄ってきた。
油で汚れた手のひらで、ひんやりと冷たくなった黒い脚部装甲をペタペタと撫で回している。
「こんな芸当ができるなんて、作った人間はどんな天才なんだろうね」
彼女は機体を見上げたまま、早口で自分の考えを話し始めた。
「この機体の設計コンセプト、なんとなく分かってきた気がする」
ユミィはスパナの柄で、分厚い黒の装甲をコンコンと軽く叩く。
「この黒い装甲は、防御と直線的な突進のためだけのもの。さっきの巨大な竜のガトリング砲みたいな圧倒的な火力のど真ん中を強引に突破するための盾」
「そして敵の懐に潜り込んだら、この重たい黒い殻をパージして脱ぎ捨てる」
「中から出てきたあの赤と白の機体は、極限まで無駄を削ぎ落とした超高速戦用。圧倒的な機動力とあのダマスカス鋼の直刀で、敵のボスを確実に討ち取る」
なるほど。 俺は両手の操縦桿を握りながら、彼女の推理に静かに耳を傾けた。
確かにその通りだ。 あの分厚い黒い装甲がなければ、竜の弾幕を正面から受け止めることは絶対にできなかった。
そしてあの赤と白の機体の軽さがなければ、竜の至近距離でのカウンターで斬ることもできなかったはずだ。
「それか、別の理由もあるかも」
ユミィは少しだけ声を落とし、考え込むように腕を組んだ。
「あの赤と白の機体の方を、誰の目からも隠したかったのかも。あるいは、絶対に傷つけたくないから、あんな分厚い黒い鉄の箱の中に閉じ込めて守っていたとか」
隠す。 守る。
その言葉を聞いた瞬間、俺の頭の奥でほんの少しだけ冷たい痛みが走った。
記憶の欠片に触れかけたような、奇妙な感覚だ。
俺は無意識に、右手の操縦桿をギュッと強く握り込んでいた。
機体の右手が少しだけ連動して動き、黒い装甲がガチャンと重い音を立てる。
その音にビクッと肩を揺らしたユミィが、ふうっと大きくため息をついた。
「まあ、作った人の意図は今はどうでもいいや。それよりも大問題があるんだよね」
彼女は腰に両手を当てて、モニター越しの俺をジッと見つめた。
「これからは戦うたびに、この黒い姿と、中身の赤い姿が入れ替わるってことでしょ」
「戦闘中にいちいち、黒いルベルジンがどうとか、赤いルベルジンがどうとか呼ぶの、すごく面倒くさいんだけど」
ユミィは呆れたように肩をすくめた。 確かに彼女の言う通りだ。
通信で連携を取る時に、そんな長い呼び方をしている暇はない。
一瞬の遅れが命取りになる戦場では、簡潔に状況を伝える必要がある。
俺は足元のペダルに軽くつま先を乗せ、機体の姿勢を少しだけ前に傾けた。
「何か、短い呼び方を決めるか」
俺がコックピットのスピーカー越しに提案すると、ユミィは嬉しそうにパチンと指を鳴らした。
俺は足元のペダルに体重をかけ、機体のバランスを微調整した。
両足のつま先から、分厚い黒の装甲の重みがずっしりと伝わってくる。
さっきまでの、羽のような軽さが嘘みたいだ。
ペダルを踏み込むたびに、油圧シリンダーが重い鉄を持ち上げる独特の抵抗感がある。
コックピットの中は、冷たい空調の風が吹き抜けている。
その風に混じって、わずかに焦げた機械油の匂いが漂ってきた。
両手の操縦桿を軽く握り直すと、手のひらにも確かな重みを感じる。 これが本来の、この機体の感触だ。
モニターの向こうで、ユミィが腕を組んで考えている。
油で汚れた頬を指先で掻きながら、ブツブツと何かを呟いていた。 二つの姿を持つこの機体の呼び方をどうするか。
俺はふと、その答えを出すヒントになるかもしれないことを思い出した。
