11話:Silent Blade ~静寂の凶刃~
暗い空に放り出された瞬間、強烈な重力が全身をシートに押し付けた。
私は操縦桿を軽く握り直し、ゆっくりと深呼吸をする。
戦艦チュラクシスのカタパルトから射出されたフラウスレイは、夜の砂漠の上空を滑空していた。
メインモニターには、星明かりに照らされた銀色の砂の海がどこまでも広がっている。
冷ややかな夜気が、機体の装甲を鋭く撫でる音が微かに聞こえた。 私は足元のペダルを浅く踏み込み、スラスターの推力を丁寧に絞る。
落下軌道に入り、目標である採掘現場から少し離れたポイントへと機体を導いた。
地表が急速に迫ってくる。 私は両足に力を込め、着地の衝撃に備えた。
地面に触れる寸前、ペダルを深く踏み込んで逆噴射をかける。
関節に仕込まれた網目状の装甲が柔軟にしなり、機体の重さと落下速度を完全に吸収した。
音もなく、フラウスレイの尖った足先が砂の上に降り立つ。 砂煙すらほとんど上がらない着地だった。
「さて、と。ここからが本番ね」
私は誰に聞かせるでもなく、小さな声で呟いた。
狭いコクピットの中には、コンソールの放つ淡い青緑色の光だけが満ちている。
空調の微かな動作音と、自分自身の静かな呼吸音。
いつもの、私だけの仕事場だ。 私は右手で操縦桿の側面にあるスイッチを弾いた。
フラウスレイの頭部に搭載された高感度センサーが目を覚ます。
モニターの視界が一変した。
ただの暗い砂漠だった風景に、無数の情報が重なって表示される。
熱源反応を示す赤い波形。 風の向きと強さを表す青い矢印。
地下の微小な震動を拾う緑色のグリッドライン。
この機体の目は、夜の砂漠に隠されたどんな小さな変化も見逃さない。
私はペダルを慎重に操作し、機体を前傾姿勢にした。 ゆっくりと、すり足で砂の上を進み始める。
周囲には、身を隠すような岩場も木々もない。
月の光が降り注ぐ、見渡す限りの開けた砂漠だ。
隠密行動に特化したこの機体でも、視界を遮るものがない場所では分が悪い。
見晴らしが良いということは、敵からもこちらが丸見えということだ。
あまり意味はないかもしれないけれど、決して油断はできない。 私は砂丘の影に沿うように、少しでも機体を低くして歩みを進めた。
周囲の地形を丁寧に探る。
足の裏から、砂を踏みしめる柔らかな感触がペダルを通して伝わってくる。
時折、冷たい夜風が砂を巻き上げ、機体の装甲をサラサラと叩いた。
私はモニターの端に表示されたレーダーから目を離さない。 あの二人の少年、ヒカリくんとラキくんは、今頃クレティさんにしごかれているはずだ。
彼らが本番で動けるように、私が道を作っておかなければならない。
「可愛い後輩たちのために、少しはお膳立てをしてあげないとね」
自然と口角が上がる。 危険な場所を一人で歩いているというのに、不思議と気分は悪くなかった。
アヴェントゥラのみんなは、みんなどこかネジが飛んでいる。
私もその一人だということだろうか。 私は操縦桿を握る手に少しだけ力を込めた。
砂丘をいくつか越えた時だった。
高感度センサーが、微小な異常を拾い上げた。 モニターの右斜め上の空間に、小さな赤い光点が点滅している。
私は即座に足元のペダルを離し、機体の動きを完全に止めた。 砂の上にしゃがみ込むように姿勢を低くし、操縦桿のトリガーに指をかける。
赤い光点は一つではない。 二つ、三つと、暗い空の中で不規則に揺れ動いている。
私はセンサーの指向性を高め、その方向の映像を拡大した。 ノイズ混じりの画面がクリアになり、目標の姿をはっきりと映し出す。
月の光を浴びて鈍く光る、金属の翼。 長く伸びた首と、鋭い牙を持つ顎。
小型の飛行竜型のアルヴィアだ。
空中で羽ばたく動きに合わせて、ギシギシという金属が軋む不快な音が集音マイクを通して耳に届いた。
奴らは一定の空域を旋回しながら、地上の様子を監視しているようだ。
私は息を潜め、モニター越しの獲物を見据えた。 距離はまだ少しある。
だが、確実に私の射程圏内に入りつつあった。
さて、どう料理してやろうか。
私は静かに操縦桿を引き絞り、フラウスレイの右腕をゆっくりと腰の横へ動かした。
腰のクナイを引き抜く準備を整えながら、獲物の動きをじっと観察し続けた。
モニターに映る赤い光点は三つ。
一定の距離を保ちながら、規則的に夜空を旋回している。
私は視線を鋭くした。 こんな夜に空を飛んでいる理由は何だろう。
本隊の周辺を警戒するための、ただの斥候か。 それとも、奴ら自身が夜行性の生態を持っているということか。
もし夜行性だとしたら、最悪の事態だ。
暗闇に紛れて攻撃をかけるという、クレティさんの立てた作戦が根底から覆ってしまう。
相手が夜に最も活発に動くのなら、こちらはただの格好の的だ。
その情報が確定したなら、今すぐに撤収して作戦を練り直すべきだ。
人の命がかかっている以上、無駄な博打は打てない。
だが、まだ断定はできない。
私は操縦桿から少しだけ手の力を抜き、深く深呼吸をした。 偵察を続行する。
足元のペダルを微調整し、機体の姿勢を限界まで低く保つ。
フラウスレイの黒と黄の装甲を、砂丘の暗い影に完全に溶け込ませた。
じっと息を潜める。 空調の微かな動作音と、マイクが拾う夜風の音だけがコクピットに響いていた。
冷たい砂漠の空気が、機体の外側を撫でていくのを感じる。 数分が経過した。 モニターの中の動きに、小さな変化があった。
上空を滑空していた三機のうち、一機がゆっくりと高度を下げ始めたのだ。
そのまま砂漠の地表に降り立つ。 長い首を丸め、羽を休めるようにうずくまった。 まるで眠りにつくかのような動きだ。
私は視線を上空に向けた。 残りの二機は、地上に降りた一機を気にする様子もない。 ただ同じ軌道を、機械的に飛び続けている。
チャンスだ。 私は足元のペダルを、つま先でそっと押し込んだ。 フラウスレイが滑るように前進を始める。
網目状の関節装甲が、砂の摩擦音を完全に殺している。 背後から、影のように忍び寄る。
距離がぐんぐんと縮まっていく。
三十メートル。 二十メートル。 十メートル。
地表にうずくまるアルヴィアは、全くこちらに気付いていない。
私は右手の操縦桿の側面にあるスイッチを弾いた。
腰のロックが外れるカチリという小さな音が鳴る。
操縦桿を捻りながら、素早く手前に引いた。
フラウスレイの右手が滑らかに動き、漆黒のクナイを引き抜く。 柄の底にある菱形の輪に指を引っかけ、逆手で構えた。
一気にペダルを奥まで踏み込む。 スラスターは使わない。
機体の脚力だけで、無音の跳躍をした。 獲物の背後にピタリと着地する。 左の操縦桿を鋭く前に押し出した。
フラウスレイの左腕が伸びる。
アルヴィアの硬い金属の顎を、背後から下へ向けて強く押さえつけた。
悲鳴を上げる隙は与えない。 右の操縦桿を横へ薙ぎ払う。
黒い刃が、アルヴィアの首の関節の隙間に滑り込んだ。
抵抗らしい抵抗はなかった。
鋭利な刃が、太い金属のケーブルと駆動系を完全に切断する。
ゴリッという嫌な感触が右手に伝わった。 アルヴィアの全身から、一瞬だけ青い火花が散る。
直後、その体は完全に力を失った。 糸が切れた操り人形のように、砂の上に崩れ落ちる。
一切の声も音も出させない。 静寂に包まれたままの、完璧な撃破だった。
モニターの端で、規則的に動いていた二つの赤い光点が軌道を変えた。
上空を旋回していた小型アルヴィアたちが、地表の異変に気付いたのだ。
仲間が完全に沈黙したことを察知したらしい。
金属の翼が空気を叩く音が、集音マイクを通してコクピットに響く。 二機は迷うことなく、一直線にこちらへ向かって降下を始めた。
単調で、あまりにも分かりやすい動きだ。 私はバイザーの奥で、自然と口角を上げた。
「ラッキーね」
暗いコクピットの中で、小さく呟く。
奴らがこのまま背を向けて逃げ出していたら、少しばかり厄介なことになっていた。
逃げた先には、親玉である大型のアルヴィアがいるはずだからだ。
リノセロス。 あの巨大で分厚い装甲の塊に合流されて警戒度を上げられれば、私だけでは太刀打ちできない。
逃げる連中を始末するためにも、もっと火力の高い、奥の手を使わざるを得なくなる。
今回のミッションの第一目標は、この辺りをうろつく小型アルヴィアを可能な限り削ることだ。
そして採掘現場にいるはずの作業員とコンタクトを取り、現状の正確な情報を引き出す。
だが、それで終わりではない。 その先には、本命であるリノセロスとの戦闘が間違いなく控えている。
クレティさんラキくんヒカリくんたちが到着する前に、私が少しでも状況を有利にしておかなければならない。
だからこそ、機体の心臓部であるツァイトモーターの出力はギリギリまで温存する必要がある。
本戦の前にエネルギーを無駄遣いするわけにはいかないのだ。
私は足元のペダルを軽く踏み込み、砂の上で機体の重心をわずかに後ろへずらした。
フラウスレイの尖った両足が、しっかりと地を掴む。
カチリと小さな音が鳴り、二本目の漆黒の短剣を引き抜く。 両手に逆手で構えた黒い刃が、モニターの淡い青緑色の光を鈍く反射した。
目標が迫る。
三十メートル。 二十。
私は両足のペダルを一気に奥まで踏み込んだ。 機体がバネのように弾け、その場で鋭く身を沈める。 同時に、左右の操縦桿を前方へ向かって力強く振り抜いた。
フラウスレイの両腕が空気を裂く。 手放された二本の短剣が、音もなく夜の闇を突き進んだ。
一直線に飛来していたアルヴィアたちは、避ける動作すら見せなかった。
黒い刃が、二機の首の付け根に全く同時に突き刺さる。
硬い装甲を深く貫く、鈍い破砕音がマイクに響いた。 青白い火花が空中で激しく散る。
二機のアルヴィアは羽ばたく力を失い、そのまま重力に引かれて砂漠へと墜落した。
ズシンと腹に響く音を立てて、銀色の砂煙を上げる。 それきり、二度と動くことはなかった。
我ながら見事な同時撃破だ。 私は操縦桿から少しだけ手の力を抜き、ふうっと息を吐き出した。
ツァイトモーターの消費は最小限に抑えられている。 上出来だ。
操縦桿の側面にあるスイッチを再び弾く。
戦闘のために一時的に指向性を絞っていた高感度センサーを、広域の最大稼働状態に戻した。
モニターの視界が再び切り替わる。 熱源反応、風の向き、地下の微小な震動。 膨大な環境データが、緑色のグリッドとなって網膜に流れ込んでくる。
私はペダルを浅く踏み込み、フラウスレイを再び滑らかな歩行姿勢に戻した。
周囲に新たな赤い光点はない。 だが、警戒を解くにはまだ早すぎる。
私は広大な砂の海を見据えながら、静かに機体を進めた。 闇夜に紛れた探索は、まだ始まったばかりだ。
足元のペダルを踏み込む力を、少しだけ緩めた。 フラウスレイの尖った足先が砂を掴む感触が、足の裏にダイレクトに伝わってくる。
