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12話:Pledge of the Shell ~空っぽな器の誓約~

息を吐き出すと、全身の関節がギシギシと嫌な音を立てた。

モニターを見上げると朝焼けのオレンジ色に染まる空を背景に、黄色と黒の機体がゆっくりと上昇してくるのが見えた。

シルヴィアさんのフラウスレイだ。

重々しい巻き上げ機のリズミカルな駆動音が艦橋に響き渡る。

母艦の下部ハッチが開き、機体が無事に格納庫へと収容されていく。

俺はその確かな光景を最後まで見届け、肺の奥に溜まっていた強張りを全て外へ吐き出した。


シルヴィアさんが無事に帰還した。

胸の奥で冷たく固まっていた不安が、空気と一緒に溶けて消えていく。

だが、安心した途端に身体中の筋肉が一斉に悲鳴を上げ始めた。

首を少し動かしただけで、痛みが背骨に沿って走る。 汗ばんだ肌が、艦橋の冷えた空調の風に晒されてブルッと震えた。


原因ははっきりしている。

クレティさんによる地獄のような模擬戦だ。


「大型アルヴィアの動きを体に叩き込んでやる」という理由で、俺たちは休む間もなく延々と組手をさせられていたのだ。

あの巨大なバケモノの突進や尻尾の一撃を想定した、殺意すら感じる打撃と回避の連続。

泥臭い立ち回りを強いられ、頭の芯が未だにぐらぐらと揺れている。


視線を横に向ける。

隣の席では、ラキが座席シートへ深く沈み込んでいた。

普段は綺麗に整えているはずの髪もボサボサで、目の下にはくっきりと疲労の色が浮かび上がっている。

息を吸うたびに、肋骨のあたりを押さえて顔をしかめていた。


「ほんま、ボロボロやで」


ラキが掠れた声で呟いた。


「死ぬかと思ったぞ」


俺は短く、素直な感想を返す。

だが、あの巨大なバケモノと実際にやり合うためには、これくらいで根を上げているわけにはいかない。

俺もラキも、実戦での立ち回りの経験が圧倒的に足りていないのだ。

記憶のない空っぽの俺にとっては、叩き込まれたその一つ一つの痛みが、確実に生き残るための命綱になる。


艦橋の奥にある重厚な金属扉が、プシュッと短い空圧音を立てて開いた。

冷たい空気と一緒に、甘ったるい機械オイルの匂いが流れ込んでくる。


俺は痛む体を無理やり起こし、入り口の方へ振り返った。

そこに立っていたのは、つい先ほどまで死線を潜り抜けていたはずのシルヴィアさんだ。

フラウスレイを格納庫の所定位置に固定し、ツァイトモーターを充電モードに切り替えてから真っ直ぐに上がってきたのだろう。

長時間の戦闘を終えたばかりだというのに、疲れた様子も見せず、いつも通りの飄々とした足取りで艦橋へ入ってきた。


そのすぐ隣には、顔や作業着のあちこちに黒い汚れをつけたユミィの姿があった。

右手には油まみれのウエスをしっかりと握りしめている。

徹夜でウィリディチの整備と修理にかかりきりだったはずだ。 鼻の頭にまで黒いオイルが跳ねている。


「シルビーさん、お疲れ様。機体のデータはこっちでもう受信してるからね」


ユミィが実直な声で報告した。 徹夜の疲れを感じさせない、真っ直ぐな瞳だ。


「ありがとう、ユミィ。フラウスレイの足回りに少し砂が噛んでいるかもしれないわ。後でチェックをお願いね」


シルヴィアさんが、余裕のある口調で返す。

その言葉に、ユミィが力強く頷いた。


「ハハハ。シルヴィア、よく戻ってきたな」


艦橋の中央で腕を組んでいたクレティさんが、腹の底から響くような豪快な笑い声を上げた。


「当然よ。完璧な盤面を用意してきたわ。」