「ユミィ、さっき黒い装甲がパージされる直前」
俺はコックピットのスピーカーのスイッチを入れ、静かに口を開いた。
「メインモニターの右端に、文字が浮かび上がったんだ」
ユミィが顔を上げ、モニター越しの俺をじっと見つめ返してくる。
彼女の大きな瞳が、興味深そうに光っていた。
「文字って、何て書いてあったの」
彼女の問いかけに、俺は記憶の中にあるアルファベットの羅列を引っ張り出す。
あの一瞬だけノイズと共に表示された、奇妙な文字列だ。
「アンクロス、カミシモ」
俺はゆっくりと、はっきりした発音でその言葉を繰り返した。
「アルファベットでそう表示されて、俺がそれを読み上げたら装甲が外れたんだ」
ユミィは少しだけ首を傾げた。
砂漠の風が彼女の短い髪を揺らしている。
「アンクロスってことは、服を脱ぐとか、装甲を脱ぎ捨てる命令だったのは間違いないね。でも、カミシモってどういう意味だろう」
俺にも分からない。
記憶のない頭をいくら探っても、その単語の正体は見つからなかった。
左足のペダルを少しだけ踏み込み、機体の姿勢を真っ直ぐに立て直す。
ズシンと重い音がして、砂埃が少しだけ舞い上がった。
ただ、この重い鉄の殻がカミシモという名前と関係していることだけは直感で分かった。
「じゃあ、もう素直にそれでいいじゃない」
ユミィが突然、ポンと両手を打ち合わせた。
乾いた拍手の音が、外部マイクを通してコックピットに響く。
「中身のあの赤と白の機体が、ルベルジン。そして、外側の黒い装甲を着た今の状態が、ルベルジン カミシモ」
彼女は満面の笑みを浮かべ、黒い機体の太ももあたりをバンバンと力強く叩いた。
分厚い鉄の装甲が、鈍い音を立ててその衝撃を吸収する。
「それなら通信の時も分かりやすいし、何より特別感があってカッコいいよ」
ルベルジン カミシモ。 俺は口の中で小さくその名前を反芻してみる。
両手の操縦桿を、試しに手前へと引いてみた。
重苦しい油圧の軋む音と共に、黒い巨大な両腕がゆっくりと胸の前へ持ち上がる。
右足のペダルを浅く踏み込むと、分厚い装甲に覆われた右脚がズシンと熱砂を踏みしめた。
操縦桿から伝わる重さも、ペダルを押し込む時の足の疲れも、すべてがしっくりと馴染んでくる。
コックピットの計器類は、相変わらず正常な青い光を放っている。
ただの普通の機体だとユミィは言った。
だが、この黒い鉄の塊は確かに二つの顔と名前を持ったのだ。
「分かった。今日からこの姿は、ルベルジン カミシモだ」
俺がモニター越しに答えると、ユミィは満足そうに大きく頷いた。
頭上では、灼熱の太陽が砂漠を白く焼き始めている。
俺は両手の操縦桿をしっかりと握り直し、モニターに映る自分自身の巨大な黒い姿を静かに見つめ返した。
コックピットのガラス越しに見える景色が、熱気でゆらゆらと歪んでいた。
ーーーーーーーーーーーーー
コックピットの頭上から、強烈な日差しが容赦なく照りつけている。
分厚い装甲に覆われているはずなのに、太陽の熱が機体の外殻を焼くジリジリとした感覚が伝わってくるようだった。
俺は両手の操縦桿から一度手を離し、額に浮いた汗を手の甲で拭った。
冷たい空調の風が吹き付けているが、戦闘の余熱と緊張のせいか、体の芯はまだひどく熱い。
モニターの向こうで、ユミィがボロボロのトラックの運転席に乗り込むのが見えた。
バタンというドアの閉まる音が、外部集音マイクを通して響く。
続いて、キュルキュルと頼りない音を立ててエンジンが掛かる音がした。
