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17話:Stand of the Scarred 〜老兵、一歩も引かず〜

俺は操縦席の分厚いシートに深く背中を預けた。


チュラクシスの薄暗い格納庫の中だ。

機械油の匂いと、焦げたケーブルの臭いがコクピットに充満している。

両手で握りしめた操縦桿のグリップには、じっとりと不快な汗が滲んでいた。

足元のスロットルペダルに体重をかけるが、機体は固定具にがっちりとホールドされて微動だにしない。

今は待つしかできない時間だった。


メインモニターには格納庫の天井が映っている。

警戒色が塗られた巨大なクレーンが、頭上をゆっくりと動いていた。

鈍いモーター音を響かせながら、俺の機体の右腕へ最後のパーツを運んでいる。

あまりにも遅い。

亀の歩みかと思うほどの鈍重な動きだ。

俺は無意識のうちに、右手の操縦桿をギリギリと力強く握り込んでいた。

軋む音がコクピットに響く。


つい先程までは、全速力で空を飛ぶチュラクシスの遅さにヤキモキしていた。

今は目の前で動くオートクレーンの遅さに苛立っている。

ハハ。

俺はコクピットの中で、自嘲気味に声を上げて笑った。

昔の俺はもっとどっしり構えていたはずだ。

こんなにもせっかちで余裕のない男だったか。

歳を取って丸くなるどころか、気が短くなっている。

弟子たちが死地にいるのだから無理もないか。


俺は大きく深呼吸をした。

肺いっぱいに冷たい空調の風を吸い込む。

焦っても仕方がない。

機械の動きを人間の気合で早めることなど不可能なのだ。

今はオートクレーンが確実にパーツを接続するのを待つ。

それが一番確実で早い。

俺は足元のペダルから少しだけ力を抜いた。


コクピットの床から、小刻みな振動が絶え間なく伝わってくる。

チュラクシス全体が激しく揺れているのだ。 上部の艦橋で、ユミィが必死に戦っている証拠だった。

あいつは今、一人でチュラクシスの小型砲門を直接制御している。

地上の一回り小さいリノセロスを足止めするためだ。


空からビームの雨を降らせて牽制し続けるだけでも、莫大なエネルギーを消費する。

チュラクシスの心臓部であるツァイトモーターが悲鳴を上げているのが、足裏の振動からありありと伝わってきた。

熱を逃がすための冷却液の循環音が、普段の何倍も大きく響いている。

いつまでこの船のモーターが持ち堪えられるか。

俺の長年の勘が、もうそんなに猶予はないと警告していた。


地上では、あいつらが死闘を繰り広げている。

シルヴィア。 ラキ坊。 ヒカリ坊。

あの三人が束になれば、ボス格の巨大なリノセロスだってなんとか倒せると俺は信じている。

あいつらは俺が徹底的にしごき抜いた自慢のパイロットたちだ。

ただの化け物一匹に負けるようなヤワな連中じゃない。


だが、勝つだけじゃダメだ。

俺はメインモニターの奥の真っ暗な天井を睨みつけた。

全員、必ず生きて戻れよ。

誰一人欠けることは絶対に許さない。

俺は賭け事が大好きだが、あいつらの命をテーブルのチップにするつもりは毛頭なかった。


ガコン。

腹の底に響くような重い金属音が格納庫に響き渡った。

モニターの中でオートクレーンのアームが大きく開く。

俺の機体の右腕に、巨大なパーツが完全にロックされたのだ。

計器盤の赤いランプが次々と緑色に切り替わっていく。


ようやくお出ましだ。

俺は両手の操縦桿を力強く手前に引いた。

機体の関節が滑らかに駆動し、力強いアイドリング音を奏で始める。

俺は左手で通信機のスイッチを弾いた。

周波数を艦橋のユミィに合わせる。


「ユミィ、聞こえるか」

俺はマイクに向かって声を張り上げた。

「こっちのパーツ接続は全て完了した。いつでもいけるぞ」


「はい、クレティさん。聞こえています」

通信機からユミィの実直な声が返ってきた。

背後でけたたましい警告音が鳴り響いているのがわかる。

「リノセロス、なんとか足止めを続けています。でもチュラクシスの出力がもう限界近いです」


「よくやってくれた。あとは俺に任せろ」

俺はニヤリと笑って両足のペダルを強く踏み込んだ。

機体の背部スラスターが低く唸りを上げる。

「降下ハッチを開けておいてくれ。一気に飛び降りる」


「了解しました。降下ハッチ、開きます。気をつけてくださいね」

ユミィの真剣な声と共に、通信が切れる。


巨大な分厚い鉄の扉が、重々しい駆動音を立てて左右にスライドし始めた。

隙間から、夜の荒野の冷たい風が格納庫へと一気に吹き込んでくる。

眼下には、赤黒い大地と激しい閃光が広がっていた。

待たせたな。 俺は操縦桿のトリガーに指をかけた。


ウィリディチの巨大な肩の横に、強固なロックアームで固定された一筋の影があった。

俺が戦場へ携えていく、唯一無二の大槍だ。

暗い格納庫の非常灯を浴びて、その不気味なまでの存在感が鈍い輝きを放っている。


俺は右手の操縦桿を滑らかに傾けた。

ウィリディチの右腕がモーターの駆動音とともに静かに伸びる。

機体の指先が、槍の柄巻きにそっと触れた。

滑り止めの特殊な網目が刻まれた太いシャフトだ。

俺は操縦桿のグリップを強く握り込み、機体の指に力を込めた。


ガチリ。

重厚な金属音が格納庫に響き渡る。

ウィリディチの掌が、完全に槍の柄をロックした。

ずっしりとした重量感が、マニピュレーターのセンサーを通じてコクピットのシートへダイレクトに伝わってくる。

この手応えだ。 俺の体に一番しっくりと馴染む、最高の武器だった。


操縦桿を上へ引き上げると、固定アームがプシューと圧力を抜いて槍を解放した。

俺は機体の右腕を引いて、巨大な槍を掲げて見つめる。

先端には、巨大なドリルのように力強い螺旋を描く真鍮色の矛先が鎮座している。

重装甲を一撃で穿つために設計された特殊な形状だ。その直下には、空気抵抗を減らし撃砕時の衝撃を逃がすための大きな抜き孔がぽっかりと空いている。 柄の最下部には、近接打撃にも耐えうる頑丈な石突が鎮座していた。