シルヴィアさんが歩みを進め、俺とラキの顔を順番に見下ろした。 その目が、面白そうに細められる。


「ヒカリくん、ラキくん。クレティさんのしごきでボロボロみたいだけれど、本番は二日後よ」


俺は深く息を吸い込み、両手で自分の頬を軽く叩いた。 乾いた音が鳴り、痛みが意識をはっきりと覚醒させる。


「わかってる。」


俺の真っ直ぐな言葉に、シルヴィアさんが満足そうに口角を上げた。

足元から伝わる船の振動が少しずつ大きくなり、チュラクシスが再び朝の空へと高度を上げ始めた。


艦橋からブリーフィングルームへ向かう短い廊下を歩く。

足を踏み出すたびに、太ももから背中にかけて鈍い痛みが走った。

クレティさんの無茶苦茶な組手の後遺症だ。

隣を歩くこいつも、壁に手をつきながら足を引きずっている。 痛む体を誤魔化すように、俺たちは無言で部屋に入った。


配置されたパイプ椅子に腰を下ろす。

冷たい金属の背もたれが、汗ばんだ背中の熱を奪っていった。

部屋の空気は、ユミィから漂う機械オイルの匂いで満たされている。


全員が席についたのを確認し、クレティさんが正面の大型モニターの前に立った。

太い腕を胸の前で組んでいる。 いつもの豪快な笑いはない。 険しい表情で、俺たちを順番に見渡した。


「結論から言う。作戦の開始時間を前倒しにする可能性がある」


クレティさんの重い声が部屋に響いた。

俺は思わず姿勢を正す。 痛む筋肉が悲鳴を上げたが、それどころではない。 本番は二日後だったはずだ。


「気になることがあってな」


クレティさんが操作パネルを叩く。

画面に、シルヴィアさんが持ち帰った音声データ波形が表示された。 掘削場のリーダー作業員との通信記録だ。


「シルヴィア。お前が作業員の代表と話した時の音声だ。何か違和感はないか」


部屋に通信の録音音声が流れる。 ノイズ混じりの、かすれた男の声。

助けが来たことに安堵し、状況を報告する言葉が淡々と続く。

俺は耳を澄ませた。 だが、特に変わった様子は感じられない。


音声が終わり、部屋に静寂が戻る。


「八十九名という大所帯だぞ」


クレティさんがモニターを指差した。


「普通、絶望的な状況で救助の機体が現れたらどうなる。歓声が上がるはずだ。泣き叫ぶ奴や、助かったと叫ぶ声が後ろから聞こえてきてもおかしくない」


クレティさんの言う通りだ。

スピーカーから聞こえたのは、代表の男の声と、環境ノイズだけだった。

背後の気配があまりにも静かすぎる。


「八十九名は、歓声を上げる気力すらない状態だ。餓死寸前で、声も出せない可能性が高い」


静かすぎる通信の理由。

それは極限の飢餓と疲労だ。

俺の背筋を冷たい汗が伝い落ちた。 二日後まで待てば、手遅れになる命があるかもしれないということだ。


「そこまでは、気づかなかったわ」


シルヴィアさんが、テーブルの上に置いた両手を強く握りしめた。

その端正な顔に、はっきりとした悔しさが滲んでいる。

完璧な盤面を作ったと自負していた彼女にとって、この見落としは許しがたいものだったのだろう。


「気にするな、シルヴィア。お前は完璧に仕事をした」


クレティさんが短く慰める。

そして、再び俺たちの方へ鋭い視線を向けた。


「作戦を変更する。救助のためにこのチュラクシスをすり鉢の底へ下ろすこと自体は同じだ」


クレティさんがモニターに見取り図を映し出す。


「だが、八十九名が自力で歩けないとなると話が変わる。全員を艦に収容するのに時間がかかりすぎるんだ」


ユミィが手を挙げ、真剣な顔で口を開く。


「ウィリディチの修理が間に合わなければ、私とクレティさんの二人だけで運ぶことになります。歩けない八十九人を短時間で運ぶのは不可能です」


