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22話:Strike of the Heavens 〜降臨一閃〜

俺の体は、シートに押し付けられる強烈な重圧から完全に解放されていた。

フワリとした無重力の感覚がコクピットを満たしている。

アンクロスの炸裂によって、全身を覆っていた分厚い黒の重装甲をすべて脱ぎ捨てた。


今の俺とルベルジンは、赤と白の本来の姿を剥き出しにしている。

身軽になった機体が、シルヴィアさんによって遥か上空へと打ち上げられていた。


風の咆哮が機体の外装を激しく叩く。

計器盤の高度計が、ものすごい勢いで数値を跳ね上げていく。

俺はフロントモニター越しに、眼下に広がる荒野を見下ろした。


事前の作戦会議なんてものは一切なかった。

そんな悠長な打ち合わせをする時間すら与えられていなかった。

シルヴィアさんの口から出たのは、たった数秒のカウントダウンと短い指示だけだ。

それなのに、俺たちの動きは完璧に噛み合っていた。

言葉なんてなくても、三人の心が完全に一つに繋がっていたように思える。

戦場の極限状態の中で、それはひどく不思議で、胸の奥が熱くなるような感覚だった。


眼下の砂煙の中に、青い機体が見えた。

ギエルレウだ。

左のハンドガンからは、最大出力の閃光を撃ち終えたばかりの白い煙が細く立ち上っている。

化け物の口内に致命的な一撃を叩き込んだ直後だ。

だが、青い機体はそこから一歩も後ろへ下がっていなかった。

微動だにせず、その場に仁王立ちになっている。

化け物の怒りが次に自分へ向かうことなんて、百も承知のはずだ。

それでもあえて標的としてその場に留まり、闘志を全く折ることなく、巨大な敵を真っ向から睨みつけているのだ。


さらに視線を少しだけ下へずらす。

ボスリノセロスの巨大な顔面のすぐ手前。

仰向けに倒れ伏している機体があった。

フラウスレイだ。

彼女は自身の機体が激突するリスクを完全に度外視していた。

自分自身も死線ギリギリの戦闘をこなしながら、この一瞬の隙を突く即興の作戦を完璧に組み立ててくれた。

俺をこの上空へ放り投げるためだけに、自分の安全をすべて投げ打ってくれたのだ。


高度が上がりきった。

機体が空中でふっと静止する。

無重力の時間が終わり、重力が再び俺の体を下へ引っ張ろうとし始めた。


ここから先は俺の仕事だ。

俺は両手の操縦桿を骨が鳴るほど力強く握り直した。

さっき空中で掴み取った、長細い白いパーツ。

機体の右手がそれをしっかりと握りしめている。

俺は右手のグリップを少しだけ内側へ捻り、パーツの向きを縦に持ち替えた。


俺は両足のメインペダルに力を込める。

機体の姿勢を、真っ逆さまに落下する形へと強引に固定した。

眼下で頭から煙を吹き上げながら荒れ狂う巨大な化け物。

その背中の中心へ向けて、ルベルジンの頭部を真っ直ぐに向ける。

サブペダルを、床の金属板を蹴り破る勢いで踏み込んだ。


背部のメインスラスターが一気に火を噴く。

重力による自由落下に、機体自身の最大推力が上乗せされる。

音を置き去りにする凄まじい加速だった。

赤と白の機体が、空から一直線に突き刺さる一本の巨大な刀に変わる。

フロントモニターの視界が、信じられない速度で化け物の姿を拡大していく。

操縦桿から伝わる微細な振動が、俺の全身の血を沸騰させていた。


さっき空中で掴み取った、長細い一本の白いパーツ。

それはアンクロスの爆発でパージされた大剣の、ただの残骸ではない。

分厚い黒の装甲と一緒に、大剣の外殻も空中で弾け飛んでいたのだ。

分厚い鉄の殻を脱ぎ捨て、中に隠されていた真の姿が露わになる。


俺は右手の操縦桿を強く握り込んだ。

左手の操縦桿を添え、白いパーツの鞘を弾き飛ばす。

ルベルジンの右腕が素早く動き、中身を引き抜いた。


直刀ウルグラ。


一切の装飾を削ぎ落とした、殺すためだけの鋭利な刃だ。

機体の頭上には、いつの間にか雲を抜けた冷たい月が浮かんでいた。

抜き放たれた長い刀身が、青白い月光を鋭く反射する。

刃の表面に浮かび上がる複雑なダマスカス模様が、まるで生き物のように怪しく波打っていた。


重力に引かれ、機体は猛烈な速度で落下していく。

ここからは完全な自由落下だ。

迷っている時間も、体勢を立て直す時間もない。

フロントモニターの奥で、標的の姿が急速に拡大していく。


眼下のボスリノセロスは、極大の主砲を放った直後だ。

分厚い背中の装甲板が大きく展開している。

そこにある巨大な排気ファンが、けたたましい音を立てて激しく回転していた。

体内に溜まった致死量の熱を逃がすため、大量の高圧蒸気を天に向かって勢いよく吐き出している。


目指す場所はあそこしかない。

分厚い装甲に守られていない、ただ一つの致命的な弱点。

俺は両手の操縦桿を内側へ絞り込み、直刀の切っ先をその排気口へ真っ直ぐに向けた。


この一撃は、俺一人の力じゃない。

俺はペダルを踏み込む足に力を込めた。


ユミィ。

この無茶な設計の機体を、文句を言わず完璧に仕上げてくれた。

ユミィが徹夜で調整してくれたから、機体は今も空で限界以上の動きに応えてくれている。


ラキ。

今も下で、逃げずに巨獣を睨みつけている。

危険を承知で、俺に最高の隙を作り出してくれた。


シルヴィアさん。

この盤面を作り出した上で、自分の機体が墜落するリスクを完全に無視してくれた。

俺をこの空へ届けるためだけに、命綱を自ら切り捨ててくれた。


クレティさん。

あの地獄のような訓練。

吐き気を催すほどの反復練習がなければ、俺たちはここまで戦えなかった。


四人の思いが、この機体の両腕に乗っている。

絶対に外すわけにはいかない!

絶対に外さない!!

