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23話:Unsung Pride 〜誇り高き裏方たち〜

少しだけ時間が遡る。

あの巨大な化け物が、天からの一撃で大地に沈む少し前のことだ。

私の両手には、大きな操舵輪が握られていた。

大型移動拠点チュラクシスの艦橋。

その中央にある操縦席で、私は巨大なモニターと無数の計器に囲まれていた。


足元から、一定のリズムで重い振動が伝わってくる。

チュラクシスの巨大な空調のファンが回る低い唸り声。

それに混じって、焦げた機械油の匂いがコクピットの中に薄く漂っている。


私はモニターに映るレーダーの光点を横目で確認した。

戦場はここから遠く離れた場所にある。

ヒカリとラキ、そしてシルビーさんの三人は、あの規格外に巨大なボスリノセロスと対峙しているはずだ。

もう一体のリノセロスは、クレティさんが一人で引き受けてくれている。

二つの巨大な脅威を、あの四人がその身を挺して足止めしてくれているのだ。


私は操舵輪を握る手にぐっと力を込めた。

私はメカニックだ。

前線に出て、巨大な敵に直接弾丸を撃ち込むことはできない。

私の戦いは、いつも薄暗い格納庫の中にある。


装甲の耐久値を計算し、スラスターの出力を極限まで調整する。

ヒカリのルベルジンに装甲を組み込み、ラキのギエルレウの関節の悲鳴を直す。

シルビーさんのフラウスレイが少しでも長く高く飛べるように、軽量化の計算を何度もやり直す。

それが私の仕事だ。


そして、その仕事はもう終わっている。

カタパルトから四機の機体を荒野の空へ射出したあの瞬間に、メカニックとしての私の役目は一度完結したのだ。

今、私がやるべきことは全く別の場所にある。


モニターの表示を広域マップに切り替える。

目的地は、この岩山の先にある掘削場だ。

シルビーさんが集めてきてくれた情報が、私の頭の中で何度も繰り返されていた。


掘削場の奥に取り残された作業員たちは、完全に孤立している。

食料も水も底を突き、餓死寸前の極限状態にあるという。

一刻の猶予もない。

私がチュラクシスを走らせる速度が、そのまま彼らの命の長さに直結している。

焦る気持ちを抑えながら、私は巨大な艦を慎重にコントロールし続けた。


四人が命懸けで化け物たちの注意を引きつけてくれたおかげだ。

本来なら敵の縄張りであるはずのこのルートには、信じられないほど平和な静寂が広がっていた。

レーダーには熱源の反応一つない。

私は戦場の反対側に位置する、岩山に囲まれた安全な砂地を見つけ出した。


ここなら見つからない。

私は減速のレバーを引き、チュラクシスの姿勢制御システムを起動した。

ゆっくりと速度を落とし、指定したポイントで完全に停止する。

メインエンジンをアイドリング状態に切り替える。

艦橋を包んでいた激しい振動が、心地よい微細な揺れへと変わった。


シートベルトを外し、私はすぐさま操縦席から立ち上がった。

息をつく暇はない。

ここから先は、足を使った勝負だ。


私は艦橋の重い金属扉を開け、通路へ飛び出した。

目指すはチュラクシスの下層にある車両格納庫だ。

そこには、セリー飲料と医療キットを山のように積んだ小型輸送トラックがすでに準備してある。


硬い金属の床を蹴るたびに、私のブーツがカンカンと甲高い音を立てた。

急な階段を一段飛ばしで駆け下りる。

冷たい空気が頬を撫でていく。


その時、右足の太ももに硬いものがコツンと当たった。

走るたびに、深いポケットの中で何かが跳ねている。

カチン、カチンという軽いガラスの音。


私は走りながら、無意識に右手をポケットの中へ突っ込んだ。

指先に触れたのは、小さなガラス瓶だった。

冷たくて、少しだけ表面がベタついている。

それは、栄養ドリンクの空き瓶だった。


安っぽい甘さと強いカフェインの匂いが、鼻の奥にふっと蘇る。

その小さな音と感触が、私の頭に一つの事実を思い出させた。

そういえば、私は昨日から一睡もしていなかった。


限界の頭を叩き起こすために、この小瓶を何本も空にした。

その最後の一本を、ゴミ箱に捨てる暇すらなくてポケットに突っ込んだままだったのだ。


なんだか急におかしくなって、私は走りながら小さく笑みをこぼした。

徹夜明けのひどい顔をしている自覚はある。

でも、今は不思議と全く眠気を感じなかった。

私の調整した機体で、あの四人が今も前線で戦ってくれている。

その事実が、どんな栄養ドリンクよりも強く私の背中を押し出していた。


格納庫の重いハッチが目の前に迫る。

私は空き瓶をポケットの奥に押し込み、さらに足の速度を上げた。


格納庫の奥で待機していた小型輸送トラックの運転席に飛び乗る。

キーを乱暴に回すと、古びたエンジンが頼もしい唸り声を上げた。

私は両手で黒い樹脂製のハンドルをしっかりと握りしめる。

右足でアクセルペダルを奥まで踏み込んだ。

硬いゴムのタイヤが格納庫の金属床を蹴り、トラックは勢いよく荒野へと飛び出した。


そこからの道のりは、信じられないほどスムーズだった。

チュラクシスを降りたことで、視線の位置がぐっと低くなる。

巻き上がる砂煙をフロントガラス越しに浴びながら、私はひたすらハンドルを切り、岩山の隙間を縫うようにトラックを走らせた。

エンジンの振動が足の裏から直接伝わってくる。

道中、見慣れない巨大な塊が砂に埋もれているのが見えた。

鱗がひび割れ、無惨に引き裂かれた小型竜アルヴィアの残骸だ。

きっと昨日、シルビーさんが前線を偵察した時に倒してくれたものだろう。

あの人がこの危険な獣の群れを事前に減らしておいてくれたからこそ、今の私はこうして全速力でアクセルを踏み続けることができる。


フロントガラスのずっと奥、砂埃の向こうに巨大な人工物のシルエットが浮かび上がった。

岩山と一体化したような、無骨なコンクリートの防壁。

目的地である掘削場だ。

私はアクセルから足を離し、ブレーキペダルへ慎重に踏み変える。

トラックの速度が落ちていく中で、私は目を疑った。

掘削場の分厚い鋼鉄の搬入口が、すでにゆっくりと上へ向かってスライドし始めていたのだ。

こちらの接近に気づいて開けてくれたのだろうか。


私は再びアクセルを強く踏み込んだ。

完全に開ききっていないシャッターの下を、トラックの屋根を擦るようなギリギリの高さで強引に滑り込ませる。

薄暗い施設の中へ飛び込んだ瞬間、私は力強くブレーキペダルを踏み抜いた。