視界の先に、巨大なすり鉢状の地形が浮かび上がった。 目的地のツァイト鉱石採掘現場だ。 私は機体の重心を落とし、砂丘の稜線に沿って腹ばいになるような姿勢をとった。
センサーの映像を最大まで拡大する。 すり鉢の底には、重機や人工的な建造物の影がいくつか確認できた。
だが、警戒していた巨大な熱源反応は見当たらない。
ブリーフィングで確認した、二体のリノセロス。
そして、上空を覆い尽くしているはずの小型アルヴィアの群れ。 そのどちらの姿も、今のところ私の視界には入ってこなかった。
私は右手の操縦桿からそっと指を離した。 フロントコンソールを素早く叩く。
現在の採掘場の正確な座標と、先ほど小型を三機沈めた会敵ポイントのデータを記録していく。
緑色の文字列がモニターの隅に滝のように流れ、機体の記憶領域に暗号化されて保存された。
さて、ここからどう動くべきか。 私はペダルから両足を離し、完全に機体の動きを停止させた。
選択肢は二つある。 すぐにすり鉢の底へ降りて、作業員たちと通信を試みること。 それとも、姿の見えない小型アルヴィアの索敵と排除を優先すること。
答えを決めた。
私はコンソールから手を戻し、左右の黒い操縦桿を静かに握り直した。
優先すべきは、小型の排除とリノセロスの捜索だ。
もし今、迂闊に採掘場へ近づいて奴らに見つかればどうなるか。
巨大な砲門を持つ二体のリノセロスと、身を隠す場所のない窪地の底で正面から撃ち合うことになる。
それは絶対に避けなければならない最悪のシナリオだ。
闇に潜む者の鉄則がある。
それは、何があっても生きて情報を持ち帰ることだ。
敵を何十体倒そうが、途中で自分が破壊されてしまえば全ては水泡に帰す。
私がここで死ねば、敵の正確な配置も、採掘場の生存状況も、後から来るみんなには伝わらない。 情報を持ったまま砂に還ることは、最大の任務放棄だ。
だから私は、決して光の当たる表舞台には立たない。
誰にも気づかれず、影から影へと渡り歩く。 自らの呼吸を殺し、足音を消し、夜の暗闇そのものになる。
それが私の選んだ戦い方であり、この特注機の存在意義だった。
熱い血潮に任せて正面から突撃するのは、クレティさんヒラキくんやヒカリくんのような不器用な英雄たちの役目だ。
私の仕事は、彼らが全力で暴れ回るための完璧な舞台を裏で整えること。
見えない糸を張り巡らせて、敵の退路を断ち、真綿で首を絞めるように確実に追い詰める。 そのために、私は一切の感情を捨ててただの冷たい石ころになる必要がある。
私は視線を、再び広大な砂漠へと向けなおした。
リノセロスが姿を見せない理由を考える。 相手は金属を喰らうバケモノだ。 視覚や聴覚だけでなく、もっと別の感覚に優れている可能性がある。
例えば、匂いだ。 ツァイト鉱石の匂いや、稼働するマシンの排熱に混ざる金属の匂いを嗅ぎ分けているのかもしれない。
確証はないし、仮説を裏付けるデータもない。
だが、生き残るためには最悪の可能性を常に考慮しておくべきだ。
私は右手の親指で操縦桿のスイッチを弾き、大気の流れを視覚化するモードに切り替えた。
モニター上に、風の向きを示す青い矢印が何本も浮かび上がる。 冷たい夜風は今、採掘場の方角からこちらに向かって吹いていた。
私は両足のペダルを慎重に操作し、フラウスレイをゆっくりと横へスライドさせた。
完全に風下となる位置取りへ移動を開始する。 これで、こちらのマシンの匂いが風に乗って奴らに届く可能性を減らす。
右足のペダルを微調整し、より影の濃い岩場へと機体を滑り込ませた。 コクピットの空調が微かに作動する音を聞きながら、私は次の獲物を探して感覚を限界まで研ぎ澄ませた。
風下からの接近は正解だった。
足元のペダルをミリ単位で調整し、機体を砂丘の陰に深く滑り込ませる。
フラウスレイの網目状の関節が、音もなく砂の斜面に馴染んだ。
視界の端で、メインモニターの緑色のグリッドが微かに波打つ。 私は右の操縦桿から片手を離し、フロントコンソールのダイヤルを回した。 センサーの感度をさらに一段階引き上げる。
ノイズの向こう側に、圧倒的な熱源反応が浮かび上がった。 採掘場の縁にあたる巨大な岩の陰だ。 私は息を止め、映像を最大までズームした。
青白いフィルター越しに、分厚い鋼鉄の塊が見える。 天を衝くような巨大な一本の角。
背中に砲塔。 間違いない。
サイ型アルヴィア・リノセロスだ。
巨獣は四本の太い足を折りたたみ、砂の上に腹をつけていた。
背中の排気口から、陽炎のような熱気が規則的に立ち上っている。
重く低い駆動音が、集音マイクを通してコクピットに響いた。 休眠状態だ。 完全に眠っている。
その周囲には、五機ほどの小型アルヴィアが寄り添うようにうずくまっていた。
これもまた、動く気配は全くない。
胸の奥で、ドクンと心臓が大きく跳ねた。
見つけた。 獲物の無防備な寝首を掻ける絶好の状況だ。
全身の血が熱を帯び、指先が微かに震えるのを感じる。 私は無意識のうちに、左右の操縦桿をきつく握りしめていた。
いけない。
私はすぐに奥歯を噛み締め、両手からスッと力を抜いた。
熱狂は暗殺者にとって最大の敵だ。 冷たい夜風の音に耳を澄ませ、ゆっくりと深く息を吐き出す。
ペダルに乗せた足先に意識を集中し、機体の重心を保ち直す。 頭の中を冷や水で洗い流すように、思考をクリアに戻した。
冷静になってモニターの映像を再度確認する。 緑色の光が示す熱源の数を、もう一度正確に数え直した。
おかしい。 私は思わず眉をひそめた。
リノセロスの熱源は、目の前にある一つだけだ。
周囲のどこを探しても、二体目の巨大な反応は見当たらない。
ギルドの事前情報でも、クレティさんの作戦会議でも、リノセロスは二体いるはずだった。
私は左の操縦桿を小さく倒し、センサーの走査範囲を採掘場の反対側まで広げた。
だが、結果は同じだ。 もう一体の巨獣は、完全にこの場から姿を消している。
なぜだ。 私は暗いコクピットの中で、一人問いかけた。
この窪地のどこか、センサーの届かない地下深くで眠っているのだろうか。
いや、それにしては不自然だ。 姿の見えないもう一体は、どこか別の場所を見回りでもしていると考える方が理にかなっている。
そこまで考えて、私はハッと気がついた。 目の前で丸くなっている小型のアルヴィアたちを見る。 奴らは完全に警戒を解き、親鳥に寄り添う雛のように眠りこけている。
私たちは大きな勘違いをしていたのかもしれない。
機動力のある小型の飛行竜が斥候や索敵の役割を担い、重装甲の大型機が本陣を守る。
それが私たちの想定していた通常の戦術だ。 だが、目の前の光景は違う可能性も示唆している。
小型が本陣で眠り、大型が単独で暗闇の中を動き回っている。
だとしたら、奴らの生態や指揮系統は、作戦会議で立てた前提から大きく外れていることになる。
背筋に冷たいものが走った。 ここにいないもう一体のリノセロスは、今どこで何をしているのか。
もしかすると、すでにこちらの侵入を察知して、逆に狩りに出ているのではないか。
私はペダルを踏み込む足に力を込め、フラウスレイの背後に広がる暗闇へと鋭く視線を走らせた。
モニターの緑色の光を見つめながら、私は頭の中で情報を整理した。 巨大なリノセロスが一体だけ欠けている。 その理由として、今の段階では三つの仮説が考えられる。
一つ目。 いなくなった一体は獲物を探して遠くまで狩りに出ている。 目の前で腹を見せて眠っているリノセロスと小型の群れは、単に満腹になって休憩しているだけという可能性だ。
二つ目。 奴らはこのエリアを完全に自分たちの巣として作り上げた。 そして、姿の見えない一体は巣の周辺を警戒するための見回りをしている。
三つ目。 小型のアルヴィアたちは、見張りや斥候の役割を全く持っていないという仮説だ。 奴らは巨大なリノセロスのおこぼれ、つまり餌の残りを狙ってただくっついているだけ。
共存共栄の関係ですらない。 だからこそ、警戒の役割を持たない小型たちは無防備に眠りこけている。 そして、欠けた一体のリノセロスは単独で暗闇をうろついている。
思考が泥沼にはまっていくのを感じた。
仮説をいくら立てたところで、今の私にはそれを裏付ける証拠も手段もない。
情報が足りなすぎるからだ。 このまま考え続ければ、不安と迷いが指先の動きを鈍らせる。
私は目を閉じ、小さく息を吐き出した。 頭のスイッチを切り替える。
一度、左右の操縦桿から完全に両手を離した。 足元のペダルからも力を抜く。
コクピットの中に満ちる、空調の微かな冷気だけを肌で感じ取った。
深く、冷たい空気を肺の奥まで吸い込む。 そして、ゆっくりと吐き出した。 目を開く。 画面に映る赤い熱源の光だけを、網膜に焼き付けた。
余計な思考は全て捨てる。
見えない敵の影に怯えるのは三流のやることだ。
私の仕事は、目の前にある確実な脅威を一つずつ消していくこと。 今はそれだけでいい。
私は再び、左右の操縦桿を指先で包み込むように握り直した。
冷たい金属の感触が、手のひらから脳髄へと直接伝わってくる。
足元を探り、ペダルの最適な位置につま先を乗せた。
フラウスレイの全身に、私の神経が再び接続されていく感覚があった。 迷いは完全に消え去った。
今やるべきことは明確だ。
あの巨大なリノセロスに気付かれることなく、周囲で眠る小型のアルヴィアたちを全て破壊する。
音を立ててはならない。 振動も起こしてはならない。
私は右足のペダルを、紙一枚の薄さで踏み込んだ。
フラウスレイの右足が砂の上を滑る。機体が限界まで身を低くし、影の中を這うように前進を始めた。
関節の網目状の装甲が、砂の粒を押し潰す音さえも吸収していく。
標的は五機。 リノセロスの巨大な背中のすぐ傍で、塊のように丸まっている。 距離を詰める。
巨大なリノセロスの排熱の匂いが、空調のフィルター越しにコクピットへ入り込んできた。
焦げた鉄と、鼻をつく硫黄のような匂いだ。 リノセロスは低い駆動音を鳴らしながら、完全に沈黙している。 小型たちも動かない。
私は両足のペダルを固定し、機体を完全に停止させた。
右の操縦桿を捻り、腰に手を伸ばす。 カチリ。 極小のロック解除音が鳴る。
黒い刃を持つ短剣を引き抜いた。
リノセロスの放つ巨大な熱源反応をモニターで睨みつけながら、私は頭の中で冷静に敵の能力を分析していた。
生物学上の知識として、サイという動物は極めて視力が弱いとされている。
分厚い皮膚と巨大な角を持つ代わりに、目は退化しているのだ。
だが、目の前にいるのはただの動物ではない。 金属を喰らい、自己進化を遂げる機械のバケモノだ。
先日、ラキくんから共有された情報を思い出す。 蜂型のアルヴィアが、他の機械のパーツを取り込み視力を強化していたという話だ。
ならば、このリノセロスも同じだ。
過去にこの砂漠で倒された傭兵の機体から、高性能な光学センサーやカメラの部品を捕食し、自らの眼球として組み込んでいる可能性は十分にある。
