【第81話:不当な査定 —— 51歳の価格交渉(ハード・ネゴシエーション)】
(……ここか。……いかにも……事故物件……みたいな……時計塔やな……)
北の外れ、崩れかけた石造りの時計塔。地下へと続く階段は、カビと腐敗臭がさらに濃い。田中の首の火傷は、地下の湿気のせいか、ズキズキと嫌な熱を持って拍動を強めていた。
「……誰だ。……ガキの使いなら……泥でも食って帰れ……」
低い、地を這うような声。奥に座っていたのは、『灰色のネズミ』と呼ばれる鑑定屋の老人だった。老人は身動き一つせず、ただそこに居るだけで周囲の空気を重く沈ませている。
田中は泥だらけのボロ布から、あの「銀色の塊」を取り出し、カウンターに置いた。
その瞬間だった。老人の指先が塊に触れた刹那、わずかに、だが確実にその枯れた指が震えたのを、田中は見逃さなかった。
「……ただの『白銀』のクズだな。不純物が多い。銅貨3枚(300円)だ」
老人の声は平坦だったが、田中は鼻で笑った。
「じいさん、商売人を舐めんといてくれ。それ、ただの鉄屑やないやろ。この重量感、耐食性。**王都の宝飾店なら金貨100枚(1,000万円)は下らんと俺の勘が言っとる。……金貨1枚(100万円)。それが俺の提示する『卸値』や。**それ以下なら、他を当たるわ」
老人は初めて、ゆっくりと顔を上げた。
「金貨1枚だと? 兄ちゃん、お前は今、自分の姿を鏡で見たことがあるか?」
老人は田中のドロドロに化膿した首の火傷を、顎でしゃくった。
「その傷、放置すりゃ三日と持たねえ。死人に金は要らねえだろう。……銀貨1枚(1万円)だ。これなら、お前がこの階段を上がる間に殺されるリスクも少ねえ」
「死ぬのが分かっとるからこそ、金が必要なんや。……ええか、じいさん。あんた、さっきこれに触れた時、指が震えとったで。……プロのあんたが反応したってことは、これ、金貨100枚どころの騒ぎやないんとちゃうか?」
田中の指摘に、老人の目がわずかに細められた。背後の闇で、用心棒が殺気を放つ。
「……ハッタリを。銀貨3枚だ」
「……ふん、ならこうしよう。銀貨50枚。それと、あんたの店で一番腕のいい『治癒師』を呼んでこい。この傷を治すのが条件や」
「治癒師だと? ……寝ぼけるな。スラムの鑑定屋にそんなもんがいるか。……銀貨5枚だ。これ以上は、俺がこの店を畳まなきゃならなくなる」
田中はカウンターに身を乗り出し、老人の濁った目を真っ向から見据えた。
「……**銀貨20枚(20万円)。これが俺の『最終提示』や。一歩も引かんぞ。**これ以上叩くなら、俺は今すぐこの塊を持って外で大声で叫ぶで。あんたの店に『伝説の鉱石』があるってな。……どうや、じいさん。商売成立か?」
沈黙が流れる。老人はしばらく田中を見つめていたが、やがて呆れたようにため息をつき、首を振った。
「……負けたよ。口の減らねえガキだ。だがな、兄ちゃん。あいにくだが、今この店に現金は**銀貨10枚(10万円)**しかねえんだ。どんなに粘っても無い袖は振れねえ」
「……なんやと? それは契約不履行やぞ」
「落ち着け。その代わりだ……その棚のポーションを付けよう。そいつは**定価なら銀貨5枚(5万円)**はする代物だ。期限は怪しいが、まともに買えばお前には一生手に入らねえ宝だぜ。……銀貨10枚と、このポーション。これで我慢しな。お前の命よりは高いはずだ」
(……ポーションが5万円……? 物価が分からんが、このじいさんの顔を見る限り嘘やなさそうやな……。現金10万に、5万の現物支給。トータル15万か……。……チッ、足下見られとるが、ここでこれ以上粘っても俺の命が持たんか……)
「……分かった。……銀貨10枚と、その『下級ポーション』。……それで手打ちや」
老人は無造作に、銀貨10枚と、沈殿物の溜まった怪しい小瓶を放り出した。
「……毎度……おおきに……。……地獄の沙汰も……交渉次第……やな……」
時計塔を出た田中は、雨の降る路地裏で、その瓶の栓を抜いた。腐った果実のような、酸っぱい臭い。
(……これ……『品質管理(QC)』……どころか……完全に……腐っとるな……)
だが、首の火傷はもう限界だ。田中は覚悟を決め、その「劇薬」を、傷口にぶっかけた。
「……ぎ、……ぎゃあああああああああッ!!」
傷口を溶接棒で焼かれるような、凄まじい激痛。
22歳の肉体が弓なりに弾け、田中は泥水の中に崩れ落ちた。