まさに壊すためだけに作られた美しさだった。


「準備はいいか、ウィリディチ」

俺は操縦桿を握り直し、足元のペダルに軽く足を乗せた。

コクピットの計器盤が、全システム緑色の正常値を示している。

エンジンが胸の奥底に届くような重低音で唸っていた。


開いたハッチの先には、漆黒の夜空と赤黒い大地が広がっている。

ゴオオッと激しい風切り音が格納庫内に吹き荒れ、俺の胸元を揺らした。

冷たい風の匂いの中に、遠くの爆煙と焦げた土の臭いが混じっている。

眼下では小さく光る火花が散っていた。

あそこで3人が死力を尽くして戦っているのだ。


俺の胸の中で、静かに、だが熱く血が滾り始めた。

かつて無数の修羅場を潜り抜けてきた感覚が、体の奥底から蘇ってくる。

老兵の出る幕ではないと笑う奴もいるかもしれない。

だが、俺にも意地がある。

弟子たちに背中を見せるのが俺の仕事だ。

あいつらを死なせるわけにはいかない。

俺の命に変えてでも、全員を無事に帰してやる。


「クレティさん、チュラクシスの進路をわずかに変更します」

通信機からユミィの声が届いた。

背後でチュラクシスの主砲が吐き出す激しい打撃音が交じっている。

「今チュラクシスはビーム弾幕を張っています。このまま降下すると、降下中のクレティさんが直接巻き込まれてしまいます」


「おう、配慮助かるぞ」

俺は前方のメインモニターに視線を走らせた。

チュラクシスの巨体が滑らかに旋回し、直下で荒れ狂うビームの射線を斜めに外していく。

「巻き込まれん位置まで離したら、合図をくれ」


「了解です。投下ポイントへ移動。カウントを開始します」

ユミィの真剣な声が響く。

「3、2、1、投下許可。気をつけていってらっしゃい、クレティさん」


「行ってくる」

俺は右足のペダルを強く踏み込んだ。

ウィリディチの巨体が、重い足音を立てて前進する。

踏み出すたびに足元の金属床が激しく震えた。

一歩、二歩。 ハッチの縁に到達する。


俺はペダルを深く押し込み、そのまま空へと躍り出た。


浮遊感。

一瞬だけ全身がフワリと浮き上がり、次の瞬間には強烈な重力が機体を真下へと引きずりろした。

急激な落下Gがコクピット全体を押し潰す。

シートのベルトが胸を強く締め付けた。


ビュオオオッ。

大気を切り裂く凄まじい風切り音が、防音加工されたコクピットの壁を突き破って響き渡る。

メインモニターの映像が高速で上へと流れていく。

背後で遠ざかるチュラクシスの巨体。

そして目の前には、急速に接近してくる夜の荒野が広がっていた。


俺は足元のペダルを細かく踏み分けた。

足元の微妙なニュアンスに合わせて、機体各所の姿勢制御ノズルがブシュッ、ブシュッと短い噴射を繰り返す。

落下姿勢を完璧に垂直へ固定する。

頭を下にして落ちていく視界の中で、地上の状況が鮮明に映し出された。


小さく見える二つの光。

ヒカリ坊のカミシモと、ラキ坊のギエルレウだ。

さらに遠くの岩山の向こうには、シルヴィアのフラウスレイが滑るように動いている。

そして、その中央で禍々しい赤い光を撒き散らしながら暴れ回る巨獣。

ボスのリノセロスだ。


落下速度がさらに増していく。

風圧で機体の外装甲がミシミシと悲鳴を上げた。

俺は右手の操縦桿を少し引き、ウィリディチの右腕に抱えられた大槍を目の前に引き寄せた。


サブモニターのカメラ映像が、握り締めた槍の姿を克明に映し出す。

螺旋を描く真鍮色の矛先。

そこに月光と地上の爆炎が反射し、美しい黄金の尾を引いていた。

オイルの汚れ一つなく、可動部には完璧なグリスが塗られている。

傷一つないシャフトは、まるで新品のように磨き上げられていた。


ユミィの仕事だ。

俺は思わず口元を緩めた。

あのメカ好きの少女は、俺がパーツの接続を待っている間、いや、そしてこの戦いが始まる前から、

夜を徹してこの槍のメンテナンスをしてくれていたのだ。

寸分の狂いもない重量バランス。

引っかかりのない滑らかな手触り。

機体のマニピュレーターと槍のグリップが、まるで体の一部のように完璧に噛み合っている。


「本当に、あいつの丁寧な仕事には頭が下がるな」

俺はコクピットの中で独りごちた。

ユミィの想いが、この槍には込められている。

あいつが命を吹き込んでくれたこの武器で、俺は負けるわけにはいかないのだ。


地面までの距離が急速に縮まっていく。

高度計のカウントがもの凄い勢いで減っていく。

三千、二千、千。


俺は両手の操縦桿を力強く握り締め、右足のペダルを限界まで踏み込む準備をした。

背部スラスターが点火の時を待って重く唸る。

風を切り裂き、闇を穿ちながら、俺とウィリディチは決戦の渦中へと一気に舞い降りていった。


もの凄い勢いで迫り来る大地をフロントモニターで睨みつける。

俺は左手の親指で、操縦桿の側面にある黄色いカバーをパチンと跳ね上げた。

中にある四角い展開スイッチを迷わず押し込む。

背中側で重い金属音が響いた。

ウィリディチの背部ユニットから、巨大な外付けパラシュートが勢いよく射出される。

バサァッと夜空の風を孕む音が、分厚い装甲越しにコクピットまで響いてきた。


直後、強烈な引き戻しが全身を襲う。

内臓がフワリと持ち上がり、分厚いシートベルトが俺の胸と肋骨に深く食い込んだ。

急激な減速Gがコクピット全体を激しくきしませる。

自由落下のスピードが目に見えて落ちていった。

だが、これだけでは不十分だ。

この機体の尋常ではない重量を、パラシュートの布だけで支えきれるわけがない。

そのまま落ちれば、機体ごと地面に叩きつけられて鉄屑になるだけだ。


俺は両足のペダルを小刻みに踏み分けた。

落下しながら機体の姿勢を垂直に保つためだ。

背部と腰回りの姿勢制御用スラスターが、俺の足の動きに連動して短く火を吹く。

プシュッ、プシュッと高圧ガスが噴き出す音が鳴る。

機体が右に傾けば左のペダルを踏み、左に傾けば右のペダルを踏み込む。

パラシュートの横揺れがピタリと収まり、機体の軸が真っ直ぐに安定した。


高度計の数字がもの凄い勢いで減っていく。

五百。 三百。

風を切り裂く轟音が、コクピットの防音壁を抜けて耳をつんざく。

俺は左右の操縦桿を力強く握り直した。

足元のメインペダルにぐっと力を込める。

機体の脚部メインブースターが火を吹いた。

ゴオオオッと腹の底に響くような爆音がコクピットを満たす。

大地に激突する直前で、機体を浮かせるほどの強烈な逆噴射をかけたのだ。

地面の土埃が円状に激しく舞い上がるのがモニター越しに見えた。


ズンッ。

重厚な衝撃が機体の足裏からフレームを伝わってくる。

ダイレクトに俺の腰へ突き抜けた。

着陸成功だ。

ウィリディチの屈強な両足が、荒野の赤黒い大地を深く踏み砕いている。

俺はすぐに左手のスイッチを叩いた。

外付けパラシュートの接続ロックを切り離す。

背後で巨大な布が風に千切れるように吹き飛んでいった。


モニターに映る視界は、巻き上がった濃い砂煙に覆われている。

俺は両手の操縦桿を動かし、右手に握った巨大な槍を体の正面に構え直した。

砂煙が夜風に流されて少しずつ晴れていく。

その向こう側に、禍々しい巨影が浮かび上がった。

リノセロスだ。 赤い不気味な光を撒き散らす巨獣がそこにいる。


俺はモニター越しに、その凶悪な顔を真っ直ぐに睨みつけた。

奴のメインカメラが、突如として天から降ってきた緑色の機体を捉える。

巨獣が動きを止めた。

荒野の真ん中で、俺のウィリディチと巨大な化け物が正面から睨み合う形になった。

コクピットの中に、ひんやりとした空調の風が流れる。

俺は右手で操縦桿のグリップをギリギリと力強く握り込み、擦れる音が響いた。


俺は左手で通信機のパネルを操作した。

周波数を上空のチュラクシスに合わせる。

「ユミィ、聞こえるか」 俺はマイクに向かって声を張った。

「こちらクレティ。無事に着陸完了だ」


通信機から少しだけノイズが鳴り、すぐにユミィの声が返ってきた。

「はい、クレティさん。着陸を確認しました。無事でよかったです」


「ハハハ、最高の着地だったぞ」

俺は大声で笑い飛ばした。

「それにしても、ウィリディチもこの槍も最高の状態だ。徹夜で整備してくれたんだな。

細かい関節の動き一つにしても、引っかかりが全くない。

丁寧な仕事に本当に感謝する。おかげで地面を踏むのが楽しみだったくらいだ」


「そんな、当然の仕事をしたまでです」

ユミィの声が少しだけ照れたように弾んだ。

「足のバランスも再調整しておきました。クレティさんの癖に合わせてあります」


「ああ、手に取るようにわかる。本当に助かるよ」

俺は前方のリノセロスから目を離さずに告げた。

「よし、ここからは俺一人が引き受ける。ユミィはチュラクシスを動かして、掘削場の裏手に回り込んでくれ。

あそこの作業員たちに避難誘導と物資を先に届けてやってほしい」


「えっ」

ユミィの声に戸惑いが混じる。

「でも、クレティさん一人で戦うんですか。私にも援護を」


「心配いらん」

俺は足元のペダルに軽く力を込め、機体をいつでも前へ出せる状態にした。

「今は掘削場の作業員の避難と物資の運搬を最優先にしてくれ。それが今の俺への一番の援護になる」


通信機の向こうで、ユミィが小さく息を吸い込む音が聞こえた。

「わかりました。物資を届けたらすぐに通信を監視体制に戻します。どうか気をつけて」


「任せておけ」

俺がそう答えると同時に、通信が切れた。

上空から聞こえていたチュラクシスの巨大なモーター音が、ゆっくりと遠ざかっていく。


コクピットに再び張り詰めた静寂が戻った。

目の前のリノセロスが、ゴアァッと地底から響くような低い威嚇音を上げた。

奴の全身を覆う分厚い装甲が微かに波打っている。

こちらを完全に最優先の脅威として認識した証拠だ。

強大な殺意がモニター越しにビリビリと伝わってくる。