操縦桿から伝わる熱が、俺の全身の血をさらに熱く沸騰させた。


風を切り裂く音に混じって、地響きのような咆哮が聞こえた。

巨大な化け物が上空の異変に気付いたのだ。

小さな眼球が、一直線に降下してくるルベルジンを正確に捉えていた。


巨体が大きく波打つ。

あいつは太い四本足を必死に動かし、砂を蹴り上げた。

圧倒的な質量を強引に捻り、俺の落下地点から距離を取ろうと後退を始める。

口内を焼かれ、あちこちの装甲がひしゃげ、満身創痍のはずだ。


それなのに、まだ抗うのか。

ここまで徹底的に追い詰められて、それでもなお生きるために、俺たちを殺すために動く。

純粋な生存本能の塊。


大したものだ。 俺は操縦桿を握りしめながら、この巨大な敵に対して、確かな敬意が胸の奥に湧き上がるのを感じた。

だが、手加減など一切しない。

俺は敬意を込めて、お前を完全に終わらせる。


「逃がすかっ」


俺はペダルを床の底まで完全に踏み抜き、ルベルジンの背部スラスターの残されたすべてのエネルギーを爆発させる。

機体が青白い炎を噴き出し、落下の速度をさらに一段階引き上げた。


ーーーーーーーーー


耳をつんざくような風切り音がコクピットを満たしている。

赤と白の機体が真っ逆さまに虚空を落ちていく。

眼下の巨大な化け物は、必死に四本足を動かして後退しようとしていた。

俺の落下地点から巨体をずらし、直撃を避けようとする。

その動きは鈍く、ひどく重々しい。

だが、あの凄まじい質量が少しでも動けば、ピンポイントで急所を狙う俺の軌道は確実に狂う。


俺は両足のペダルを細かく、そして素早く踏み変えた。

ルベルジンの各所に配置された姿勢制御用の小型スラスターが火を噴く。

落下の猛烈な速度を一切殺さないまま、空中で機体の軸を右へ、左へと微調整する。

熱気で歪む視界の奥。

発光し、猛烈な蒸気を噴き上げている分厚い装甲の隙間。

巨大な排気ファンが回転するそこだけを、俺は絶対にモニターの中心から逃がさなかった。


距離が一気に縮まる。

風の音が、地鳴りのような唸り声に上書きされる。

あと数秒。

いや、一秒。

俺は両手の操縦桿を感覚がなくなるほど強く握り込む。

ルベルジンの右腕が、ダマスカス模様の直刀ウルグラを頭上高く振りかぶる。


機体の重さ。

スラスターの最大推力。

自由落下の凄まじい加速度。

たった一本の刃の先端に乗せる。


ぶつかれば、ただでは済まない。

並の武器なら、あの分厚い装甲や巨大な回転翼に触れた瞬間に粉々に砕け散る。

だが、右手の操縦桿から伝わる静かな振動が、俺に確かな自信を与えていた。

この程度で曲がったり折れたりするようなヤワな刀ではない。


それが不思議とはっきりと解った。

理屈じゃなかった。


俺は両足のペダルから一気に力を抜き、スラスターの噴射を完全に止めた。

両手の操縦桿を、己の体重をすべて乗せるようにして手前へ鋭く引き絞る。

ルベルジンカミシモの右腕が、渾身の力で直刀を振り下ろした。


激突ッ。


弾け飛ぶような、凄まじい衝撃を覚悟していた。

全身の骨が砕けるような反発が来るはずだと、奥歯を強く噛み締めていた。

だが、その予想は完全に裏切られた。


驚くほどあっさりと。

本当に、拍子抜けするほど滑らかに。

直刀ウルグラの鋭利な切っ先は、巨大な化け物の背中に吸い込まれていった。


刃が触れた排気口の分厚い金属板が、まるで紙切れのように両断される。

高速で回転していた巨大なファンが、一瞬で真っ二つに切り裂かれた。

刀身に浮かぶダマスカス模様が怪しく波打つ。

極限まで研ぎ澄まされた切れ味なのか。