「その通りだ。だから、まずはインゼリー系の食料を投下する。水分とカロリーを同時に補給できるやつだ」


クレティさんがテーブルを軽く叩いた。


「それを口にして、少しでも自力で動けるようになってもらう。救助の時間を短縮するためだ。だが、問題がある」


モニターの表示が切り替わる。 二つの巨大な赤い光点が、砂漠の地図の上に浮かび上がった。 ボスのリノセロスだ。


「食料を投下する作業で、間違いなくあの二体に気づかれる。シルヴィアのおかげで、鬱陶しい小型竜はもう片付いている」


クレティさんが、俺とラキ、そしてシルヴィアさんを順番に指差した。


「ヒカリ坊、ラキ坊、そしてシルヴィア。お前たち三機の機体で、あの巨大なリノセロス二体と同時に戦うことになる」


部屋の空気が一気に張り詰める。

チュラクシスから食料を投下し、救助を行う。

それを守るために、二体の巨大なバケモノを三機の機体だけで抑え込む。

失敗すれば全員が砂漠の底で全滅する、綱渡りのような作戦だ。


「覚悟は決めておけ。今すぐ出撃できる準備をしろ」


クレティさんの声が、部屋の空気を震わせた。

俺は両手を膝の上で強く握りしめる。 関節の痛みは、もう完全に消え去っていた。


「わかった。すぐに行く」


俺は真っ直ぐに立ち上がり、クレティさんの目を見て答えた。


「ほんま、急な話やで」


ラキも悪態をつきながら、ニヒルな笑みを浮かべているがその目にははっきりとした戦意が宿っていた。


次に大型モニターから、硬い金属を噛み砕く不気味な音が響いてきた。

画面には先ほどシルヴィアさんが撮影した映像が流れている。

二体の巨大なリノセロスが、小型竜の残骸に顔を突っ込んで貪り食っていた。 装甲をバリバリと咀嚼する音が、部屋の空気を重く沈ませる。


クレティさんがモニターを指差した。


「1匹が姿を見せなかった理由の予想だ。あの巨体を維持するための餌を探して回っていたんだろう」


画面の中で、赤いカメラアイを光らせたバケモノが仲間だったはずの鉄屑を飲み込んでいる。


「小型竜の残骸をすぐに食い始めたということは、空腹状態だ。つまり、先にやられた傭兵たちの機体は、すでに全て食い尽くされている」


クレティさんの低い声が、最悪の事実を突きつけてくる。


「二日後まで、奴らが大人しく待っている可能性は限りなく低い。次の餌を求めて、採掘場を襲うはずだ」


俺は短く息を吸い込んだ。 採掘場にも最低限の迎撃設備くらいはあるだろう。

だが、底にいる八十九人は餓死寸前の状態だ。

武器を握る力すら残っていない人間に、あのバケモノを真っ当に迎え撃てるわけがない。

作戦を前倒しにする理由は、そこにあるのだ。


パンッ。


突然、部屋の空気を切り裂くような乾いた破裂音が響いた。 クレティさんが分厚い両手を大きく打ち合わせたのだ。

俺の意識が一気に現実へと引き戻される。


「状況は分かったな。ここからは時間との勝負だ」


クレティさんが鋭い声で指示を飛ばし始める。


「ユミィ。お前は引き続きウィリディチの修理だ。可能な限り最速で仕上げてくれ」


「了解です、クレティさん。すぐに格納庫に戻ります」


ユミィが真っ直ぐな目で答え、機械オイルの匂いを残して小走りで部屋を出て行った。


「俺は救出作戦の洗い直しだ。このチュラクシスを一度砂漠に降ろす。そこからトラックを出して、八十九人分のインゼリー系の食料をごっそり買い出しに行く」


クレティさんが操作パネルを素早く叩く。

画面に周辺の都市と想定補給ルートの地図が表示された。

八十九人分の食料を一度に運ぶとなると、相当な物資の量になる。


「最後に、シルヴィア、ラキ坊、ヒカリ坊」


