【第83話:エントリー・シート —— 窓口の攻防】
「……よし。行くぞ。お前ら、忘れもんはないな」
翌朝。雨上がりの王都。
古着屋で手に入れた茶色のチュニックに身を包んだ田中は、22歳の軽い体で石畳を蹴った。背後には、緊張で顔をこわばらせたザック、ミア、ニコの三人が続く。
スラムの湿った空気から、石造りの建物が並ぶ「表通り」へ。
すれ違う市民たちが、小綺麗になった田中と、それでも隠しきれないスラム臭の漂う子供たちを蔑むような目で見送る。
「……なあ、田中。本当に大丈夫か? 俺たちみたいなのが入っていって、つまみ出されないか?」
ザックが不安げに田中の袖を引く。12歳の彼らにとって、冒険者ギルドは「選ばれた強者」が行く場所であり、自分たちが足を踏み入れるなど不敬に近い行為だと思っている。
「……ザック。ええか、商売の基本は『ハッタリ』と『看板』や。……お前らがビクビクしてたら、向こうは足元見てくる。……今日からお前らは、俺の『専属ガイド』兼『営業アシスタント』や。堂々としとけ」
田中はそう言って、王都北支部の重厚な扉を、躊躇なく押し開けた。
ガヤガヤとした熱気、鉄と汗の匂い。
掲示板を囲む屈強な男たちの視線が、場違いな青年と子供たちの一団に集まる。
(……ほう。……これが『異世界版ハローワーク』か。……なかなかのブラックな活気やな……)
田中は51歳の社畜経験で培った「周囲の殺気を背景に溶け込ませるスキル」を発動し、迷いのない足取りで受付カウンターへ向かった。
「……いらっしゃいませ。新規登録ですか?」
受付嬢は、山積みの書類から目を上げずに事務的に問いかけた。
「……はい。4名分。……キャッシュでお願いしますわ」
田中が銀貨4枚をカウンターに「チリン」と並べた瞬間、背後から嫌な匂いのする影が差した。
「……おいおい、兄ちゃん。いいもん持ってんじゃねえか」
振り返ると、そこには熊のような体格をした冒険者が三人、下卑た笑いを浮かべて立っていた。
「スラムのガキを連れて、銀貨4枚……。どこで盗んできた? それとも、その首のケロイド……どっかの貴族にでも飼われてた『逃げ奴隷』の退職金か?」
ドッと沸く周囲の嘲笑。ザックとミアが、恐怖で田中の背後に隠れる。
だが、田中は動じない。かつて、不当な契約を押し付けようと怒鳴り込んできた強面の地上げ屋を、笑顔でいなした経験に比べれば、この程度の恫喝は「日常茶飯事」だ。
「……すみませんが、今、『商談中』ですわ。横槍は……**マナー違反**ちゃいますか?」
田中は22歳の若々しい声に、51歳の重みを乗せて言い放った。
「あぁん!? 若造、生意気言ってんじゃねえぞ!」
大男が田中の胸ぐらを掴もうと手を伸ばした、その時。
田中の視界に、わずかな違和感が走った。
(……お? ……なんか、世界が……明るいな……)
あの腐ったポーション。激痛の代償に、田中の体内で完全に目詰まりしていた魔力回路が、パキリと音を立てて一割ほど開通していたのだ。
一瞬だけ研ぎ澄まされた感覚。大男の無骨な拳が、まるでスローモーションのように見える。
田中は最小限の動きでその手をかわすと、相手の耳元で、周囲には聞こえないほどの冷ややかな小声で囁いた。
「……ええか、おっさん。……ギルドの目の前で、身分証発行直前の人間に手を出す……。それが何を意味するか、分かっとるな? 『業務妨害』で即刻ギルド追放……。あんたの今後の『キャリア』、ここで終わらせたいんか?」
「……っ!? てめぇ……」
大男が息を呑む。拳の速さではない。言葉の「重み」と、その背後に透けて見える「確信」に、プロの荒くれ者が本能的に気圧されたのだ。
「……チッ、……シケた面しやがって。……行くぞ、野郎ども!」
捨て台詞を吐いて去っていく男たち。
田中はそれを見送ることもせず、呆然としている受付嬢に再び向き直った。
「……さて。……手続き、進めてもらえますか? ……時間は資産や言うたはずですよ」
「……は、はいっ! ただいま!」
カウンターに置かれたのは、安っぽい鉄のプレートが4枚。
田中はそれを一つずつ、ザック、ミア、ニコの首にかけてやった。
「……よし。……これでお前らも、今日から『個人事業主』や。……しっかり稼いでもらうで」
田中は、自分の首に掛けられたプレートの冷たさを感じながら、体内に戻ってきた「一割の魔力」の熱を静かに噛み締めていた。