タイヤが激しい摩擦音を立て、トラックが急停止する。

キーを回してエンジンを切る。

静寂が訪れるより早く、私は運転席のドアを蹴り開けて外へ飛び出した。


埃っぽいコンクリートの床にブーツが着地する。

周囲は薄暗く、ひんやりとした空気が漂っていた。

「ああ、助かった。本当に、本当に来てくれたんだ」 声のした方を見ると、

ひどく痩せこけた初老の男性がふらふらとこちらへ歩み寄ってくる。

ボロボロの作業着を着たその人は、掘削場の腕章をつけていた。

彼の目からは、大粒の涙が次々と溢れ落ちている。

乾ききった頬に、泥水のような涙の跡が幾筋も引かれていた。

彼は私の手を取り、何度も何度も頭を下げる。

その手はひどく冷たく、木の枝のように細く震えていた。


感謝の言葉を浴びながら、私は小さく首を横に振った。

これは決して、私一人の力なんかじゃない。

チュラクシスをここまで走らせてきたのは私だ。

でも、その道を作ってくれたのは彼らだ。

クレティさんが、自分の命を賭けて凶悪なリノセロスを引きつけてくれている。

ヒカリとラキ、そしてシルビーさんが、全身全霊で巨大なボスリノセロスと戦っている。

私一人では、このトラックをここまで運ぶことなんて絶対にできなかった。

私たちアヴェントゥラというチーム全員の功績なのだ。

その誇りが、私の胸の奥を熱く焦がしていた。


私は男性からそっと手を離し、周囲を見渡した。

トラックの周りには、彼と同じように泥だらけで痩せこけた人たちが集まってきている。

誰もが目に涙を浮かべ、すがるような視線を荷台に向けていた。

だが、そこにある違和感に私はすぐに気がついた。

人が少なすぎる。

シルビーさんが持ち帰った情報では、ここに取り残された作業員は八九名いるはずだった。

しかし、今私の目の前に立っているのは、どう多く見積もっても二十人に満たない。


薄暗い施設の奥へ視線を凝らす。

壁際に並べられた簡易ベッドや、床に敷かれた毛布の上。

そこに、無数の人が横たわっているのが見えた。

微かに胸が上下しているから、生きているのは分かる。

だが、彼らはもうトラックの音を聞いて立ち上がることすらできないほど、命の炎が消えかかっている状態なのだ。

一刻の猶予もない。


「すぐに積み荷を下ろします。手伝ってください」


私は短い言葉をかけ、急いでトラックの後ろへ回った。

荷台のロックを外し、重い観音開きの扉を左右に開く。

そこには、クレティさんが前もって大量に準備してくれていた物資が積まれていた。

一番手前にある段ボール箱を乱暴に引き破る。

中には、銀色のパウチに入ったゼリー飲料がぎっしりと詰まっていた。

飢餓状態の人間に、いきなり固形物や重い食事を与えるのは危険だ。

水分とエネルギー、そして必要な栄養素を一度に、

かつ安全に摂取できるこのゼリー飲料こそが、今の彼らにとって最高の命綱になる。


豪快で賭け事ばかりしているクレティさんだが、こういう時の判断は誰よりも優しい。


私は両手に持てるだけのゼリー飲料を掴み出し、代表の男性や周囲に立つ人たちへ次々と手渡していった。

「まずはこれを。少しずつ、ゆっくり飲んでください。奥で倒れている人たちにも、口に含ませてあげてください」

彼らは震える手でパウチを受け取った。

プラスチックのキャップを開けるカチッという音が、薄暗い施設の中にいくつも響き渡る。


彼らは一様にパウチに口をつけ、喉を鳴らして中身を飲み込み始めた。

ゴクリ、ゴクリという必死な音が聞こえる。

甘く栄養に満ちた冷たいゼリーが、乾ききった彼らの体を満たしていく。

一口飲み込むごとに、彼らの目からとめどなく涙が溢れ出していた。

顔にこびりついた砂埃が涙で洗い流され、足元のコンクリートを濡らしていく。

すすり泣く声と、ゼリーを吸い込む音だけが、空間を支配していた。


奥の床に倒れていた人たちも、仲間からゼリーを口に流し込まれ、ゆっくりと目を開け始めている。

死の影に覆われていた掘削場に、確かな命の熱が戻り始めていた。

私は空になった段ボール箱を荷台に置き、その光景を静かに見つめていた。


よかった。

本当に、間に合ってよかった。

徹夜の疲労も、極度の緊張も、今はもう全く感じない。

ただ、目の前で人が生き返っていく姿を見ているだけで、私の胸はちぎれそうなほどの喜びに満たされていた。

手首で額の汗を拭う。

オイルと鉄の匂いが染み付いた私の手。

その手で組み上げた機体たちが、今日、これだけ多くの命を繋ぎ止めたのだ。


遠く離れた荒野の空の下。

今頃きっと、ヒカリもラキもシルビーさんも、そしてクレティさんも。

泥だらけの機体の中で、同じように息をついているはずだ。

バラバラの場所にいても、私たちは間違いなく繋がっている。

巨大な絶望に立ち向かい、こうして誰かの明日を守り抜いた。

私の中にあるアヴェントゥラの一員としての誇りが、優しい熱となって全身を包み込んでいく。


施設の上部にある小さな換気口から、乾いた風が吹き込んできた。

冷たい月の光が、床に座り込んで笑い合う作業員たちの背中を薄く照らしている。

私は大きく、深く深呼吸をした。

肺を満たすのは、埃っぽくて、だけど確かな希望に満ちた、生きている人間の匂いだった。


ーーーーーーー


だけど、いつまでもここに留まって安心しているわけにはいかない。

ふと我に返る。

ヒカリ。 ラキ。 シルビーさん。 そしてクレティさん。

四人のことが、どうしようもなく心配だった。


彼らが命懸けで戦ってくれたからこそ、私はここまで来ることができた。

でも、その戦闘はまだ続いているかもしれない。

巨大なボスリノセロスの恐ろしさは、データ越しでも十分に理解している。

怪我をして、動けなくなっているかもしれない。

私は立ち上がり、作業員の人たちに向けて短く頭を下げた。


「私は行きます。仲間が待っているので」


代表の男性が何か言いかけたが、私はそれを手で制して背を向けた。

暗い施設内を小走りで抜け、搬入口に停めたトラックの運転席に飛び乗る。

キーを乱暴に回してエンジンをかけ、アクセルペダルを踏み込んだ。 タ

イヤがコンクリートを激しく擦る甲高い音を立てて、トラックは外の荒野へ飛び出す。

巻き上がる砂埃の中を突き進みながら、私はハンドルを握る手にぐっと力を込めた。


このままトラックで戦場へ向かうべきか。 思考が猛スピードで回転する。

ダメだ。

もしあの巨大なリノセロスがまだ生きていて、激しい戦闘が続いているとしたら。