あの分厚い装甲の奥に、暗闇の砂粒一つまで見通す恐ろしく精巧な目が隠されているかもしれないのだ。 死角を突けるという甘い考えは、今すぐ捨てるべきだ。
視覚が鋭いならば、聴覚はどうだろうか。
あれほどの巨体だ。 少々の音には鈍感である可能性もある。
だが、隠密ミッションにおいて希望的観測は死を招く。 私はリノセロスが音に対しても異常なまでに敏感であると仮定し、思考をさらに一段階深く潜らせた。
ここでもう一つ仮説を立てる。
体の大きさと、音に対する反応の感度の違いだ。
例えば、象とネズミを想像する。 巨大な象のすぐそばで木の枝が折れても、象は耳を少し動かす程度で済むだろう。
巨大な質量を持つ生き物にとって、小さな音の振動は自身の体を揺るがすほどの脅威にはならないからだ。
だが、小さなネズミなら全く違う。 ネズミにとっての小さな音は、己の小さな体を丸ごと叩き斬るような爆音として響くはずだ。
物理的な質量が小さい生き物ほど、周囲の微細な音や空気の震えを過剰なまでに拾い上げる。
わずかな環境の変化に即座に反応しなければ、天敵から逃れることができないからだ。
つまり、生存本能の根幹において、小型の生き物の方が圧倒的に音に敏感にできている。
この法則は、アルヴィアのような機械生物にも当てはまるはずだ。
私はその仮説を実証するため、静かに動き始めた。
左の操縦桿をゆっくりと前方へ押し出す。
フラウスレイの左腕が、暗闇の中で音もなく持ち上がった。
右手近くの砂の海には暗殺用のクナイを刺している。 標的が動けば、即座にその首を刎ね飛ばすための準備だ。
同時に、足元のペダルを微かに踏み込み、機体の重心を前下がりへと移動させる。
フラウスレイが滑らかに身をかがめ、右手を下へと伸ばした。 マニピュレーターの指先にある触覚センサーが、周囲の地形のデータを拾い上げる。
冷たい砂の感触に混じって、一つの硬い手応えがあった。 手頃な大きさの石だ。
私は操縦桿のグリップを握る指先の圧力を、ミリ単位で調整した。 フラウスレイの金属の指が、石を砕かないように優しく包み込む。
ペダルを踏む足に力を込め、機体の姿勢を投擲のフォームへと固定した。 狙うのは、巨大なリノセロスの背中から一番遠く離れた位置で丸まっている、端の小型竜だ。
飛行できる生き物は、予期せぬ驚きや未知の脅威を感じた時、どう動くか。
答えは明白だ。 まず間違いなく、空へ飛ぶ。
羽ばたいて物理的な距離を取り、安全な上空から状況を把握しようとするのが本能だからだ。
私は右の操縦桿を軽く手前に引き絞り、スナップを効かせるようにして鋭く前方へ押し出した。
フラウスレイの右腕が夜の闇を切り裂く。 破壊するための全力の投擲ではない。 ただコツンと当てるだけの、緻密に計算し尽くされた極めて軽い軌道だ。
放たれた石は空中で緩やかな弧を描いた。 風切り音すら立てない。
そして、一番端で眠る小型アルヴィアの硬い金属の背中に、正確に命中した。
カツン。
乾いた小さな音が、砂漠の夜風に微かに混ざる。 次の瞬間。
石を当てられた小型竜の体が、ビクリと大きく跳ねた。
畳まれていた金属の翼が弾かれたように開き、空気を叩く。少しの羽音が響いた。 小型竜は一瞬にして砂漠の空へと飛び立ったのだ。
予想通りだった。
小型アルヴィアが宙に舞い上がった瞬間。 私は既に前方へ向けていた左の操縦桿のトリガーを、深く引き絞った。
フラウスレイの左腕、手首の装甲が滑らかにスライドして開く。
射出の爆発音はない。
弾けるような鋭い音だけを残し、極細の黒いワイヤーが夜の闇を一直線に突き抜けた。
ワイヤーの先端に備えられた特殊な鉤爪が、上空で暴れる小型竜の金属の胴体に深く食い込む。
確かな手応えが、操縦桿を通して左手に伝わった。 獲物を捉えた。
私は左の操縦桿を、力任せに手前へと引き寄せる。 同時に、両足のペダルを強く踏み込んで機体の重心を大地に固定した。
凄まじい張力がフラウスレイの左腕にかかる。
空へ逃げようと羽ばたいていた小型アルヴィアの体が、強引に私の手元へと引きずり下ろされた。
左の操縦桿を鋭く下へ押し込んだ。 ワイヤーを巻き取りながら、フラウスレイの左手が小型竜の頭部を乱暴に鷲掴みにする。
そのまま冷たい砂の地面へ、体重をかけて力一杯押さえつけた。
小型竜の金属の顎が、深く砂に埋もれる。 仲間を呼ぶ悲鳴を上げる隙すら与えない。
右の操縦桿を、横へ鋭く薙ぎ払った。 逆手に構えた漆黒の短剣が、夜の空気を切り裂く。
息を呑む暇もない。
硬い金属の首の関節を、黒い刃が背後から音もなく切断した。
青白い火花が砂の上に激しく散る。 小型アルヴィアは一度だけ大きく痙攣し、完全に沈黙した。
成功だ。 私は短剣を握る右手の力を少しだけ緩めた。
深く息を吐き出し、コクピットの空調の冷気を感じ取る。モニターで、奥の巨大な熱源を素早く確認した。
リノセロスは動いていない。 規則的な排熱の陽炎が揺れているだけだ。 まだ完全に眠っている。
このやり方ならいける。 私は確信を持った。
音を立てずに、群れから一機ずつ引き剥がして確実に始末する。 あの巨大なバケモノが目を覚ますまで、この手順を繰り返して数を減らしていく。
それが、今の私にできる最も確実で安全な戦術だ。
私はペダルを踏む足先の力を調整し、フラウスレイの姿勢を再び低く保ち直した。
右の操縦桿をゆっくりと動かし、マニピュレーターを砂の表面へと這わせる。 指先の触覚センサーを限界まで研ぎ澄ました。 冷たい砂粒の感触に混じる、硬い手応え。
次の獲物を夜空へ誘い出すための、手頃な大きさの石を探し始めた。
少しずつ、確実に位置を変える。 同じ手順を冷徹に繰り返した。
足元のペダルをミリ単位で操作し、砂の斜面を滑るように移動する。 右の操縦桿で石を拾い、正確な軌道で投擲する。
驚いて飛び上がった獲物を、左腕のワイヤーで引きずり下ろす。 右手の短剣で首を刎ねる。 この完全にシステム化された作業で、さらに二機の小型アルヴィアを砂の海へと沈めた。
残る小型はあと二機だ。 私は両足のペダルを操作し、また少しだけ機体の位置をずらした。 風向きを計算し、最も影の濃い岩場へと潜り込む。
右の操縦桿を動かし、マニピュレーターの指先で砂を探る。 ほどよい重さの石を見つけた。 機体の姿勢を低く固定し、投擲のフォームに入る。
狙いを定め、右の操縦桿を鋭く押し出した。 石は空気を切り裂き、四機目の背中に命中した。 だが、ここで計算外の事態が起きた。
「ギィィィッ!」
耳障りな金属の悲鳴が、夜の砂漠に響き渡ったのだ。
石を当てられた小型竜が、飛び上がると同時に警戒の鳴き声を上げた。
これまでの三機は全く声を出さなかった。 個体による反応の違いか、あるいは当たり所が悪かったのか。 理由はわからない。
その鋭い声は、致命的な連鎖を引き起こした。 すぐ隣で眠っていた最後の五機目までもが、その声に驚いて跳ね起きたのだ。
二機の小型竜が、同時にバサバサと巨大な金属の翼を広げる。 けたたましい駆動音を立てて、空へと一気に飛び上がった。
最悪のタイミングだった。 メインモニターの端で、緑色のグリッドが激しく波打つ。 巨大な熱源反応が、一気に膨れ上がった。
ズシン、と。 重い振動が、砂を伝わって機体の足元からコクピットへ響いた。
休眠状態だったリノセロスが、完全に目を覚ましたのだ。
分厚い装甲の下で、巨大な機関が唸りを上げる音が聞こえる。 熱い排気が一気に噴き出し、周囲の空気を大きく歪ませた。
考える時間は一秒もない。 私は両足のペダルを限界まで踏み込んだ。 フラウスレイが砂を蹴り上げ、一気に身を起こす。 隠密の時間は終わった。
左右の操縦桿から、親指でスイッチを弾く。
腰から、二本の短剣が同時に射出される。
操縦桿を捻り、それを両手で空中で掴み取った。 機体を急加速させる。 ペダルを深く踏み込み、上方へ向かって力強く跳躍した。
目標は、頭上へ逃げようとする二機の小型竜だ。
空中で姿勢を制御しながら、両腕の操縦桿を大きく後ろへ引く。
そして、全力で前方へ振り抜いた。
黒い双刃が、夜空へ向かって放たれる。 一直線に飛来した短剣は、二機の小型竜の胴体に深々と突き刺さった。
鈍い破壊音。 青い火花が夜空で弾ける。
二機は空中で完全に機能を停止し、重力に従って落下を始めた。
だが、私の攻撃はこれで終わりではない。
空中に放り出された二機の位置を、正確に捉える。
左右の操縦桿のトリガーに、人差し指をかけた。
狙うのは、標的に突き刺さったクナイの柄だ。 その底にある、菱形の大きな輪。
私は両手のトリガーを同時に引き絞った。
フラウスレイの両手首から、ワイヤーが爆発的な速度で射出される。
空気を裂く鋭い音が鳴る。
二本の鋼線は、落下する小型竜を追うように宙を舞った。
そして、短剣の柄にある菱形の輪の底をとらえた。
両手のトリガーを引き絞り、左右の操縦桿を手前へ鋭く引き戻す。
空中に張り詰めたワイヤーが、落下する獲物に突き刺さったクナイだけを強引に引き抜いた。
青黒いオイルを夜風に散らしながら、二本の短剣が私の手元へ戻ってくる。
私は操縦桿を巧みに操作し、空中で柄を掴み直した。
そのまま腰へ滑り込ませる。 カチリと硬いロック音が響いた。
同時に、足元のペダルを操作して着地の姿勢を整える。
フラウスレイの網目状の関節を限界まで柔らかく沈み込ませた。
着地の衝撃と音を完全に殺し、砂の上に降り立つ。 すぐさまペダルを踏み込み、後方へ素早く下がった。
リノセロスから距離を大きく取るためだ。 影の濃い岩陰を縫うように移動し、機体の気配を完全に断ち切る。
ズシン。 少し遅れて、二機の小型アルヴィアが砂の上に落下する重い音が響いた。
落ちた場所は、目を覚ました巨大なリノセロスのすぐ隣だ。 私は岩陰からモニターを覗き込み、息を潜めた。
リノセロスの巨大な頭部がゆっくりと持ち上がる。 「プシュー、フン、フン」 集音マイクが、蒸気を吹き出すような異音を拾い上げた。
鼻息を荒らげるような、くぐもった排気音だ。
突然の騒ぎに対する、警戒の音だろうか。
私は操縦桿をきつく握り直し、いつでも動けるように身構えた。 リノセロスが怒り狂い、周囲への無差別な破壊行動を始めるかもしれないからだ。
だが、私の予想は完全に外れた。
リノセロスは足元に転がった小型竜の無惨な残骸を、チラリと一瞥しただけだった。
巨大な首を左右に振り、周囲を少しだけキョロキョロと見回す。 そこに敵の姿がないと判断したのか、それ以上の興味を全く示さなかった。
太い四本の脚を動かし、のっそりと数十歩だけ別の場所へ移動する。 そして再び砂の上に腹を下ろし、深く低い駆動音を鳴らし始めた。 また眠ろうとしているのだ。
私はモニターの映像を見つめたまま、小さく息を吐き出した。
仲間が目の前で破壊されたというのに、あの巨獣は全く気にとめていない。