それとも、天から降り注いだ凄まじい落下の勢いによるものなのか。

いや、その両方が完全に重なり合った結果だったのだろう。


何の抵抗もない。

硬い骨を断つ感触すら、操縦桿にはほとんど伝わってこなかった。

直刀は排気口を完全にすり抜け、化け物の体内の奥深く、最も熱を帯びた中心核を一直線に貫いたのだ。


ドグン、と。

戦場全体が脈打つような、重くて不気味な音が響いた。

化け物の動きがピタリと止まる。


俺は両足のペダルを踏み込み、機体の姿勢を強引に立て直した。

化け物の背中に着地する。

右手に握った操縦桿は、深く突き立てたまま固定した。


足元の巨大な肉の塊が、ゆっくりと動いた。

首の関節を無理やり捻るような、嫌な音がする。

ボスリノセロスの巨大な顔面が、背中に乗る俺の機体を振り返るように見上げた。

小さな、血走った眼球が、モニター越しの俺を真っ直ぐに睨みつけている。

底知れない怒りと、純粋な生存本能の残滓。

俺はその視線から決して目を逸らさなかった。


グルルルル。


喉の奥で血を泡立てるような、ひどく低くて軽い咆哮だった。

それが、あの巨大な化け物が発した最後の音だった。

小さな眼球から、赤黒い光がフッと消え失せる。


次の瞬間、支えを失った巨城が崩落するように、巨大な四本足が同時にへし折れた。

ズガァァァン。

大地が爆発したかのような凄まじい轟音が荒野に轟く。

巻き上がる砂煙が、天を突くほどの高さまで舞い上がった。

ボスリノセロスは二度と動くことはなかった。

完全に息絶えたのだ。


俺は深く、長い息を吐き出した。

緊張で張り詰めていた全身の筋肉が、一気に弛緩していくのが分かる。

機体の計器盤から、いくつもの警告音がピーピーと鳴り響いている。


視線をフロントモニターの端へ向ける。

巨獣が倒れた凄まじい地響きと衝撃波。

その余波をモロに受けた青い機体が、砂埃の中で無惨にひっくり返っていた。

ラキの乗るギエルレウだ。


あれだけ堂々と化け物を睨みつけていたくせに。

最後の最後、ただの地響きの衝撃でバランスを崩し、情けなく後ろへ転がり落ちていた。

俺は操縦桿から手を離し、コクピットの背もたれに深く体を預けた。


ーーーーーーーーーーーーー


コクピットの背もたれに深く体を預けた、その直後だった。

足場にしていた巨大な肉の塊が、完全に力を失ってズルリと大きく傾いたのだ。

俺の乗るルベルジンカミシモが、足元から激しくバランスを崩す。


反射的に両手の操縦桿を強く握り直そうとした。

両足のペダルを踏み込んで、機体の姿勢を制御しようとする。

だが、指先も足の筋肉も全く言うことを聞いてくれなかった。

機体のツァイトモーターが限界を迎えたわけではない。

コンソールの計器盤にエネルギー切れの警告は一切出ていない。

ただ単に、俺自身の体力が完全に底を尽きていたのだ。

極限の緊張から解放された途端、信じられないほどの疲労と安心感が一気に全身の神経にのしかかってきた。


機体は右手に直刀ウルグラを強く握りしめたまま、巨大な化け物の背中から滑り落ちた。

ズシン、と重く鈍い音を立てて荒野の砂地に仰向けに倒れ込む。

凄まじい衝撃で体がシートから少しだけ浮き上がったが、もうどうでもよかった。


さっき、ボスの倒れる地響きだけで後ろに転がったラキの青い機体を見て、情けないと思ったばかりだ。

でも、あいつのことは全く笑えない。

俺自身もこうして、無様に砂の上へ転がって空を見上げている。


フロントモニター越しに見える空には、相変わらず冷たい月が浮かんでいた。