こんな装甲の薄いトラックで突っ込めば、余波を受けただけで一瞬にして吹き飛ばされてしまう。

それだけじゃない。

丸腰の私が戦場に出れば、絶対にみんなの足手まといになる。

私を庇うために、ヒカリやラキが無理をして機体の限界を超え、命を落とすかもしれない。

それだけは絶対に避けなければならない。


トラックではダメだ。

チュラクシスで向かうしかない。

分厚い装甲と巨大な質量を持つあの移動拠点なら、最悪の場合みんなの盾になることができる。

私はブレーキペダルを強く踏み込み、ハンドルを大きく切った。

トラックが砂を巻き上げて急旋回する。

岩山の陰に隠しておいたチュラクシスへ向かって、アクセルをベタ踏みした。


巨大な艦の格納庫にトラックを乱暴に停め、私は金属の階段を一段飛ばしで駆け上がった。

息を切らしながら艦橋の重い扉を開け、中央の操縦席へ飛び込む。

すぐさまメインコンソールの電源を入れた。


「緊急発進。システム起動」


口に出して確認しながら、両手で分厚い操舵輪を強く握りしめる。

右足でメインペダルを奥深くまで一気に踏み込んだ。

チュラクシスの巨大なエンジンが、腹の底に響くような轟音を上げる。

艦橋全体が激しく振動し、焦げたオイルの匂いが空調から吹き出してきた。

分厚い防弾ガラスの向こう側で、景色がゆっくりと動き始める。


ふと下を見ると、掘削場の外に作業員たちが出てきているのが見えた。

彼らは首を痛めるほど高く見上げ、動き出したチュラクシスの巨体を見つめている。

細く痩せた腕を振っている人もいた。

その姿がモニターの端へ流れ、やがて砂煙の中に消えていく。

彼らの命は繋いだ。

次は、私の大切な仲間たちを迎えに行く番だ。


私はナビゲーションシステムを操作し、シルビーさんと最後に通信した座標を目的地に設定した。

あの通信から、かなりの時間が経過している。

無線の応答は未だにない。

ザーザーという乾いたノイズだけが、不気味に響き続けている。


操舵輪を握る手のひらが、じっとりと汗ばんでいた。


お願いだから、無事でいて。

私の頭の中で、その言葉が何度も何度も繰り返されていた。

無鉄砲に突っ走るヒカリのルベルジン。

文句を言いながらも必ず背中を守るラキのギエルレウ。

いつも冷静に私たちを導いてくれるシルビーさんのフラウスレイ。

そして、誰よりも強くて頼りになるクレティさん。

四人の顔が、次々と浮かんでは消えていく。


私が徹夜で調整した機体だ。

ヒカリのルベルジンの分厚い黒の重装甲は、化け物の熱線だって一度くらいは絶対に弾き返せるはずだ。

ラキのギエルレウの関節モーターは、ちょっとやそっとじゃ焼き切れないようにバイパス回路を組んでおいた。

シルビーさんのフラウスレイの姿勢制御システムは、どんなにバランスを崩してもすぐに立て直せるようにプログラムを書いてある。

メカニックとしての私のすべてを、皆の機体に詰め込んだのだ。

だから、ちょっとやそっとの攻撃で壊れるようなヤワな作りにはしていない。

絶対に持ち堪えてくれているはずだ。

壊れさせてたまるかっ。


私の大好きな、アヴェントゥラの仲間たち。

誰一人欠けることなんて絶対に嫌だ。

怪我をしているなら、私が手当てをする。

機体が動かないなら、私が何度でも直してやる。

だから、どうか生きていて。

生きて、いつものように笑って私の文句を聞いて。

またみんなで、このチュラクシスの食堂で馬鹿みたいに騒ぐんだ。


フロントガラスの向こう、荒野の地平線に少しずつ見慣れた景色が近づいてくる。

空には冷たい月が浮かび、静かな夜の砂漠を青白く照らしていた。

轟音を立てて進むチュラクシスの振動が、私の痛切な祈りを乗せて真っ直ぐに前へ突き進んでいく。

焦る気持ちと、信じる気持ち。

その両方を胸の奥で強く抱きしめたまま、私は月明かりの果てを見つめ続けた。


ーーーーーーーーーーーーーーーー


大きく息を吸い込むと、葉巻の残り香と機械油の匂いが鼻腔を突いた。

俺は口の端を歪めて、小さく笑い声を漏らす。

ハハハ、といつものように大声で笑い飛ばしたい気分だったが、流石にそんな余裕はなかった。


さっきまで自分が引きつけていた、あのバカでかいリノセロスの巨体が脳裏に焼き付いていた。

あいつを落としてから、もうずいぶんと時間が経った気がする。

賭け事なら、完全に引き際を間違えている時間だ。

俺の愛機である緑色のウィリディチは、乾いた風を切って荒野を滑るように進んでいる。

両手の操縦桿を軽く握り込み、足元のペダルでホバーの出力を微調整する。

浮遊感を伴う独特の振動が、シートを通して俺の尻から背中へと伝わってくる。

それにしても、嫌な静けさだ。


だいぶ走った気がするが、ヒカリ坊たちの姿は影も形も見えない。

ラキ坊の青い機体も、シルヴィアの黄色い機体もだ。

あの巨大なボスの死骸すら転がっていない。

俺はコンソールの計器盤に視線を落とした。

右手の指先でスイッチを弾き、広域センサーのレーダーを展開する。

緑色の光の波が、モニター上で円を描くように広がっていく。

方角は間違っていない。

間違いなく、あいつらがボスリノセロスとやり合っていた座標へ向かっているはずだ。


チュラクシスの空の移動と、今のこのホバー走行では、スピードが違うのは当然だ。

巨大な移動拠点の規格外の推進力と比べれば、ウィリディチの足は確かに遅い。

それでも、こんなにも何も見つからないものだろうか。

砂漠の景色はどこも同じように見えて、方向感覚を狂わせる。


その時だった。


モニターの端に、微かな温度変化の反応が出た。

俺はペダルを踏み込み、ウィリディチの進行方向をわずかに修正する。

操縦桿を手前に引き、ホバーの推進力を少しだけ落とした。

機体が砂を巻き上げながら、ゆっくりと前進していく。


フロントガラスの向こう側に、異様な光景が広がっていた。

月明かりに照らされた砂地の一部が、そこだけ真っ黒に焦げている。

ガラス状に溶けて固まった砂が、異様な反射光を放っていた。


間違いない。


おそらく、あのバカでかいボスリノセロスが放った熱線の流れ弾の痕だ。


空調越しに、微かに焦げたような匂いが流れ込んでくる。

鼓動が少しだけ早くなるのを感じた。

あいつらは、まだこの先で死闘を繰り広げているのだろうか。

それとも、すでに勝負はついた後なのだろうか。

ユミィのやつは、無事に掘削員たちのところへ物資を届けられただろうか。

あの真面目なユミィのことだ、きっと大急ぎでトラックを走らせているに違いない。