俺は両足のペダルを深く踏み込んだ。

右手の操縦桿をミリ単位で引き絞る。

ウィリディチの巨体が、決戦の火蓋を切るように重い一歩を前に踏み出した。


ーーーーーーーーーーー


奴の巨大な四肢が、荒野の赤黒い土を深く抉り取る。

ゴリュリュリュッ。

地鳴りのような低い唸り声が、大地を伝わってコクピットを揺らした。

明らかに突進のための力溜めだ。

全身のバネを極限まで圧縮し、次の一撃で全てを粉砕するつもりなのだ。

奴の頭部に生えた漆黒の巨大なツノが、月明かりを吸い込んで鈍く光る。


迎え撃ってやる。

俺はペダルを強く踏み込んだ。

ウィリディチの両脚が屈み込み、足裏が大地に深く突き刺さる。

機体の重心を極限まで下げた。

左右の操縦桿を内側へ絞り込むように引く。

右腕のマニピュレーターが重い駆動音を上げた。

巨大な槍を脇に抱え込み、真鍮色の矛先を真っ直ぐにリノセロスへ向ける。

こちらも突進の構えだ。

機体のジェネレーターが甲高い音を上げ始めた。

足元から伝わる振動が、さきほどまでの数倍に跳ね上がる。

コクピットの温度が一気に上昇した。

俺の額からじっとりと冷たい汗が滲み出す。

機械油と焦げたケーブルが鼻腔を突く。

最高に高ぶる瞬間だった。


ガアアアアッ。

リノセロスが天を仰ぎ、夜気を切り裂くような凄まじい咆哮を上げた。

それが合図だった。

巨大な化け物が、後足で大地を爆発させるように蹴り出す。

凄まじい土煙を巻き上げる。 真っ直ぐにこちらへ向かってきた。


俺は限界まで踏み込んでいた両足のペダルを、さらに奥底まで押し込んだ。

メインブースターが火を噴く。

ドガァンッという爆発音。

ウィリディチの巨体が前方へ弾き出された。

分厚いシートバックが俺の背中を強烈に殴りつける。

息が詰まるような加速Gが全身を襲った。

視界の端で風景が激しく後ろへ飛んでいく。


モニターの中央で、リノセロスの巨体がみるみるうちに膨れ上がる。

地響きが重なり合う。

機械の足音と獣の足音が完全に同調していた。

互いに一切の回避を捨てている。

ただ前へ。

ただ速く。

最大の質量と速度をぶつけ合うだけの、単純で純粋な力比べだ。


激突まであとわずか。 フロントモニターを埋め尽くすほどの、禍々しい装甲。

俺は操縦桿を握り締めながら、ふと自分の顔が笑っていることに気がついた。

全く、呆れたものだ。

精密な射撃もない。

華麗な回避もない。

ただ真正面から、一番重い武器を構えて突っ込んでいるだけだ。

これじゃあ、向こうで暴れている同じ獣だ。

俺はコクピットの中で、自嘲気味に口の端を歪めた。

だが、悪くない。

こういう単純な賭けは、性にあっていた。


両手の操縦桿を、力任せに前方へ突き出す。

ウィリディチの右腕が、渾身の力で大槍を突き出した。

狙うは一点。 迫り来るリノセロスの、あの分厚い頭部だ。

空間が圧縮されるような錯覚に陥る。


リノセロスの漆黒のツノと、俺のウィリディチが放った真鍮色の螺旋槍が、真っ向から激突した。


ギガァァァァァァッ。

今夜の戦場の中で、最大の爆音が荒野に響き渡った。

すさまじい衝撃波が円状に広がる。

周囲の土煙を一瞬で彼方へ吹き飛ばした。

真鍮の矛先と漆黒の装甲が激しく擦れ合う。

眩しい火花が全方位に散った。


強烈な反動が槍の柄から機体の腕を伝わる。

俺の両腕に、骨が軋むほどの重圧がのしかかった。

「おおおおおっ」 俺は腹の底から声を振り絞る。

両足のペダルを全体重で踏み抜く。

警告音がコクピット内で狂ったように鳴り響いた。

モニターが激しいノイズで真っ赤に染まる。

それでも俺は、操縦桿を握る手の力を絶対に緩めなかった。


分厚い装甲の獣と、鋼鉄の巨人が、完全に動きを止めて押し合う。

真鍮の螺旋が、黒いツノを削る不快な金属音が止まらない。

俺と獣の、命を懸けた意地と意地の削り合いが始まった。


凄まじい衝撃と轟音が、コクピットの分厚い装甲を突き抜けて俺の全身を激しく揺さぶる。

リノセロスの漆黒のツノと、ウィリディチの真鍮色の槍が、正面から完全に噛み合っていた。

両足のペダルから、巨大な質量が押し寄せてくるのがダイレクトに伝わってくる。

俺は下半身の筋肉を総動員して、足元のメインペダルを床の奥底まで力任せに踏み抜いた。

脚部のスラスターが火を噴き続け、巨獣の猛烈な突進力を真正面から受け止める。


ギリギリギリッ。

装甲と骨格が軋む不快な音が、あちこちから鳴り響いていた。

操縦桿を握り込む両手には、骨が砕けそうなほどの重圧がのしかかっている。

だが、どういうわけか俺の口角は自然と吊り上がっていた。

腹の底から、熱いものがマグマのようにドクドクと湧き上がってくる。


愉しい。

心の底からそう思った。

この圧倒的な巨体。 全てを粉砕しようとする理不尽なまでの突進力。

それと真っ向から撃ち合い、力と力の純粋な削り合いができている。

俺の古い血が、歓喜の声を上げて激しく滾っていた。

老いぼれた体に、現役時代以上の力が漲ってくるのを感じる。


「ハハハ、どうした。その程度かよ」

俺は誰に聞かせるわけでもなく、コクピットの中で獰猛に笑い声を上げた。

もっとペダルを踏み込んでやろうか。

ジェネレーターの出力を限界まで引き上げて、このまま力比べで押し切ってやる。

真っ向勝負でこのバカでかい化け物を力でねじ伏せ、奴のプライドごとへし折ってやる。

そんな破壊衝動が、俺の頭を熱く支配し始めていた。


だが。

フロントモニターの中央で激しく散る火花の中。

リノセロスの黒いツノに食い込んでいる、俺の大槍の矛先が目に入った。

鈍く光る真鍮色の螺旋。

その表面に、摩擦による尋常ではない熱帯びた赤みが走り始めている。

槍を固定しているウィリディチの右腕のマニピュレーターからも、限界を知らせる小さな警告音が鳴っていた。


瞬間、俺の脳裏に一人の少女の顔が鮮明に浮かび上がった。

油にまみれた作業着を着て、徹夜で工具を握り締めていたユミィの姿だ。

小さな手で、この巨大な槍の重量バランスを俺の癖に合わせてミリ単位で調整してくれていた。

関節のグリスアップから、駆動系の細かいチューニングまで。

完璧な状態でこの戦場に立てるように、あいつは自分の睡眠時間を削って、この機体と武器に命を吹き込んでくれたのだ。

「最高の着地だった」と通信で伝えた時の、あいつの嬉しそうな声が耳の奥に蘇る。


俺はふっと自嘲気味に息を吐いた。

いかんな。

完全に血の滾りに任せて、相棒に出会う前に戻るところだった。

ここで俺が意地を張って力比べを続ければ、どうなるか。

いくら頑丈なドリル槍でも、あの尋常ではない質量を真っ向から受け続ければ、いずれシャフトが歪む。

ウィリディチの右腕の駆動部も、過負荷で焼き切れるかもしれない。

自分のちっぽけな闘争心を満たすためだけに、ユミィが心を込めて整備してくれた大切な機材を無駄に壊すわけにはいかない。

そんな真似は、あいつの丁寧な仕事への最大の裏切りになってしまう。


それに、俺の仕事はここでこいつと大立ち回りを演じて満足することじゃない。

あの赤いカメラアイの向こう側、この荒野の先には、まだヒカリ坊とラキ坊、それにシルヴィアが戦っているはずだ。

あいつらは今も死力を尽くして、ボスリノセロスと対峙している。

それに、掘削場に取り残された作業員たちへの救援もある。

ユミィが物資を届けてくれている間に、俺がこの元凶を確実に、そして迅速に無力化しなければならないのだ。

俺の機体がここで使い物にならなくなれば、後手に回るのは目に見えている。


俺は操縦桿を握り締めていた手から、ふっと無駄な力を抜いた。

目を閉じて、コクピットの中で大きく息を吸い込む。


スウウウッ。

機械油と焦げたケーブルの臭いが混じった熱い空気が、肺の奥底まで流れ込んでくる。

熱で乾燥した空気が喉を焼けつくように通り過ぎた。

膨らんだ胸郭が、シートベルトの圧迫感を押し返す。

そして、ゆっくりと長く息を吐き出した。

フウウウゥゥ。

口から吐き出された細い息が、フロントパネルに当たって散る。


この一呼吸で、沸騰していた頭の中の熱がスーッと引いていくのがわかった。

闘争心に支配されていた獣の視界から、戦場全体を俯瞰する老兵の視界へと、頭のスイッチが完全に切り替わった。


俺は目を見開いた。

目の前のモニターには、未だに力任せに押し込んでくるリノセロスの姿がある。

奴は俺が引くことなど微塵も考えていない。

俺は両足のペダルの踏み込みを、ほんの数ミリだけ緩めた。

わざと機体の重心をわずかに後ろへずらす。

真っ直ぐな力比べから、意図的にバランスを崩すための布石だった。


「すまんな」

コクピットの静寂の中に、俺の低い声がポツリと落ちた。


誰に向けて謝ったのか。

自分でもよくわからない。

純粋な力比べの舞台を途中で降りてしまう、この目の前の化け物に対してか。

それとも、熱狂に身を任せきれなかった自分自身に対してか。

俺は思考を即座に断ち切った。


ペダルに限界まで込めていた力を、ふっと抜く。

ほんの数ミリだ。

だが、極限の鍔迫り合いにおいて、その数ミリは致命的なバランスの崩壊を意味する。

今までせめぎ合っていた力の均衡が、一気に決壊した。

リノセロスの尋常ではない突進の質量が、抵抗を失って俺の機体へ雪崩れ込んでくる。


俺は右足のペダルを強く踏み込み、左足のペダルを瞬時に引いた。

ウィリディチの巨体が、迫り来る真っ黒なツノを避けるように、左斜め後方へ滑らかにスライドする。

奴の巨大な頭部が、俺の機体のすぐ右側を通り過ぎていく。

猛烈な風圧がコクピットを激しく揺らした。


この一瞬のすれ違いを、俺は待っていた。


両手の操縦桿を激しく操作する。

手首のスナップを利かせるように、右の操縦桿を内側へ鋭く捻り込んだ。

ウィリディチの右腕の駆動モーターが、限界に近い甲高い回転音を上げる。