マフラーから黒い排気ガスがプクッと吐き出される。
俺はそれを見届けてから、再び両手の操縦桿をしっかりと握り直した。
俺自身の名前も、ユミィからもらった。
そして今、この得体の知れない黒い機体にも、彼女から名前をもらった。
ルベルジン カミシモ。 その名前を頭の中で反芻すると、操縦桿を握る両手に不思議な力強さが宿るような気がした。
俺は両足のペダルに、ゆっくりと体重を乗せる。
黒い分厚い装甲の重みを感じながら、右足のペダルを奥へと踏み込んだ。
油圧シリンダーが重々しい唸り声を上げ、ルベルジン カミシモの巨大な右脚が熱砂を深く踏みしめる。
ズシン。
コックピットの床から、俺の足の裏へと確かな衝撃が突き上げてきた。
続けて、左足のペダルを同じように踏み込む。 機体が大きく揺れトラックの横に並ぶようにして歩き始めた。
果てしなく続く砂丘の向こう、俺たちの拠点である巨大な飛行艇を目指す長い旅路の再開だ。
「ヒカリ、コックピットの冷却システムはちゃんと動いてる」
メインスピーカーから、ユミィの少し甲高い声が聞こえてきた。 トラックの窓から顔を出し、上にある俺のコックピットを見上げている。
「温度計の赤いランプが点滅してないか、ちゃんと確認してよ。さっきあんな無茶な動きをしたんだから、ジェネレーターが焼き切れてもおかしくないんだからね」
俺はコンソールの計器に視線を落とした。 青い光が規則正しく並び、異常を示す警告灯はどこにも見当たらない。
「問題ない。すべて正常だ」
俺が短く返答すると、ユミィはトラックのハンドルを握り直しながら大きく息を吐いた。
「水分補給も忘れないでね。砂漠の熱中症は本当に命取りになるんだから。あと、無理してトラックの速度に合わせなくていいからね。ゆっくりでいいから」
次から次へと飛んでくる注意の言葉に、俺は思わず口元を緩めた。
まるで、小さな子供を心配する母親のような口ぶりだ。
記憶を失って砂漠に倒れていた俺を拾い、名前を与え、こうして今も気遣ってくれている。
油と砂埃にまみれた彼女の声が、今はひどく心地よかった。
右足のペダルを踏む。
操縦桿のグリップを握る手は、いつでも武器を引き抜けるように軽く力を残してある。
機体が歩くたびに鳴る重い駆動音と、トラックの安っぽいエンジン音が、一定の不規則なリズムで重なり合っていた。
焦げた機械油の匂いと、乾いた砂の匂いがコックピットのフィルターを抜けて漂ってくる。
何もない空っぽの頭で目覚めた俺。 自分が誰なのかも分からない。
だが今は違う。 俺の左側には、凄腕のメカニックが乗るトラックが走っている。
俺の両手と両足には、共に戦ってくれる二つの顔を持つ機体がある。
チームアヴェントゥラ。
それがチームの名前だ。
俺はもう、ただの記憶喪失の迷子ではない。
チームアヴェントゥラの一員。
それが、今日からの俺の確かな居場所だ。
半日が経った頃、ユミィの弾んだ声で俺はメインモニターの先へと視線を向けた。
白く霞む地平線の彼方に、微かに突き出た鉄の塔が見える。 俺たちの帰る場所だ。
「ヒカリ、前見て。飛行艇のアンテナが見えてきたよ」
俺は両足のペダルに少しだけ力を込め、機体の歩幅をわずかに広げた。
ズシン、ズシンと、ルベルジン カミシモの重い足音が熱砂の海に響き渡る。
雲一つない青空の下、俺たちは並んで新しい明日へと歩き続けていた。
ーーーーーーーーーーーーー
これは、
俺が俺を取り戻す物語。
俺が彼を目指す物語。
俺が俺を超える物語、だ。




