不気味なごちそうと、甘い罠2
そこに生えていたのは――地面から幾本も突き出た、赤黒い『触手』のような太い根っこだった。
それだけならまだいい。問題は、その根っこが生き物のように「うねうね」と不気味に蠢いていることだ。私が近寄ると、気配を察知したのか、ピクッと一斉に反応してこちらへ先端を向けた。
表面はぬめり気のある粘液で覆われており、恐る恐る指先でつついてみると、「うにゅ」とした嫌な柔らかさと共に、手の甲に血のように真っ赤な液体がベタリと付着した。
「ヒッ……!? 地面からウツボが生えてる……!? しかも血が出てるんだけど!?」
前言撤回。やっぱりめちゃくちゃ気持ち悪い! ホラー映画の怪異そのものである。
『おやおや、驚かないでください。それは【ドッドドレド】という植物の根ですよ。少し元気が良すぎて蠢きますが、害はありません。新鮮な証拠です。ほら、引っこ抜いてみて』
「引っこ抜くの……これ……? 手に血みたいなのがつくんだけど……」
『大丈夫です。ただの赤いだけの樹液です。さあ、思い切って』
ジェントルに催促され、私は引きつった笑顔のまま、赤黒い蠢く触手を両手で強く掴んだ。
手の中で根っこが「ヌルヌル、ウニウニ」と暴れて抵抗する。感触が気持ち悪すぎて鳥肌が立ちそうだったが、さっきの絶品ポタージュの感動を思い出し、歯を食いしばった。
「う、うんんんんnっ!!」
ズボッ!!!
威勢よく引き抜くと、長さ三十センチほどの太い根っこがスポンと抜けた。地面から離れると、根っこは「ぐったり」と動きを止め、ただの芋のような形状になった。
『表面の皮を剥いてみてください』
言われた通り、血のような赤い樹液をぬぐい、赤黒い皮の端に爪を立ててペロリと剥がしてみた。
すると――。
ふわり。
「……!?」
皮の隙間から立ち上ったのは、眩い黄金色の湯気と、芳醇で甘い、香ばしい香りだった。
「嘘……あったかい……!?」
ベリベリと皮を剥ぎ取っていくと、中から現れたのは、黄金色に輝くホクホクの果肉だった。見た目は完全に、前世で秋、冬によく買った『焼き芋』そのものである。蜜が溢れ出て、ツヤツヤと光っている。
生唾を飲み込み、黄金色の果肉にかぶりついた。
「んんんんんっ~~~!!!」
口に入れた瞬間、溢れ出す蜜の甘み!
舌の上でトロリととろけるような滑らかな食感と、噛むたびに広がる焼き芋特有の香ばしい風味。外側の皮はあんなに冷たくて不気味だったのに、中は信じられないほどアツアツで、蜜がたっぷり詰まっているのだ。
「甘い! ホクホク! 完全に絶品の焼き芋だわこれ!! 美味しい、美味しすぎる!!」
私は夢中になって芋を食った。前世のOL時代、ダイエット中にもかかわらず焼き芋を買って食べたあの背徳の味。それが今、この極限の異世界サバイバルで私の胃袋を満たしていく。
「ふはぁ……ごちそうさまでした……! 最高だわ、ジェントル!」
お腹がいっぱいになり始め、私は幸せな溜め息をついた。
素晴らしい。この森は、最初は恐ろしい場所だと思っていたけれど、植物と会話できて、安全な食べ分けさえ教われば、むしろ前世より豊かなグルメライフが送れるのではないだろうか。まさに「知る人ぞ知る楽園」なのかもしれない。いや、神の楽園なのだけど。
そんな風に、私が能天気な希望を抱き始めた、まさにその時だった。
『無事に食料が確保できて何よりです。……ですがお嬢さん、ここからが一番重要ですよ。今度は【絶対に食べてはいけない危険な植物】について教えます』
ジェントルの声から、先ほどまでの穏やかさが消え、重々しい警告の響きが混ざった。
『まず、あちらの木に生っている、あの赤い果実をごらんなさい』
ジェントルが指さしたのは、少し離れた場所に生えている美しく、高い樹木だった。
そこには、まるで前世の高級リンゴのように、ツヤツヤと光り輝く真っ赤な果実が、鈴なりに実っていた。今にも弾けそうなほどみずみずしく、皮の表面にはうっすらと甘い果汁の蜜が滴っているように見える。誰が見ても「美味しそう!」と手を伸ばしたくなるような完璧な見た目だ。
「なんて綺麗なリンゴなの。……あれは……毒なの?」