激突していた真鍮色の矛先を瞬時に引き抜く。

巨大な槍全体を、機体の手首を支点にして空中で半周させた。

凄まじい遠心力が乗る。

矛先とは反対側。

近接打撃にも耐えうる、分厚く重厚な鋼鉄の石突だ。


俺は上半身の捻りを加えるように、左の操縦桿を引き、右の操縦桿を外側へ力任せに弾き飛ばした。

空気を叩き潰すような破裂音が鳴る。

凄まじい速度で半回転した槍の石突が、横を通り過ぎようとするリノセロスの頬へ向けてカッ飛んでいった。


ズガァァァッ。


分厚い装甲に、鋼鉄の塊がクリーンヒットする。

フロントモニターの目の前で、ひび割れた装甲の破片が派手に飛び散った。

操縦桿を通じて、岩盤を打ち砕いたような硬く重い感触が俺の両手へ突き抜ける。

ビリビリと痺れるような衝撃だ。


ギャルルルルッ。

リノセロスが苦痛と驚きに満ちた叫び声を上げた。

奴は自身の強烈な突進の勢いと、真横から叩き込まれた強烈な打撃の衝撃が完全に相乗してしまっている。

巨大な四肢が激しくもつれた。 荒野の赤黒い大地を削りながら、奴の巨体が大きく横へよろめく。

ブレーキが全く効いていない。

ウィリディチのすぐ横を通り過ぎ、そのまま前方へと無様に滑り込んでいった。

土煙が猛烈な勢いで巻き上がり、視界を茶色く染め上げる。


完全に体勢を崩している。

絶好の隙だ。


俺はすかさず両足のペダルを踏み替え、機体をリノセロスの方へと鋭く旋回させた。

右手の操縦桿を引き戻し、半回転させた槍を再び正面に構え直す。

ドリル矛先が、無防備な巨獣の横腹にピタリと狙いを定めた。

足元のメインブースターのペダルにぐっと力を込める。

一気に距離を詰め、このまま一番分厚い装甲ごと急所を貫いてトドメを刺す。


そう確信して、ペダルを踏み抜こうとした瞬間だった。


背筋に強烈な悪寒が走った。

長年培ってきた戦場の勘が、警鐘を鳴らしている。

視界の端。 巻き上がる土煙の奥。

よろけながらも、奴の巨大な尻尾が不自然なほど高く持ち上がっていた。

先端から、目を焼くような青白い光が溢れ出していた。


主砲だ。

奴はこちらに背を向け、体勢を大きく崩しながらも、完全に俺のウィリディチへ砲口の狙いを定めていた。


巻き上がる土煙の奥で、十字に割れたリノセロスの巨大な尻尾が不気味な唸りを上げた。

目を焼くような青白い光が、砲口の奥で極限まで圧縮されていくのが見える。

空気がビリビリと震え、コクピットの計器類が一斉に耳障りな警告音を鳴らした。

熱源反応が急激に跳ね上がる。 放たれる。


俺はとっさに両足のペダルを強く踏み込んだ。

機体の重心を限界まで下に落とし、両脚を大地の岩盤に深く食い込ませる。

回避は間に合わない。

ウィリディチの巨体では、至近距離からのビームの直撃を完全に避けるのは不可能だ。

真っ青な閃光が、砲口から一直線に俺のコクピットを目指して放たれた。 視界が白く染まる。


俺は右手の操縦桿を力任せに手前に引き抜き、そのまま外側へ鋭く薙ぎ払った。

ウィリディチの右腕がうなりを上げる。

構えていた大槍を、横なぎにフルスイングする。

狙うは一点。

迫り来る熱線の中心。

ほんの少しでもタイミングがずれれば、機体ごと蒸発する。

だが、俺の両手には確かな感触があった。


ガギィィィィッ。


鼓膜を突き破るような甲高い金属音と、エネルギーが衝突する凄まじい破裂音が荒野に響き渡った。

真っ青なビームの奔流に、真鍮色の槍の矛先がピンポイントで割り込む。

強烈な熱と衝撃が、槍の柄を伝わって機体の右腕を激しく揺さぶった。

モニターが激しいノイズで一瞬ブラックアウトする。

俺は歯を食いしばり、操縦桿を握る手首をさらに奥へと捻り込んだ。

槍の角度を無理やり斜め上へと傾ける。


ビキィィッという空間が割れるような音と共に、直撃するはずだった青白い閃光が、槍の先端で大きく軌道を変えられた。

斜め上空へと弾き飛ばされたビームが、背後の岩山を溶かし飛ばす。

すさまじい爆発音が遅れて響いてきた。

コクピットの温度が急激に下がり、視界が少しずつクリアになっていく。

防ぎ切った。


俺は荒い息を吐き出しながら、モニター越しに右腕の槍を確認した。

真鍮色のドリル矛先は、尋常ではない高熱を帯びて赤く発光している。

だが、溶け落ちてはいない。

形状も完璧に保たれている。

「ハハッ、大したもんだ」 俺は思わずコクピットの中で声をこぼした。

ユミィの奴、徹夜の整備で関節のチューニングだけじゃなく、この槍のビームコーティングまで完璧に仕上げてくれていたのだ。

あれだけの熱線と衝撃を正面から受けて、少しの歪みも生じない。

あいつの油まみれの小さな手が、間違いなく俺の命を繋ぎ止めてくれた。

後でたっぷり礼を言ってやらねばならないな。


前方で、リノセロスが大きく後ろへ飛び退いた。

至近距離からの主砲で仕留めきれなかったことに驚いたのか、それとも自身の体勢の崩れを立て直すためか。

巨大な四肢で荒野の土を削りながら、俺との距離を大きく取る。

シュゴオオォォ。

奴の背中から、大量の蒸気が噴き出したのが見えた。

分厚い装甲の一部から巨大な放熱ファンがいくつもせり出してくる。

ファンが猛烈な勢いで回転し始めた。

熱波で周囲の空気が陽炎のように大きく歪んでいる。

主砲の連続使用によるオーバーヒートを防ぐため、強制的な冷却時間を取っているのだろうか。


俺はペダルから少しだけ足を浮かせ、機体の冷却システムを回しながらその様子を静かに観察した。

絶好の隙だ。

だが、俺の頭の片隅で、冷ややかな思考が急速に広がっていた。


少しだけ距離が開いたことで、戦場全体を俯瞰する余裕が生まれたのだ。

俺は今、この荒野のど真ん中で、一対一で向かい合っている。

最高の舞台だ。

だが、その結果として何が起きているか。

俺とウィリディチという、この部隊における最大の火力と装甲を持つ戦力が、主戦場から完全に切り離されているのだ。


ヒカリ坊やラキ坊、それにシルヴィアが戦っているはずの場所は、ここから遠く離れている。

俺が上空からこのボスの前に降下した瞬間、戦力は完全に二分された。

結果論だけを見ればどうだ。

まるで目の前のこの巨大なリノセロスが、自らの命を張った囮となって、一番厄介な老兵を前線から引き剥がしたように見えないか。

俺がこのバカでかい獣との力比べに熱狂し、時間をかければかけるほど、あいつらの負担は増していく。

手薄になった戦場に、別の脅威が押し寄せているかもしれない。

あるいは、掘削場の防衛線が突破されている可能性だってある。


俺はコクピットの背もたれに深く体を預け、大きく息を吐き出した。

考えすぎか。

目の前の獣の赤いカメラアイを見据える。

奴の目に映っているのは、ただ自分に痛みを与えた強敵を排除しようとする純粋な殺意だけだ。

高度な戦術や、部隊を分断するという明確な意図があったわけではないだろう。

ただの本能。

ただの偶然。

俺が勝手に頭の中で戦況を複雑に組み立てているだけだ。


だが。 俺は両手の操縦桿を再び強く握り直した。

意図がどうであれ、結論は全く同じだ。

今この瞬間、あいつらは俺抜きで死線を潜っている。

経験の浅い若い連中が、こいつよりも巨大なリノセロスと相対しているのだ。

俺がここで道草を食っている暇など、一秒たりともありはしない。


足元のメインペダルに再び足を乗せた。


一刻も早くこの巨獣を沈める。

そして、皆の元へ合流する。

俺の頭の中から、力比べを楽しむ闘争心は完全に消え去っていた。

残っているのは、ただ最短ルートで敵を粉砕し、仲間の元へ駆けつけるという老兵の冷徹な決意だけだ。


俺はウィリディチのジェネレーター出力を一気に引き上げた。

冷却を終えようとしているリノセロスに向けて、再び大槍を真っ直ぐに構え直す。


モニター越しにリノセロスの巨体を観察する。

弱点は明確だった。

先ほど大量の蒸気を吹き上げていた背中だ。

分厚い外装甲の中に放熱ファンがいくつもむき出しになっている。

あそこには、他の部位のような強固な物理装甲がない。

俺の槍を叩き込めば、確実に内部の機関まで破壊できるはずだ。


だが、問題が一つある。

高すぎるのだ。

リノセロスの背中は、ウィリディチの頭頂部よりも遥か上にある。

しかもこちらは、機動性を捨てて装甲とパワーに全振りした超重量級の機体だ。

フラウスレイのように、跳躍して背中へ飛び乗ることなど逆立ちしても不可能だった。

遥か上空で回るあの放熱ファンを、どうやって俺の射程距離に引きずり下ろすか。

俺は操縦桿を軽く握り直しながら、頭の中で作戦を組み立てた。


一つ目の案。

足元のペダルを限界まで踏み抜き、脚部のメインブースターを全開にして大ジャンプを狙う。 ダメだ。 ウィリディチの自重を舐めてはいけない。 あの巨獣の背中より高く跳ぶことなど物理的に不可能だし、無理にやれば着地の衝撃でこちらの脚部の関節がへし折れる。

却下。


二つ目の案。

右手の操縦桿を振りかぶり、この真鍮色の巨大な槍をジャベリンのように投擲する。

ダメだ。 大当たりのリターンは大きいが、俺の大好きなギャンブルにしては分が悪すぎる。 もし外せば、あるいは装甲の縁に弾かれれば、俺は最大の武器を失う。 丸腰の機体でこの化け物の相手をすることになる。

却下。


三つ目の案。

奴の顔面に正面から飛び乗り、巨大なツノや装甲の凹凸を足場にして背中まで強引によじ登る。 ダメだ。 相手は大人しい石像じゃない。

少しでも張り付けば、凄まじい力で首を振り乱される。 空中に放り出され、地面に叩きつけられたところを踏み潰されてミンチになるのがオチだ。

却下。


四つ目の案。

掘削場へ向かったユミィに通信を入れ、チュラクシスを呼び戻して上空からファンを狙撃させる。 論外だ。 俺はあいつに、非戦闘員である作業員たちの避難と物資の運搬を託したのだ。

