【第42話:魔の森の定員外 —— 51歳、S級たちの「拠点(たまり場)」になる】
「……おい、ポチ。……このソファー、……反則やぞ。……ドワーフのガラムさん、……岩塩を削る角度に『人間工学』でも取り入れたんか? ……51歳の腰が、……22歳の肉体ごと溶けてまうわ……」
落成祝いの嵐が去って数日。
田中は、磨き上げられた岩塩の背もたれに身を預け、ポチと一緒に「新築の香り」を楽しんでいた。
洞窟内はカイルの魔導結界で常に24度に保たれ、ハンスが敷き詰めた魔物の毛布は、雲のような弾力で田中を包み込んでいる。
「……これや、……これこそが『究極の隠居』や。……全裸で川の魚を捕ってた頃が、……遠い前世のように思えるわ……」
田中が指先をパチンと鳴らし、新設された岩塩カウンターの「保冷スペース」から、キンキンに冷えたグラスを取り出した時だった。
ポチが、不意に金色の瞳を鋭く細め、谷底の入り口へと視線を向けた。
「……お? ポチ、……どないしたんや。……また誰か来たんか?」
ポチは吠えもせず、ただ悠然と立ち上がると、入り口の境界線へと歩を進めた。
51歳の商社マン田中が「また一悶着か?」と胃を痛めるのを余所に、ポチは境界線の先――魔の森の暗がりに向かって、低く、空気を震わせるような唸り声を上げた。
「……はぁ、……っ。……田中さ……。……って、うわっ!? ……ポ、ポチ殿!!」
結界に飛び込んできたのは、返り血で真っ赤に染まったレナたちだった。
彼女たちは武器を構えるどころか、その場に釘付けになったように硬直した。
そこには、自分たちを今にも食い殺さんとする「死神」……神話に謳われる**魔狼王**の、圧倒的な威圧感があったからだ。
「……あ、……あの。……ポチ殿。……その、……今回も……『大猪の燻製』、……ちゃんと持ってきましたから……。……だから、……その『覇気』を少しだけ……抑えていただけると……助かるのですが……」
ドーンが、震える手で最高級の魔獣肉の包みを差し出す。
ポチはそれをフンフンと検品するように嗅ぐと、満足げに鼻を鳴らし、レナの鎧の肩口を「よしよし」とでもするように大きな舌で一度だけ舐めた。
「……ふふっ、……なんだ。……すっかり『検問』が習慣になったみたいね」
レナが、脱力したようにヘルメットを脱ぐ。
外は一歩出れば死地。だが、このポチの「お出迎え」がある場所から先は、世界で唯一の安全地帯なのだ。
「……レナさん、……ポチ。……自分ら、……俺が心配するまでもなく……すっかり出来上がっとるな」
田中は、カイルが皆の鎧に『洗浄』をかけるのを横目で見ながら、岩塩のカウンターに河原の**「黒い石」と、岩塩を削った「白い石」**を広げた。
「……まあええわ。……外がそんなに荒れとるなら、……今日はもう一歩も外に出んと、……この『岩塩パレス』の中で……脳みそが痺れる不純な遊びを教えたるわ」
田中が教えたのは、シンプル極まりない『オセロ』。
盤上での「白」と「黒」のせめぎ合いに、S級戦士たちが「魔物と戦うより心臓に悪い!」と絶叫し、酒を煽る。
だが、宴もたけなわとなった頃。
ポチが、音もなくカウンターの横から姿を消した。
「……よし、ドーンさん。……そこに置いたら俺の勝ちや。……商社マンの格言を知っとるか? 『勝負は下準備で決まる』。……悪いけど、この角はもろたで!」
「……ぐぬぬ……! ……田中殿、……今のは……今のはノーカウントだ! ……レナ、お前も何か言え!!」
彼らが盤面の一石に魂を削っている、その瞬間。
結界の外では、レナたちの匂いを追ってきた狂暴な**『双頭の漆黒虎』**が、三頭同時に闇から躍り出ていた。
本来なら、S級パーティーが死力を尽くして戦うべき大災厄。
しかし、ポチは吠えもしない。
一閃。
フェンリルの鋭い爪が闇を裂き、魔獣たちの喉を一瞬で掻き切る。
返り血の一滴すら、主人の住処には入れさせない。
ポチは前足の汚れを軽く払うと、何事もなかったかのように入り口の定位置に戻り、再び「ハッハッ」と舌を出して座り込んだ。
「……ふぅ。……なんだか、……今、外で凄い風が吹いたような気がしたけど……。……気のせいかしら?」
レナがふと、岩塩の窓の外に視線を向けたが、そこにはただ、月光に照らされた静かな森と、満足げに尻尾を揺らすポチの背中があるだけだった。
「……風やろ。……魔の森の天気は変わりやすいからな。……それよりガラムさん! ……次、あんたの番やぞ! ……ドーンさんはもう、……脳みそがショートしてもうたわ」
「……おぅよ! ……ワシのこの黄金の右腕で、……盤面を真っ白に染め上げてやるわい!!」
不純な隠居生活。
それは、伝説の魔狼王が「害獣駆除」をこなし、人類最強の戦士たちが「石をひっくり返す」ことに没頭する、奇跡のような平和の上に成り立っていた。




