【第33話:酒精の「フラッシュバック」 —— 51歳、指先の記憶(リブート)】
「……ぶはぁっ!! ……これや、この喉を焼き、食道を駆け抜け、胃袋を熱くする不純な刺激。……ん? ……待てよ。この絶妙なキレ、後味の良さ、魔力による分子構造の安定感……。俺、……これを知ってるぞ。……あ、……あぁぁぁぁ!!」
熟成30日目の朝。一ヶ月間、カビの繁殖に怯え、ポチの厳しい監視に耐え、酒への飢えを紛らわすために岩塩風呂で22歳の肉体を無駄に磨き上げ続けた、あの地獄の「リードタイム」。その末に完成した、谷底の「渋い実」と「岩塩」を魔力で発酵させたドブロク。それを一口煽った瞬間、田中の脳内で、崖から落ちた衝撃によりフリーズしていた「接待スキル」の全記憶が、濁流となって再起動した。
蘇ったのは、王都にある師団長セレスの私邸。深夜、軍服を脱ぎ捨てた彼女が、薄着のままソファーで足を組み、冷たい瞳で空のグラスを差し出してきたあの夜の感触だ。
『田中、ぬるい。42度で追い焚きしろ。……それから、例の「不純な水」を注げ。……それがないと、私は明日、軍を動かす気になれん』
「……俺、最初から指先で『大吟醸』作れてたやんけ!! なにを一ヶ月も必死に渋い実を潰して、岩塩の配合バランスに頭抱えて、『微生物の就業規則』とか言うて我慢してたんや! 崖から落ちた拍子に、一番肝心な『指先サーバー』の機能だけ、脳の防衛本能がロックしてたんやわ!!」
田中は、わなわなと震える自分の右手を凝視した。
あの私邸での「人間給湯器」としての過酷な労働がトラウマすぎて、脳が「酒=サービス残業」としてその機能を封印していたのだ。だが今、自作のドブロクがその封印を物理的にブチ抜いた。
「……わざわざ一ヶ月待たんでも、……念じるだけで『プレモル』でも『幻の古酒』でも出し放題やったんか……。……俺のあの一ヶ月の禁欲、……ポチに唸られたあの屈辱、……風呂上がりにただの水を飲んで涙した夜……。……全部、……全部無駄やったんか……!!」
あまりの衝撃に、田中は全裸で岩塩の床に膝をつき、しばらくの間、虚空を見つめて震えていた。51年の人生で培った「効率的な仕事術」が、自分自身の記憶喪失によって完全に否定された瞬間だった。