背中を預けた仲間の任務を邪魔し、民間人の命を危険に晒すような真似は絶対にしない。 俺がここで一人で沈めると決めたんだ。

却下。


俺は小さく息を吐き出した。 頭の中に並べた四つのカードを全て破り捨てる。

やはり、近道はないということだ。


答えはひどく単純で、そして泥臭いものだった。

あの巨獣の体力を、正面から徹底的に削り取る。

それしかない。


どんな強靭な化け物でも、動けば動くほど必ず疲労が蓄積する。

機体の関節に負荷がかかり、反応速度が落ちていく。

焦らせ、怒らせ、無駄な動きを誘発させる。

そうやって奴の体力を限界まで削り切った時、その巨大な体は必ず大地に沈み込む。

膝が折れ、巨体が前のめりに倒れ伏す瞬間。

その時こそが、あの高くそびえる背中の放熱ファンが、俺の槍の射程圏内に落ちてくる唯一の好機だ。


俺は両足のペダルを小刻みに踏み直した。

脚部の関節に充填されたオイルの圧力を確認する。

右手の操縦桿をしっかりと握り込み、真鍮色の槍を体の正面でピタリと止めた。


やるべきことは決まった。

とにかくこの荒野を駆け回り、奴の無尽蔵の体力を空っぽにしてやる。

俺は口の端をニヤリと吊り上げた。

泥臭い持久戦は、昔から老兵の得意分野だ。


足元のペダルを勢いよく踏み抜く。

ウィリディチの巨体が、夜の荒野を蹴り飛ばして再び前進を開始した。


ーーーーーーーーーーーーーー


矢先だった。

目の前の土煙が、爆発したように前へ吹き飛んだ。 視界の全てを分厚く真っ黒な壁が覆い尽くす。

リノセロスが再び突進を仕掛けてきていた。 背中のファンで冷却を終えた後だ。

信じられないほどの瞬発力で距離を潰してきている。


ズガァァァンッ。

強烈な衝撃が、ウィリディチの巨体を真正面から殴りつけた。

機体全体が後ろへ大きく弾き飛ばされそうになる。

俺は慌てて両足のペダルを床の奥底まで踏み抜いた。

脚部のスラスターが火を噴き、強引に姿勢を維持する。

持久戦の作戦を練っていた思考の隙を、完全につかれてしまった。


ギリギリギリッ。

またしても、奴の黒いツノと俺の真鍮色の槍が真っ向から噛み合っている。

完全な力比べの鍔迫り合いに持ち込まれた。

操縦桿を握る両手に、骨が軋むほどの重圧がのしかかる。 コクピット全体が激しい振動で震えていた。


だが、俺はすぐに口角を吊り上げた。

持久戦で体力を削り、ダメージを稼ぐと決めたばかりだ。

向こうから無駄な力比べを挑んできて体力を消耗してくれるなら、むしろ好都合だ。


俺はペダルを踏み込みながら、次の動きの計算を始めた。

さっきと同じ手でいく。 少しだけ足の力を抜いて、わざと力のバランスを崩す。

空いた隙に槍を半回転させて、重厚な石突で奴の顔面をもう一度力いっぱいに張り飛ばしてやる。

俺は右手の操縦桿を内側へ鋭く捻り込む準備をした。


その時。

モニターに映るリノセロスの顔面に、決定的な異変が起きた。

奴の巨大な口が、限界まで大きくパカッと開かれたのだ。


なんだ。と思った瞬間、支えていた尋常ではない質量がフッと消え去った。

リノセロスが自らツノの角度をずらし、俺の槍を意図的に滑らせたのだ。

完全に不意を突かれた。

行き場を失ったウィリディチの巨大な推進力が、機体そのものを前方へと勢いよく投げ出す。


「なっ」

俺の体が分厚いシートベルトごと激しく前へ放り出された。

ウィリディチの巨体が完全にバランスを崩し、前のめりに倒れ込む。

踏みとどまろうと両足のペダルを連打した。

だが、巨大な重力と慣性には逆らえない。

機体が前のめりのまま、無防備な顔面から大地へと突っ込んでいく。


フロントモニターいっぱいに、リノセロスの巨大な口が映し出された。

暗い口腔の奥深くで、強烈な光が収束し始めているのが見える。

周囲の空気が焦げる嫌な匂いが、コクピットの換気システムを抜けて流れ込んできた。


その光を見た瞬間、俺の脳裏にブリーフィングでの光景がフラッシュバックした。

シルヴィアが指差しながら、飄々とした余裕のある口調で告げた言葉だ。

『口からも高出力のビームを撃ってくる可能性があるわ。』


マズイ。

俺は全身から一気に血の気が引くのを感じた。

背筋を強烈な悪寒が駆け上がる。

機体は完全にバランスを崩し、前のめりに倒れ込んでいる最中だ。

スラスターを吹かして回避行動を取る余裕など一秒もない。

操縦桿を引き戻して、大槍を盾として構え直す時間も全くない。


俺のコクピットの真正面。

モニター越しでも熱を感じるほどの至近距離だ。

限界まで開かれた化け物の大口が、エネルギーで満ち溢れている。

大口径の大砲を、顔面のすぐ目の前に突きつけられたようなものだ。

絶望的な死角。

死の熱線が、今まさにゼロ距離から放たれようとしていた。


前のめりに倒れ込む機体。

目の前には、極限まで圧縮された死の光。


誰がどう見ても、絶体絶命のピンチだ。

次の瞬間に、俺のウィリディチは頭からドロドロに溶け落ち、俺自身も一瞬で蒸発して消え去るだろう。

コクピットの計器類が狂ったように警告音を鳴らし続けている。

だが、俺の心は不思議なほどに冷え切っていた。

焦りはない。

恐怖すらない。

戦場において、予定調和の勝利など端から存在しないのだ。

想定外の事態。

突然の奇襲。

そんなものは、日常茶飯事である。

朝起きて顔を洗うのと同じだ。

そのたびにいちいちパニックを起こし、死の恐怖に震えていては、こんな商売は一秒たりとも務まらない。


ピンチが訪れるのは当たり前。

死神が肩を叩いてくるのも当たり前なのだ。

その絶望的な状況の連続の中で、ほんの僅かな生存の糸口を瞬時に見つけ出す。

泥水に顔を突っ込んででも、その細い糸を力ずくで手繰り寄せる。

そして、最後の最後に泥まみれで笑って生き残る。

それこそが、命を張るプロフェッショナルという生き物なのだ。

俺の古い血が、この極限状態の中で完全に目を覚ましていた。

コクピットの空気が異常に熱い。

焦げたオゾンの匂いが鼻を突く。 俺は口を大きく開けた。


「上等だ」


腹の底から、獰猛な笑い声がコクピットに響き渡った。

俺は両手の操縦桿を、力任せに手前へと引きちぎる勢いで引っ張った。

ウィリディチの巨体が前のめりに倒れる強烈な慣性。

それを相殺するために、さきほどまでリノセロスのツノと激しく鍔迫り合いを演じていた大槍を利用する。

右腕の駆動モーターが悲鳴を上げる。

機体の前方に投げ出されそうになっていた真鍮色の巨大な槍を、強引に機体の手前へと引き戻した。

数トンの金属の塊が、巨大な振り子のように空気を叩き割って動く。

凄まじい質量と遠心力が、機体の重心を強烈に後ろへと引っ張り上げた。

前へ倒れようとする慣性と、後ろへ引き戻す槍の重さが、機体の中央で激しくぶつかり合う。

バキバキと装甲の接続部が嫌な音を立てた。

だが、機体の前傾がほんの数ミリ、空中でピタリと止まった。

足の裏に、大地をしっかりと掴む感覚が戻ってくる。

浮き上がっていた両足のペダルに、再び尋常ではない機体の重みが乗った。

体勢が整った。

ほんの一瞬の猶予だ。


俺はすかさず足のペダルを、床の鉄板が歪むほどの力で踏み抜いた。

右脚のメインスラスターが爆発的な炎を吹き出す。

前のめりの体勢から一気に解放されたウィリディチが、コマのように右方向へ鋭く旋回を開始した。

機体が横へ激しくスライドしていく。

視界の正面から、青白い光の束が僅かにずれた。

だが、これだけでは足りない。

相手は巨大な口から放たれる大口径のビームだ。

少し横へずれた程度では、着弾の余波だけで機体の右半分を完全に持っていかれる。

俺は右への急旋回の勢いを一切殺さず、右手の操縦桿を外側へ思い切り弾き飛ばした。

引き戻していた真鍮色の大槍を、そのまま横薙ぎにフルスイングする。

右腕のマニピュレーターがうなりを上げた。

ドリルの矛先が、夜の空気を叩き割ってカッ飛んでいく。

狙いは一点だ。

青白い光を今まさに吐き出そうとしている、リノセロスの巨大な顔面の側面だ。


ガアアアンッ。


分厚い装甲に巨大な金属の塊が激突する、凄まじい轟音が響き渡った。

操縦桿から、硬い岩山を真っ向から粉砕したような強烈な手応えが両腕に突き抜ける。

ビリビリと骨の髄まで痺れるような感覚だ。

ウィリディチの右への急旋回の勢い。

それに巨大な槍の重量と遠心力が完全に上乗せされた、完璧な一撃だった。

強烈な横殴りの衝撃を受け、リノセロスの巨大な頭部が右側へ大きく跳ね飛ばされた。

真っ直ぐこちらを向いていた奴の大口が、完全に明後日の方向を向く。


直後だった。

鼓膜を突き破るような閃光と爆音が、荒野を完全に支配した。

リノセロスの口から、極限まで圧縮された青白い熱線が放たれたのだ。

だが、その射線上に俺のウィリディチの姿はない。

横を向かされた巨獣の口から飛び出したビームは、俺の機体の遥か左側を通過していく。

空間を歪めるほどの凄まじい熱波が、コクピットの分厚い装甲越しに伝わってきた。

視界の左半分が真っ白に染まり、モニターが激しいノイズを上げる。

ビームはそのまま誰もいない荒野の大地を削り取った。

土と岩が一瞬でマグマのようにドロドロに溶ける。

熱で溶けた岩の破片が、バラバラとウィリディチの装甲に降り注いでくる。 完全に狙いを外したのだ。


俺は両足のペダルを細かく踏み替え、機体を後方へ大きくスライドさせた。

リノセロスとの距離を十分に取り、油断なく真鍮の大槍を正面に構え直す。

俺はメインモニターの端へ視線を向け、少しだけ斜め後ろの景色を振り返った。

後方カメラの映像が、ノイズ混じりに映し出される。

そこには、俺の機体の背後にそびえ立っていた巨大な岩盤のシルエットがあった。

モニターに映る岩盤は、夜の闇の中で静かに元の形を保っている。

表面が少し赤く照らされているだけで、崩れた様子はない。

先ほどの青白い死の閃光は、後ろの岩盤には全く届いていないようだった。


