【第59話:不純な終身雇用 —— 22歳の奴隷、領主館の「水源」に繋がれる】
「……ひぃ、……冷た。……ここ、……地下室……っていうか……ただの『貯水池』の底やんか……」
砂の街『カササ』を支配する領主館。その最下層に、田中は放り出された。
かつて商人の馬車で揺られていた頃が「外回り営業」だったなら、今は「工場勤務」だ。それも、光の差さない、湿った石壁に囲まれた孤独なライン作業である。
カチリ、と重厚な音が響く。
「……なんや、……これ。……首輪の……鎖が……壁に……直接……埋め込まれとる……。……これじゃあ……可動範囲……半径2メートル……もないわ……」
領主の兵士たちが、田中の首輪の鎖を巨大な鉄のリングに固定し、無慈悲に去っていく。重い鉄の扉が閉まる音が、地下室に不快に反響した。
「おい、水瓶。余計なことは考えるな。一日に十回、この水槽を満たせ。それが貴様の存在理由だ」
監視窓から冷たい声が降ってくる。
田中は、目の前にある巨大な石造りの水槽を見上げた。街の広場でボッタクリ価格で売られていたあの水が、今度は領主一族の贅沢な生活と、その私兵たちの喉を潤すために「無料」で搾取されるのだ。
「……ふぅ、……あぁ……。……これぞ……『不純な公権力』……。……中間マージン……どころか……売上……全部……没収や……」
田中は震える指先を水槽に向けた。
首輪がジリジリと熱を持ち、領主の魔導師たちが設定した「強制抽出」のプログラムが作動する。抗う間もなく、田中の体から魔力が吸い上げられ、指先から透明な真水がドボドボと溢れ出した。
(……くそっ、……商人の……ガラムたち……の方が……まだ……話せば……分かる相手……やったわ……。……ここの……連中……俺を……ただの『設備』としか……見てへん……)
22歳の若く強い心臓が、無理やり引き出される魔力に悲鳴を上げる。
だが、田中の内側にある「51歳の商社マンの魂」は、まだ折れていなかった。
暗闇の中、水槽に溜まっていく水の音を聞きながら、彼は冷徹に周囲を観察し始めた。
(……待てよ。……この水槽……ここから……どこへ……繋がっとる? ……領主館の……キッチンか? ……それとも……奥方の……風呂か? ……いや……この街の……生命線……そのものやろ……)
田中は、指先から出る水に、またしても「不純な細工」を施そうと試みる。
だが、今度の首輪は商人のものより遥かに精密だ。少しでも成分を変えれば、即座に監視している魔導師にバレるだろう。
(……焦ったら……あかん。……まずは……『信用取引』……や。……言われた通り……最高品質の水を……出し続けて……あいつらを……油断させたったる……)
田中は、冷たい地下室の床に膝をつき、水槽に反射する自分の「22歳の顔」を見つめた。
泥に汚れ、光を失った瞳。だが、その奥底には、逆境であればあるほど燃え上がる「不純な執念」が、静かに、しかし確実に灯っていた。
「……見てろよ、……カササ子爵。……俺の出す水を……当たり前やと……思ったら……大間違いや……。……あんたの……屋敷の……配管から……じわじわと……不純にしてったるからな……」
暗闇の中で、一滴の水が静かに波紋を広げた。
田中の孤独な、そして最も過酷な「地下営業」が、今、始まった。