怒りも悲しみも、警戒すらも見せない。 ただ、自分の眠りを妨げられたことを疎ましく思い、寝床を変えただけだ。
これで確信した。仲間では無いのだ。
私の立てた三つ目の仮説が濃厚だ。
リノセロスと小型アルヴィアの間に、共存共栄の関係など存在しない。 小型はただ餌の残りを求めて付きまとっているだけの寄生虫だ。
リノセロスにとっては、いてもいなくてもどうでもいい存在なのだ。 だからこそ、やられても怒るという感情が湧かない。
冷たい機械の論理だ。 私は操縦桿から少しだけ手の力を抜き、暗いコクピットの中で自問した。
もし、私があの立場だったらどうだろう。
今、アヴェントゥラで背中を預け合っている仲間たちが、私の目の前で理不尽に命を奪われたとしたら。
豪快に笑って私たちを引っ張ってくれるクレティさん。
いつも一生懸命に私たちをサポートしてくれるユミィ。
斜に構えながらも周りをよく見ているラキくん。
まっすぐで不器用なヒカリくん。
彼らが血を流し、冷たい砂の上に倒れ伏した姿を想像する。
胸の奥で、ドクンと心臓が大きく跳ねた。
視界の端が赤く染まるような錯覚を覚える。
腹の底から、焼け付くような熱い塊が込み上げてくるのを感じた。
あのリノセロスのように、ただ見つめて別の場所へ移動することなど絶対にできない。 喉を切り裂くような絶叫を上げ、自分の命を投げ打ってでも敵の首を掻き切るだろう。
それが例え、どれだけ無謀な戦いであっても。 私の爪が剥がれ、機体が砕け散ろうとも、絶対に許しはしない。
記憶が不意に脳裏をよぎる。
冷たい雨の中、声を失っていった者たちの顔。
その時に感じた、凍りつくような無力感と、自分自身への激しい怒り。 あの時の絶望を、二度と味わうつもりはない。
だから私は、誰よりも冷酷に、誰よりも確実に敵を殺す術を身につけたのだ。
私はゆっくりと深呼吸をした。 肺を満たす冷たい空調の風が、熱くなりかけた頭を少しずつ冷やしていく。
機械には機械の論理がある。 私たちには私たちの感情がある。 それでいい。
怒りを持たない哀れなバケモノを、このまま静かに終わらせてやるだけだ。 私は再び両手でしっかりと操縦桿を握り込み、冷たい視線をモニターの巨影に向けた。
ーーーーーーーーーーーー
私は暗いコクピットの中で、ゆっくりと深く息を吸い込んだ。 空調フィルターを通した冷たい空気が、肺の奥深くまで満ちていく。
ゆっくりと長く息を吐き出す。 その呼吸と一緒に、胸の奥で燻りかけていた熱い感情を全て外へと逃がした。
怒りや感傷は、今の隠密任務には不要なノイズでしかない。 頭の中を冷や水で洗い流し、私は再び完璧な静寂を取り戻した。
左右の操縦桿を握る手に、じんわりと確かな感覚が戻ってくる。 メインモニターの緑色の光に視線を向けた。 状況としては、これ以上ないほどに良好だ。
数十メートル先にある巨大な岩の陰。 そこで丸くなっているリノセロスの熱源は、完全に安定した律動を刻んでいた。
分厚い装甲の背中から、陽炎のような熱気が一定のリズムで立ち上っている。 地響きに似た低い駆動音が、集音マイクを通してかすかに聞こえてきた。
あのバケモノは、完全に二度寝に入ったのだ。
周囲の砂漠に目を凝らす。 私が首を刎ね、ワイヤーで引きずり下ろした五機の小型アルヴィア。
それらはただの冷たい鉄屑となって、砂の上に転がっている。 熱源反応は全くない。 厄介な目と耳の役割を果たす小型竜は、これで全て始末した。
視線を、眼下に広がるすり鉢状の地形へと移す。 切り立った斜面の底に、目的のツァイト鉱石採掘場が静かに横たわっている。
巨大な掘削機やプレハブの建造物が、夜の闇に黒い影を落としていた。
考えるべきことは一つだ。
ギルドの報告にあった、もう一体のリノセロスの存在。 姿を見せないあの一体が、今どこで何をしているのかは分からない。
だが、巨大な脅威が一つ不在である今この瞬間こそが、最良のチャンスとなる。 あの一体が戻ってこないうちに、採掘場へアプローチをかけるべきだ。
私は両足のペダルに意識を集中した。 つま先で慎重に踏み込み、フラウスレイの重心を前傾姿勢に固定する。
そのまま、すり鉢状の斜面を滑り降りるように移動を開始した。
機体の鋭い脚部が砂を捉える感触が、足の裏に細かく伝わってくる。 関節部に施された網目状の装甲が、砂粒同士の摩擦音を完全に吸収している。
不気味なほどの無音を保ったまま、斜面を一直線に降下していった。
月の光を避け、岩の影から影へと渡り歩く。 巨大な暗殺者のように、私は採掘場の底へ向かって忍び寄った。
バイザーの視界の中で、人工的な建造物がどんどん大きくなっていく。 掘り返された冷たい土の匂いと、オイルの混じった鉄の匂いが、空調を通して鼻腔をくすぐった。
採掘場の入り口付近。 そこに放置されていた巨大な掘削機の陰に、フラウスレイの機体を滑り込ませた。
両足のペダルからゆっくりと力を抜き、機体の動きを完全に停止させる。 周囲に動くものの気配はない。
私は左の操縦桿からそっと指を離した。 フロントコンソールに手を伸ばし、通信機器のダイヤルを回す。
ギルドの専用回線から、この周辺一帯のあらゆる通信機器に行き渡るオープンチャンネルへと設定を切り替えた。
スイッチを指先で弾き、マイクの電源を入れる。
私は静かな声で呼びかけた。
「こちらアヴェントゥラのシルヴィア。生存者はいるかしら。聞こえたら応答して」
コクピットの中に、ザザッというわずかな電子ノイズだけが響いた。 私は右手の操縦桿を握り締めたまま、暗闇の奥からの返答をじっと待った。
ザザッ。 硬い電子ノイズに混じって、くぐもった人間の声がスピーカーから響いた。
「こちら採掘場管理区画。アヴェントゥラからの通信を受信した」
張り詰めていた肩の力が、ほんの少しだけ抜けた。
応答があった。全滅という 最悪の事態は免れたらしい。
私は深く息を吐き出し、コクピットの背もたれに体を預けた。
だが、ここで安堵に浸っている時間はない。
フロントコンソールのモニターには、依然として不気味な空白が広がっている。
姿を消しているもう一体のリノセロスが、いつこの場所に帰ってくるか分からないのだ。 私はすぐに姿勢を正し、左手をコンソールのスイッチに伸ばした。
「無事で何よりよ。状況を伝えるわ。二日後、私たちがリノセロスの討伐作戦を開始する。それまで持ち堪えてほしい」
マイクに向かって、簡潔に事実だけを告げる。
無駄な慰めや同情は、今の彼らには必要ない。
私は続けて、右手の操縦桿から指を離さずに三つの質問を投げかけた。
「そちらの情報を確認したいの。救助すべき正確な人数。残りの水と食糧の状況。それに、何か特記事項はあるかしら」
数秒の沈黙があった。 地下の奥深くで、彼らが情報をまとめているのだろうか。
やがて、先ほどと同じく冷静で落ち着いた声が返ってきた。
さすがは向こうも修羅場をくぐり抜けてきたプロの掘削員たちだ。
「了解した。現在の生存者は八十九名。水と食糧は、完全に底を突く寸前だが、なんとか二日は持たせる」
八十九名。 私は暗いコクピットの中で、その数字を頭の中で反芻した。
もし生存者が十人未満であれば、このフラウスレイの装甲に掴まらせて、強引に暗闇の中を離脱する案も頭の片隅にはあった。
だが、八十九人となれば話は全く違う。
全員を一度に安全圏へ運ぶには、私たちの母艦である戦艦チュラクシスを直接この窪地の底へ降下させるしかない。 大規模な救出作戦になる。
「特記事項が一つある。以前に救助を依頼した傭兵たちの機体が、上の砂漠に転がっているはずだ」
通信機の向こうの声が、少しだけ低く沈んだ。
「あのサイのバケモノは、今その残骸を食い漁っている。俺たちの予測だが、あの鉄屑を全て食い尽くせば、次はこの採掘場の施設を狙って降りてくるだろう」
背筋に冷たいものが走った。 リノセロスは満腹で眠っているわけではなかったのだ。
倒した敵の装甲を喰らい、自らの血肉に作り変えている最中だった。
「残骸の量から見て、明日の夜か、遅くとも明後日にはここが襲撃される。二日後の討伐作戦、本当に感謝する。俺たちは生き延びてみせる」
通信はそこでプツリと途絶えた。 私はコンソールのスイッチを切り、静かに両手を操縦桿へ戻した。
彼らの覚悟と感謝の言葉が、耳の奥にこびりついて離れない。 明後日。 それが彼らの命のタイムリミットだ。
私は左右の操縦桿を強く握り直した。 やるべきことの1つは終わった。
あとはこの情報を、確実にみんなの元へ持ち帰るだけだ。 私は両足のペダルに力を込め、フラウスレイの機体をゆっくりと後退させた。
先ほど確認した、眠っているリノセロスの熱源。
その方向に対して斜めの風下の斜面へ向かって、機体の向きを変える。
右足のペダルを深く踏み込み、左足でバランスを取る。 フラウスレイが滑らかな動作で、砂の斜面を登り始めた。
関節の網目状の装甲が、砂の摩擦音を完全に殺している。
私は背後に広がる巨大なすり鉢状の採掘場に一度だけ視線を向けた。 そして、暗闇に包まれた砂漠の海へと、音もなく機体を溶け込ませていった。
ーーーーーーーーーーー
採掘場のすり鉢状の地形から抜け出し、冷たい砂の斜面を登り切った。
ペダルを踏み込む足先の力を緩め、フラウスレイの歩みを静かなすり足へと戻す。
安全圏まで十分に距離を取ろうとした矢先だった。
メインモニターのグリッドが、突如として激しく波打った。
強烈な赤い熱源反応だ。 私は即座に両足のペダルを固定し、機体を巨大な砂岩の陰に滑り込ませた。
フロントコンソールのダイヤルを指先で回し、センサーの焦点を新たな熱源へと合わせる。 青白いフィルター越しに、分厚い鋼鉄の巨影が浮かび上がった。
探していた二体目のリノセロスだ。
ん。 私は思わず、モニターの映像に顔を近づけた。
違和感がある。 左の操縦桿から手を離し、コンソールを素早く叩く。
先ほど眠っていた一体目のリノセロスのデータと、目の前にいる二体目のスキャンデータをモニター上で重ね合わせた。
目の前の個体は、先ほどのものより明らかに一回り巨大だった。
背中の装甲の厚みも、天を衝く角の太さも、巨大な質量を持っている。
なるほど。 私は暗いコクピットの中で一人納得した。
採掘場からの通信で聞いた話を思い出す。
傭兵たちの機体を喰い荒らしていたのは、この巨大な個体だ。 大量の餌を独占していたこちらが、この2匹のボスというわけだ。
アルヴィアという機械生物は、取り込んだ金属をただ自身の追加装甲や武器として再利用するだけではない。
自らの血肉、つまり純粋な栄養として吸収し、機体そのものを成長させて巨大化することもあるらしい。
恐ろしい生態だ。 だが同時に、その果てしない適応能力には素直に感心してしまう。
巨大なリノセロスは、低い駆動音を響かせながらのっそりと砂の上を歩いている。
視覚も聴覚も鈍いのか、岩陰に潜むこちらには全く気づいていない様子だ。