名前を呼ばれ、俺はクレティさんを真っ直ぐに見つめ返す。

どんな過酷な準備任務が下るのか、無意識に全身の筋肉を硬くして身構えた。


「お前たち三人は、飯を食って寝ろ」


予想外の言葉に、俺は思わず眉をひそめる。 隣でラキも目を丸くしてクレティさんを見上げていた。


「そんな時間はあるのか。作戦が早まるなら、俺たちも手伝うよ」


思ったことをそのまま口に出す。

休んでいる間に状況が悪化するかもしれないのに、大人しく寝ている場合じゃない。

だが、クレティさんは豪快に笑うことはなく、真剣な目で俺を見下ろした。


「いざという時に、一番良いコンディションを整えておくのもプロの仕事だ。ボロボロの体で出撃して犬死にする気か」


有無を言わさない、重い言葉だった。

俺は無意識に、先ほどの組手で痛めた自分の腕を握りしめる。

確実に生き残り、あのバケモノから人々を救い出す。 そのためには、疲労を引きずったままの体ではダメなのだ。


「ほんま、反論できん正論やな」


こいつがニヒルに笑いながら、両手を頭の後ろで組んだ。

シルヴィアさんも、余裕のある口調で続く。


「そういうことね。ヒカリくん、私たちはプロとして大急ぎで休むわよ」


俺は深く息を吐き出し、痛む肩の力を抜いた。

空っぽな俺にも、今すぐ果たすべき明確な役割が与えられたのだ。


「わかった。しっかり休んでおく」


俺が真っ直ぐに答えると、クレティさんは満足そうに力強く頷いた。


食堂で温かいスープとパンを、とにかく腹に詰め込めるだけ詰め込んだ。

そして自分の個室のベッドに倒れ込み、そのまま本当に泥のように深く眠りこけた。 夢を見る余裕すらなかった。


ーーーーーーーーーーーーー


ふと意識が浮上し、重い瞼をゆっくりと持ち上げる。

部屋の照明は落とされたままで、薄暗い。

壁に設置された時計の光が目に飛び込んできた。

時刻は午後七時を回っている。半日以上、とんでもなく長い時間を眠り続けていたことになる。


ベッドから身を起こし、両腕を大きく頭の上へ伸ばした。

パキッと肩の関節が軽く鳴る。

昨日までの全身が軋むような激痛は、嘘のように引いていた。

太ももや背中あたりにわずかな筋肉痛の芯は残っている。

だが、体を動かすのに全く支障はない。

むしろ、睡眠と食事をたっぷり取ったおかげで全身にエネルギーが満ち溢れているのがわかった。

間違いなく最高のコンディションだ。


俺はベッドから降り、冷たい床の上にしっかりと両足で立つ。

こんな時間まで眠っていたのに、途中で誰にも起こされなかった。

ということは、救出作戦の手順に狂いが生じていない証拠だ。あのリノセロス二体の動きに大きな変化はなかったのだろう。


洗面台へ向かい、蛇口をひねって冷たい水を両手にすくう。

顔に勢いよくバシャリと押し当てた。 冷たさが皮膚を刺し、頭の芯まで完全に覚醒する。

タオルで顔を拭き、ハンガーにかけてあった白い羽織に素早く袖を通した。


廊下に出ると、戦艦チュラクシスの低いエンジン音が足の裏から小刻みに伝わってきた。

空調の効いた冷たい空気の中を歩き、艦橋へと向かう。


艦橋の分厚い金属扉の前に立ち、ロック解除のパネルに手を触れた。

プシュッと短い空圧音が鳴り、重い扉が横にスライドする。

暗めの照明に設定された艦橋の奥、メインモニターの前に見慣れた大きな背中があった。

腕を組み、画面に映し出された砂漠の地形データを睨みつけている。


クレティさんだ。 俺の足音に気づき、こちらへ振り返った。


「ハハハ。早いな、ヒカリ坊」


クレティさんが腹の底から響く大声で笑った。

緊張感の漂う艦橋の空気が、その笑い声で一気に明るくなる。


