【第77話:スラムの朝食 —— 51歳の改善提案】
(……寒い……。……あかん……。……スラムの朝は……51歳の……いや、22歳の肉体でも……凍えるわ……)
朝日がゴミ山の隙間から差し込む頃、田中はガタガタと震えながら目を覚ました。
地下貯水池の冷たい床は、体温を容赦なく奪う。首の火傷は、昨夜の「謎の薬」のおかげか、少しだけ乾燥して熱が引いていた。だが、代わりに強烈な「空腹」と「喉の渇き」が襲いかかる。
「……おい、水の兄ちゃん。……今日もゴミ拾いだ。さっさと起きろ」
カイが、昨日の残りのようなカチカチのパンを齧りながら声をかけてくる。
ルウとガムも、眠そうな目を擦りながら、泥だらけのバケツを準備していた。
「……ま、……待て。……ゴミを拾う前に……まずは……『インフラ』を整えようや……」
「……インフラ? なんだよ、それ」
「……あー、……生活環境の整備や。……カイ、お前ら……いつも冷たい泥水飲んどるんか?」
田中は、子供たちが部屋の隅に置いた、ボウフラが湧きそうな濁った水桶を指差した。スラムの住民にとって、腹を下すのは日常茶飯事。だが、51歳の元商社マンとして、この「職場環境」は看過できない。
「……当り前だろ。綺麗な水なんて、王都の噴水まで盗みに行くしかねえんだ」
「……なら、……俺が『検収』……いや、浄化してやる。……少し魔力が戻ってきたわ」
田中は震える指先を水桶に向けた。
一晩の休息で、焦げ付いた魔力回路にわずかながら「余剰電力(魔力)」が蓄電されている。
(……一気に出すと……またエンストする。……チョロチョロや……蛇口のパッキンがイカれた時みたいにな……)
……ピチャン……ポタポタ……。
指先から、透き通った水が滴り落ちる。泥水を押し出し、桶の中が徐々に澄んでいく。
さらに田中は、もう片方の指を添えた。
(……ここで……『追い焚き』……いや、温熱付与や……)
かつて帝国軍の砦で、何百人もの兵士を黙らせた「適温(42度)」の魔力操作。
冷たい泥水が、微かに湯気を立て始める。
「……あ、……あったけぇ……」
ルウが、恐る恐る指を浸し、目を丸くした。
「……兄ちゃん、これ……お湯だ! 泥の匂いもしねえ!」
「……ふん、……これが……51歳……いや、俺の『付加価値』や。……さあ、そのカチカチのパン、……ここへ放り込め。……『クルトン入りのスープ』風にして食わせたる」
田中は、焦げたパンの耳を温かいお湯に浸し、ふやかした。
味付けなど何もない。ただの「お湯に浸したパン」だ。だが、冷え切った体には、それが最高のご馳走に見えた。
子供たちが、夢中でふやけたパンを啜る。
その様子を見ながら、田中は首の傷をボロ布で押さえ、ニヤリと笑った。
(……よし、……『福利厚生』で……心を掴んだな。……次は……このゴミ山の中から……『商品価値』のあるもんを……効率よく……スクラップする……フローを組むぞ……)
51歳の社畜精神が、スラムという名の「ブラック企業」を、勝手に「田中工務店」へと作り変えようと画策し始めた。
自由への道は、まず一杯の温かいお湯から。
22歳の肉体に、少しだけ「活気」が戻ってきた瞬間だった。