私はこのままやり過ごそうと、ペダルを踏む足の力をさらに抜いた。
だが、状況は突然反転した。
リノセロスの周囲を護衛するように飛び回っていた、数機の小型アルヴィアたちだ。
奴らは高い空から、地上を広く見下ろしている。
飛んでいる分、地上を這う巨大なサイよりも圧倒的に視界が広いのだ。 メインモニターの端で、小さな赤い光点が一斉に不規則な動きを始めた。
空気を切り裂く鋭い羽音が、集音マイクを通してコクピットに響き渡る。
赤い光点が、一直線にこちらへ向きを変えた。
見つかった。 残っていた小型竜の群れが、一気に降下してくる。
私は小さく息を吐き出し、口角を上げた。
「望むところね」
隠密の時間は終わりだ。
私は両足のペダルを一気に奥まで踏み込んだ。
フラウスレイが爆発的な速度で砂を蹴り上げる。 岩陰から月明かりの砂漠へ、機体を大きく躍り出させた。
右の操縦桿を力強く前方へ突き出す。
左の操縦桿を鋭く手前へ引く。
両手に漆黒の短剣が握られた。
上空から三機の小型竜が襲いかかってくる。 鋭い金属の爪が迫る。
私はペダルを微かに緩め、機体を左へスライドさせた。
一撃目を紙一重で躱す。
そのまま左の操縦桿を真上へ振り抜いた。
逆手に持ったクナイが、すれ違いざまに一機目の腹を切り裂く。
青い火花が散る。 間髪入れずに両足のペダルを踏み直した。 砂を蹴り、フラウスレイを空高く跳躍させる。
空中で機体を反転させる。
右の操縦桿を、真下にいる二機目へ向けて真っ直ぐに押し込んだ。
体重を乗せた黒い刃が、敵の頭部を完全に貫く。 鈍い破壊音。
残るは一機。 私は空中で姿勢を制御し、左右の操縦桿のトリガーに指をかけた。
群れの残骸を、この砂の海に全て沈めてやる。
空中で二機目の頭部を貫き、着地の姿勢に入ろうとした瞬間だった。
メインモニターの端で、緑色のグリッドが警告の赤色に反転した。
凄まじいエネルギーの奔流をセンサーが感知している。 出所は目の前の巨大な熱源。 ボスのリノセロスだ。
あの巨大なバケモノは、完全に無関心というわけではなかった。
自身の周辺を飛び回る小型竜の死そのものに思い入れはない。
だが、自分の縄張りで繰り広げられる騒々しい死闘は別だ。
耳元で飛び回る羽虫を疎ましく思うように、明らかな苛立ちを見せたのだ。
分厚い装甲に覆われた巨大な尾が、鞭のように跳ね上がった。
先端の砲身がこちらを向く。
青白い光が砲口に収束していく。 空気が焦げる嫌な匂いが、フィルターを抜けてコクピットに充満した。
私は両足のペダルを、親指の付け根で力一杯押し込んだ。
フラウスレイの両足が空中の姿勢から無理やり砂漠へ着地する。
関節のクッションを限界まで沈み込ませた。
そのまま右足のペダルだけを奥まで踏み抜く。
機体が右後方へ向かって、弾かれたように大きく跳躍した。
直後。 閃光が夜の砂漠を真っ白に染め上げた。
尾の砲身から放たれた極太の熱線だ。
音すらない圧倒的な光の柱が、フラウスレイのいた空間を完全に飲み込む。
熱波が機体の装甲を舐め、コクピット内の温度計が一気に跳ね上がった。
私は空中でさらに両足のペダルを細かく踏み換える。
着地。 砂を削りながら、機体を大きく後退させる。
危険な熱源から一気に距離を取った。
モニター越しに見る砂漠は、熱線の軌道に沿って真っ赤なガラス状に溶け落ちていた。
息を呑む暇もない。
けたたましい羽音が頭上から迫ってきた。 生き残っていた小型竜の群れだ。
巨大な熱線に巻き込まれるのを避けるため、一度上空へ逃げていたらしい。
赤いカメラアイが、暗闇の中で無数に光っている。
明確な殺意だ。 リノセロスの攻撃で生まれた隙を突き、私の機体を完全に解体するつもりだ。
私は両足のペダルを均等な力で踏み込み、フラウスレイの姿勢を低く安定させた。
左右の操縦桿を軽く握り直す。 掌に冷たい汗が滲んでいるのを感じた。
目を閉じる。 コクピットの空調が吐き出す冷たい空気を、鼻から深く吸い込んだ。
肺の底まで冷気を行き渡らせる。 口からゆっくりと、長く息を吐き出した。
目を見開く。 視界のノイズが消え、迫り来る小型竜の軌道がはっきりと見えた。
恐れることは何もない。 私は左右の操縦桿を強く握り込み、漆黒の双刃を構えて夜空を睨みつけた。
両足のペダルを素早く踏み込む。
フラウスレイが砂の海を滑るように後退を始めた。
上空から襲いかかる小型竜の爪を間一髪で躱す。 金属同士が擦れ合う鋭い風切り音が集音マイクを震わせた。
まずはあの巨大なボスの射程外へ脱出する。 それが最優先だ。
だが、モニターの端で赤い光を放つリノセロスの尾部ビーム砲は不気味に沈黙したままだ。
あの太い熱線がどこまで届くのか、正確な有効射程のデータがこちらにはない。 迂闊に足を止めれば、次の瞬間に光の柱で消し飛ばされる。
背後に広がる暗闇へ向けて、機体を加速させる。
右足のペダルを深く押し込み、細かく方向を修正した。 砂煙が夜風に舞い上がる。
頭上では十機近い小型竜がけたたましい羽音を立てて追ってきている。
こいつらを完全に引き離してはいけない。
もしこちらを見失えば、奴らは再びリノセロスの周囲へ戻ってしまうだろう。 それでは意味がないのだ。
小型竜がこちらを視界に捉え続けられる絶妙な速度を維持する。
ペダルの踏み込み具合をミリ単位で調整した。
あえてフラウスレイの背面の排気口からわずかに熱を逃がし、奴らのセンサーを誘う。
狙うのはリノセロスを排除した戦場だ。
小型竜とフラウスレイだけの一対多数の状況を作り出す。
あの巨大な角とビーム砲の脅威さえなければ、機動力はこちらが圧倒的に上回っている。
フロントコンソールの距離メーターが激しく数値を更新していく。
メインモニターの視界の隅で、巨大な熱源に変化が起きた。 追ってくる気配がない。
それどころか、高く持ち上げられていた尾の砲身が、のっそりと砂の上へ向けて下がっていった。
羽虫を追い払っただけで満足したかのように、巨獣はその場に再び留まろうとしている。
「そこがあなたの境界線というわけね」
私は左手で操縦桿を握ったまま、右手でコンソールの記録ボタンを鋭く叩いた。
この巨大な個体が外敵への関心を失う正確な距離。
二日後の討伐作戦において、これほど貴重な情報はない。
皆が突撃する際、撤退ラインの策定に直結するデータだ。 緑色の電子ログが機体のメモリに深く刻み込まれた。
リノセロスの駆動音が夜風の彼方へと遠ざかる。 もうあの巨獣がこちらに砲門を向けることはないだろう。
残されたのは、頭上で黒い雲のように渦巻く小型竜の残党だけだ。
私は両手をそれぞれの操縦桿へ戻した。 手のひらに伝わるグリップの冷たい硬さが、私の思考を研ぎ澄ます。
今からのミッションはこれ以上ないほど明確だ。
小型竜の群れをここで完全に潰す。 それだけだ。
私は両足のペダルを同時に踏み込み、機体の急制動をかけた。
フラウスレイの両足が砂を深く抉り、凄まじい反動がコクピットのシートを通して私の身体を襲う。
慣性を殺しきると同時に、左右の操縦桿を胸元へと引き絞った。
黒い双刃が月光を反射して冷たく煌めく。 降下してくる最初の影へ向けて、私は機体を鋭く突き出した。
背後の暗闇に、巨大なリノセロスの気配が完全に溶けて消えた。
追撃の熱線が飛んでくる様子はない。
私の仮説は正しかったようだ。 あの巨大なバケモノにとって、私やこのフラウスレイという機体は、特に因縁のある相手ではないのだ。
ただ自分の縄張りを通り抜けた、見慣れない小さな障害物。 だから一定の距離さえ取れば、すぐに興味を失って背を向ける。
だが、上空を渦巻くように飛ぶ小型のアルヴィアたちは違う。
奴らは飛んでいる分、地上を這うバケモノよりもずっと目端が利く。
私が少し離れた砂漠で、同じ姿をした仲間たちを次々と解体したことを知っているのだろうか。
彼らにとっての私は、見過ごすことのできない明確な仲間の仇だ。
頭上から降り注ぐ羽音が、一段と高く鋭くなった。
空気を切り裂くような金属音が、集音マイクを通してコクピットを震わせる。
暗闇の中で無数に光る赤いカメラアイが、一斉に私をターゲットとして捉えた。 殺意の籠もった視線が突き刺さるのを感じる。
「願ったり叶ったりね」
私は暗いコクピットの中で、一人静かに呟いた。
敵の意識が完全にこちらへ向いている。
これで、他の場所へ逃げられたり、採掘場へ向かわれたりする心配はなくなった。 あとは私が、この場で一機残らず叩き落とすだけだ。
私は両足のペダルを操作し、フラウスレイの重心を低く保った。
バイザー越しの視線で、頭上で乱舞する群れの動きを冷静に分析する。
怒りに任せて飛び回る群れの中にも、動きの隙はある。
編隊の端の方で、こちらへの注意力が散漫になっている二機を見つけた。 仲間の動きに釣られているだけで、私への警戒が薄い。
両足のペダルを一気に奥まで踏み込む。 フラウスレイが砂を蹴り上げ、強烈な反動とともに空へ向かって跳躍した。
両手で握った左右の操縦桿を、胸元へ深く引き寄せる。 そして、標的の二機へ向けて真っ直ぐに押し出した。
フラウスレイの両腕が空気を叩く。
逆手に構えていた漆黒の短剣が、私の手から夜空へ放たれた。
黒い刃は闇に紛れ、風切り音すら立てずに真っ直ぐ飛翔する。
逃げる間もなかった。 二本の短剣は、注意の低かった二機の喉元にある駆動部へ同時に突き刺さった。
硬い装甲が砕ける鈍い音が響く。
青い火花が夜空に弾け、二機は羽ばたく力を完全に失った。
私は空中で姿勢を制御しながら、左右の操縦桿のトリガーを引き絞った。
機体の両手首から、黒いワイヤーが爆発的な速度で射出される。
鋼線は夜空を這い、落下を始めた標的の喉元へ正確に伸びていく。
クナイの柄に付いている菱形の輪を、ワイヤーの先端が捉えた。
左右の操縦桿を、手前へ向かって力強く引き戻す。
凄まじい張力がワイヤーにかかる。
突き刺さっていた短剣が、獲物の喉から乱暴に引き抜かれた。 青黒いオイルを夜風に散らしながら、二本の刃が私の手元へと戻ってくる。
私は空中で操縦桿を捻り、戻ってきた短剣の柄を再びしっかりと掴み取った。
そのまま両足のペダルを踏み込み、砂漠への着地姿勢に入る。 砂を滑るように着地し、衝撃を完全に関節のクッションで殺した。
ワイヤーの巻き取り音とともに、私は顔を上げる。 手元に戻った刃を再び構え、上空で旋回する残りの小型竜の群れへと鋭い視線を向け直した。
宙を舞っていた二機の残骸が、くぐもった音を立てて砂漠に墜落した。
その音を合図にするように、頭上で渦巻く小型アルヴィアたちの羽音が一段と激しさを増した。
鋭い鳴き声が夜空に交差する。
今の攻撃で、群れの意思は完全に一つに統一されたようだ。 暗闇の中を動くこの黒い機体、フラウスレイこそが明確な排除対象であると。
赤いカメラアイの光が、上空から私だけを執拗に睨みつけている。
メインモニターに映る奴らの飛行軌道は、怒りに任せた直線的なものばかりだ。