色々な考えが頭の中を巡る。


考えていても答えは出ない。

俺は大きく息を吐き出した。

両手の操縦桿を強く握り直す。

右足のペダルを、床が抜けるほどの勢いで一番奥まで踏み込んだ。

ウィリディチの背部スラスターが、白い炎を吹き上げる。

爆発的な加速Gが俺の体をシートに強く押し付けた。


「待っていろよ、お前ら」


俺は焦げた匂いの漂う荒野に向かって、さらにウィリディチの速度を上げた。


ーーーーーーーーー


操縦桿を握る手にじっとりと汗が滲んでいた。

使い慣れたグリップがいつもより滑る気がする。

機体を走らせるたびに、荒野の凹凸がコクピット全体を揺さぶる。

油と熱気の混じったむせ返るような匂いが鼻腔を突いた。


俺は目の前のメインモニターに視線を固定していた。

緑色の走査線が等間隔で画面を横切っていく。

そこに小さな光点が点滅していた。

味方機の識別信号だ。

チュラクシスの反応をようやく捉えた。

座標データから推測するに、空を飛んでいるわけではない。

完全に地面に降りている。 着陸しているようだ。


俺はコンソールの通信スイッチを乱暴に叩いた。


「おいユミィ。聞こえるか。俺だ」


マイクに向かって声を張り上げる。

狭いコクピットの中に自分の声がやけに大きく響いた。

だが返ってくるのは、ザアアアという無機質な砂嵐の音だけだった。

もう一度スイッチを押し直す。


「ユミィ。応答しろ。状況はどうなってる」


通信機は沈黙を保ったままだ。

いや、ノイズは鳴っている。

だがユミィのあの真面目な声は一向に聞こえてこない。

信機がぶっ壊れたのか。 それとも応答できない状況にあるのか。


嫌な汗が背中を伝うのを感じた。

なんで誰も出ないんだ。

俺は操縦桿を右手に持ち替え、左手でモニターの倍率調整ダイヤルを回した。

光学カメラの映像がぐんとズームされる。


陽炎の向こうに、チュラクシスの船体が見えてきた。

目を凝らして装甲の表面をなぞるように確認する。

黒こげになっている場所はない。

煙も上がっていない。

大きな破損や被害がある様子は外側からは見受けられなかった。

ひとまず船自体が落とされたわけではないらしい。


だが油断はできない。

俺はペダルを深く踏み込んだ。

機体の駆動系が悲鳴のような駆動音を上げる。

姿勢制御のバランサーがガコンと音を立てて作動する。

操縦桿を前に倒し、前傾姿勢のまま一気に加速した。

シートベルトが胸に食い込む。 もっと急がなきゃならねえ。


周囲の景色が飛ぶように後ろへ流れていく。

巻き上げた砂埃がモニターの端を茶色く染めていた。

距離が縮まるにつれて、チュラクシスの周囲の状況が少しずつ明らかになってきた。

荒れ果てた大地の真ん中に、何か巨大なものが転がっている。


最初はただの小高い岩山かと思った。

だがカメラの解像度が上がるにつれ、その輪郭がはっきりと形を持った。

黒い装甲。 天を突くような巨大な角。

ボスのリノセロスだ。


その巨獣は完全に地に伏していた。

動く気配は微塵もない。

ひび割れた大地の上に、どす黒い体液が池のように広がっている。

骸だった。

あの途方もなくでかい化け物が、ピクリとも動かずに横たわっている。


「ハハハ。やりやがったな」


俺は思わず大きな声を上げていた。

ヒカリ坊とラキ坊とシルヴィアの三人で、あの大物から星を挙げたんだ。

大した連中だ。

オッズなら大穴もいいところだ。

胸の奥で安堵の息が漏れるのを感じた。


だが、すぐに俺はペダルを踏む足にさらに力を込めた。

勝っただけではダメだ。

あんなバケモノを相手にしたんだ。 無傷で済むはずがない。


通信に応答がないのが気にかかる。

誰も死んでないだろうな。

勝ったはいいが全員相打ちで全滅なんてオチは笑えないぜ。

命があってこその大穴狙いだろうが。


操縦桿を握る手にさらに力がこもる。

エンジンが唸りを上げ、機体はさらに速度を上げた。

ボスリノセロスの骸とチュラクシスの船体が、モニターいっぱいに広がり始めていた。


機体の脚部が荒野の砂利を深く蹴り上げ、重い駆動音がコクピットの床から直接骨に伝わってきた。

視界いっぱいに広がっていたボスリノセロスの骸が、モニターの中で横へ横へと流れていく。

山のように巨大な黒い肉塊の裏側に回り込もうと、俺は操縦桿を左に傾けた。

機体の上半身が大きく傾き、姿勢制御スラスターがシュガッと鋭い音を立てて砂埃を吹き飛ばす。


メインモニターのノイズが少しずつ晴れてきた。

分厚い装甲の影に隠れていた景色が画面に映し出される。

俺は思わず息を呑んだ。

先の岩場に、見覚えのある機体の姿があったのだ。

三機のシルエットが、折り重なるようにして鎮座している。


「おいおい、嘘だろ」


俺は操縦桿のボタンを押し込み、光学カメラの倍率を最大まで引き上げた。

画面が切り替わり、荒野の月明かりに照らされた光景が鮮明に映し出される。


ギエルレウは、背後の岩に寄りかかってぐったりと座り込んでいる。

右腕のライフルを握る手は力なく垂れ下がり、胸部の装甲はひしゃげて内部の配線が剥き出しになっていた。

中央で長刀を両手で支え、地面に突き立てているルベルジンも酷い有様だ。

全身の装甲が紙屑のように引き裂かれ、黒い焦げ跡が至る所に深く刻まれている。

右端で崩れ落ちるように倒れかかっているフラウスレイに至っては、もはや原型を留めていることすら不思議な状態だった。

左腕の装甲は完全に砕け散り、握りしめた武器だけが辛うじて地面に突き刺さって機体を支えている。


ボロボロだ。

どの機体も、あと一撃でも食らえば完全にスクラップの山に変わっていただろう。

だが、その三機は確かにそこに存在していた。

誰の機体も爆散することなく、この絶望的な戦場を生き抜いた証としてそこに座している。


視線をさらに下へと向ける。

巨大な鉄の塊たちの足元で、何かが動いていた。

風で舞う砂埃ではない。

人影だ。

モニターの解像度を調整すると、油と砂に塗れた少女が、こちらに向かって両手を大きく振っているのが見えた。


ユミィだ。

あいつ、あんなところにやがったのか。


俺は大きく息を吐き出し、革張りのシートに深く背中を預けた。

張り詰めていた肩の力が一気に抜けていく。

額に浮かんでいた冷や汗が目に入り、やけに塩っぽく感じた。

なるほどな。

チュラクシスからの通信に応答がなかったわけだ。

船の中に誰もいないのなら、返事が返ってくるはずがない。