俺はコクピットの背もたれに深く体を預けた。

大きく一つ、長い息を吐き出す。

首筋にまとわりついていた冷たい汗が、風に吹かれてゆっくりと乾いていくのを感じた。


俺は両足のペダルを乱暴に踏み込んだ。

ウィリディチの巨体が、大地を削りながら前傾姿勢で突っ込んでいく。

冷却を終えたリノセロスへ向けて、一気に距離を詰める。

右手の操縦桿を力任せに前方へ突き出した。

右腕のマニピュレーターがうなりを上げ、真鍮色の巨大な槍が真っ直ぐに突き放たれる。


ガガガガッ。


鋭い金属音が連続して響き渡った。

リノセロスが巨大な黒いツノを振り回し、俺の槍の軌道を強引に弾き飛ばしてくる。

操縦桿から伝わる硬く重い振動が、両腕の骨を激しく揺さぶった。

奴もさっきの攻防で学習している。

単調な力比べには付き合わず、的確にこちらの矛先を逸らしにかかっていた。


俺は左足のペダルを引き、右足のペダルを深く踏み込む。

機体を右斜め前方へスライドさせながら、弾かれた槍をそのまま横薙ぎに振り抜いた。

空気を引き裂く音。

だが、リノセロスの巨体は見た目に反して恐ろしく素早かった。

太い四肢で大地を蹴り、巨大な体を大きく捻って矛先を避ける。


ドドドドドッ。


不意に、コクピットの装甲を外側から叩きつけられるような衝撃が走った。

視界が激しく揺れ、火花がフロントモニターを覆い尽くす。

リノセロスの背中だ。 分厚い装甲から小型の砲門がいくつも姿を現していた。

そこから実弾が雨あられと連射されている。

ウィリディチの重装甲に次々と着弾し、表面を焦がしながら浅い爆発を繰り返していた。


「小賢しい真似を」


俺は悪態をつきながら、両足のペダルを細かく操作した。

機体を左右に振りながら、直撃の数を減らす。

重装甲のウィリディチにとって、この程度の小型砲は致命傷にはならない。

だが、視界を塞がれ、機体のバランスを細かく崩されるのは厄介だった。

関節の駆動部に被弾すれば、動きが鈍る危険性もある。


俺は右手の操縦桿を引き戻し、槍を盾のように構えて牽制の弾幕を凌いだ。

焦げた金属の匂いが、空調フィルターを抜けてコクピットに充満してくる。

熱い。

額から流れ落ちた汗が、目尻に入ってチクリと痛んだ。


俺はペダルを踏み込んだまま、意図的に大きく息を吸い込んだ。

スウウウッ。

熱気に満ちた空気を、肺の奥底まで一気に送り込む。

激しく動かしていた両手両足の筋肉に、新しい酸素を行き渡らせる。

そして、ゆっくりと長く息を吐き出した。 フウウウゥゥ。


視界の端で点滅する計器の光。

飛び交う青白い実弾。

モニター越しに聞こえる爆音。

荒ぶる戦場の情報が、深呼吸を挟むことで冷たく整理されていくのを感じた。


奴の攻撃パターンは、だいたい出揃った。

頭の中で、目の前の脅威を一つずつリストアップしていく。


一つ目は、あの異常な質量を伴う突進。

黒いツノと分厚い装甲による純粋な物理攻撃だ。

まともに受ければ、ウィリディチの巨体でもただでは済まない。


二つ目は、今撃ち込まれている背中の小型主砲。

威力は低いが、手数が多い。

目眩ましや、こちらの機動力を削ぐための牽制用だ。


三つ目は、尻尾の主砲。

遠距離からの高出力長距離ビーム。当たれば一撃で装甲ごと溶かされる。


そして四つ目。口からのゼロ距離砲撃。

さっき俺を死の淵まで追いやった近接高火力ビームだ。


俺は操縦桿を握る手に力を込めた。

もしかすると、まだ見せていない奥の手が隠されているかもしれない。

装甲の下に別の兵装があるとか、あるいはとんでもない自己修復機能があるとか。

だが、そんな不確定要素を今ここで考えても意味はない。

手持ちの情報だけで盤面を組み立てるのが、戦場で生き残るための鉄則だ。


整理した結果は明確だった。

このウィリディチの重装甲をぶち抜き、俺に致命傷を与え得る手札は三つ。

物理的な粉砕を狙う突進。 遠距離から焼き払う尾の主砲。 そして近距離の口の砲撃。

背中の小型砲門による弾幕は、鬱陶しいが無視して構わないレベルだ。


奴の手札を潰し、俺の槍をあの背中の放熱ファンに叩き込む。

そのためにはどうするか。


ペダルを踏み抜いて一気に距離を詰める。


チマチマと削り合うような真似はもう終わりだ。

どこかで必ず、奴は最大の攻撃を仕掛けてくる。

突進か、近接砲撃か。

その最大の脅威が来る瞬間こそが、奴が最も無防備になる最大の隙でもある。

そこを突く。

ウィリディチのジェネレーター出力を限界まで引き出し、一撃で、最大威力でぶち抜く。


コクピットの足元から、ジェネレーターの重低音が響き上がってきた。

シート越しに伝わる振動が、俺の闘争心を再び冷たく研ぎ澄ましていく。


早く。

できるだけ早く終わらせる。

この荒野の向こうでは、今この瞬間もヒカリ坊やラキ坊たちが死線を潜っているのだ。

シルヴィアの負担も限界に近づいているはずだ。


「待ってろよ、お前ら」


俺は誰に聞かせるわけでもなく呟いた。

両足のペダルに、渾身の力を込める。

右手の操縦桿を強く握り締め、真鍮色の槍を水平に構え直した。

実弾の雨を正面から引き裂きながら、俺は巨大な黒い獣の懐へ向かって再び飛び込んでいった。


ーーーーーーーーーーーー


そこからやることは、ひどくシンプルだった。

頭の中の盤面を極限まで削ぎ落とす。

狙うのはただ一箇所だけだ。

あのバカでかい巨体を支える四本柱の一つ、右前足。

そこに俺の全ての攻撃を集中させる。


猛烈な勢いで迫ってくるリノセロスの突進。

俺は両足のペダルを小刻みに踏み替えた。

ウィリディチの巨体を滑らせるようにスライドさせる。

正面からまともに受け止めるような真似はもうしない。

リノセロスの漆黒のツノが、機体のすぐ右側をかすめて通り過ぎていく。

猛烈な風圧がコクピットを激しく揺らした。


その一瞬のすれ違いの隙を、俺は絶対に見逃さない。

右手の操縦桿を鋭く内側に捻り込んだ。

機体の右腕が連動してうなりを上げる。

真鍮色の巨大な槍を、斜め下へと力任せに突き出した。

狙い違わず、リノセロスの分厚い右前足の関節部分に矛先が激突する。


ガリガリガリッ。

ドリルの穂先が硬い外装甲を直接削り取る。

眩しい火花が滝のように噴き出した。

操縦桿を通じて、分厚い鉄板を無理やり抉じ開けるような重い感触が両腕に突き抜けてくる。

俺はさらにペダルを踏み込み、右手の操縦桿を奥へ押し込んだ。

ドリル矛先が装甲の表面を完全に食い破る。


バキィッという嫌な音が鳴った。

装甲の破片が周囲に派手に飛び散る。

だが、一撃では終わらせない。

俺は左足のペダルを踏み込み、機体の位置をキープした。

操縦桿を素早く手前に引き抜き、すぐさま再び突き出す。


ドガッ。

今度は槍の重厚な石突で、ひび割れた装甲を力任せに叩き割る。

分厚い装甲板がひしゃげる。

内部から青黒い体液のようなオイルがブシュッと噴き出した。

リノセロスの右前足のパーツが、見るも無惨にボロボロになっていく。


奴が苛立たしげに右前足を振り上げる。

俺は左手の操縦桿を引き、機体を後ろへわずかに逸らしてその蹴りを受け流した。

そして戻りざまに、再び操縦桿を外側へ弾き飛ばす。

横薙ぎの槍が、ひび割れた右前足の側面に強烈に叩き込まれた。

関節を保護していた外殻が完全に砕け散る。

むき出しになった内部のシリンダーや太いケーブルの束を、俺はさらに槍の先端で執拗に抉り続けた。


ギャルルルルッ。

ついに耐えかねたリノセロスが、悲鳴のような鳴き声を上げた。

奴は巨大な後ろ足で大地を強く蹴り飛ばす。

猛烈な土煙を巻き上げながら、俺から大きく後方へと飛び退いた。

ボロボロになった右前足を庇うように、不自然に引きずっている。

明らかに動きが鈍っていた。

巨体を支えるバランスが完全に崩れ始めているのだ。


その直後だった。

「ギェラララゥゥゥッ 」

今まで聞いたこともないような、鼓膜を突き破るほどの凄まじい咆哮が荒野に響き渡った。

大気がビリビリと震える。

コクピットの分厚いモニターが細かく共鳴して鳴った。

俺は思わず肩をビクンと跳ねさせた。

一瞬、そのあまりの音量と獣の威圧感に驚かされたのだ。


だが、次の瞬間には、腹の底からマグマのような熱が沸き上がっていた。

やられっぱなしで黙っている性分ではない。

俺は両手の操縦桿を力強く握り直す。

シートから上半身を少し浮かせ、コクピットの中で大きく息を吸い込んだ。


「ウオオオォォォッ。」


俺も負けじと、喉が裂けんばかりの大声を張り上げた。

通信機は切ってある。

誰の耳に届くわけでもない。

戦術的な意味など欠片もない、ただの無様な雄叫びだ。

だが、腹の底から声を出すことで、化け物の咆哮から受けた威圧感が綺麗に吹き飛んでいくのを感じた。

互いの咆哮が空中でぶつかり合い、ただただ中和されたような、そんな不思議な清々しさがあった。


「ハハハ、まだまだ行くぞ。」

俺は大笑いしながら、両足のペダルを再び床の奥底まで踏み抜いた。

脚部のメインスラスターが爆発的な炎を上げる。

ウィリディチの巨体が、夜の荒野を蹴り飛ばして一気に再加速した。


大きく距離を取ったリノセロスへ向けて、一直線に突っ込んでいく。

狙うは奴の懐だ。

右前足を引きずり、体勢を立て直そうとしている巨獣の足元へ、一切の躊躇なく潜り込む。

右手の操縦桿を大きく振りかぶった。

真鍮色の槍が、再び夜の闇の中で鋭く煌めく。

俺は悲鳴を上げる奴の右前足へ向けて、さらなる追撃の嵐を容赦なく叩き込んだ。


右手の操縦桿を力任せに押し込み、真鍮色の槍で奴の右前足を連続して抉り続ける。 ガギガギッ、ズガァンッ。 削り取られた赤い装甲の破片が派手に飛び散り、重厚な金属音が荒野に連発して響いた。 よし、効いている。 関節を保護していた外郭は完全に打ち砕かれ、内部のシリンダーや太いケーブルの束がむき出しになっていた。 俺はさらに足元のペダルを踏み込み、機体の自重を乗せて槍のドリル矛先を押し込む。