実際問題として、彼らの動きは隙だらけだった。 編隊の連携は取れておらず、ただ殺意のままに突っ込んでくるだけの烏合の衆だ。
もしここが何もない平坦な空間であれば、数分で全機を砂の海に沈める圧勝ができる。 私とフラウスレイの性能なら、それは決して難しいことではない。
だが、私は両手の操縦桿を握り直しながら、小さくかぶりを振った。
甘い見通しは命取りになる。 最も注意を払うべきは、眼前の羽虫たちではないのだ。
背後の暗闇に控えている巨大な熱源。 あのリノセロスこそが、この戦場における最大のジョーカーであると、私は自身に強く言い聞かせた。
両足のペダルにそっと力を乗せる。
現状、群れは私を標的として攻めかかろうとしている。
ここで私が一気に後退して距離を広げすぎれば、奴らは追撃を諦めてリノセロスの元へ戻ってしまうだろう。
逆に私が前に出すぎれば、再びあの巨大な尾部ビーム砲の射程内に足を踏み入れることになる。
小型竜がこちらへの殺意を維持しつつ、ボスが関心を持たない絶妙な距離。 そのギリギリの境界線を保ち続けるしかない。
思考の沼が深くなる。 厄介なのは、奥にいるリノセロスもまた生き物であり、ゆっくりとだが移動しているという事実だ。
安全な距離の境界線は、あの巨獣が歩みを進めるたびに刻一刻と変化している。
私は左手で操縦桿を保持したまま、フロントコンソールの計器に視線を走らせた。 ボスの移動速度と方向。 こちらとの相対距離。
それらをリアルタイムで計算し、ペダルを踏む足の力加減をミリ単位で微調整し続ける。
計算すべき要素はもう一つあった。
いや、それこそが今の私にとって最も重い枷だ。
背後のすり鉢状の窪地の底にある、ツァイト鉱石採掘場。 あそこには今、息を潜めて助けを待つ八十九人の命がある。
もし私がボスの射程内に入り、再びあの太い熱線が放たれたらどうなるか。
私が躱したその光の柱が、背後の採掘場へ真っ直ぐに突き刺さるかもしれない。
小型竜を撃ち落とす位置も同じだ。 空中で破壊した金属の塊が、すり鉢の斜面を転がり落ちて施設にぶつかる危険がある。
私は両足のペダルを操作し、機体を大きく右方向へとスライドさせた。
リノセロス、フラウスレイ、そして採掘場。
この三つの点が、決して一直線に並んではいけない。
射線軸を窪地から完全に逸らすための、緻密な位置取りだ。 絶対に流れ弾をあの底へ落とすわけにはいかない。
アヴェントゥラの看板を背負っている以上、依頼人の命を危険に晒すような戦い方は許されないのだ。
コクピットの空調は冷たい風を吐き出しているのに、私の額にはじっとりと汗が滲んでいた。
頭の中で幾何学の図形を描き、リアルタイムで座標を更新し続ける。 神経が焼け切れるような高度な情報処理だ。
だが、戦場は私の思考を待ってはくれない。
集音マイクが、空気を切り裂く鋭い音を拾った。 真上だ。 赤い光点が、夜空から雨のように降り注いでくる。 群れが一斉に襲いかかってきたのだ。
息を吸う。 操縦桿を強く握る。 ペダルを蹴る。
フラウスレイが砂を蹴り上げた。
両手の漆黒の短剣を構える。 機体が夜空へ向かって跳躍した。 迎撃を開始する。
両手の操縦桿を力強く握り込む。 迫り来る赤い光点の群れへ向けて、私はフラウスレイを躍り上がらせた。
先頭の一機が鋭い金属の爪を突き出してくる。 右足のペダルを軽く蹴り、空中で機体の軸を右へわずかにずらした。
すれ違いざまに、左の操縦桿を真横へ薙ぎ払う。 黒い短剣が、敵の脆い首の関節を正確に切り裂いた。
鈍い破壊音が響く。 青い火花を散らして一機目が落ちていく。
息をつく間もない。 二機目が真上から急降下してくる。
私は足のペダルを踏み込み、空中で姿勢を反転させた。
右の操縦桿を真上へ鋭く突き上げる。 逆手に持った刃が、敵の腹部の装甲の隙間に深々と突き刺さった。
操縦桿のトリガーを引く。
ワイヤーを射出し、突き刺した短剣ごと強引に引き抜く。
噴き出すオイルが、バイザー越しの視界を汚した。
次々と襲いかかる小型竜の軌道を読み切る。
ペダルで細かく機体を躍らせ、操縦桿で正確に急所を撃ち抜いていく。
戦闘の主導権は完全に私が握っていた。
だが、その時だった。
突如として、メインモニターの視界が真っ白に染まり上がった。
警告音さえ鳴る隙がなかった。 フラウスレイの頭上わずか数メートルの空間を、極太の光の柱が通過していった。
空気が一瞬で沸騰する。
強烈な熱波が装甲を叩き、コクピット内の温度が異常な速度で跳ね上がった。 髪の毛が焦げるような嫌な匂いが、空調フィルターを抜けて入り込んでくる。
私は両足のペダルを限界まで踏み抜いた。 空中の姿勢から強引に砂漠へ落下する。
関節のクッションを最大限に効かせ、砂煙を上げながら着地した。 そのままペダルを交互に踏み続け、さらに後方へ大きく距離を取る。
熱線の出所は明らかだ。 背後の暗闇に潜む、ボリノセロスだ。 私はフロントコンソールの計器を素早く確認した。
こちらとの相対距離は、先ほど記録した安全圏の境界線を越えていない。 私が前に出過ぎたわけではないのだ。
私は暗いコクピットの中で、一つの事実に思い至った。
相手はただの決められたプログラムではない。 本能で動く生き物なのだ。
関心を失う距離の境界線は、常に一定の数学的な数値ではない。
風向きが変われば、音の伝わり方も変わる。 私が小型竜を次々と解体する金属の破壊音が、夜風に乗ってボスの耳障りな距離まで届いたのかもしれない。
あるいは、熱を帯びた空気の流れが巨獣のセンサーを刺激したのか。
いずれにせよ、あの巨大なバケモノの機嫌一つで、死線は容易く前後するのだ。
私は両手の操縦桿を手前へ引き戻し、空中に放っていた二本の短剣を手元へ回収した。
カチリと柄を掴み直す。 額から流れ落ちる汗を拭う暇もない。
空調の風が、火照った身体を急激に冷やしていく。 肺の奥まで冷たい空気を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。
再び上空を見上げる。 巨大な熱線に驚いた小型竜たちが、上空で散開して旋回していた。 私はモニターの隅に表示される熱源の数を数えた。
最初は二十機ほどいたはずの群れだ。
ワイヤーと短剣を組み合わせた確実な攻撃で、着実に数を減らしてきた。 砂漠のあちこちに、私が切り捨てた無惨な鉄屑が転がっている。
残る赤い光点は、あと六つ。 たったの六機だ。
あのボスの気まぐれな熱線が再び飛んでくる前に、全て終わらせる。
私は両足のペダルに再び力を込め、フラウスレイの重心を深く沈み込ませた。
メインモニターに映る赤い光点は、残り六つ。
私は視線を鋭くし、上空で旋回する小型竜たちの動きを観察した。
先ほどまでの、怒りに任せた直線的な攻撃が鳴りを潜めている。
羽音のリズムが不規則に乱れ、編隊の距離感が不自然に開いていた。
彼らの中に、明らかな迷いが生じている。
これだけの仲間が瞬く間に鉄屑へと変えられたのだ。
いくら機械のバケモノであっても、目の前の黄色い機体を自分たちでは落としきれないと悟る個体が出てきてもおかしくはない。
恐怖に似た生存本能の揺らぎが、その金属の翼の動きに表れていた。
その僅かな油断を見逃す私ではない。
私はペダルを浅く踏み込み、フラウスレイの機体を音もなく前方へ滑らせた。
左右の操縦桿を真っ直ぐに構え、トリガーにかけた人差し指に力を込める。 同時に引き絞った。
機体の両手首から、黒いワイヤーが爆発音とともに射出される。
空気を鋭く裂く音が鳴る。
逃げ腰になり、高度を下げかけていた二機の胴体に、鋼線の先端の鉤爪が深く食い込んだ。
「落ちなさい」
左右の操縦桿を、力任せに手前へ引き戻す。 同時に両足のペダルを踏み込み、機体の重心を大地に固定した。
ワイヤーが張り詰め、悲鳴を上げる二機の小型竜が空から強引に引きずり下ろされる。
砂の上に激しく叩きつけられた。 私はそのまま機体を前進させ、右足のペダルを一気に奥まで踏み込む。
フラウスレイの右脚が砂を蹴り上げ、這い上がろうとする二機の頭部を上から無慈悲に踏み砕いた。
青い火花と黒いオイルが冷たい砂に散る。
残りは四機。
仲間の無惨な姿を目の当たりにし、上空の群れが明らかな動揺を見せた。
空中で停止するように羽ばたきを止めたのだ。
私は休まない。 右足のペダルを限界まで蹴り込む。 砂を爆発させて、夜空へ向かって大きく跳躍した。
両手の操縦桿を胸の前で交差させるように構える。
そのまま、動揺して隙だらけになった二機の懐へ一気に肉薄した。
左右の腕を、外側へ向かって大きく振り抜く。
逆手に持った漆黒の短剣が、二機の金属の翼の付け根を正確に切り裂いた。
硬い装甲が両断される甲高い音が、集音マイクを劈く。
バランスを完全に失った二機が、もがきながら闇の底へ落ちていった。
これで残りは二機だけだ。 私は空中で操縦桿を引き戻し、姿勢を整えて砂漠へと着地する。
ペダルを操作して関節のクッションを効かせ、衝撃を完全に殺した。
すぐさま顔を上げ、最後の獲物へ視線を向ける。
だが、私は思わず目を丸くした。
「えっ」
小さな声が漏れた。
残った二機の小型竜が、私に背を向けて全速力で飛び去っていく。
圧倒的な戦力差を前に逃走を選んだこと自体は、驚くことではない。
問題は、その逃げる方向だ。
奴らは、背後の暗闇で低い駆動音を鳴らしているあの巨大なリノセロスの元へは向かわなかった。
全く違う方向。
名も知らぬ砂漠の深部へ向かって、一直線に逃げていくのだ。
私は操縦桿を握る手の力を少しだけ緩め、モニターの光点を見つめた。 なぜあっちへ逃げるのか。
あの巨大なリノセロスは、彼らの寄生先であり、群れの中心ではなかったのか。
それとも、あの暗闇の先には別に頼るべき何かがいるというのだろうか。
別の親。 あるいは、本当の巨大なボス。 未知の脅威の存在を示唆するその行動に、背筋に冷たいものが走った。
だが、私はすぐに小さく頭を振る。
コクピットの空調が吐き出す冷たい風を顔に受け、意識を鋭く切り替えた。
謎解きは後でいい。 逃げた先で未知の脅威を呼ばれれば、採掘場の八十九人の命がさらに危うくなる。
今はただ、あの二機を逃がさなければ良いだけの話だ。
私は再び両手の操縦桿を強く握り直した。 手のひらに冷たい金属の感触が食い込む。
両足のペダルを限界まで踏み込んだ。 フラウスレイが砂を蹴り、逃げゆく赤い光点の背中を追って漆黒の夜の海を駆け出した。
暗いコクピットの中で、私は小さく息を呑んだ。
足のペダルを奥まで踏み込み、フラウスレイを前進させる。
砂を蹴り上げる機体の挙動が、いつもよりひどく鈍く感じられた。
私の初動が遅れたのだ。 逃げゆく二機の小型竜が、ボスのリノセロスとは全く違う方向へ向かったこと。
その未知の行動に対する一瞬の思考。
そのほんのわずかな空白が、戦場においては致命的な遅れを生み出していた。