首だけを動かして、視線を少しだけ横へ向ける。

そこには、完全に息絶えたボスリノセロスの巨大な亡骸が横たわっている。

そして、その周囲の砂にまみれて倒れた三機の機体。

赤と白の本来の装甲になったルベルジン。

だらしなく大の字になっている青いギエルレウ。

仰向けに沈黙している黄色いフラウスレイ。

どれも泥とオイルにまみれ、満身創痍でスクラップ一歩手前だ。


俺は再び、巨大なボスの亡骸に視線を戻した。

大きく開いたままの口の奥から、まだ細い煙がプスプスと上がっている。

太い四本足は無残にへし折れ、背中の巨大な排気口からは俺が突き立てた傷跡がパックリと口を開けていた。

今はただの巨大な肉と鉄の塊のように静まり返っている。

だが、そこにある圧倒的な質量と、戦場を支配していた存在感はまだ全く消えていない。


本当に、大した奴だった。

喉の奥の致命的な急所を最大出力で撃ち抜かれ、体内の熱処理はとっくに限界を超えていたはずだ。

それでも最後の最後まで生きることを諦めず、俺たちを殺そうと動いた。

あいつの小さな眼球に宿っていた純粋な生存本能の光。

巨大な質量を捻り上げてでも抗おうとしたあの意志を、俺は一生忘れないだろう。


別に、俺たちはこいつが憎くて戦っていたわけではない。

ただ、自分たちが今日を生き残るために、どうしてもこいつをこの場で倒す必要があっただけだ。

それはきっと、死んでいったこいつも同じだったはずだ。

俺たちに悪意があったわけじゃない。

ただ自分の縄張りを守り、過酷な荒野を生き抜くために俺たちという異物を全力で排除しようとした。

ただそれだけの、純粋な命と命のぶつかり合い。

そこには善も悪もない。

俺の胸の奥底から、この巨大な強敵に対する深い尊敬の念が静かに、そして確かな熱を持って湧き上がってきた。


通信機からは、ザザッという乾いたノイズ以外の音は何も聞こえてこない。

シルヴィアさんも、ラキも、全く言葉を発さない。

激突の衝撃で気を失っているのか、それとも泥のように眠っているのか。

どちらにしても、今は無理に呼びかける気にはなれなかった。

全員が限界をとうに超えていた。

今はただ、この戦い終わりの静寂の中でゆっくり休ませてやりたい。


重くなる瞼を無理やりこじ開け、俺は視線をさらに遠くの横へずらした。

月の光に照らされた荒野のあちこちに、黒い鉄の塊が散乱している。

アンクロスで弾け飛んだ、ルベルジンカミシモの分厚い重装甲の残骸だ。

ボスの極太の熱線をモロに浴びて、溶けたりひしゃげたりしている。


ユミィが徹夜で調整してくれた大切な装甲だ。

ユミィのことだ、この無残な姿を見たら泣いて怒るかもしれない。

でも、あの装甲が盾になってくれなければ、間違いなく俺たちは全員あの熱線で消し炭になっていた。

形は壊れてしまったけれど、あれは間違いなく俺たちの命を繋いでくれた大切なパーツだ。

あとで全部、一つ残らず拾い集めて基地へ回収して帰らなくちゃな。


両手の操縦桿から、ゆっくりと手が滑り落ちた。

足のペダルに乗せていた感覚も、もう完全に泥のように重くて動かせない。

焦げたオイルの匂いが鼻をくすぐる。 黒い装甲の回収は、もう少しだけ後でいいか。


そんなことをぼんやりと思っているうちに。

俺の意識は、深い暗闇の底へと急速に吸い込まれていった。


ーーーーーーーーーーー


深い泥の底に沈んでいたような意識が、耳障りなノイズと共にゆっくりと浮上してきた。

コクピットのスピーカーから、ざらついた声が響いている。


「おい、起きろや。いつまで寝てんねん」


ラキの声だ。

俺は重い瞼を無理やりこじ開けた。