操縦席を離れて外に出ているなら、あの真面目なユミィが通信を無視する理由にも納得がいく。


「ハハハ。そういうことかよ」


狭いコクピットの中に、自身の笑い声が響く。

まったく、心臓に悪い連中だ。

大穴狙いのギャンブルでも、ここまで肝を冷やすことはそうそうない。

俺はフットペダルの踏み込みをゆっくりと緩めた。

機体の駆動音が甲高い唸りから、低く落ち着いたアイドリング音へと変わっていく。

操縦桿を手前に引き、三機の機体の前で自機を静かに停止させた。


モニター越しに見る三機の姿は、どれだけ見つめても痛々しい。

装甲の隙間から漏れ出す冷却液が、月明かりを反射して鈍く光っている。

焼けた金属の匂いや火薬の臭いが、空調フィルター越しにコクピットの中まで漂ってくる気がした。

どれほどの死闘だったのか、想像するだけで背筋が粟立つ。

あの山のような化け物を相手に、一歩も引かずに立ち向かったのだ。


ヒカリ坊の真っ直ぐすぎる無鉄砲さ。

ラキ坊の斜に構えながらも絶対に折れない意地。

シルヴィアの涼しい顔の下に隠した恐ろしいほどの計算と執念。

そして、ユミィの必死な整備と後方支援。

誰か一人でも欠けていれば、絶対にたどり着けなかった結末だ。


俺は改めて、目の前のスクラップ寸前の機体たちを見上げた。

ただ勝っただけじゃない。

装甲に刻まれた無数の傷跡は、まるで勲章のように見えた。

ひしゃげた関節部も、千切れて火花を散らすケーブルも、すべてが彼らの生き様を雄弁に語っている。


俺みたいな老兵には、もうこんな無茶な真似はできない。

若さゆえの無謀か、それとも底知れぬ強さか。

どちらにせよ、とんでもない連中に出会っちまったものだ。


胸の奥から、熱いものが込み上げてくるのを感じた。

安堵と、驚愕と、そしてほんの少しの嫉妬。

老兵の俺が、こんな感情を抱く日が来るなんてな。

大きく深呼吸、コクピットの冷たい空気が、火照った顔に心地よかった。


よくやった。

本当に、よく生き残ってくれた。

言葉には出さず、俺はただモニターの中の満身創痍の機体たちに向かって、小さく笑いかけた。


俺はフットペダルを慎重に踏み込んだ。

同時に操縦桿の親指にある姿勢制御スイッチを押し込む。

ウィリディチの太い脚部が、重々しい関節の駆動音を響かせた。

ゆっくりと、機体の膝関節が折りたたまれていく。

油圧シリンダーが空気を吐き出す音が、コクピットの床から直接骨に伝わってきた。

視界のモニターが大きく前に傾き、荒野の砂地にウィリディチが両膝をつく。

ズシンという重い振動が、革張りのシートを通して全身を揺さぶった。


俺はコンソールのメインスイッチを切った。

低く唸っていたツァイトモーターのアイドリング音が鳴り止む。

計器類のランプがいくつか消灯し、コクピット内に急な静寂が降りてきた。

ハッチ解放レバーを力強く引く。


冷たい夜の空気が、むせ返るようなコクピット内に一気に流れ込んでくる。

鼻を突いたのは、強烈な硝煙の匂いだった。

それに焼け焦げた金属の臭いと、あの巨大なバケモノから流れ出た生臭い血の匂いが混ざり合っている。

俺はシートベルトのバックルを外し、立ち上がった。

ハッチの縁に手をかけ、外へ身を乗り出す。

ひんやりとした装甲の感触が、手のひらへ伝わってきた。


機体の側面にあるステップに足をかけ、手すりを掴みながら慎重に下へと降りていく。

荒々しい戦闘の跡が残る地面が、少しずつ近づいてきた。

地面まであと少しのところで、俺は手すりから手を離して砂地へ向かって飛び降りた。


ザクッという音とともに、ブーツの厚い底が荒野の砂利を強く踏みしめる。

膝を曲げて着地の衝撃をしっかりと殺した。


「クレティさん」


少し離れた場所から、よく知る声が聞こえた。

顔を上げると、油と砂に塗れた姿のユミィがこちらへ駆け寄ってくる。

いつもは綺麗にまとめている髪と大きいアホ毛には、砂埃が白くこびりついていた。

足元を気にしながら走るその表情には、疲労の色が濃く出ている。

だが、その瞳の奥には確かな安堵の光があった。


息を切らせながら、ユミィは俺の目の前で立ち止まった。


「状況は?」


俺が尋ねると、ユミィは大きく一度深呼吸をしてから口を開いた。


「三人とも無事のようです。それぞれの機体から送られてくるバイタルモニターは、正常な数値を返してきています」


ユミィは手元に握りしめていた端末の画面を見せながら言った。


「外から呼びかけても応答がないから焦りましたけど、たぶんコクピットの中で寝てるんだと思います。三人とも、完全に気を失っているみたいで」


緊張の糸が切れて、泥のように眠りこけているのだろう。

無理もない話だ。

あんな常識外れの死闘を繰り広げた直後である。

生きて静かに息をしているだけで、とんでもない大金星だ。


「ハハハ。そいつはいい」


俺は夜空に浮かぶ月を見上げて、大きな声で笑った。

腹の底から笑いが込み上げてくる。

ヒカリ坊も、ラキ坊も、シルヴィアも、本当に大したギャンブラーたちだ。

俺は目の前に転がる、三機の残骸のような機体たちへ再び視線を向けた。

どれも自力で立ち上がり、歩けるような状態じゃない。

駆動系は完全に焼き切れ、装甲は限界を超えてひしゃげている。


「三機とも、ウィリディチでチュラクシスまで運んでやるか」


俺は背後で膝をついている自分の機体を親指で指し示した。

幸い、ウィリディチには十分な出力が残っている。

三機を抱えて歩くくらい、どうにでもなるだろう。


ユミィはホッとしたように顔をほころばせた。


「そうですね。助かります」


だが、ユミィはすぐに真剣な目つきに戻り、周囲の荒れ果てた地面を見渡した。

荒野のあちこちに、黒い装甲の破片が散らばっている。

ルベルジンがカミシモモードの時にパージされた、外装パーツの残骸だ。


「ついでにお願いがあるんですけれど」


ユミィが少し上目遣いで俺を見てきた。

その目には、優秀なメカニックとしての強い執着の光が宿っている。


「あそこに散乱してるカミシモモードの時の黒い外装も、全部回収してもらえますか。今後の整備と改良のデータとして、どうしても必要なんです」


ちぎれた配線やひしゃげた漆黒の装甲板が、月明かりを反射してあちこちで鈍く光っている。

広範囲に散らばったあれを一つ残らず拾い集めるのは、かなり骨の折れる作業になりそうだ。

だが、ここで断る理由などどこにもない。


「ハハハ。わかったわかった。大穴を当てた英雄たちの後片付けだ。喜んで引き受けさせてもらうぜ」