プロの傭兵としてあり得ない失態だ。
私は奥歯を強く噛み締めた。 口の中に微かな血の味が広がる。
自分の未熟さが心底悔やみきれない。
なぜあそこで思考してしまったのか。
激しい自責の念が、冷たい汗となって背中を伝い落ちる。
だが、私はすぐに肺の奥にある空気を全て吐き出した。
大きく深呼吸をする。
新しい冷たい空気を吸い込み、頭の中の熱を強制的に冷やした。
感情を切り替える。 悔やむのは、この砂漠から無事に帰り、自室のベッドに倒れ込んだ後でいい。
今はただ、眼前の状況をどう覆すかだけを考える。
フロントコンソールの計器に視線を走らせた。 メインモニターの奥へ逃げていく二つの赤い光点。
その距離を示す数値が、無情な速度で加算されている。
距離が開きすぎた。
私は右の操縦桿を強く握り直すが、投擲のフォームには入らない。
この距離からでは、どれだけ腕を鋭く振り抜いたところでクナイは届かない。
風の影響を受け、正確な軌道を保つことなど不可能だ。
左の操縦桿のトリガーにも指をかけるが、すぐに離した。 射出するワイヤーの限界距離も、すでに完全に超えてしまっている。
打つ手がない。 焦りが生まれかけたその時、私は背後の気配を思い出した。
両足のペダルを微かに操作し、機体の進行方向を保ったまま、モニターの端に後方の映像を呼び出す。
一番恐れるべき事態は、私がこの逃走劇に気を取られている間に、ボスのリノセロスが背後から熱線を撃ち込んでくることだ。
息を詰めて、熱源反応を確認する。
巨大な光の塊は、先ほど記録した安全圏の距離から一歩も動いていなかった。
それどころか、背中の排熱が穏やかなリズムに変わっている。
集音マイクが拾う駆動音も、低く静かなものになっていた。
完全に眠りかけている。 あの巨大なバケモノは、こちらの騒ぎに対する関心を完全に失い、再び深い休眠に入ろうとしていたのだ。
良かった。 私は胸を撫で下ろした。
これで背後を気にする必要はなくなった。
眼前の二機を確実に仕留めることだけに、全ての意識と機体のエネルギーを割くことができる。
私は両足のペダルを均等な力で踏み込み、フラウスレイの姿勢を低く安定させた。
そのままの速度を維持しつつ、両手の操縦桿を手前へと引き寄せる。 親指でグリップの側面にあるスイッチを弾いた。
腰の両サイドにマウントされた武器へフラウスレイの両手が素早く動き、予備のクナイを引き抜いた。
これで先ほどから使っている二本と合わせ、合計四本の漆黒の刃が手元に揃ったことになる。
右の操縦桿で二本。 左の操縦桿で二本。 金属の冷たい感触と重みが、マニピュレーターのセンサーを通して私の手のひらにしっかりと伝わってくる。
ここからが、この武装の真骨頂だ。
私は左右の操縦桿から、人差し指と中指だけを少し浮かせた。
視線は逃げる光点に向けたまま、指先だけの感覚でフロントパネルと操縦桿のスイッチを探り当てる。
タ、タタン。
パスワードを打ち込むように、私は特定のスイッチを次々と押し込んでいった。
それは誤作動を防ぐための、厳密なロック解除の合図だ。
最後のスイッチを押し込んだ瞬間。
フラウスレイの手元で、低い機械音が鳴動した。
四本のクナイの柄の底にある、菱形の大きな輪。
その輪の内部に組み込まれていた特殊な電磁ロックが解除される。
走りながら、私は両手の操縦桿を、胸の真正面で合わせるように押し込んだ。
フラウスレイの両手が、四本のクナイの柄を一つに寄せ集める。
微弱な磁場が発生し、四つの菱形の輪が互いに引き寄せ合った。
ガチン。 硬く、そして重厚な金属音が暗いコクピットの中に響き渡った。
四つの輪が完璧な精度で噛み合い、完全に一体化する。
フラウスレイの巨大な金属の手の中に現れたのは、もはや短い刃ではない。
四つの方向へ鋭い刃を突き出した、巨大な十字の塊。
巨大な手裏剣の形へと変貌を遂げた、漆黒の質量兵器だ。
四つの刃が合体し、フラウスレイの右手に巨大な黒い十字星が握られた。
ずしりとした確かな重みが、操縦桿を通して私の右手に伝わってくる。
私は足のペダルを細かく操作し、機体の姿勢を投擲のフォームへと移行させた。
右足を大きく後ろへ引き、機体の重心を深く沈み込ませる。
その体勢のまま、私は斜め後方の暗闇へと一瞥をくれた。
バイザーの端に映る緑色の熱源反応は、完全に安定した律動を刻んでいる。
巨大なリノセロスは完全に眠りに落ちていた。 背後からの奇襲や、あの極太のビームで焼かれる心配はもうない。 全神経を前方の獲物だけに集中できる。
被弾の恐怖なく背中を預けられるこの幸運な状況に、私は暗いコクピットの中で密かに感謝した。
視線を前方へ鋭く戻す。 逃げゆく二つの赤い光点は、右と左に少しずつ距離を開きながら飛んでいる。
私はまず、右側を飛ぶ一機に明確な殺意の焦点を合わせた。
右足のペダルに体重を乗せ、一気に奥まで踏み込む。 フラウスレイの右脚が砂を爆発的に蹴り上げた。
その全身の運動エネルギーを、右腕の振りかぶりへ全て乗せた。
右の操縦桿を、力任せに前方へ振り抜く。 フラウスレイの右腕が空気を叩いた。
空気を切り裂く轟音が鳴る。
手から放たれた巨大な十字手裏剣が、夜の闇を一直線に駆け抜けた。
猛烈な速度で回転し、黒い円盤と化して飛翔する。
風の抵抗を鋭く切り裂き、甲高い金属音を砂漠に撒き散らした。
右側の小型アルヴィアは、背後に迫る死の旋風に気づくことすらできなかった。
黒い刃の円盤が獲物の背中に直撃する。
硬い金属の胴体が、紙屑のようにいとも容易く両断された。
鈍い破壊音。 青白い火花と黒いオイルが夜空に激しく散る。
右側の赤い光点が、私のモニターから完全に消滅した。
一機撃破。
だが、私の放った黒い十字星の軌道はそこでは終わらない。
敵の装甲を断ち切った衝撃で、手裏剣の回転速度はさらに増した。
四つの刃が特殊な角度で夜風を捉える。 緻密に計算されたその形状は、空中に目に見えない見事な弧を描き出した。 まるで意思を持つブーメランのように。
鋭い風切り音を残し、手裏剣が夜空で大きく左へと旋回を始める。
目標はただ一つ。 必死に逃走を続ける、左側の最後の小型竜の背中だ。
私は左右の操縦桿を軽く握り直し、モニター越しにその美しい破壊の軌道を見つめた。
黒い刃の円盤が夜空を滑る。 左へ逃げる獲物の背中へ、凄まじい速度で迫った。
だが、旋回の軌道がほんの数ミリだけずれていた。
甲高い金属音が砂漠の夜空に響き渡る。 巨大な十字手裏剣は小型竜の胴体を両断せず、右翼の付け根の装甲を浅く削り取っただけだった。
バランスを完全に崩した小型竜が、きりもみ回転しながら落下していく。 激しい砂煙を上げ、砂の地面に激突した。
「げ」
思わず情けない声が口から漏れた。 墜落地点に舞い上がる砂煙の中で、赤いカメラアイが二つ、まだギラギラと光っているのが見えた。
生きている。 仕留め損なったのだ。
私は即座に右の操縦桿のトリガーを引いた。
フラウスレイの右手首から、漆黒のワイヤーが射出される。
空振りして夜の闇へ消えようとしていた手裏剣の中心点を、鋼線の先端が的確に捉えた。
右の操縦桿を力任せに手前へ引き戻す。 凄まじい張力がかかる。
空中で急ブレーキをかけた十字の塊が、一直線に私の手元へと戻ってきた。
機体の右手を伸ばし、空中で分厚い柄を掴み取る。
そのまま左手を操縦桿から離し、フロントパネルのスイッチを弾いた。
解除のコマンドを打ち込む。 ガチン、と重い音がコクピットに響いた。
四つの刃を繋いでいた強力なロックが切れる。 巨大な十字星は、再び四本の独立したクナイへと分離した。
私は両足のペダルを微調整し、機体の姿勢を砂の上で完全に固定する。
左手のマニピュレーターを動かし、右手が持っている四本のクナイのうち、三本の柄をそっと掴み取った。
右の操縦桿の側面にある親指スイッチを押す。 腰の両サイドへ向け、滑らかな駆動音を立てた。
左手の操縦桿を慎重に操作する。
一本目。 刃の先端を滑り込ませる。 カチリと硬いロック音が鳴る。
二本目。 機体の腕を交差させるように動かし、右腰へ差し込む。 カチリ。
三本目。 同じく右腰の空きスロットへ、真っ直ぐに押し込んだ。 カチリ。
これで手元に残ったのは、右手に握られた最後の一本だけになった。
私は再び両手で左右の操縦桿をしっかりと握り直す。 両足のペダルを一気に奥まで踏み込んだ。
フラウスレイが砂を蹴り上げ、猛烈な速度で駆け出す。
目指すは砂煙の向こうだ。 墜落した小型竜が、ひしゃげた金属の翼をばたつかせて身を起こそうとしていた。
逃がしはしない。
一気に距離を詰める。 敵がこちらへ赤い目を向け、口から威嚇の鳴き声を上げようとした。
その瞬間に両足のペダルを強く踏み抜き、機体を跳躍させる。
上空から、傷ついた獲物へ覆い被さるように降下した。
右の操縦桿を、真下へ向けて全力で振り下ろした。
黒い刃が、小型竜の頭部装甲をあっさりと貫通した。 内部の駆動系とセンサーを完全に破壊する。
硬い手応えが、操縦桿を通して私の右手に生々しく伝わってきた。 敵の赤い光が明滅し、プツリと完全に消え去る。
じたばたと暴れていた金属の四肢から力が抜け、砂漠に再び夜の静寂が戻ってきた。
私は深く息を吐き出し、突き立てたクナイを引き抜いた。
青黒いオイルが刃から滴り落ちる。 メインモニターに映る無惨な残骸を静かに見下ろした。
空調の冷たい風が、汗ばんだ私の前髪を揺らしている。
「あの人なら、こんなヘマはしないな」
暗いコクピットの中で、私は自嘲気味に小さく笑った。
一発で仕留めきれず、わざわざ武器を分解してトドメを刺しに行くなど、余計な手間もいいところだ。
無駄のない完璧な暗殺者には程遠い。
私は右手に残った一本のクナイを握りしめ、冷たい月の光が照らす砂の海を見つめた。
右手に握っていた最後の一本を腰へ滑り込ませる。 カチリと硬いロック音が鳴る。
私は両足のペダルから少しだけ力を抜き、フラウスレイの姿勢をわずかにリラックスさせた。
周囲に動く赤い光点はもうない。 夜空を埋め尽くしていた羽音も完全に消え去った。
バイザー越しの視線を、再び背後の暗闇へと向ける。 フロントコンソールのダイヤルを回し、センサーの感度を最大まで引き上げた。
フィルターを通して、遠く離れた砂漠に鎮座する二つの巨大な熱源が浮かび上がる。 先ほどからずっと眠り続けている一体目のリノセロス。 そして、もう一体の巨大なボス個体だ。
寝ていたリノセロスはいつの間にか目を覚ましていた。
ズシン、ズシンと重い音を立てながら、私が最初に切り捨てた小型竜の残骸へと顔を突っ込んでいる。
集音マイクが、硬い金属の装甲をバリバリと噛み砕き、咀嚼する不気味な音を拾い上げた。
あの巨大な口の中で、次々と栄養へと変換されているのだ。 私はその貪欲な食事風景をモニター越しに眺めながら、両手の操縦桿を軽く握り直した。