フロントモニターの光がやけに眩しく感じる。

首の後ろがひどく痛む。

どうやら、極度の疲労で完全に気を失っていたらしい。

死闘の後の安堵感からか、俺たち三人は揃って砂漠の上で意識を手放していたようだ。

意外なことに、一番最初に目を覚ましたのはラキだった。


「ひどい寝相やで、ホンマに」


通信機越しに、呆れたようなあいつの関西弁が続く。

俺は両手の操縦桿を軽く握り直した。

手のひらに冷たい汗が張り付いている。

両足のペダルにそっと力を込めると、機体の各部から鈍い駆動音が返ってきた。

なんとか動けそうだ。


「んん」


別の回線から、ひどく間の抜けた声が漏れてきた。


「シルヴィアさん、生きてるか」


ラキが声をかけると、スピーカーの向こうでゴソゴソと服が擦れるような音がした。


「んー、ラキくん。もうちょっとだけ寝かせてよ」


シルヴィアさんの声は、普段の余裕のある響きとは程遠かった。

この人は相変わらず、異常なほど寝起きが悪いようだ。


「そんな場合ちゃうやろ。さっさと帰ろ」


ラキの容赦のないモーニングコールが入る。

数秒の沈黙の後、パチンと頬を軽く叩くような音が聞こえた。


「そうね。とりあえずチュラクシスに合流しましょうか」


少しだけはっきりとした声で、シルヴィアさんが指示を出した。

チュラクシスと掘削場の本部。

俺たちの味方が待つ、一番近い前線基地だ。


俺は大きく息を吐き出し、両足のメインペダルをゆっくりと奥まで踏み込んだ。

ルベルジンの背中と腕のシリンダーが重々しい音を立てる。

砂埃を落としながら、赤と白の機体がゆっくりと身を起こした。

隣では、ラキの青いギエルレウとシルヴィアさんの黄色いフラウスレイも、同じようにぎこちない動きで立ち上がっている。


俺たちは機体を並べ、チュラクシスがある方角へ向かってゆっくりと歩き出した。

両手の操縦桿を軽く前後に振る。

足元のペダルを交互に踏み込み、機体の足を一歩ずつ前へ進める。


ただ歩くだけの動作が、信じられないほど重く感じた。

戦闘中のような機敏な動きは全くない。

ペダルを踏む俺の足は鉛のように重く、操縦桿を握る手はかすかに震えたままだ。

俺もラキもシルヴィアさんも、今はただ機体の足を前に出すことだけで精一杯だった。


周囲に警戒の視線を向ける余裕すらない。

もうここに敵はいない。

あの巨大なボスリノセロスは完全に沈黙し、周囲に他の気配もない。

その絶対的な安心感が、俺たちの緊張を完全に解き放っていた。

熟練のシルヴィアさんでさえ、フラウスレイの頭部カメラを全く動かすことなく、ただまっすぐに前だけを見て歩いている。


荒野を吹き抜ける風が、コクピットの装甲を撫でる音だけが響く。

焦げたオイルと火薬の匂いが、空調越しに薄く漂ってくる。


フロントモニターのずっと奥。

地平線の近くに、見慣れたシルエットが見え始めた。

チュラクシスだ。

あそこまで行けば、休むことができる。

帰れる。


チュラクシスに向け、少しだけペダルを踏み込む力を強めようとした。

だが、その足は途中で止まった。

モニターの端に、何か映り込んだのだ。


視線をチュラクシスから手前へと引き戻す。

目の前に立ち塞がった岩だ。

ただのちょっとした岩の塊だった。


俺は両足のペダルからスッと力を抜いた。

ルベルジンの足が止まる。

左右を歩いていた二機も、同じように立ち止まった。


青いギエルレウが重々しい足取りでその岩へ近づく。

ペダルを踏むラキの気怠げな動きが、機体の動きから容易に想像できた。

ギエルレウは岩の左側にドスンと重い音を立てて腰を下ろした。