俺はもう一度大きく笑い、再びウィリディチの機体へと向き直った。


俺はウィリディチのコクピットに再び潜り込んだ。

シートに腰を下ろし、ハッチを閉める。

外の生臭い風が遮断され、代わりにオイルと計器類の無機質な匂いが鼻を突いた。

メインシステムを再起動する。

コンソールのランプが次々と点灯し、低い駆動音が足元から響き始めた。


操縦桿を握り、フットペダルをゆっくりと踏み込む。

ウィリディチの太い脚部が砂を噛み、重い機体を立ち上がらせた。

まずは一番端で岩からずり落ちそうになっているフラウスレイから片付けるとするか。


メインモニターの中央にフラウスレイを捉える。

フットペダルを細かく調整し、機体をゆっくりと前進させた。

砂利を踏み砕く音を最小限に抑えるよう、慎重に足裏のショックアブソーバーを効かせる。

フラウスレイのすぐ目の前で停止した。


俺は両手の操縦桿を手前に引き、機体の上半身を屈み込ませた。

親指で指マニピュレーターの開閉スイッチを操作する。

ウィリディチの巨大な両腕が、フラウスレイの胴体を左右からそっと挟み込んだ。

中で眠っているシルヴィアを起こさないよう、慎重に持ち上げようとする。

少しでも揺らせば、疲労困憊の体に障るだろう。


操縦桿をミリ単位で動かし、機体を抱え上げた。

だが、俺はふと軽い笑い声を漏らした。

よく考えれば、チュラクシスという巨大な船がすぐそばに着陸したのだ。

その轟音と地響きにすら気づかず爆睡している連中だ。

俺がウィリディチで多少揺さぶったところで、目を覚ますわけがない。

ハハハ。 馬鹿馬鹿しい気遣いだったぜ。

俺は操縦桿をぐっと引き、フラウスレイをしっかりと胸に抱え込んだ。


そのままフットペダルを踏み込み、チュラクシスへと向かって歩き出す。

格納庫のハッチはすでにユミィが開けてくれていた。

薄暗い庫内の床に、フラウスレイをゆっくりと横たえる。

装甲が床に触れる音が響いたが、シルヴィアが起きる気配は全くない。


俺は再び外へ出た。

次はラキ坊のギエルレウだ。

同じように操縦桿とペダルを操作し、ウィリディチの腕で抱え上げる。

これもチュラクシスの格納庫へ運び込み、フラウスレイの隣に寝かせた。

最後にヒカリ坊のルベルジン。

赤と白の装甲はひどく焼け焦げ、あちこちがひしゃげている。

慎重に持ち上げ、三機とも無事に格納庫の床へ並べ終えた。


三機のスクラップ寸前の機体が並ぶ光景は、なかなかに壮観だった。

格納庫の隅で待機していたユミィが、小走りで近づいてくる。

彼女は俺のウィリディチを見上げて、大きく手を振った。


「お疲れ様です。コクピットからパイロットの三人を引きずり出すのは私に任せてください」


ユミィの声は通信機越しにコクピットへクリアに響いた。

頼もしい後方支援だ。

機体の回収は終わったが、あの泥のように眠る三人を引っ張り出すのも一苦労だろう。

だが、ユミィなら上手くやってくれるはずだ。


「ハハハ。頼んだぜ。俺はルベルジンのカミシモ外装を拾いに行ってくる」


俺はそう応じて、再びフットペダルを踏み込んだ。

ウィリディチを旋回させ、格納庫の外へと歩みを進める。

向かう先は、あの巨大なボスリノセロスの骸の周辺だ。


夜の荒野は静まり返っていた。

先ほどまでの鳴り響いていたであろう戦闘音が嘘のようだ。

モニターに映る景色は、煌々とした月明かりに照らされて青白く浮かび上がっている。

ボスリノセロスの黒い巨体が近づいてくる。

その周囲の地面に、不自然な黒い塊がいくつも落ちているのが見えた。

ヒカリ坊が戦闘中にパージした、ルベルジンのカミシモモードの装甲パーツだ。


月明かりが漆黒の装甲に反射し、探す手間は全くかからなかった。

俺はフットペダルを緩めて機体を停止させた。

操縦桿を倒し、ウィリディチの右腕を地面へと伸ばす。

マニピュレーターを操作し、一番手前に落ちていた胸部用の黒い装甲板を拾い上げた。

そのまま顔の高さまで持ち上げ、メインカメラの焦点を合わせる。


モニターに大写しになったそのパーツを見る。

信じられないほどの傷跡だった。

厚い特殊装甲の表面が、巨大な爪でえぐり取られたように無残に削れている。

端の部分は高熱でドロドロに溶け、本来の鋭いシルエットは見る影もない。

深い亀裂が幾筋も走り、裏側の細かい配線が千切れて飛び出している。


出撃の直前、ユミィが徹夜でメンテしてくれていたのを俺は知っている。

あの時は、新品のように黒光りしていたのだ。

それがたった一度の戦闘で、ここまでボロボロの鉄屑に変わってしまった。


大した連中だ。

これほどの激戦をくぐり抜けて、誰一人欠けることなく勝利を掴み取ったのだから。

賞賛の言葉しか浮かばない。

だが、俺の胸の奥に冷たい不安の影が落ちていくのを感じた。


ヒカリ坊のことだ。

あいつは、死を恐れていない。

いや、恐れていないというより、自分の命の価値をあまりにも軽く見積もりすぎている。

この装甲の傷痕は、あいつがどれだけ敵の懐深くに飛び込んだかを示す証拠だ。

一歩間違えれば、削り取られていたのはこの装甲ではなく、あいつ自身の肉体であり命だったはずだ。


戦場では、命知らずな奴から先に死んでいく。

それは俺が嫌というほど見てきた現実だ。

ギャンブルで言うと、あいつは常に全額をテーブルに賭けるオールインのプレイスタイルだ。

勝てばデカいが、一度でも負ければそこで全てが終わる。

運の女神は、そんな無鉄砲な賭けを永遠には許してくれない。


ヒカリ坊のまっすぐな目は嫌いじゃない。

仲間のために迷わず突っ込んでいくその背中は、確かに眩しい。

だが、その眩しさがいつかあいつ自身を焼き尽くしてしまうのではないか。

自分の命を使い捨てのチップのように扱うあいつの危うさが、俺には恐ろしかった。

老兵の杞憂であってくれればいい。

だが、このズタズタに引き裂かれた黒い装甲を見ていると、どうしても最悪の結末が頭をよぎってしまう。


俺は無意識のうちに、操縦桿を握る手に強く力を込めていた。

グリップがミシリと小さな音を立てる。

大きく息を吐き出し、頭を振って嫌な想像を振り払った。

今はただ、生き残った事実を喜ぶべきだ。

この先のことは、また明日考えればいい。


俺は拾い上げたパーツを背中に背負ったコンテナに放り込み、次の欠片を探して機体を歩かせた。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