だが。 連続して叩き込んでいる手応えの中に、微かな違和感が混じり始めた。


おかしい。

操縦桿を通じて両手に伝わる手応えが、先ほどよりも硬く、そして押し返されるような重みを増している。

俺は目を見開き、フロントモニターの拡大映像を凝視した。

槍の先でズタズタに引きちぎったはずの太いケーブル。

ひび割れて青黒いオイルを撒き散らしていた金属の関節部。

その破断面で、不気味な現象が起きていた。

青黒い液体が脈打つように泡立ち、粉々になった装甲の破片を引き寄せている。

それだけではない。 破れた金属の断面から、細い糸のような繊維が湧き出し、引きちぎれたケーブル同士を強引に繋ぎ合わせ始めていた。


「なに」


俺は思わず声を漏らした。

間違いない。

削り取ったはずの右前足が、内部から急速に塞がり始めていた。

装甲の亀裂が引き締まり、剥ぎ取った鉄板の隙間が瞬く間に埋まっていく。

自己修復だ。

この化け物、受けたダメージを自力で再生させる機能まで持っていやがるのか。


リノセロスが巨大な後ろ足で大地を強く叩いた。

ズルズルと引きずっていたはずの右前足を力強く踏みしめ、俺から離れるように後ろへ大きく飛んだ。

巨体が凄まじい風圧を起こし、大量の土煙を巻き上げながら距離を取っていく。

奴の動きから、先ほどまでの痛々しい不自然さが急速に消えていた。

右前足の修復が進んでいる証拠だった。


マズイ。

俺は全身の毛穴が収縮するような強い危機感を覚えた。


逃がすわけにはいかない。

もしこのまま距離を取られ、自己修復を完全に完了されたらどうなる。

ここまでの苦労が全て水の泡になるだけではない。

態勢を立て直したこの化け物が、俺を無視してヒカリ坊やラキ坊、シルヴィアのいる主戦場へ向かって突進を開始したら終わりだ。

あいつら三人は、ただでさえ限界ギリギリの戦いを強いられている。

そこへ、傷一つない状態に戻ったこいつが合流してみろ。

戦線は一瞬で崩壊し、全員が踏み潰される。


しかも、ウィリディチは機動性を削って装甲とパワーに特化した超重量級の機体だ。

一度完全に距離を取られ、本格的な追いかけっこに持ち込まれたら、スピード勝負で勝てる道理がない。

重い足取りで背中を追いかけている間に、あいつらの元へ辿り着かれてしまう。


絶対に距離を取らせない。

ここで、俺の手で完全に息の根を止める。


ーーーーーーーーーーーー


足のペダルを、床の鉄板が底抜けるほどの力で踏み抜く。

メインブースターが火を噴いた。

ズガァァンッ。

背後で爆発音のような逆噴射が起こり、ウィリディチの巨体が前へ叩きつけられるように弾き出された。

加速Gが強烈に胸を圧迫する。

シートベルトが食い込み、息が止まりそうになる。

だが、ペダルを踏み込む足を緩めない。

距離を詰めるどころではない。 気持ち的には、相手をそのまま追い越して背後へ回り込むくらいの猛スピードで、

巨獣の懐へ向かって直線的に突っ込んだ。


リノセロスが焦りを深めたように身体を震わせた。

背中の小型砲門がこちらを捉える。

バババババババッ。

夜気を切り裂く連続発砲音。

高密度の小型実弾弾幕が大量にばら撒かれた。

黒い弾丸が、網の目のように空間を埋め尽くす。


俺は左手の操縦桿を内側に引き、機体の左腕を胸の前に突き出した。

頑丈な肩装甲と腕部で顔面とコクピットを庇う。

ドドドドドドッ。

着弾音がウィリディチの全幅を叩き打った。

フロントモニターに激しい衝撃のノイズが走り、装甲が削れる嫌な金属音が連続して響く。

弾丸が弾け飛ぶ摩擦熱で、周囲の空気が一気に焦げ臭くなった。

だが、実弾の牽制など痛くも痒くもない。

ウィリディチの分厚い重装甲は、この程度の弾幕で止まるほどヤワには作られていないのだ。


俺は右手の操縦桿を激しく振った。

前方に構えた大槍の柄を巧みに操り、迫り来る弾丸の太いラインを物理的に叩き落として散らす。

操縦桿から伝わる連続した軽い打撃の振動を、腕の力で力任せに押さえ込んだ。


「邪魔だ」


俺はペダルをさらに奥へと踏み込んだ。

弾幕を強行突破し、弾丸の雨を正面から切り裂いて進む。

一瞬で距離がゼロになった。

リノセロスの巨大な顔面が、モニター全面に覆いかぶさるように迫る。

完全に懐へ潜り込んだ。


俺は右手の操縦桿を力任せに手前へ引き抜き、前方へ突き出した。

真鍮色のドリル矛先が、修復されかけていた右前足の同じ傷口へ吸い込まれるように突き刺さる。


ズガガガガッ。


再び開いた傷口から、激しい火花と青黒いオイルが吹き荒れた。

治る端から叩き潰す。 塞がる隙すら与えない。

俺は両足のペダルを踏み替え、機体の位置をねじ込みながら、操縦桿をがむしゃらに動かして追撃に追撃を重ねた。

槍の突き、石突の打撃、薙ぎ払い。

狂ったような連続攻撃が、逃げようとする巨獣の足を完全に大地へと縛り付けていった。


右手の操縦桿を激しく前後に動かし、真鍮色の槍で容赦のない連撃を叩き込む。

火花が散り、ひしゃげた装甲の破片が宙を舞う。

だが、槍を押し込む両腕の筋肉には、確かな違和感が居座っていた。

モニターに映るリノセロスの右前足。

ひび割れた装甲の奥から湧き出す細い繊維が、狂ったような速度で金属を繋ぎ合わせている。

傷口が塞がっていく。

しかし、俺はモニターの端に表示された機体の外部センサーの数値を横目で睨んだ。

そして、目の前で蠢く巨獣の全身の動きを注意深く観察する。


おかしい。

確かに傷の修復速度は速い。

だが、その右前足を庇うような巨体の動き自体は、明らかに先ほどよりも鈍くなっていた。

巨獣の背中にある放熱ファンから、蒸気がむせ返るように噴き出している。

まるで、息切れを起こしているかのような不規則な排気音だ。

右前足を無理やり動かそうとするたびに、巨体のバランスがほんの僅かにグラついている。


俺は操縦桿を握る手の力を少しだけ緩め、口の端をニヤリと吊り上げた。


なるほど、無条件での回復ではない。


考えれば当たり前の話だ。

これだけ巨大な質量の装甲や内部機構を、一瞬でゼロから再生させるのだ。

失われたパーツを物理的に再構築するためのエネルギーが、どこかから捻出されているはずだ。

その代償は、必ずある。

傷を治せば治すほど、こいつの動きは重くなる。

装甲は元に戻っても、中に流れるエネルギーは確実に底を突き始めている。


こいつの消耗も激しい。


俺は確信を持って頷いた。

泥臭い持久戦に持ち込んだ俺の賭けは、完全に当たっていたのだ。


またも奴の背中の小型砲門が一斉にこちらを向いた。

バババババババッ。

強烈な閃光と共に、小型の実弾弾幕が雨のように降り注ぐ。

焦ったような、乱暴で大雑把な牽制射撃だ。

ウィリディチの分厚い装甲に弾丸が当たり、鼓膜を叩くような連続音が鳴り響く。

フロントモニターに赤い警告光が反射した。


俺は両足のペダルを操作し、機体を僅かに沈み込ませて装甲の厚い肩で弾幕を受ける。

機動力を削るための目眩ましだ。

この後に何が来るかなど、火を見るよりも明らかだった。


地響きが荒野を揺らす。 視界を覆う土煙を真っ二つに引き裂き、リノセロスの漆黒の巨体が迫ってきた。

今日、何度目になるかわからない突進だ。

だが、その速度は最初に見せたような絶望的なものではない。

明らかに足取りが重い。 修復にエネルギーを回しすぎた結果だ。


俺は右足のペダルを浅く踏み込み、機体の軸を右へ僅かにずらした。

同時に、左手の操縦桿を外側へ弾く。

ウィリディチの左腕が動き、迫り来る巨大な黒いツノの側面を、滑らせるように軽く殴りつけた。

まともに受け止める必要はない。

突進の威力を横へ逸らすだけで十分だ。


ズゴォォォンッ。


リノセロスの巨体が俺の機体の横をすり抜け、勢い余って背後の荒野へと突っ込んでいく。

奴の巨体が通り過ぎる瞬間、猛烈な突風がウィリディチを揺さぶった。


逃がすか。


俺はリノセロスが通り過ぎた直後、両足のペダルを力任せに一番奥まで踏み抜いた。

脚部のスラスターが爆発的な炎を吹き出す。

強引に機体を反転させ、すれ違ったばかりのリノセロスの巨大な尻を追って猛ダッシュを開始する。


距離を空けさせるわけにはいかない。

奴が振り向いて体勢を整える前に、再びあの修復中の足元へ張り付く。

俺は両手の操縦桿をしっかりと握り直し、逃げる巨獣の背中へ向かって、

真鍮色の槍を突き立てる準備を整えた。


スラスターの炎が赤黒い大地を激しく焦がす。 すれ違った直後のリノセロスの背中へ向け、ウィリディチは一直線に突っ込んでいく。

だが、フロントモニターに映る巨獣の後ろ姿に、決定的な異変が起きていた。 走り去る奴のぶっとい尻尾の先端が、こちらをしっかりと捉えている。


奴もこちらの追撃を完全に予想していた。

すれ違いざまの突進はただの囮だ。

すでに尾の主砲のチャージを済ませていたのだ。

強烈な光が限界まで膨れ上がっている。


マズイッ。

そう思考する間もなかった。

極太の熱線が放たれる。 視界の全てが白く染め上げられた。


距離が近すぎる。

躱しきれない。

回避する時間すらない。


「舐めるなっ」


俺は右手の操縦桿を真正面へ力任せに突き出す!