「おはよう。まあ、外はすっかり夜だけどな。そろそろ起こそうかと思っていたところだ」


クレティさんの視線の先を追うように、俺も周囲を見渡す。

艦橋に他のメンバーの姿はない。

どうやら、ラキもシルヴィアさんもまだ部屋で寝ているようだ。

俺はまっすぐにクレティさんを見上げて口を開く。


「もう体の痛みはない。いつでもいけるよ」


俺の言葉を聞いて、クレティさんは満足そうに大きく頷いた。 そして、操作コンソールへ向き直る。


そろそろ起こそうかと思っていた。

俺はその言葉の意味を頭の中で反芻する。

わざわざクレティさんが直接そう口にするということは、もう間もなく作戦が始まるということだ。


クレティさんがコンソールの一角にある赤いスイッチを太い指で押し込んだ。

艦内放送のマイクだ。 短い電子音がチュラクシスの全区画に鳴り響く。


「全員起床の時間だ。これより作戦を開始する。各員、直ちにブリーフィングルームへ集合しろ」


クレティさんの力強い号令が、スピーカーを通して艦の隅々にまで行き渡った。

俺は深く息を吸い込み、これから始まる死闘へ向けて静かに意識を尖らせた。


艦内放送のマイクを切ったクレティさんが、モニターから視線を外して俺を見た。

その顔には疲労の色が全く見えない。 徹夜で救出作戦の洗い直しと、大量の物資の買い出しをしていたはずだ。


「クレティさん。元気そうだけど、ちゃんと寝てるのか」


俺は思ったことをそのまま真っ直ぐに口に出した。


「多少はな」


クレティさんは短く答えて、腹の底からハハハと豪快に笑った。

とても多少の睡眠で出せる声量じゃない。

分厚い胸板から響く声が、空調の効いた艦橋の空気をビリビリと震わせる。

底知れない体力だ。 ますますこの人には敵いそうにない。 俺は心の中で小さく息を吐いた。


背後の重厚な金属扉が、プシュッと短い空圧音を立てて開く。

振り返ると、ラキが軽い足取りで入ってきた。


「バッチリ寝たわ。体も軽いし、いつでもいけるで」


ニヒルな笑みを浮かべながら、ラキが両腕を回して肩の関節を鳴らす。

昨日の地獄のような組手のダメージは完全に抜けているようだ。


続いて、ユミィが小走りで艦橋に入ってきた。

服には新しい黒い油汚れがいくつもついている。

鼻先を微かに機械オイルの匂いがかすめた。

目は少し充血していて、徹夜の作業を続けているのは明らかだ。

だが、その足取りは力強く、やる気と使命感が小さな体から溢れ出しているのがわかった。


そこから少し遅れて、再び扉が開いた。


「おはよう。なんだかまだ、目が開かないわ」


シルヴィアさんだ。 いつもの飄々とした大人の余裕はどこかへ行き、声がモニョモニョとくぐもっている。

綺麗な金髪も少しだけ跳ねていた。

目をこすりながら、ゆっくりとした足取りで歩いてくる。

コンディション自体は良さそうだが、完全に寝ぼけている。

あのシルヴィアさんがこんなに寝起きが悪い人だったなんて。 俺は全く想像していなかったので、少しだけ驚いてその顔をまじまじと見つめてしまった。


全員が揃ったのを確認し、クレティさんが表情を引き締める。

大型モニターに、砂漠の戦術マップを映し出した。


「状況が変わった。あのリノセロス二体が動き出したぞ」


マップ上で赤く点滅する二つの光点が、ゆっくりと移動している。

向かっている先は、八十九人が取り残されている採掘場だ。


「空腹を満たすためか、別の理由かはわからん。だが、間違いなくあそこへ向かっている」


クレティさんの低い声が響く。 敵の進行が始まった。 猶予は完全に消滅したのだ。


ユミィがモニターの前に進み出た。