とりあえず、月明かりに反射して光る黒い破片はすべて回収した。

背部のコンテナが金属同士のぶつかる重い音を立てている。

メインモニターの端から端まで光学カメラの視点を動かしてみた。

荒野の砂と岩ばかりで、人工的なパーツの形はもう見当たらない。

細かい部品を拾い忘れているかどうかは、ここじゃ判断できない。

チュラクシスの明るい格納庫に持ち帰り、床に並べてみないことには分からないだろう。

足りないものがあれば、明日になって陽が昇ってから探せばいい。

レーダーにはもう、敵の反応を示す赤い光点は一つも映っていない。

夜の荒野はすっかり静まり返っている。


俺はフットペダルの踏み込みを緩め、操縦桿を軽く右に切った。

ウィリディチの太い脚が砂利を擦る音を立ててゆっくりと向きを変える。

そのままボスリノセロスの骸のすぐそばまで機体を歩かせた。


モニター越しに見上げても、信じられないほどの大きさだ。

黒い巨体が、夜空に浮かぶ丸い月を半分ほど隠している。

装甲の隙間から漏れ出す空調の風に混じって、獣の生臭い血の匂いがコクピットまで届いてくる。

分厚い外殻には、ヒカリ坊たちの付けた無数の傷が深く刻まれていた。

肉を焦がし、骨を断つような激しい死闘の痕跡だ。


改めて近くで見ると、圧倒的な威圧感がある。

もう息絶えているというのに、今にもその巨大な角を振り上げて立ち上がりそうだ。

俺たちは、別にこいつが憎くて戦ったわけじゃない。

親の仇でもなければ、個人的な深い恨みがあるわけでもないのだ。

ただ、お互いの生きる道がこの荒野で交差し、真っ向からぶつかり合っただけだ。


俺は操縦桿から手を離し、革張りのシートに深く背中を沈めた。

この過酷な世界で、これほどまでに巨大に育ち、頂点に君臨していた命だ。

どれほどの敵を蹴散らし、どれほどの時間を生き抜いてきたのだろうか。

今日、俺たちは持てるすべてのチップをテーブルに積んで、こいつの命を奪い取った。

だが、それは決して簡単なギャンブルではなかった。

こいつもまた、己の生存を賭けて全力で俺たちを殺しに来たのだ。


勝ったのは俺たちだ。

だが、その勝敗を分けたのはほんのわずかな運の差だったのかもしれない。

圧倒的な力を持つこのバケモノに対し、俺の胸の奥底から湧き上がってくるのは恐怖でも歓喜でもない。

純粋な敬意だった。

お前は強かった。

俺たちの予想を遥かに超える、最高の敵だった。

俺はメインモニターの向こう側に横たわる巨大な亡骸に向かって、ゆっくりと一つ瞬きをした。

静かに眠れ、荒野の王よ。


ーーーーーーーーーー


俺は再び操縦桿を握り、フットペダルを強く踏み込んだ。

ウィリディチが重い駆動音を響かせ、チュラクシスへの帰路につく。

砂を踏みしめる一定の振動が、心地よい疲労感となって体に伝わってくる。


明るい照明の灯る格納庫のハッチをくぐった。

機体を所定のハンガーへ歩かせる。

足元にある待機スペースに、三人の姿があった。

ユミィが一人で、シルヴィアとラキ坊とヒカリ坊をコクピットから引きずり下ろし終わったところだった。

三人とも床に敷かれたシートの上で、死んだように眠りこけている。

ユミィは額に浮かんだ汗を、オイルで汚れた袖口でぐいと拭っていた。


俺はウィリディチの姿勢制御スイッチを押し、機体をハンガーの固定具にセットする。

ガコンと重い金属音が鳴り、脚部が完全に固定された。

右手のマニピュレーターを操作し、握っていた槍を壁面のウェポンラックへと戻す。

エンジンのメインスイッチを切り、各部の電源を落とした。

メーターのランプが次々と消え、コクピット内に静寂が戻ってくる。


キャノピーの解放レバーを引き、外の空気を深く吸い込んだ。

機体の側面にあるステップに足をかけ、格納庫の床へとテンポ良く飛び降りる。

着地の衝撃をブーツの底で殺し、ゆっくりと立ち上がった。

ユミィがホッとしたような顔でこちらを見ている。


「遅くなったが、いいメンテだった」


俺は歩きながら、まっすぐにユミィの目を見て言った。

「ヒカリ坊のあの黒い装甲の傷跡を見たからこそ、はっきりと分かる。 完璧な整備がなければ、あいつらは途中で確実に死んでいた。

今スクラップ寸前の機体たちが最後まで動けたのは、ユミィの仕事のおかげだ。」


ユミィは少し驚いたように目を丸くした。

それから、照れくさそうに口元をほころばせ、深く頭を下げた。

その肩が小さく震えているのを見て、俺は何も言わずに笑いかけた。


「ハハハ。さあ、大穴を当てた英雄たちをベッドに運んでやるか」


俺はシートの上で丸くなっている三人を見下ろした。

ユミィは爆睡しているシルヴィアの脇に腕を入れ、共添えの体勢をとった。

自分の背丈より高いシルヴィアを一生懸命に支え、ふらふらと歩き出す。

シルヴィアは完全に力が抜けており、ユミィに体重を預けきっている。

美しい顔立ちのまま、規則正しい寝息を立てていた。

本当にこの女は寝起きが悪い。

どんなに揺さぶられても、自分の部屋のベッドに着くまで絶対に目を覚まさないだろう。


俺は残されたヒカリ坊とラキ坊の間に立った。

二人の首の後ろにそれぞれ腕を回す。

よっこらしょと声を出し、左右の肩に二人を同時に担ぎ上げた。

ずしりとした重みが両肩にのしかかる。

さすがに骨が折れる。 だが、その重さは確かに生きている命の重さだった。


「ハハハ、重すぎだぜお前ら」


俺は独り言を呟きながら、居住区画へと続く通路を歩き始めた。

背中の向こうでは、ユミィがシルヴィアを引きずるようにして必死に後を付いてきている。

ブーツが金属の床を叩く音が、静かな船内に規則正しく響いていた。


右肩のヒカリ坊をベッドに転がし、毛布を雑に被せた。

続いて左肩のラキ坊を隣の部屋に運び、同じようにベッドへ放り投げる。

こいつらもシルヴィアと同じで、ピクリとも動かない。

規則正しい深い寝息だけが、静かな部屋に響いていた。


通路に出ると、シルヴィアの部屋からユミィが出てくるところだった。

大きく息を吐き、額に浮かんだ汗を拭っている。

互いに無言で頷き合い、俺たちは艦橋へと向かった。


チュラクシスの艦橋は、先ほどの喧騒が嘘のように静まり返っていた。

空調の低い稼働音だけが、広い空間に響いている。

照明は夜間モードの青白い光に落とされていた。