そのまま背もたれに寄りかかるように、岩肌へ体重を預ける。


「もう限界や。一歩も動けんわ」


通信機からラキのくぐもった声が聞こえた。

岩に座り込んだ青い機体をモニター越しに見つめる。

よく見ると、本当にボロボロだった。

鮮やかだった青い装甲はあちこちがひしゃげ、塗装は剥がれ落ちている。

関節部分からは内部の配線がちぎれて無残に剥き出しになっていた。

握られたハンドガンも、熱で砲身が歪みきっている。


岩の反対側、右手のスペースに黄色いフラウスレイが近づく。

シルヴィアさんがゆっくりと腰を下ろした。

だが、次の瞬間。

ズズズッ、と装甲が岩肌を滑る嫌な音がした。

フラウスレイは岩に座りきれず、だらしない音を立てて砂地までズルズルと滑り落ちてしまった。

機体はそのまま岩の下にペタンと座り込み、動かなくなった。


「姿勢制御のモーターが完全に焼き切れちゃったみたい」


少しだけバツの悪そうなシルヴィアさんの笑い声が響く。

フラウスレイの損傷も目を覆うばかりだった。

頭部のセンサーアンテナは根元から折れ曲がっている。

機体の至る所が、あの巨大なボスの放った熱線でドロドロに溶け落ちていた。

右腕の装甲に至っては跡形もなく消し飛び、内部の骨格が黒焦げになって見えている。


俺は両手の操縦桿を軽く手前に引いた。

二機の間、岩の真ん中の空いたスペースにルベルジンを歩かせる。

両足のペダルからゆっくりと力を抜き、機体の関節を折りたたんだ。

俺も岩に体重を預けるようにして、深く腰を下ろした。

握ったままだったダマスカス模様の直刀ウルグラを、足元の砂に深く突き立てる。


「少しだけ、ここで休ませてくれ」


俺の口から自然とそんな言葉がこぼれた。

自分の機体も例外ではない。

フロントモニターの端に映る機体のダメージマップは真っ赤に染まっている。

赤と白の装甲は深いひび割れが無数に走り、黒いオイルが血のようにあちこちから滲み出ている。

アンクロスで分厚い重装甲をパージしたとはいえ、本体へのダメージも限界ギリギリだった。


激戦の爪痕が痛々しく刻まれた三機。

満身創痍の鉄の塊たちが、冷たい月明かりの下で身を寄せ合うように岩に寄りかかっている。

焦げた鉄の匂い。

気化したオイルの匂い。

それらが混ざり合い、コクピットのフィルター越しにも戦いの激しさを伝えてくる。

俺たちはただ静かに、深く息を吐いた。


本当に静かだ。

俺はコクピットのシートに深く背中を沈めた。

ラキも、シルヴィアさんも、もう何も言わない。

通信機からは、微かな呼吸音のようなノイズだけが聞こえてくる。


本当に静かだ。

さっきまでの、鼓膜を破るような巨獣の咆哮が嘘のようだ。

大地を揺るがす地響きもない。

装甲がぶつかり合う暴力的な金属音もしない。

荒野を常に吹き抜けていたはずの風の音さえ、今は全く聞こえなかった。

世界から全ての音が完全に消え去ってしまったような錯覚に陥る。

足元に広がるサラサラとした乾いた砂が、この空間の音という音を全て吸い込んでいるのだろうか。

コクピットの空調が吐き出す微かな空気の音だけが、やけに大きく耳に響く。


俺もゆっくりと目を閉じた。

冷たい夜の空気が、熱を持った機体の装甲を優しく冷ましていくのが分かる。

終わったのだ。

あの巨大な死の影はもういない。

確かな生の実感と、途方もない安心感。


その暖かな重みと共に、俺の意識は今度こそ、深く穏やかな眠りへと落ちていった。


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