「ウィリディチの最終調整は、まだもう少しかかります。」


真剣な顔で報告するユミィに向かって、クレティさんが深く頷く。


「よくやってくれている。徹夜での作業、本当に感謝するぞユミィ」


ユミィが力強くはいと答える。

そして、一礼をしてから再び格納庫へ向かって駆け出していった。


クレティさんが俺たち三人へ向き直る。


「シルヴィア、ラキ坊、ヒカリ坊。三人とも自分の機体に向かえ。出撃準備だ」


俺とラキ、そして少しだけ目が覚めた様子のシルヴィアさんが同時に頷く。

艦橋を出ようと背を向けた時だった。


「ヒカリ坊、少し待て」


クレティさんの重い声に呼び止められる。

俺は立ち止まり、振り返った。

他の二人は先に廊下へ出ていく。 艦橋には俺とクレティさんだけが残された。


クレティさんが俺の目の前まで歩み寄る。

大きな手が、俺の肩をガシッと力強く掴んだ。確かな熱と重みが伝わってくる。


「お前にとっては、これがアヴェントゥラとしての初実戦だ」


クレティさんの鋭い目が、俺の目を真っ直ぐに射抜いた。

その視線に込められた期待と信頼が、痛いほどに伝わってくる。


「お前のコードはアヴェン5だ。」


アヴェン5。

その響きが、俺の耳から脳の奥へと真っ直ぐに突き刺さった。

記憶のない空っぽだった俺が、この船で確かな居場所と名前をもらった証だ。


「アヴェン5。了解した」


自分の声が、少しだけ震えていたかもしれない。

胸の奥底で、熱い炎がボワッと音を立てて燃え上がるのを感じた。

全身の血が急激に熱を帯びて駆け巡る。 俺はクレティさんに力強く頷き返し、機体が待つ格納庫へ向かって走り出した。


ーーーーーーーーーーーー


狭く薄暗いコクピットの中。

俺は指定されたシートに深く腰を下ろし、両手で左右の操縦桿を強く握りしめた。

ひんやりとしたグリップの金属の感触が、手のひらにかいた汗をゆっくりと吸い取っていく。

足元では、機体の脚部を制御するためのペダルに両足をしっかりと乗せた。

軽く踏み込むと、微かな駆動音が足の裏から小刻みに伝わってくる。

ユミィの機体の整備は完璧だ。


正面のメインモニターには、薄暗い格納庫の光景が映し出されている。

母艦チュラクシスから機体を発進させるルートには、二種類あると事前に説明を受けていた。

敵の真上から直接降下して奇襲をかける近距離降下用ルート。

そして、遠く離れた空域から一気に前線へ機体を撃ち出す長距離射出用ルートだ。


今回は事態が急変し、敵である巨大なリノセロスがすでに採掘場へ向かっている。

少しでも早く現場への距離を詰めるため、俺たちは長距離射出用のカタパルトを使うことになった。

長距離射出用のレールは一本しかない。 必然的に、機体は一機ずつの発進になる。


「アヴェン3。フラウスレイ。シルヴィア」


艦内通信から、シルヴィアさんのコールが響いた。

モニターの奥で、黄色と漆黒の装甲を持つフラウスレイが射出レールの上にガッチリと固定される。


「出るわよ」


シルヴィアさんの短く落ち着いた声が通信帯に流れた。

直後、爆発的な轟音と共にフラウスレイが夜空へ向かって一直線に撃ち出された。

全く無駄のない、流れるような発進だ。

ついさっきまで寝起きでモニョモニョしていた姿からは全く想像もつかない。

戦場に出た瞬間に空気が鋭く切り替わる、本物のプロの背中だった。


レールに冷却ガスが勢いよく吹き付けられ、白い煙が格納庫を満たす。

煙が晴れると同時に、次の機体がレールへ進み出た。


「アヴェン4。ギエルレウ。ラキ」


ラキの声がスピーカーから響く。


「行くで」


