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第93話:一ヶ月の蓄積 —— 慣れという名の、薄氷

新興商社『タナカ』が始動して、一ヶ月が過ぎた。

ボロ屋の朝は、一ヶ月前とは見違えるほど活気に満ちている。

子供たちの頬には赤みが差し、薄汚れていた服も、田中が買い与えた丈夫な作業着に変わった。

「よし、今日も『定時』出発だ。ザック、投石用の石は選別したか?」

「おう、川原で重心のいいやつを揃えてあるぜ。……でも田中、最近は石を投げるまでもねえよ。ウサギの逃げ道、もう読み切ってるからな」

ザックが、腰のナイフの柄を軽く叩いて笑う。

この一ヶ月、彼は一度も大きな怪我をすることなく、着実に獲物を仕留め続けてきた。今では、石を投げるのは「確実に足を止めるため」の手段であり、トドメはナイフで、という一連の流れがすっかり体に染み付いている。

ミアの動きも、もはや「スラムの餓鬼」のそれではない。

「田中、昨日のウサギ、ギルドの職員に『血抜きが完璧だ』って褒められたよ。……次は、もう少し皮を綺麗に剥ぐ練習をしたい」

彼女のナイフ捌きは、もはや作業としての精度を超え、どこか芸術的なまでの無駄のなさを帯び始めていた。獲物の喉元を裂く瞬間の、あの微かな「口角の上昇」も、今では田中の目にも日常の風景になりつつある。

ニコも、今やパーティの「稼ぎ頭」だ。

「田中さん、今日は少し雲が出てるから、湿り気を好む『青露草』が狙い目だと思うんだ。あっちの窪地、行ってみない?」

(……ふむ。一ヶ月で、見事なまでに組織パーティとして機能し始めたな)

田中は、三人の成長を数字と事実で評価していた。

ギルドでの査定額は安定し、一ヶ月前は銀貨1枚に大騒ぎしていた子供たちも、今では銀貨が数枚並んでも「今日も順調だな」と、余裕を持って受け止めるようになっている。

彼らが有能なのは間違いない。

失敗から学び、技術を磨き、何より「食える」ようになった。

だが、田中は、三人の歩き方に微かな違和感を覚え始めていた。

草原の入り口。昨日も、一昨日も、その前も通った「安全な」道。

ザックは鼻歌を歌い、ミアは周囲を警戒するフリをしながらも、指先でナイフを弄んでいる。ニコは、足元を注意深く見るよりも先に、遠くの「もっと高い草」を探して目を細めている。

(……練度は上がった。だが、それに比例して『緊張感』という名のコストが、じわじわと削られとるな)

それは、商社マン時代に何度も見てきた光景だった。

プロジェクトが軌道に乗り、ルーチンワーク化した頃に起こる、予期せぬ事故。

「自分たちはもうプロだ」という自負が、野生への敬意を上回る瞬間。

「……ザック、ミア。今日はいつもより少し草が深い。……足元、もう一度引き締めろよ」

「分かってるって、田中。この辺のウサギは、俺たちの顔を見ただけで逃げ出すぜ!」

ザックの軽い返答に、田中は内心で小さく溜息をついた。

一ヶ月。

それは、初心者が「自分はもう大丈夫だ」と誤解するには、十分すぎるほどの時間だった。

新興商社『タナカ』。

盤石に見える経営の裏側で、積み上げられた成功という名の「慣れ」が、彼らをさらなる深みへと誘っていく。

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