第38話:銀翼の凶鳥、帰還 —— 5年ぶりの『衣』と『道具』
「……え、自分ら……今日、もう国に帰るんか? ……体、もう大丈夫か? ……リュカ君、無理したらあかんで」
てるてる坊主のようにマントを巻きつけた田中は、岩塩のベンチに腰を下ろし、名残惜しそうに彼らを見つめていた。
一週間の共同生活。全裸で介抱し、不純な酒を酌み交わした仲だ。51歳の商社マンとしての「情」が、彼らとの別れを少しだけ寂しくさせていた。
「はい。アイゼンガルド連邦へ戻り、今回の調査任務の報告を行わねばなりません。……田中殿、貴殿には……言葉では尽くせぬ恩があります」
リーダーのレナが、軍人らしい凛とした表情で頷いた。
彼らは連邦の精鋭。一週間の養生を経て、装備の応急修理も済ませた。これ以上、この「聖域」に甘え続けるわけにはいかない。
「……そら、仕事やもんな。……商社マンも『報告・連絡・相談』が命や。……あ、ポチ、ほら。……お見送りやぞ」
ポチは「やっと静かになるな」と言わんばかりに、鼻をフンと鳴らして立ち上がったが、その尻尾は微かに揺れていた。この5年間、田中と二人(一人と一匹)きりだったこの谷底に、賑やかな風を持ち込んだ連中だったからだ。
「……田中殿。……発つ前に、せめてもの礼をさせてください。……貴殿のその……『剥き出し』に近いお姿は、あまりに……その、忍びない」
レナの合図で、魔導師のカイルと斥候のハンスが、自分たちの予備の装備や、道中で狩った魔物の皮を広げた。
「……連邦の軍用技術で、最低限の『活動衣』を仕立てさせていただきました。……貴殿の身を守るには心許ない布地ですが、今のマントよりはマシかと」
カイルが魔導を込めて仕立てたのは、アイゼンガルド製の丈夫な布地をベースにした、実用的でシンプルな上下だ。22歳の若々しい肉体にフィットしつつ、51歳の落ち着きを感じさせる藍色の服。
「……おお、……服や。……ポチ、見てみ。……俺、……5年ぶりに『袖』を通したぞ……。……ずっと岩塩と水で洗ってただけの肌に、……布が……布が擦れる感覚が……! ……ありがとう、……ほんまに助かったわ……」
田中は、5年間忘れていた「着衣の重み」に感動し、思わず涙ぐんだ。全裸生活5年。もはや野生児を通り越して「森の精霊(物理)」のようになっていた男が、ようやく人間としての尊厳を取り戻した瞬間だった。
さらに、斥候のハンスが、自分たちの予備の野営道具の中から、折りたたみ式の**「小鍋」と「金属製の食器」、そして火を起こすための「魔導式の着火具」**を田中へと差し出した。
「……せめて温かい食事くらいは、これで。……我らの予備ですので、お気になさらず。……それから、田中殿」
レナが、少し声を潜めて田中の手を取った。
「今回の件、連邦の公的な報告には『正体不明の隠者に救われた』とだけ記します。……あんな旨い酒と、貴方の存在を、欲深い官僚どもに教えるのは……私たちのプライドが許しません」
「……お、……助かるわ。……俺、静かに隠居したいだけやからな」
「……その代わり。……次は、私たちの信頼できる『飲み仲間』と、……この岩塩の洞窟を最高に居心地よくしてくれる、酒好きの『ドワーフ』を連れて、……必ず遊びに来ます。……いいですね?」
「……え、……あ、……おう。……まあ、……酒の肴でも持ってきてくれるなら、……歓迎するわ」
レナのその言葉は、連邦の任務ではなく、個人的な「再訪の約束」だった。
五人の精鋭は、田中の酒を一瓶ずつ土産に持たされ、一糸乱れぬ敬礼を捧げた後、新緑の森の奥へと、風のように消えていった。
「……ふぅ。……ポチ、……静かになったな。……でも見てみ、……服はあるし、鍋もある。……5年目にして、……ようやく『隠居』らしくなってきたわ……」
田中は、新しい服の袖を捲り、カイルたちが置いていった小鍋を磨きながら、鼻歌を歌った。
一人の男と一匹の狼の聖域は、アイゼンガルド連邦との「再会の約束」を残したまま、再び穏やかな静寂へと戻っていった。