真鍮色の大槍を盾として構えさせる。

迫り来る光の激流に、自らドリルの矛先を突き立てた。


ズガガガガッ。


凄まじい衝撃が機体を殴りつける。

コクピットの温度が一気に跳ね上がる。

装甲が焼け焦げる強烈な匂い。

アラート音が狂ったように鳴り響く。


機体が後ろへ弾き飛ばされそうになる。

俺は両足のペダルを限界の底まで踏み抜いた。

脚部スラスターを全開にして踏みとどまる。

操縦桿を両手で押さえ込み、熱の壁を強引に耐え凌ぐ。


光の嵐が通り過ぎた。

フロントモニターのノイズがゆっくりと晴れていく。


凌ぎ切った。 槍の先端はドロドロに赤熱している。

機体の右半分の装甲が黒く焼け焦げ、嫌な煙を上げていた。

かなりのダメージをもらった。

操縦桿を握り込む右手が、骨の髄までビリビリと痺れて感覚が飛んでいる。


俺は荒い息を吐き出した。

大したものだ。

あの巨体で、逃げながらこれだけの大出力砲撃をピンポイントで合わせてくるとは。

俺の思考を、完全に先読みしていたのだ。


だが、感心している余裕はすぐに消え失せた。

煙が晴れた荒野の先を見るとリノセロスの姿は、俺の想定よりも遥かに遠くにあったのだ。

奴は尾の主砲を放ちながらも、その四肢での疾走を一切止めていなかった。

砲撃の反動すらも、前へ進む推進力に変えていたのかもしれない。


完全に距離を離された。

マズイ展開だ。

このまま追いかけっこのスピード勝負になれば、重装甲のウィリディチには圧倒的に分が悪い。

背中のファンから蒸気を吹き出しながらも、巨獣はぐんぐんと小さくなっていく。

ヒカリ坊たちのいる主戦場へ向かっているのだ。

焦りが冷たい汗となって額を伝った。


俺は再びペダルを踏み込もうとした。

その時、外部マイクが奇妙な音を拾い上げ、コクピットのスピーカーから流してきた。


『クォッ。クォッ』


なんだ、その声は。

今まで奴が発していた、地鳴りのような重低音の咆哮ではない。

鳥のようでもあり、何か別の生き物が喉を鳴らしているような、聞いたこともない甲高い鳴き声だ。


距離を開けたリノセロスが、走りながら何度もその奇妙な声を上げている。 『クォッ。クォッ』


通信機越しのノイズではない。

明らかにあの黒い巨獣から発せられている音だ。

ただの威嚇には聞こえない。

何かを呼んでいるのか、あるいは別の合図なのか。

不気味な違和感が、焦げ臭いコクピットの中にじっとりと広がっていった。


『クォッ。クォッ』 奇妙な鳴き声が、遠ざかる黒い背中から何度も響いてくる。

意味は全くわからない。

ただの獣の鳴き声とは思えない、奇妙に規則的なリズムだ。

だが、モニターに映る奴の進行方向を見た瞬間、俺の背筋に冷たいものが走った。


奴が真っ直ぐに向かっている先。

そこはヒカリ坊たちが死闘を繰り広げている主戦場だ。

そして、威嚇でも悲鳴でもない、何かに呼びかけるようなあの独特の響き。


マズイ。 俺は唇を強く噛み締めた。

さっき頭をよぎった最悪の予想が、見事に的中しようとしていた。

傷を負ったこの化け物は、ボスリノセロスと合流しようとしているのだ。

ただでさえ限界ギリギリのあいつらのところに、

この規格外の巨獣が突っ込み二匹が合流して連携などされれば、戦線は文字通り一瞬で消し飛ぶ。


どうする。

どうやってあのバカでかい質量を止める。

焦る思考をフル回転させて打開策を探る。

だが、俺がコクピットで頭を悩ませているこの間にも、リノセロスとの距離は絶望的なほどに開いていく。

ウィリディチの鈍重な足では、もはや絶対に追いつけない距離だ。

逃げられる。


「逃がすかよ」


俺は腹の底から声を絞り出した。

追いつけないなら、やり方は一つしかない。


両足のペダルを操作する。

前進していた機体に急ブレーキをかける。

ズザザザザッ。

大地を激しく削りながら、ウィリディチの巨体がピタリと停止した。


右手の操縦桿を外側へ弾く。

機体の右腕が連動する。

握っていた真鍮色の大槍を、空中に軽く放り投げた。

巨大な金属の塊がクルリと宙を舞う。


右手の操縦桿を素早く内側へ捻り込んだ。

落ちてくる槍の柄の中央を、逆手でガッチリと掴み取る。


左足を深く踏み込む。

右足を大きく引き戻す。

機体の左半身を前へ押し出す。

右半身を大きく後ろへ下げる。


右手の操縦桿を限界の奥底まで手前に引いた。

ウィリディチの右腕が、背中側へ向かって大きく振りかぶられる。

逆手に持った巨大な槍の矛先が、後ろの暗い夜空を真っ直ぐに指し示した。


機体の重心を極限まで低く沈み込ませる。

両足のペダルに、ウィリディチの莫大な全重量を乗せる。

大地に足の分厚い爪を深く食い込ませ、完全に固定する。


左手の操縦桿を前方へ鋭く突き出す。

機体の左腕が、遠ざかるリノセロスの背中を真っ直ぐに指差した。


目標をセンターの視界に捉える。

フロントモニターに赤いロックオンのカーソルが浮かび上がる。

照準を合わせる。 少しずつ小さくなっていく黒い巨獣の背中。

そこにある、赤黒い蒸気を吹き出し続けている放熱ファン。


ウィリディチの全身の駆動系から、高い金属音が上がる。

シートから伝わる激しい振動が、俺の全身の骨をガタガタと震わせる。


槍投げのフォームだ。

このバカでかい鋼の塊を、俺の腕力と機体の全エネルギーを乗せて投げつける。


外せば終わりだ。

最大の武器である槍を失えば、重装甲のウィリディチに有効な攻撃手段はなくなる。

距離を詰められない以上、二度と奴を止めることはできない。

だが、そんな弱気な計算はすでに頭から完全に捨て去っていた。

俺の仕事は、今ここでこの化け物を確実に仕留めることだ。

そのための大博打なら、喜んで乗ってやる。


右腕のシリンダーが限界の圧力を迎える。

ギリギリと装甲が軋む音がコクピットを支配した。

俺は肺が破れるほど大きく息を吸い込んだ。


「ハハハ、俺とリノセロスとの大勝負だ」


俺は操縦桿を握る両手に、ありったけの力を込めた。


フロントモニターの赤いカーソルが、遠ざかるリノセロスの背中にピタリと重なる。

だが、奴は猛烈な勢いで走り続けている。

今奴がいるその場所に槍を投げ込んでも、完全に空を切るだけだ。

着弾までのタイムラグ。

巨大な槍の空気抵抗。

奴の移動速度。

それらを瞬時に計算し、奴が数秒後に到達する少し前の空間へ正確に投げ込む必要がある。

いわゆる偏差射撃だ。


考えるだけ無駄だ。

直感的な未来位置の予測。

天性の空間把握能力。

そんな天才的な感覚、相棒やラキ坊じゃないんだ。

経験だけで戦ってきたこの俺にあるわけがない。


俺は大きく息を吐き出した。

肺の底に溜まっていた熱い空気を、全てコクピットに吐き捨てる。

小細工はなしだ。

細かい計算など完全に投げ捨てる。

狙うのは一点。

一番面積の広い、あのバカでかい胴体のど真ん中だ。


俺は右足のペダルを床の底まで踏み抜いた。

固定していた右脚が大地を力強く蹴り上げる。

機体の重心が前へ猛烈に移動を開始する。

左足でその巨大な慣性を受け止める。

ウィリディチの重厚な腰の装甲が激しく回転する。

上半身が連動して前へせり出す。


左手の操縦桿を胸元へ強く引き付ける。

機体の左腕を折りたたみ、壁を作る。

同時に、右手の操縦桿を前方へ力任せに押し込んだ。

限界まで振りかぶっていた巨大な右腕が、爆発的な速度で振り降ろされる。


右腕のシリンダーから凄まじい駆動音が響き渡る。

関節のモーターが悲鳴を上げる。

装甲同士が激しく擦れ合い、火花を散らす。

機体の全重量を右腕に乗せる。

ジェネレーターの出力を完全に腕の振りに振り向ける。

持てる力の全てを、この一撃に注ぎ込む。


それは、空へ向かって放つ美しい槍投げのフォームではなかった。

ただひたすらに前へ。

目標を力でねじ伏せるためのフォーム。

暴力的な、野球の剛腕ピッチャーの全力投球に似ていた。


ーーーーーーーーーーーー


右手が開き、真鍮色の巨大な槍が弾き出される。

空気を引き裂く凄まじい轟音。

槍は猛烈な勢いで回転する。

漆黒の夜空を一直線に切り裂いて飛んでいく。


投擲の強烈な反動。

ウィリディチの巨体が大きく浮き上がり、弾き飛ばされそうになる。

俺は両足のペダルを必死に踏み込み、機体の姿勢を保つ。

コクピットが激しく揺れ、警報音が狂ったように鳴り響く。

俺はモニターの先をただ睨みつけた。


槍は弧を描かなかった。

重力など無視しているかのように。

真っ直ぐに。 ただ真っ直ぐに。

漆黒の闇を黄金の流星となって切り裂く。

猛烈な旋回。 凄まじい風切り音。

周囲の空気が熱波で歪む。


俺はフロントモニターを睨みつけた。

心臓がうるさい。

視界の端で警報が点滅している。

反動で機体が軋む。

熱がコクピットに充満する。

焦げた匂い。

汗が目に入る。


一瞬。 本当に一瞬だけ。

祈るように目を閉じそうになった。


「何に祈るというのだ。」


俺はすぐに思い直した。

戦場に奇跡などない。

あるのは、確かな質量と速度。

そして、俺が積み上げてきた経験だけだ。

祈る暇など一秒もない。


槍はリノセロスの背中に向かって一直線に伸びていく。

奴はまだ気づいていない。

走り続けている。

修復中の右前足がグラついている。


数秒後。

モニターの向こうで、閃光が走った。

続いて、土煙が爆発する。

リノセロスの巨体が、不自然に宙へ浮き上がった。

次の瞬間。

巨大な質量が大地に叩きつけられる。

地響き。

奴が転倒した。

命中したのだ。


「ハハハハハッ。」


俺はコクピットで声を上げた。

ペダルを踏み込む。

ウィリディチの巨体が、スラスターの炎を上げて前進を開始した。

荒野を蹴り飛ばす。 残った熱波を切り裂いて進む。


まだ終わっちゃいない。

トドメを刺す。

あの化け物を完全に沈める。

俺は両手の操縦桿を握り直し、砂煙が舞う戦場へと突っ込んでいった。


メインペダルを踏み込む足に力を込める。

脚部スラスターの爆音とともに、ウィリディチの巨体が荒野を滑るように進む。

巻き上がる砂煙を強引に引き裂きながら、俺は急降下するように速度を上げた。

視界の先、土煙の渦の中心で巨大な影がもがいている。

追いついた。


転倒したリノセロスの巨体は、大地を削り取って深く沈み込んでいた。

背中から噴き出す赤黒い蒸気が、激しい不協和音を奏でて噴き出している。

俺は足元を細かく踏み替え、ウィリディチの脚部にブレーキをかけた。

重厚な足が土を掴み、機体が地響きを立ててピタリと停止する。


フロントモニターを拡大し、奴の損壊状態を凝視した。

真鍮色の大槍は、リノセロスの右後ろ足の根元近くに深く突き刺さっていた。

それだけではない。

分厚い複合装甲を完全に破り、反対側へと先端が突き抜けていた。

貫通だ。


「マジか」


俺は思わずコクピットで声を漏らした。

投げつけた本人ですら引きつった笑いを浮かべるほどの惨状だ。

ウィリディチの腕力と機体の全重量を乗せた投擲だったとはいえ、あの距離だ。

いくらなんでも、あそこまでの威力が残っているはずがなかった。

奴の頑丈な装甲をあっさりと貫くなど、計算上はあり得ない。


俺は熱気を帯びた操縦桿に視線を落とし、さっきの死闘を反芻した。

原因はすぐに思い当たった。

直前だ。

奴が尾の主砲から放った極太の熱線。

あれを俺は、槍の先端を回転させて正面から受け止めた。

あの時、真鍮のドリル穂先はドロドロに溶けるほどの超高熱を帯びていたのだ。


超高熱を叩き込まれた槍の穂先が、超高速で装甲に激突した。

熱によって軟化し、焼き切られた金属装甲へ、そのまま巨大な質量と回転力が一点集中で突き刺さったのだ。

あの極限の防御が、巡り巡って奇跡的な威力を生み出したということか。

まったく、勝負の神様ってやつはどこでどう転ぶかわかったもんじゃない。


リノセロスの巨体が身悶えした。

貫通された左足から青黒いオイルを撒き散らしながら、奴は必死に起き上がろうとする。

だが、巨体を支える四本の柱のうち、一本が完全に破壊されているのだ。

不格好に巨体が傾き、再び激しい音を立てて倒れ込んだ。


奴の巨大な頭部が、ゆっくりとウィリディチの方へと向けられた。

装甲の隙間に埋め込まれた赤く光るセンサーレンズ。

それが、じっとこちらを捉える。

いや、違う。

奴は見ているのだ。

分厚いウィリディチの胸部装甲を透かして、その中にいる俺の姿を。

見えないはずの俺の顔を、真っ直ぐに見据えているような気がした。


そこにあったのは、獣特有の凶暴さではなかった。

自らの敗北を悟った者の、あまりにも深く、生々しい悔しさだった。

逃げ切れなかった悔恨。

動きを封じられた屈辱。

命が消えかけていく絶望。

それらの感情が、赤く光るレンズの奥からひしひしと伝わってくる。


俺は操縦桿を握る手の力を、緩やかにはずした。


「悪いな」


誰も聞いていないコクピットの中で、言葉がふと口から漏れ出た。


何を言っているんだ、俺は。

心の中で自分を嗤う。

何に対して悪いと思ったのだろうか。

背後から槍を投げつけるような、泥臭い不意打ちで決着をつけてしまったことか。

お互いのプライドを懸けて、正面から全力で殴り合えなかったことか。

それとも、この雄大な荒野に生きる一つの命を、俺の手で奪うことに対してか。


どれも正解で、どれも間違いな気がした。

戦場に出た瞬間から、そんな甘っちょろい傷感は捨て去ったはずだった。

勝てば官軍、負ければ骨だ。

特に俺のような老兵は、綺麗な勝ち方なんてハナから求めちゃいない。


だが、あの悔しそうな視線を受け止めた時、胸に小さな引っかかりが残ったのは事実だった。


「だけどよ」


俺は吐き捨てるように呟き、両足を強く踏み込んだ。

ウィリディチの足元から、重厚な駆動音が湧き上がる。

胸の奥の小さな惑いを、力任せに押し潰す。


俺には守るべき仲間がいるのだ。

ヒカリ坊やラキ坊のように、まだ先のある青臭い若い命がある。

ユミィやシルヴィアのように、背中を預け合える大切な仲間がいる。

あいつらを生き残らせるためなら、俺はどんな泥を啜ってもいい。

どんな卑怯者だと指を差されようが、悪魔に魂を売ろうが、勝たなきゃいけないんだ。


俺は左手の操縦桿を前方に押し出し、ウィリディチの左腕を固く握り締めさせた。


「恨むなら、俺と俺の運の良さを恨むんだな」


俺は両手の操縦桿を強く握り直し、身悶えする巨獣の頭上へと、

重装甲の巨体をゆっくりと忍び寄らせていった。


倒れ伏したリノセロスの真横に機体を立たせた。

奴はもう抵抗する力すら残っていない。

荒い呼吸のように蒸気を吐き出し、ただ不規則な痙攣を繰り返している。


俺は左手の操縦桿を静かに手前へ引いた。

ウィリディチの左手が、奴の左足に深々と突き刺さっている槍の柄をガッチリと掴む。

そのまま、ゆっくりと上へ引き抜く。

ギギギギッ。

装甲の断面と槍の表面が擦れ合い、重苦しい金属音が荒野に響いた。

青黒いオイルが滝のように溢れ出し、焦げた大地を濡らしていく。


槍を完全に引き抜くと、リノセロスの巨体がビクンと大きく跳ねた。

俺は右足のペダルを僅かに踏み、機体の位置を奴の頭部側へと微調整する。

狙うのは、ひしゃげた首元の装甲の隙間。

赤く明滅するセンサーレンズのすぐ下にある、この化け物の命の根源だ。


両手の操縦桿をしっかりと握り直す。

そして、大槍の先端をその急所へと真っ直ぐに向けた。

今度は力任せに叩き込む必要はない。

俺はゆっくりと、ただし敬意を持って操縦桿を前方へと押し込んだ。


真鍮の矛先が、傷ついた装甲の奥深くへと滑り込んでいく。

抵抗らしい抵抗はなかった。

ズブォッという鈍い音とともに、槍はリノセロスの中枢を正確に貫いた。


奴の全身を激しい痙攣が駆け抜けた。

次の瞬間、赤く光っていたセンサーレンズがふっと暗く沈む。

背中から噴き出していた赤黒い蒸気も、嘘のようにピタリと止まった。

風の音だけが、急に大きくなった気がした。

完全に息絶えたのだ。


「終わったな」


俺はシートの背もたれに深く体重を預け、大きく息を吐き出した。

肺の底に溜まっていた熱い空気が、コクピットの濁った空気と混ざり合う。

全身を覆っていた極度の緊張が一気に解け、急激な疲労感が手足にのしかかってきた。

額の汗を手の甲で雑に拭う。

戦闘中は気にならなかったが、コクピットの中はむせ返るようなオイルと汗の匂いが充満していた。

機体の冷却ファンが回る低い唸り声だけが、空間を満たしている。


俺は通信コンソールのスイッチを指で弾いた。


「ユミィ。こっちは片付いたぞ」


スピーカーからは、ザァーという無機質な砂嵐の音が返ってくるだけだった。

誰も通信圏内にいないのだ。

ヒカリ坊たち三人は、ここから遥か彼方の主戦場で未だに死闘の真っ最中だ。

この広大な夜の荒野で、今は俺一人だけがポツンと取り残されている。


俺は再び左手の操縦桿を握り、急所に刺さったままの槍をゆっくりと引き抜いた。

ドロドロのオイルに塗れた真鍮の槍。

俺は操縦桿を大きく振り回し、槍を空中で円を描くように一回転させた。

ブォンッ。

重い風切り音とともに、こびりついていたオイルと金属片が周囲に派手に飛び散る。

そのまま操縦桿を背後へ動かし、機体の背中にあるマウントラッチに槍をガチンと固定した。


ペダルを浅く踏み込む。

ウィリディチが重い足取りで歩き出した。

ズシン、ズシン。

巨大な金属の足音が、静まり返った荒野に孤独なリズムを刻む。


戦いは終わった。

だが、それはあくまで俺の受け持ったこの場だけの話だ。

ヒカリ坊。 ラキ坊。 シルヴィア。

あいつらの安否が、嫌でも頭をよぎる。

相手はこいつよりも強いであろうボスリノセロスだ。

いくらあいつらでも、時間が経てば経つほど消耗し、危険な状態に追い込まれていくはずだ。

こんなところでゆっくりと勝利の余韻に浸っている暇はない。


急ごう。


俺はペダルを踏む足を止め、機体を半回転させた。

モニター越しに、物言わぬ鉄の塊と化したリノセロスの残骸を一瞥する。

そこに哀れみや感傷はない。


俺はペダルを一気に一番奥まで踏み込んだ。

背部のメインブースターが轟音を立てて火を噴く。

爆発的な推進力が、ウィリディチの鈍重な巨体を強引に前方へ弾き出した。


待ってろよ、お前ら。


シートに背中を激しく打ち付けられながら、

俺は三人のいる激戦区へ向かって一直線に機体を加速させた。


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