俺は自分の定位置である操舵席の近くまで歩き、足を止める。

中央にある一番立派な座席は、もちろん誰も座っていない。

艦長席だ。

俺は振り返り、後ろをついてきたユミィに向かって顎でその席をしゃくった。


「座りな。」


ユミィはきょとんとした顔で艦長席を見つめた。

そして、すぐに首を横に振る。


「私はあくまで艦長の代理ですから。あそこには座れません」


実直な声だった。

油で汚れた作業着のまま、両手を体の前で組んで背筋を伸ばしている。


「ハハハ。真面目なこった」


俺は大きな声で笑った。

この状況でも規則や立場を崩さない。

本当にユミィらしい答えだった。

俺は操舵席に深く腰を下ろし、背もたれに体重を預けた。

ユミィも近くのサブコンソール用の椅子を引き寄せ、ちょこんと腰掛ける。

椅子が軋む小さな音がした。


「改めて礼を言うぜ。ユミィ」


俺は笑いを収め、まっすぐにユミィの顔を見た。

彼女の目の下には、うっすらとクマが浮かんでいる。


「二日連続の徹夜で全機の整備をやり切った。おまけに、あのバケモノ相手にチュラクシス単機で足止めまでやってのけた。本当に感謝する」


俺がそう言うと、ユミィは少し照れたように視線を落とした。


「いえ。皆さんが無事に帰ってきてくれたのが一番です」


小さく頭を下げた後、ユミィはゆっくりと立ち上がった。

そして、俺の方へ向き直り、右手を肩の高さまでスッと上げた。


俺は少し首を傾げた。

何か言いたいことでもあるのかと思った。

だが、ユミィは無言のまま、上がった右手を俺に向けて数歩近づいてくる。

手のひらをこちらに向けている。

その仕草を見て、俺はようやく合点がいった。


なるほど。 そういうことか。


俺は立ち上がり、同じように右手を持ち上げた。

俺の大きな手。

油汚れのついたユミィの小さな手。


パシン。


乾いた音が艦橋に小さく響いた。

触れ合ったのはほんの一瞬だった。

出撃前に景気付けで交わしたような、掌が痺れるほど力強いハイタッチではない。

とても軽く、柔らかい感触だった。

だが、その小さな音と感触の中に、互いの健闘を称え合う気持ちが十分に詰まっていた。

大穴を当てた者同士の、静かな祝杯のようなものだ。

言葉にしなくても伝わってくる。

俺はゆっくりと右手を下ろし、ユミィの少しはにかんだような笑顔を見つめ返した。


ーーーーーーーーーーーーーー


俺は両手を顔の前で合わせて、パンと一つ大きく手を叩いた。

乾いた破裂音が、静まり返った艦橋に響き渡る。


「さてと」


俺はわざと明るい声を出した。


「お前も丸二日の徹夜だったんだ。もう寝な。後の戸締まりは俺がやっておく」


ユミィは少しだけ名残惜しそうに、艦橋のメインモニターへ視線を向けた。

そこには月明かりに照らされた荒野が静かに映し出されている。

だが、すぐに俺の方へ向き直って小さく頷いた。


「そうですね。勝利の美酒の気分に浸るのは、ここまでにしておきましょう」


その大人びた言い回しが妙におかしくて腹の底から声を上げた。


「ハハハ。違いねえ」


大穴を当てた余韻に浸るのは悪くない。

俺はユミィの目をまっすぐに見つめた。


「本物の美酒を味わうのは、あの三人が目を覚ましてからだ。明日は盛大に祝勝会をやるぞ。とびきり美味い酒を開けてやる」


ユミィの顔がパッと明るくなった。

油汚れのついた顔に、年相応の無邪気な笑みが浮かぶ。


「それは楽しみです」


そう答えた直後、ユミィの体がぐらりと小さく揺れた。

慌てて近くのコンソールに手をつき、何度もまばたきをしている。

どうやら限界が来たようだ。

仲間が全員無事に帰り着いたという深い安心感。

それに加えて、何本も空けていた栄養ドリンクの効果が完全に切れたのだろう。

急激な睡魔が彼女の小さな体を襲っているのが、目に見えてわかった。


「おやすみなさい。クレティさん」


ユミィはふらつく足取りで艦橋の出口へと向かう。

自動扉が静かに開き、彼女の背中が薄暗い通路の奥へと消えていった。

俺はその姿が見えなくなるまで無言で見送った。

本当によくやった。 ゆっくり休んでくれ。


自動扉が閉まり、艦橋には再び機械の低い稼働音だけが残された。


「さてと。俺も仕事を終わらせるか」


俺は誰もいない空間に向かって呟き、メインコンソールパネルに近づいた。

冷たいガラス面のタッチパネルに指を滑らせる。

チュラクシスの外部センサーを警戒モードに切り替える。

ハッチのロック状態を一つずつ確認し、セキュリティレベルを最大まで引き上げた。

緑色のランプが次々と点灯し、船全体が厚い装甲の殻に閉じこもる。

これで戸締まりは完璧だ。

どんな野盗の群れが来ようが、朝まではゆっくり眠れる。


俺はパネルから手を離し、大きく背伸びをした。

背骨がバキバキと鈍い音を立てる。

ふと視線を横に向けると、そこには誰も座っていない艦長席があった。

立派な革張りの大きなシートだ。

薄暗い照明の中で、その席だけが妙な存在感を放っている。

俺は艦長席を一瞥し、サブオペレーター用の椅子に歩み寄る。


背もたれに体重を預けるようにして、深く腰を下ろした。

シートの柔らかいクッションが、疲労の溜まった体を受け止めてくれる。

その瞬間、全身の筋肉から一気に力が抜け落ちていくのを感じた。

極限の緊張とアドレナリンが完全に消え去り、鉛のような重だるさが手足にのしかかってくる。

瞼が信じられないほど重い。


「まったく。若くねぇな」


口から自然とそんな愚痴がこぼれた。

昔なら、このまま朝まで一人で酒を飲めたはずだ。

だが今は、この椅子から立ち上がって自分の部屋のベッドまで歩く気力すら湧いてこない。

まあいいか。

今日くらい、ここで寝ちまっても誰も文句は言わないだろう。

俺たちは生き残ったのだ。

この過酷な荒野で、とびきりデカい賭けに勝った。

それだけで十分すぎる夜だ。


艦橋の静かな空調の音が、まるで穏やかな波の音のように聞こえてくる。

俺はゆっくりと目を閉じた。


暗闇の中に、明日みんなで飲むはずの美味い酒の味が少しだけよぎる。

深い安堵とともに、俺の意識は心地よい眠りの底へと沈んでいった。


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