『ええ。あれは【夢見の実】。強烈な幻覚毒性と、極めて高い依存性を持っています。一口齧れば、瞬時に脳が支配され、永久に解けない「狂気と幸せの幻覚」を見続けることになります』
「幻覚……?」
『ええ。以前、この森に迷い込んだ者がアレを食べてしまっていたのですがね。自らを『白鳥』だと完全に思い込んでしまったようで、幸せそうな笑顔で歌を歌いながら、崖から軽やかに飛び降りて、そのまま潰れて死んでいました』
「……っ!?」
あまりにも生々しく凄惨なエピソードに、私の背筋にツンと冷たいものが走った。
『それから、あちらの地面に時折生えている、あのキノコも危険です』
ジェントルが次に指したのは、苔の生えた倒木の陰だった。
そこにポコポコと生えていたのは、きつね色にこんがりと焼けた、丸いパンのような形をしたキノコだった。表面には美しい網目模様があり、まるでメロンパンやクロワッサンそのものである。
私が少しだけ足を進めると、風に乗ってふわりと香りが漂ってきた。
「……なにこれ……すごく香ばしい……」
それは、パン屋特有の店内で漂ってくる、香ばしい小麦とバターのたまらない匂いだった。嗅いでいるだけでお腹が空いてくるような、幸福の匂い。
『美味しそうな香りでしょう? あれは【硬直タケ】。あの香ばしい匂いでお腹を空かせた獲物を引き寄せ、もし一筋でもかじってしまえば、強力な麻痺毒が全身の神経を駆け巡り、即座に体の自由が完全に奪われます』
「まったく動けなくなるの?」
『ええ、動けなくなります。ですがその毒は、運動神経だけを完全に麻痺させ、意識と感覚だけは「異常なほど鮮明」に保たせるのです。呼吸と心臓だけは動いたまま、喋ることも、指一本動かすこともできず、痛みの感覚だけが十倍に増幅される。その状態で、地面に転がったまま数ヶ月間、生殺しの状態で放置されるのですよ』
「す、数ヶ月……動けないまま……!?」
『ええ。やがて動けないあなたの上に、小さな肉食の虫たちが集まってきます。彼らはあなたが生きていると知りながら、柔らかい皮膚や目玉からゆっくりと生きたまま突き崩し、喰らっていくのです。あなたは激痛に悲鳴を上げたくとも声も出せず、ただ自分の体が食い尽くされる恐怖を全身で味わいながら、数ヶ月かけてじわじわと死んでいく……。実に恐ろしいキノコです』
「ひっ……あ、あ……っ……」
「なんて、少し話を盛りましたが、これで絶対に近付きたくないと思えたでしょう?」
「もお、ジェントル……」
私の喉から、声にならない引きつった悲鳴が漏れた。
全身の血の気が、一瞬で引いていく。
さっきまでポカポカと温かかったお腹が、まるで氷を詰め込まれたかのように冷たくなった。
美味しいパンの匂い。その正体は、意識を保ったままという、悪夢すら生ぬるい拷問の罠だったのだ。
『他にもありますよ。あちらの紫の綺麗な花は、近づいた人間の精神を乗っ取って自分の種子を植え付ける【寄生花】ですし、あの透明な水溜まりに見えるものは……』
ジェントルは親切心から、至極丁寧に教えてくれている。
「あ……あう……っ」
聞こえない。
もう、ジェントルの親切な解説が、頭に入ってこない。
視界に入るすべての風景が、一瞬にして恐ろしい「殺人トラップ」に見え始めていた。
可愛らしく歌う小鳥、色鮮やかな美しい花、香ばしいパンの匂い、ツヤツヤした果実――そのすべてが、人間を最も残虐な方法で殺し、肥やしにするために研ぎ澄まされた、狂気の凶器なのだ。
さっきまでの「楽園かも」なんて能天気な思考は、跡形もなく砕け散っていた。
(無理……無理無理無理無理!! こんなの、一秒でも気を抜いたら即死じゃない……!!)
一歩踏み外せば、白鳥になって崖から飛び降りるか、意識があるまま空を見つめながら餓死していくか。
私は破れたドレスの膝を抱きしめ、ガタガタと震えながら、冷や汗でぐしょぐしょになった顔を伏せた。あと残った蜂蜜。
(撤回するわ……。ここ……天国なんかじゃない……!)
足を踏み入れた者を、精神ごと噛み砕いて絶望のどん底へ突き落とす罠が存在する、正真正銘の「魔境」だったのだ。