通信機から、こいつのニヒルで少し面倒くさそうな声が聞こえてきた。

だが、その操縦に迷いは一切ない。

ギエルレウの足元がレールにロックされ、駆動部が赤く発光する。

轟音と共に、機体が猛烈な速度でモニターの視界から消え去った。

口では文句を言いながらも、やる時は完璧にこなす奴だ。 残されたカタパルトの高熱が、俺のコクピット越しにも伝わってくるようだった。


次はいよいよ俺の番だ。 ゴクリと喉の奥で唾を飲み込む。

これがアヴェントゥラの一員としての、俺の初任務になる。

はるか先の採掘場の底には、餓死寸前の八十九人の命が残されているのだ。 絶対に失敗は許されない。


記憶のない空っぽの俺にとって、確かなものはこの機体を動かす技術だけだ。

自分の存在を証明できるのは、この手で握る操縦桿と、足元で踏み込むペダルしかない。

俺は両手足にグッと力を込め、機体をレールへと進ませようとした。


ピピッと、コクピット内に聞き慣れない電子音が鳴った。

全体通信ではない。 特定の相手とだけ繋がる、一対一の秘匿通信のサインだ。


「気負いすぎるな」


スピーカーから聞こえてきたのは、クレティさんの低く落ち着いた声だった。

俺は思わず目を見開く。 通信はそれだけを告げて、プツリと途絶えた。


俺は大きく息を吸い込み、ゆっくりと長く吐き出した。

わざわざ秘匿通信を使ってくれた理由が、痛いほどよくわかる。

ユミィやラキ、シルヴィアさんに聞こえる全体通信で励まされれば、俺が変に気を遣われたり、ラキにからかわれたりするかもしれない。

そんな俺の性格をわかった上で、誰にも聞こえないように配慮して背中を押してくれたのだ。


胸の奥底で燃えていた炎が、静かに、そして確かな熱を持って全身へ広がっていく。

無意識に強張っていた肩の力がスッと抜けた。

もう迷いはない。 俺は操縦桿をしっかりと握り直し、出撃の合図を待つために正面のモニターを真っ直ぐに見据えた。


「アヴェン5。ルベルジンカミシモ。ヒカリ」


艦内通信から、自身の張り詰めた声が響き渡った。

俺は気づく。これは単なる発射機体とパイロットの最終確認作業じゃない。


今から死地へ向かうパイロット自身が、腹を括り、気合いを入れるための儀式なのだ。

自分の名前と機体名をはっきりと口に出すことで、全身の細胞が戦いへと一気に切り替わっていくのがわかった。


「出撃っ」


俺は両手で握った操縦桿にギュッと力を込め、腹の底から短く叫んだ。


ガコンッ。

足元のペダルから、巨大なロックが外れる重い振動が伝わってくる。

直後、背中をシートに強く叩きつけられるような凄まじいGが全身を襲った。

ルベルジンカミシモの分厚く重い装甲が、長距離射出用のカタパルトに乗って猛烈な速度で押し出される。

視界のメインモニターに映る格納庫の景色が、一瞬で後ろへと吹き飛んでいった。

ゴォォォォッという鼓膜を破るような轟音がコクピットを包み込む。

夜の暗闇の中へ、俺の機体は一直線に撃ち出された。


夜空を切り裂くような速度で、機体は空を滑空していく。

モニターには、星明かりに照らされた砂漠の景色が高速で流れていた。

シートに押し付けられたまま、俺は深く息を吐き出す。


気負いすぎるな。 先ほどのクレティさんの言葉が、頭の中でリフレインした。

そうだ。俺一人で八十九人を救うわけじゃない。

肩の力を抜き、頭を冷やす。


だが、胸の奥で燃える決意の炎だけは絶対に絶やさない。

空っぽの俺が、ここで確実に自分の役割を果たすんだ。

操縦桿を握る手に、もう一度静かな力を込めた。

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