このまま静かに立ち去るのが、優秀な隠密のセオリーだ。
だが、今の私の中には奇妙な熱が燻っていた。
私は両足のペダルを踏み込み、機体の重心を深く下へ沈み込ませた。
左の操縦桿を動かし、フラウスレイの腕を砂漠の地表へと伸ばす。 手頃な大きさの岩石を探り当てた。 マニピュレーターの指を閉じ、しっかりと掴み上げる。
ザラザラとした岩肌の感触と、ずしりとした重みが、左手のグリップを通して生々しく伝わってきた。
機体を立ち上がらせ、目標をボスのリノセロスに定める。
距離は十分にある。 今度はクナイの投擲のような、気配を殺した暗殺の技ではない。 純粋な暴力の放出だ。
右足のペダルを大きく後ろへ引き、機体全体を捻るようにして力を溜める。
左の操縦桿を背後まで大きく振りかぶった。
息を吸い込む。 両足のペダルを一気に踏み抜き、砂を爆発させた。 その反動の全てを左腕に乗せ、操縦桿を前方へ向かって力任せに振り抜く。
フラウスレイの左手が空気を叩く。 放たれた岩石が、砲弾のような速度で夜空を切り裂いた。
ヒュガッという重い風切り音が鳴る。 岩石は一直線に暗闇を飛び越え、食事に夢中になっていたリノセロスの分厚い背中へ激突した。
ドン。 鈍く重い衝撃音が砂漠に響き渡る。 岩石は粉々に砕け散り、リノセロスの硬い装甲の上で火花を散らした。
ダメージなど全くないだろう。 だが、食事を邪魔された巨獣は明らかに反応を示した。
咀嚼を止め、巨大な頭部がゆっくりとこちらへ向けられる。
カメラアイが暗闇の中で不気味に光った。 「フンッ、フンッ」 鼻腔から高圧の蒸気を噴き出すような、荒々しい威嚇音が集音マイクを通して響く。
怒っている。 だが、距離が離れすぎているせいか、あの極太のビームを撃ち込んでくる気配はない。
ただ、遠くにいる鬱陶しい外敵へ向けて不快感を露わにしているだけだ。
私はモニターの向こうの赤い目を見つめ返し、口角を少しだけ上げた。
「二日後よ。しっかりと覚悟しておきなさい」
コクピットの暗闇に、私自身の冷たい声が響いた。
二日後には、アヴェントゥラの仲間たちと共にあの巨体を完全に解体する。
これはそのための決意表明が七割。 残りの三割は、ただの私の個人的な挑発だ。
あのバケモノに言葉が通じるわけはないと分かっている。
だが、この砂漠の支配者がお前達ではないことを、少しだけ教えてやりたかったのだ。
私は両手で操縦桿をしっかりと握り直し、モニターのズームを解除した。
これで私の単独任務は全て完了した。
採掘場に閉じ込められている八十九人の正確な状況。
ボスのリノセロスが関心を失う安全な距離の境界線。
そして、鬱陶しい目となる小型竜たちの排除。
討伐作戦に必要な盤面は、完璧に整い終わった。
あとはこの情報を、戦艦チュラクシスで待つ仲間たちの元へ持ち帰るだけだ。
クレティさんやラキくんヒカリくんは、きっと待ちくたびれているだろう。
私は両足のペダルを巧みに操作し、フラウスレイを滑らかに反転させた。
背中から推進器の青白い炎を吹き出し、機体を一気に加速させる。
冷たい夜風を切り裂きながら、母艦の通信圏内を目指して、砂の海を猛スピードで駆け抜けていった。
両足のペダルを深く踏み込んだまま、フラウスレイの巡航速度を一定に保つ。
機体の鋭い脚部が、夜の砂漠を滑るように駆け抜けていく。
規則正しい振動が、シートを通して私の身体に心地よく伝わってきた。 コクピットの空調が吐き出す冷たい風が、戦闘で火照った頬を撫でる。
汗の引いていく感覚と一緒に、高ぶっていた神経が少しずつ平熱へと戻っていった。
右手で操縦桿を軽く握り、機体の進行方向を制御する。
左手を伸ばし、キーボードを素早く叩いた。
戦艦チュラクシスで待つ仲間たちへ送るための、データのパッケージ化だ。
採掘場の地下で息を潜める八十九人の生存者。
彼らに残された水と食糧のタイムリミット。
あの巨大なボスのリノセロスが外敵への関心を失う、安全な距離の境界線。
そして、この周辺宙域の正確な地形データ。
一つ一つの情報を、暗号化されたフォルダにまとめていく。
モニターの緑色の光が、私の顔を薄暗く照らした。
画面を流れる無機質な数字の羅列を見つめていると、不意に一人の少年の顔が頭に浮かんだ。
ヒカリくん。 記憶を持たない私たちの新しい仲間だ。
彼は時折、ひどく寂しそうな目をして遠くを見つめていることがある。 過去を持たない自分自身を、まるで中身のない空っぽの器だとでも思っているのだろう。
何者でもない自分に対する不安。 どこにも根を張れていないという焦燥感。
彼の飾らない真っ直ぐな言葉の裏には、いつもそんな危うさが透けて見えていた。
私はコンソールのキーを叩く指を少しだけ休め、小さく息を吐いた。
空っぽの度合いで言うなら、私だって似たようなものだ。
暗いコクピットの中で、私は自嘲気味に口角を上げる。
飄々とした態度で余裕を取り繕っているだけだ。
誰かの期待に応えるための殻を被っているだけで、本当の私の中身は空洞かもしれない。
彼と同じように、確かな自分の形なんてどこにも持っていないのだ。
だからこそ、思う。 彼には、この場所が帰るべき家になってほしいと。
ヒカリくんが、ラキくんやユミィちゃん、そしてクレティさんたちと笑い合う時間。
その飾らない言葉でぶつかり合い、新しく積み重ねていく記憶。
それがいつか、彼の空っぽな器を温かい何かで満たしてくれるはずだ。
彼が自分自身の確かな居場所を、このアヴェントゥラで見つけられると良いなと、私は心からそう願っていた。
ピピッ。 フロントコンソールの端で、通信アンテナのアイコンが緑色に点滅した。
母艦チュラクシスの通信圏内に入った合図だ。
私は小さく頭を振り、胸の中に広がっていた感傷を冷たい空気の向こうへ押しやった。
今は任務中だ。 頭を切り替えなければならない。
私は左手をコンソールから離し、再び左右の操縦桿をしっかりと握り直した。
両足のペダルに力を込め、機体の姿勢をさらに前傾させる。 フラウスレイが砂を蹴る速度を一段階上げた。
指先で操縦桿のスイッチを弾き、メイン回線を開く。 スピーカーから、微かな電子ノイズに混じって懐かしい雑音が聞こえてきた。
「こちらシルヴィア。聞こえるかしら」
マイクに向かって静かに呼びかける。 数秒の空白の後、コクピットに大声が響き渡った。
「おお、シルヴィア。無事だったか」
クレティさんの豪快な声だ。
「シルヴィア。こっちの準備はできてる」
私はフロントモニターの向こう、夜の砂漠の地平線を見つめた。
暗い砂の海に、チュラクシスの巨大な船体が黒い影となって浮かび上がり始めている。
東の空が、ほんのわずかに白みかけていた。 夜明けが近い。
「データの送信を開始するわ。最高の盤面を作ってきたんだから」
私はふっと自然な笑みをこぼした。
足のペダルを力強く踏み込む。
フラウスレイは青白い炎を噴き上げ、仲間たちの待つ帰るべき場所へ向かって、夜明けの砂漠を真っ直ぐに駆け抜けていった。
フロントコンソールのモニターで、緑色のプログレスバーが右端まで到達した。
ピッと短い電子音がコクピットに鳴る。
戦艦チュラクシスへのデータ送信が完了した合図だ。
私は左手でコンソールのキーボードを叩き、通信の暗号化プロトコルを閉じた。
そのまま視線を少し下げ、計器盤の隅にあるエネルギーゲージを確認する。
フラウスレイの心臓部であるツァイトモーターの出力は、安定していた。
激しい戦闘と長時間の隠密行動をこなしたというのに、まだ余裕を残している。
私は右手の操縦桿の側面にあるスイッチを親指で弾いた。 メインの通信回線を再び開く。
「クレティさん。データの送信は全て完了したわ」
マイクに向かって淡々と報告する。
「こちらのツァイトモーターの出力にはまだ十分な余裕がある。
送信が完了したから、このまま引き返してあのリノセロス二体の監視任務に戻ろうと思うのだけれど。どうかしら」
スピーカーの向こう側で、わずかな沈黙が落ちた。 クレティさんが即答を避けたのだ。
通信の向こうで、腕を組んで難しそうな顔をしている姿が目に浮かぶ。
普段は豪快に笑う人だが、作戦の判断を下すときはいつもこうして深く思考を巡らせる。
微かな電子ノイズだけが、コクピットの静寂を満たしていた。
やがて、スピーカーから低く落ち着いた声が響いた。
「いや、いい。シルヴィア、一度戻ってきてくれ」
監視の継続よりも、確実な生還と機体の温存を優先したのだろうか。
「了解したわ。そちらの座標で待機する」
私は短く答え、通信スイッチを切った。
両足のペダルを操作し、フラウスレイの巡航速度を完全に落とす。 砂丘の上で機体を停止させた。
東の空から昇り始めていた暁の光が、巨大な何かに遮られた。 私は操縦桿を軽く手前へ引き、機体の頭部カメラを上空へ向けた。
頭上を覆い尽くすほどの巨大な鋼鉄の塊。
私たちの母艦、戦艦チュラクシスだ。
凄まじい風圧が地上の砂を巻き上げ、フラウスレイの装甲をバラバラと叩きつける。
腹部にある巨大なメインスラスターが、青白い炎を吹き出しながらゆっくりと高度を下げてきていた。 空気がびりびりと震え、腹の底に響くような重低音が集音マイクを揺らす。
チュラクシスの下部ハッチが、重々しい金属音を立ててスライドした。
そこから、太く頑丈なロングワイヤーが射出される。
先端に巨大なフックのついた鋼線が、朝焼けの空を裂いて一直線にこちらへ向かって落ちてきた。
母艦からの迎えだ。
私は両足のペダルを細かく踏み換えた。
フラウスレイの姿勢を制御し、降下してくるフックの軌道へ正確に機体を滑り込ませる。
砂を巻き上げながら、機体の重心をしっかりと大地に固定した。
上空から迫る鋼鉄の命綱。 私はタイミングを見計らい、両手の操縦桿を真上へ向けて力強く突き出した。
フラウスレイの両腕が空へ伸びる。
落下してきた太いワイヤーのフックを、巨大な金属の手が完璧な精度で掴み取った。
ガチンという重厚な金属音が、操縦桿を通して私の両手に生々しく伝わってくる。
「捕まえたわ。引き上げて」
私が通信を入れるのと同時に、ワイヤーを巻き取る巨大なモーター音が上空から響いた。
凄まじい引張力が機体にかかる。
私は両足のペダルから力を抜き、関節のロックを解除した。 フラウスレイの機体がふわりと砂漠から浮き上がる。
足元で、夜の暗闇に沈んでいた砂の海がゆっくりと遠ざかっていく。
東の地平線が、黄金色の光で鮮やかに燃え上がり始めていた。
コクピットの空調が吐き出す風は、もう冷たくない。 どこか温かく、安心できる匂いがした。
もう二日後には、あのバケモノたちとの本当の死闘が始まる。
採掘場の底で待つ命を救い出すための、総力戦だ。
だが、今はただ、この温かい帰るべき場所で身体を休めよう。
私は操縦桿からそっと手を離し、背もたれに深く体重を預けた。
朝日を浴びて上昇していく機体の中で、私はゆっくりと目を閉じた。




