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【第90話:資本投下 —— 泥を脱ぎ、鉄を纏え】

「……ザック、ミア。いいか、よく聞け。鉄という資源はこの世界では極めて高価なんや。鋳造のナイフ一本とっても、まともな経済圏なら数万は下らん価値がある」


ギルドの装備販売所の前。田中は、22歳の顔立ちに51歳の落ち着きを乗せ、穏やかに語りかけた。その迷いのない口調に、ザックは思わず背筋を伸ばす。


「一人に銀貨4枚……合計12枚。お前らからすれば途方もない大金やろ。でもな、これは『消費』やない。……『初期投資』や。この世界でビジネスを始めるための、必要経費イニシャルコストなんやぞ」


田中は、ギルドの壁に貼られた「初心者支援パッケージ」の羊皮紙を示した。皮防具、鉄ナイフ、研ぎ石、そして収納用の背負い袋。冒険者として最低限必要なものが揃った、ギルド推奨の標準装備だ。


「狙うのはこれや。ギルド公認の『一級・新人スターターセット』。バラで買い揃える手間を省き、ギルドの品質保証を買う。……実に合理的やと思わんか?」


そう言って笑うと、田中は三人を連れてギルドのカウンターへと向かった。

窓口の職員は、ひどく退屈そうに書類をめくっている。田中は、列を乱さず自分の番が来ると、穏やかな笑みを浮かべて話しかけた。


「……お忙しいところ恐れ入ります。こちらの『新人セット』を3人分、お願いします」


田中は、革袋から銀貨12枚を正確に取り出し、職員が数えやすいように丁寧に並べた。

「ローン」も「値切り」もない。提示された対価を、提示された通りに支払う。当たり前のことだが、興奮して騒ぎ立てる新人や、一銭でも安くしようと粘る者が多いこの窓口で、田中のような「手間のかからない客」は、職員にとって非常に助かる存在だった。


「……あぁ、3セットだな。そこに並んで待ってな。……おい、裏からセットを3つ持ってこい!」


職員が奥に声をかけると、ほどなくして真新しい革の匂いをさせた装備一式が運ばれてきた。

田中はザックたちを促し、その場で装備を身につけさせた。不慣れな手つきで革紐を締めるニコや、ナイフの重さに戸惑うミアを、田中は51歳の「父親」のような目で見守り、時折手伝いながら、装着に不備がないかだけを冷静に確認していく。


「……よし、サイズも問題なさそうやな。ありがとうございます、助かりました」


田中は職員に短く、だが誠実に会釈をして窓口を離れた。

特別な交渉も、おまけの要求もしない。ただ「ルールを熟知し、迅速に取引を終える」。それが、ギルドという組織の中で「信頼できる顧客」として認識される、最も地道で確実な方法だと田中は知っていた。


夕刻。

新品の装備を纏い、誇らしげに胸を張る三人が、ギルドの門を出た。


ザックとミアは、まだ硬さの残る、だが頑丈な茶褐色の皮鎧を。腰には、一点の曇りもない真新しい鉄のナイフ。そして背中には、冒険者の証である背負い袋。

ニコも、自分の体よりも一回り大きな袋を大切そうに背負い、新しい靴の感触を確かめている。


「……すごいな、田中。……なんだか、自分が自分じゃないみたいだ。ナイフの重さが、こんなに頼もしいなんて……」


「……あぁ、よう似合っとるぞ、ザック。……いいか、その装備はお前らの『信用』そのものや。身なりを整えるのは、取引相手の不信感というコストを最小化するための、最も効率的な戦略やからな。……その袋も、これから稼ぐ利益ですぐに満杯にしてもらうで」


田中は満足げに頷き、自分の服の襟を正した。

魔法で汚れこそ落としているが、自分は相変わらずの古着だ。だが、背後に「ギルド公認の装備」を固めた三人の護衛を従えたことで、その姿はもはや「スラムの住人」ではなく、**「腕利きを雇い入れた、底知れない新興投資家」**のそれであった。


「……さて。パッケージは整ったな。……次は、その中身……お前らのリテラシーを鍛える番や。……ザック、ミア、ニコ。……今日からお前らは、俺の『部下』やない。……『異世界商社・タナカ』の、創業メンバーやぞ」


夕陽を背に、革と鉄の匂いをさせた三人と、不敵に微笑むリーダー。

その足取りは、もはや泥を這う者のそれではなく、異世界のマーケットを席巻せんとする「商社」の第一歩であった。

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